北山ってどこなんでしょう?
これが、前回来た時からの疑問でした。
同じ地名はありますが、地図上の位置は、ゲームのマップ・ポイントとは大違い。
攻略本持って行って、観光案内所で「この辺りって、どこですか?」
と訊くのも、さすがにちょっと・・・・・。
でも、今回の旅のお供「遙か」の京都めぐりガイド本で、
疑問はばっちり解消(←おおっ、典型的宣伝文句)。
前回にこれを読んでおけば、ルートはだいぶ違ったものになっていた気がします。
だって、北山と火之御子社は、最優先目的地ですから。
「遙か」のガイドブックによれば、本日の最初の訪問地、龍安寺の
後ろに広がる山の辺りが、北山・・・らしい。
「ふふふふふ・・・今日はあちこち歩くわよぉ」
暑さに慣れたせいか、根拠のない自信のわいたおバカ神子は、
寝不足の目を血走らせて不敵に笑う・・・。
かなりキモイ光景です。
龍安寺までのバス便はかなり少ないですが、
携帯でアクセスすれば、バス停の時刻が分かるので、
それに合わせて行動開始。
バスの接近情報も教えてくれるし、京都の市バスは観光客に超・やさし。
金閣寺前で乗客のほとんどが降り、がらんとしたバスは
木々が影を落とす、「きぬかけの道」という美しい名の道を抜けて
ほどなく龍安寺に到着。
今日も暑くなりそうな気配。
広い池には蓮の花が浮かび、朝の光を照り返して眩しいくらいです。
厳めしい雰囲気の禅寺を予想していたのですが、
写真でご覧の通り、見事に外れました。
木々に囲まれた小道を通って、山の気を呼吸しながら
奥の方丈へと進みます。
有名な石庭は、建物に入って、あっけないほどすぐの場所に。
南に向かって開いた廊下のすぐ前、低い塀に囲まれたその庭は、
写真や映像で見て想像していたより、ずっとささやかな大きさでした。
禅の心とか、哲学とか、全く無縁な私なので、
この枯山水のよさがわかるのか?と疑問でしたが
やはり・・・。
ただ、ぽつんぽつんと置かれた石を見て、
よしなしことをぼんやりと思っている内に
しん、と穏やかな気持ちに。
気がつけば、周りには10数人の観光客がいたのですが、
みんな、おしゃべりもせず、思い思いのかっこうで、
庭を見ているのでした。
静寂の中、塀の向こうの夏木立に目を向けると、
その上には、透き通った青い空が。
心に風が吹き渡ったような、得難いひとときを過ごせました。
しかし煩悩は、ここから先、北山の奥に行きたいとせっついています。
本によれば、龍安寺の後ろに、奥の御陵へと続く道があるらしい。
念のため受付の人に道を尋ね、勇んで庭を回り込んで行ったら
御陵入り口の階段に鎖が・・・・。
近くの管理事務所のような建物にも人気はなく、
鎖を乗り越えてまで、みささぎに侵入するようなことはできず、
あきらめて引き返しました。
時間が早すぎたのかもしれません。
しょんぼりと、来た道を戻ります。
写真は、龍安寺の鏡容池越しに見た北山(たぶん)です。
次に行くのは北野天満宮。
バスがしばらく来ないので、きぬかけの道を通って
隣のバス停まで歩きました。
大学の前にあるそのバス停なら、何系統かのバスが通っています。
途中、幾度か目にしたのが(御陵の前でもですが・笑)、
「ここでは、トレーニング禁止」の貼り紙。
熱いっす!体育会系大学生!!
北野天満宮は、だだっ広い交差点の角に、ドーンと鳥居が建っているので
絶対に見つけられます(←こういうことを断言しても・・・)。
狛犬がコロンとして、なおかつ凛々しかったので、思わず撮影。
天満宮だけに、台座の梅の枝がポイントです。
こちらには、だいぶ前、奈良一人旅の帰りに立ち寄った記憶が・・・。
なぜ、奈良の後に北野天満宮なのか、自分でも理由がはっきりしませんが、
たぶん、もう少し頭よくして下さいという(爆)祈願だったのだろうと。
その時ひいたおみくじは凶。
そんなことだけ覚えてるか・・・。
などと苦い思い出に浸ったのも束の間、
ここにはっ!ひのみこしゃがあるのよっ!
