平泉紀行


武蔵坊弁慶の墓〜中尊寺〜平泉文化史館




源義経妻子の墓から元の道に戻り、中尊寺への道標に従ってさらに坂を上がります。


分岐点
この写真は途中の分岐点。
どちらを行っても同じ道(国道4号)に出ますが、
真っ直ぐ下りていく右の道をおすすめします。
ちなみに循環バスは左のルートを行きます。


中尊寺前歩道橋
少し変わった形の歩道橋が見えてきたら、
もう、そこが中尊寺です。



山門の左手にある植え込みの一画に、弁慶さんのお墓があります。
先程の義経妻子のお墓を思いながら、合掌。

武蔵坊弁慶墓・碑  武蔵坊弁慶墓


中尊寺境内へ。

 

境内に入ると、参道はいきなり急な坂です。
参詣の人達がみんな無口だなあ…と思っていたら、
「ひいぃ」
「きっつぅ」
「どこまで続くの」
などの声が 漏れ聞こえてきました。
静かに歩いていたのは、話す余裕がなかったのね。

この月見坂、おそらく入り口付近が一番急なのではないかと思います。
私の膝も悲鳴を上げ始めましたが、ここでくたばってたまるか。


中尊寺の境内は、参道の月見坂を挟んで左右に御堂が並んでいます。
東側の崖が開けているところには物見台があり、
広々とした景色を観ることができます。

弁慶堂  中尊寺からの眺め

上の写真は弁慶堂と、物見台からの眺めです。
見えている川は、位置から推測するに衣川と思われます(地理疎っ)。


本堂  泰衡様〜

中尊寺の本堂は一番奥ではなく、参道の途中にあります。
懇ろに参拝。

上の写真では、左側の紫幕の奥に見えている、
なぜか真新しい「四代藤原泰衡公御月忌」の札(と言ってよいのでしょうか?)。
深い意味はないのかもしれないけれど、 思わず深読みしてしまいます。

だって、よく奥州藤原三代とか言われて、泰衡さん員数外扱い…。
「遙か」がなければ、何とも思わなかったはずなのですが、
もう、あのイメージを脳内から抹消など出来るはずもなく…。
痛い…勝手に痛いです。


さらに奥へと進んで、やっと金色堂。
拝観券は、金色堂隣の讃衡蔵という宝物館の入場券とセットになっています。

ここに来た目的は、あの金色堂の中を見ることだしぃ、
讃衡蔵はさら〜っと見ればいいや……
と思って、入場したバチアタリな真宮は、
最初の部屋で、ひれ伏して謝りたくなりました。
いや、心の中では、平謝りしていました、本当に。

入ってすぐのお部屋には、大きな3体の如来像がおわします。
思わず手を合わせていました。

言葉で言うと軽くなってしまうのですが、その存在感たるや…。


その後は神妙に、中の展示を見て回りました。
仏像には、必ずお灯明とお供え物が上げられていて、
単なる展示品ではなく、祈りの対象であることが伝わってきます。

数多の仏像に、平泉の街の賑わいを描いた絵画、金銀の文字で書かれた経巻等々、
京から遠く離れた平泉という地に、これほどの文化が育まれていたことを
目の当たりにして、ただ圧倒されました。

黄金の産出という経済的な基盤なくしてあり得なかったとはいえ、
その経済的繁栄を、浄土への祈りに注ぎ込んだ意志のすさまじい強さ。
寺院を建立し、膨大な仏像を造り、精緻を凝らした経巻を作る。
祈りは形になるのだ、と思い知らされました。

悲惨な前九年、後三年の役から、藤原四代の繁栄、そして滅びへと、
この地にあった人々に思いを致さずにはいられません。
けれど悲しいことに、歴史的な知識が無い!
なので心には朧な像しか結べません。
そして湧き上がる妄想だけが、私を蹴ります…。


展示品でもう一つ書いておきたいのは、金色堂にあった副葬品。
泰衡の首級が納められた桶があります。
その桶の中から、蓮の種子が発見され、800年の時を経て開花したそうです。

この時、平泉紀行のページに飾るのは蓮の花しかない!と決めました。
もっとも、泰衡の蓮は、色鮮やかな桃色なのですけれど(苦笑)。


金色堂
写真は金色堂覆堂で、入り口は一番奥にあります。
覆堂内部には、アクリルガラス(?)の仕切があり、
ガラス越しに金色堂を拝観します。

金色堂…、想像以上に小さかったです。
銀が立ち上がったら、絶対にアタマごっつんでしょう。
覆堂の中は比較的明るくて、ライティングの角度も調整されているので、
内部の仏像群や須弥壇の紋様、柱の螺鈿細工まで、とてもよく見えます。

エンドレスで流されている解説を、耳のはじっこで聞きながら、
妄想暴走MAX!
手を合わせつつも、ざわつく心が止まりません。
ごめんなさいMAX!


金色堂を出て、さらに奥の旧覆堂、経蔵をまわってから下山しました。
中尊寺は、丁寧に見て歩いたなら、時間がいくらあっても足りません。
思わぬ長居をしていたことに、やっと気がつくボンヤリ神子。

けれど、斜面をさんざん歩き回ったせいか、さすがに空腹に。
コンビニなど捜すヒマも座って食べる場所もないので、
月見坂途中のお蕎麦屋さん「義家」(笑)で、昼食をとりました。
美味&かなり量もあって、満足満腹。


時間節約になれば、と巡回バスの時刻表を見てみると、またもやすれ違いな時刻。
縁の無い日はこんなものさ、とハラをくくり、
高館に行く前に、中尊寺前の道路を渡って平泉文化史館へ。

平泉文化史館
館内には、毛越寺、無量光院の復元模型や、出土品、歴史のパネル展示などが、 ぎっちりと並んでいます。
撮影は自由でしたが、復元模型の表題の所に、 ○○先生魂の力作…のようなことが(正確な表現は忘れました・苦笑) 書かれていましたので、サイト上へのアップは控えておきます。


踏切
早足で外に出て、国道から脇の道へと入り、線路を横断。
高館義経堂へ向かいます。

地図によれば、平泉駅までは1.6kmほど。
高館、柳御所跡などに寄ったとしても、帰りの列車まで時間はたっぷりあります。
「十六夜記」ゆかりの場所だけ巡るなら、余裕でオッケー(笑)。

けれどその他に、達谷窟毘沙門堂まで、どうしても行きたいのです。
往復タクシーとしても、時間が読めません。
中尊寺でののんびり気分はどこへやら、
この後は、やたらにカッ飛ばして歩くことになりました。



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