新しい都に建てられた、新しい屋敷。
まだ庭の前栽も整わぬ体だが、一町を越える広い敷地は、
この屋敷の主が高位の貴族である証だ。
その屋敷の西の対で、姉と弟が向き合っている。
二人の間に置かれているのは、球形の白い石。
のどかな春風が部屋の中にそよそよと花の香を運んでくるが、
その場の気まずい沈黙は、解ける様子もない。
姉が、やっと口を開いた。
「
秀勢と呼ばれた弟は、即座に答える。
「一族の務め…それに、どれほどの意味があると言うんですか。
龍神の神子など、いつ現れるかも分からないんですよ。
言い伝えの中の幻に縛られるのはまっぴらです」
「神子様のことを…幻なんて…」
姉の顔がみるみる蒼白になる。
「すみません姉上、言葉が…過ぎました」
「秀勢…そんなことを言うなんて、あなたは本当に……」
姉は、言葉を途中で飲み込んだ。
つきまとって離れぬ疑念。
それが、気丈な姉の心に影を落としている。
……あなたは本当の秀勢なの?
秀勢とて、姉の考えていることはとうに分かっている。
その疑念に、自信を持って答えることができたなら、どんなによいかと思う。
どちらもが思い、どちらもが口にしないこと……。
沈黙を破ったのは秀勢だった。
心を落ち着け、今度は努めて穏やかに話し始める。
「姉上、案じることはありません。
私とて、神子が現れたなら一族の者として協力は惜しみませんよ。
だが、私には帝に仕える者としての責務があります。
正直、神子のことだけにかまけている余裕はないんです。
だから、神子に仕えるのは姉上の方がいい。
姉上なら、誠心誠意、神子のために力を尽くすことができるに
違いないですから」
姉は小さくため息をついた。
「あなたは、とても筋道だった考えをするのね。
それで、全てを割り切ってよしとする……。
あなたのお仕事は、そのようにして進めていけばよいのでしょうけれど、
私たち一族が脈々と伝えてきたものを、ないがしろにしてはいけないわ」
「姉上、では私にどうせよと言うのですか。
私は、後見を亡くした私たち姉弟を、こうして迎え入れてくれた藤原家に、
報いなくてはいけない。
これこそが、亡き母上の長兄として私が果たすべき一番の責務と心得ます。
この考えは間違っているでしょうか、姉上」
姉は力なく頭を振った。
「確かにあなたはよくやっています。
宮中での働きぶり、ここまで噂が聞こえてくるほどよ」
「ですがまだ、これからなんです。
藤原家は帝の信頼に応え、もっと多くの仕事を為さねばなりません。
何しろ新しい都は未だ、建設途上。十分に機能しているとは言い難いのですから」
「結局あなたの話は、お仕事に戻っていくのね」
「ええ、役目を拝領した者として、当然のことです。
ですから、占いだの昔の記録を調べるだのは、どうか姉上がなさって下さい」
そう言うと、秀勢は立ち上がった。
「では、仕事に戻りますので…」
姉は、黙ってうなずく。
簀の子に出てから秀勢は振り返り、言葉を続けた。
「宝玉も、姉上に託します。
もしも失くすようなことがあったら、それこそ一族の大事ですから」
姉は庇の下で遠ざかる弟を見送った。
勾欄のない簀の子を、背筋を伸ばして早足で歩いていく。
その後ろ姿に、姉は強い乾の気を見ている。
秀勢が大学寮で学び、百年に一人の俊才と言われた頃には無かったもの。
そして、その頃にはなかった星の一族としての力が、今の秀勢には備わっている。
僅かばかりの力というが、それが嘘であることは分かる。
姿形も、真面目すぎるほどの性格も、仕草も癖も変わらないというのに。
弟に渡された宝玉が、かすかに温かい。
この手のぬくもりのゆえか、それとも宝玉の放つ熱か…。
神子様が現れる兆しは、私には見えない。
私たちのお母様も、終生、神子様にお会いになることはなかった。
一族が守り伝えてきたこの宝玉が、
伝承の通りに輝く時が来るのだろうか。
一方、控えていた家人達の前に現れた秀勢の表情は、冷静そのもの。
そこから、彼の心中に渦巻く嵐を窺い知ることはできない。
「遅くなった。急ごう」
「ははあっ」
皆の先頭を切り、まだ造作の整わぬ都大路を馬で駆け抜ける。
大きな屋敷の塀が点在する先に、大内裏の門。
間もなく、造宮使の参集する議が始まる。
しかし、秀勢の心を占めているのは、別の事であった。
龍神の神子が幻というなら…この俺も似たようなものだ。
藤原秀勢であって、そうではない俺がいる。
「私」ではなく、自分を「俺」という存在が。
何も分からないまま、秀勢の身体と記憶を受け継ぎ、
俺はここにいる。
だが……、
記憶とは別の不思議な情景が、視界の中に二重写しになる。
……夏の昼下がり……突然止んだ蝉時雨……坂道…
一緒に誰かが、いたはずだ…。
でもその後何があったのか、…思い出せない。
ただ分かるのは、俺という存在が砕かれたということだけ。
散り散りに分解された俺の意識は、幾千もの光条となって、
藤原秀勢という青年に降り注いだ。
藤原秀勢である「私」は、天から降り注ぐ光を身に受けた。
その時からだ。
望んでもいないのに、心に映し出される光景。
やがて来る時を垣間見る力が宿ったのは。
何か意味があるというのか。
ただの運命のいたずらか。
それとも、長い夢を見ているだけなのか。
終わらない悪夢を。
星の一族とやらの血が…この身体に流れていると…
俺に宿ったこの忌々しい力は、そのせいだというのか。
つまりは遺伝。
受け継がれる二重螺旋の膨大な組み合わせの中に、
未来を読む力を持つ塩基配列があるというのか。
いでん…?
えんきはいれつ……?
訳の分からない言葉のはずなのに、
俺には…その概念が理解できる。
俺は、探さなければいけない。
誰を?
君は…無事なのか…。
君とは……誰だ?!
西の夢幻
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第2章 動き始めし時の行方を
[1.呪われた都]
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