やすあきのひのみこしゃよっ!
境内を走り回る怪しい人物となった真宮。
似たようなお社がズラッと並んでいます。
ごほっごほっ・・・
ここは冷静に、ひとつずつお社の額を見ていかねば。
ということで、牛の頭なんかも撫でたりしつつ、
火之御子社を探索。わりとあっけなく発見。
お賽銭奮発して、長ーーくお祈りしてました。
はああぁ・・・。
今こうして書くと・・・己の所業にため息が・・・(苦笑)。
本殿の前には、ずらーっと並んだ梅の実が天日干し中。
残念ながら寡聞にして、この梅の用途を知りません。
次の移動は少し長距離になります。
京都市を出て、長岡京市へ。
四条大宮で阪急線に乗り、長岡天神駅下車。
目的地は
乙訓寺には、「遙か・2」で戦う鬼門の怨霊のモデル(と思われる)
早良親王が幽閉されていました。
弘法大師が別当を勤めたこともある、由緒正しいお寺です。
けれど私が訪れた時には、参拝者の姿は一人もなく、
静まりかえっていました。
「遙か」本編と直接には関係のないお寺ですが、
いずれ書きたいな・・・と思っている拙サイトの二次的「遙か」には
きっと登場することと思います。
なお、このお寺にたどり着くまで、最大スケールの迷神子(←意味不明)になってしまって、
大変だったのですが、思い出したくないのでカット!
広い国道を、高く上った太陽にじりじりと灼かれながらてくてく。
今度は迷うことなく長岡天満宮に到着できました(ほっ)。
鳥居をくぐると、広い池の中の橋を渡っていきます。
姿の見えない桜花精に襲われなかったので、花断ち開眼できず(笑)。
拝殿(本殿?)は階段をいくつものぼった先に。
ここでも参拝者の姿がなく、お手本にする人がいなかったので、少し不安です。
あの輪は、くぐってもよかったの?
少し痛かったのが、境内のあちこちに、犬の散歩のマナーについて、
再三の注意を促すお願いの貼り紙があったこと。
広い境内と、池にかかった回廊を、来た時とは別のルートをたどって戻りました。
再び阪急線に乗り、京都市へと帰還。
途中の桂駅で、嵐山方面行きに乗り換えます。
きれいな山を眺め、駅名標を見ては「ヅラじゃない・・・」とか呟きつつ
電車を待つのは旅ならではの贅沢。安上がりな神子。
2つ目の松尾駅で下車。
松尾大社は駅の目の前にありました。
もちろん、「遙か」縁の地ではありますが、
呑んべの真宮は、松尾の神様にお世話になりっぱなし。
松尾の神様は、酒造りの神様なので。
境内にはお酒のミニ博物館もありました。
とにかく好きなのは、蒸留系のお酒より、醸造系のお酒。
「かもして下さって、ありがとうございます。美味しく頂いております」
と、熱心にお祈りしました。
境内の案内図を見て驚いたのが、松尾大社の広さです。
後ろの山の頂上の岩倉まで、道が繋がっているもよう。
昨日お参りした伏見稲荷大社といい、古い神々は山に坐すことに
しばし思いを馳せました。
奈良の三輪山が思い出されます。
バスに乗って清涼寺へ。
バス停の名は、通称の嵯峨釈迦堂前。
京都には、正式な名前とは別に、通称を持つ神社やお寺がたくさんあるなあ、と。
なぜか年配のご婦人に声をかけられることが多いのですが、
どちらまで?と尋ねられて答えると、「ああ、○○さん・・・」と
通称で言い直されることがしばしば。
観光情報サイトに、通称による検索ページがあるのも、もっともなことと納得しました。
さて、正面の仁王門がわからず、おまぬけにも裏の駐車場から清涼寺に侵入。
ここもでまた、ただ一人の参拝者に。
けれど、西に山を望む広々とした雰囲気の境内を見て回っている内に、
やっと、老夫婦がやって来ました。
入れ替わるようにして、今度は仁王門から退出。
バスで嵐山まで戻り、桂川渡月橋に。
さすがに京都の一大観光スポットだけあって、ここはすごい人出です。
人力車のお兄さんたちが、客引き中。
声をかけられる確率0.1%と認識していても、つつーっと避けながら通ります。
人は多くても、川を眺めれば、そこにはさらさらと流れていく水ばかり。
水の流れは、いつまで見ていても飽きません。
あの山が嵐山、星の一族の館・・・とか地図と引き比べてぶつぶつ。
深い緑を頂いた山の連なりの奥から流れ来る桂川は、
どの辺りから保津川になるのでしょう。
せっかく洛西まで来ましたが、ゲームマップでは近そうでいて、
実は行きづらい神護寺は、今回も見送ることに。
残念。
かわらけ投げたい・・・。
私がペーでパーなドライバーから脱却したら、
神護寺でも、将軍塚でもすいすい〜♪なのですが・・・。
それにしても、昨年の冬に来た時には気づきませんでした。
地図を見たら、ちゃんと載っていたのに。
美●ひ●り館に、ジ●ニ●ズ京都・・・。
一瞬異空間に入ったような気分になりましたが、
よく考えてみれば、自分が異空間を装備して歩いているのでした。
ははっ、そういうことか。
京福電鉄嵐山線の電車に乗り、本日最後の訪問地、蚕の社へ。
バス便もあり、そちらならバスカードが使えると分かっていても、
レトロな車両の魅力には抗しがたく(苦笑)。
蚕の社の、無愛想なくらいに飾りが無くて大きな鳥居は、
電車沿いの道から分岐する、普通の道の入り口に、ドーンと建っていました。
曲がり角には、ベンチを並べたバス停が。
本当にここが参道?と迷うくらい普通の住宅地の道を行くと、
工事車両が並んで停まっている道の反対側が、蚕の社でした。
ただしお社が工事中なのではなく、筋向かいにコンビニ建設中。
入り口付近は明るくて、隣の保育園からは
子供たちの騒ぐ声が聞こえてきてとてもにぎやか。
けれど、奥に進むにつれ、木立に囲まれてひっそりとした雰囲気に。
ここでも、真宮は一人だけの参拝者。
長袖の上着でヤブ蚊の襲撃をさけながらお参りし、
拝殿左の三本鳥居へ。
水路に水はほとんどなく、一番信じる心の高いお方の姿は映るはずもない。
鳥居は神域ということなのでしょう、囲いの細い注連縄には紙垂も下がり、
要するに、近づいてはいけません・・・と。
囲いの前のぐらぐらする石に乗って、思い切り手を伸ばして撮った写真がこちらです。
もう夕暮れ時。
生い茂った木に囲まれて、ほとんど陽も射さず、とても暗い場所だった上に、
カメラのフラッシュがオフになっていたにも関わらず、
なぜか真っ昼間のように写っています。
日の当たっている場所なんて、なかったのに・・・。
デジカメって、こんなにすごい明るさ補正機能があるんですか・・・・・・・・・?
蚕の社(正式には木嶋坐天照御魂神社)の神様に、感謝致します(神妙)。
鳥居の脇のバス停で、なかなか来ないバスを待つうちに、
街は夕焼け色に。
今日は思い切りあちこち歩き回れて、充実した一日でした。
迷神子になったのは不覚!!でしたが。
明日はもう帰るのか、と思うと一抹の淋しさが。
でも、今回は時間に余裕があるので、夕方まで京都にいるつもりです。
帰りの新幹線の指定も、乗る前に取ればいいや、と。
この晩、初めて朝までぐっすり眠ることができました。