伊豆の国歩き

〜頼朝配流の地を訪ねて〜


石橋山・蛭ヶ小島・香山寺・願成就院・真珠院


【はじめに】

お断りしておきます。
頼朝様に政子様・・・と、条件反射のように「様」をつけてしまう私ですが、
今回の旅は「遙か」の舞台ではありませんので、違和感を感じつつも、
お二人の名前を呼び捨てにしております。

「まあ、ご丁寧ですのね・・・」と、あの声が聞こえてきそう・・・(苦笑)。


源頼朝が14歳で流されてから、源氏再興・平家追討の旗揚げをするまでの、
およそ20年間を過ごしたのが、伊豆の地です。

今で言うならば青春のまっただ中に、監視の目の中に居続けたわけですが、
この間の様子について、鎌倉幕府の正史「吾妻鏡」は詳細に語っていません。

けれどそこで、監視役である北条氏の娘、政子を娶っています。
それ以前にも伊東氏の姫との間にもあれこれあったり・・・。
そして最終的には、近隣の勢力が旗挙げに協力していくわけですから、
その間にどんなことがあったのか、なおさら妄想はふくらんでいきます。

配流の地である蛭ヶ小島、北条氏の居館、挙兵の時最初に攻め入った
平兼隆の館などが、伊豆の国市に点在していたことを知ってからは、
いつか行こう!と思っていました。
そして、あれこれと調べ、計画が輪郭を明らかにしてきた頃、機会が訪れました。

2007年3月23日晴。
東京駅8:36発、東海道線国府津行きにて出発。

タイトルに上げた場所は、石橋山以外、伊豆箱根鉄道韮山駅を
東西に挟んで全て徒歩圏内にあります。
伊豆箱根鉄道には、東海道本線三島駅で乗り換え。

けれど!三島駅への道がこれほど遠いとは・・・(汗)。
JR東日本からJR東海の管内へと乗り継ぐことになるため、
その境界である国府津〜熱海間の接続が、
わざと?と勘ぐりたくなるほど悪いのです。

結局、国府津駅と熱海駅で、電車を乗り継ぎました。
熱海まで直通のアクティーの方が速くて楽だったかと思いますが、
こちらは本数が少なめ。


【石橋山】

え?乗り継ぎに苦労してまでなぜ、東海道本線にこだわったのかって・・・?
それって、石橋山のせいなんだよね〜♪

げほげほ・・・。
景時さんの不運の始まり・石橋山は、小田原の次の早川駅の近くにあるのですが、
新幹線は当の山の下にあるトンネルを通ってしまうのです。
なので、東海道本線の車窓から、石橋山を見る作戦。

早川駅を出てから、3つ目のトンネルを過ぎてすぐ右の山が石橋山です。
地図で何度も確認し、カメラの角度のシミュレーションもやり、
・・・・・それなのに、窓ガラスのなんという汚さ(爆)。
少しはましか、と思われる場所に陣取って、
1枚だけ撮った写真がこちらです。

石橋山・・・たぶん(汗)

たぶん、ここが石橋山・・・。
確実だと言い切れないのがつらいところですが(汗)。

この辺りは、山から海へとなだれ落ちるような地形。
急斜面にしがみつくように電車は走っていきます。
場所によっては、海のすぐ上を走っているような感覚に襲われる所も。

そして実は、早川駅のホームに、このような案内板がありました。

早川駅案内板

これを見て思わず、途中下車しそうになりましたよ。
バスで8分・・・歩けない距離ではありませんから。

けれどこの案内板の古さと、どんな道かわからない、ということで、
自分の心に急ブレーキ。
もう少しよく調べてから来ればよいのですから。


【蛭ヶ小島】

三島駅で、伊豆箱根鉄道に乗り換え。
東海道本線からの乗り継ぎ客の目の前で、修善寺行きが
発車していきましたが、この時間帯は20分間隔で運行されているので、
あまり苦にはなりません。

三島駅を出て17分、韮山到着。
まずは、駅の東側にある蛭ヶ小島へ。

時代劇場角の道標  蛭ヶ小島付近

写真にもあるように、駅の東側は道標が完備していました。
方向音痴だけは誰にも負けない自信のある私でも、
一度も迷うことなくまわり切れたというのは、大変なことです。

明るく開けた平らな道を、ひたすらてくてく。
考えてみれば、ここは狩野川流域。平らなのも道理でした。
蛭ヶ小島の名の通り、以前は川筋が今とは異なり、
島のような湿地帯であったという話もあります。

さて、今の蛭ヶ小島は観光の目玉のようで、そこまでの道はタイルプレートが
埋め込まれた歩道が整備されていて、これならイヤでも迷いません。
早速、若かりし頃の二人がお出迎え。
写りが悪くてすみません。

プレートの埋め込まれた歩道  銅像のタイトルは「蛭ヶ島の夫婦」

この銅像の存在、知ってはいたものの・・・・・・。
お二人のお召し物、カジュアルすぎませんか?庶民?
皆様に愛される夫婦?

史跡蛭ヶ小島公園入口

蛭ヶ小島は小さな公園のようになっていて、軽食のできる休憩所もあります。

また、頼朝挙兵までの経緯や北条政子とのロマンスなどを
簡潔に記した解説板、韮山周辺の史跡案内板などもあり、
妄想がもやもやかなり参考になりました。


【香山寺】

当初、蛭ヶ小島からは願成就院へと直行しようと思っていました。
けれど、蛭ヶ小島にあった解説板にある一文を読み、
どうしても山木判官平兼隆の館の在った辺り、香山寺へ行ってみたくなりました。

先にも書いた通り、平兼隆の館への討ち入りが、頼朝の源氏旗挙げと
されていますが、これ以前にも頼朝と兼隆とは因縁があるのです。

政子の親は、当初は娘と頼朝との結婚に反対でした(そりゃそうでしょう)。
そして、平兼隆との結婚を決めてしまいます。
しかし政子は、婚礼の夜に兼隆の山木館を抜け出し、
頼朝の元へと走ったというのです。
「迷宮」では、政子様のセリフに、少々このことを匂わせるものがありましたが。

「まっさこちゃ〜ん」と行ってみたら、もぬけのカラ。
兼隆の気持ちは如何に。

実は、韮山はささっとまわり、帰りに藤沢で途中下車して江ノ島に行こう!とか
思っていたのですが、香山寺に行くと決めたこの時点で断念。
江ノ島より韮山の方が遠いから、仕方ないさ。

「香山寺」への道標はありませんが、その近くの「江川邸」への道標は完備。
それを頼りに、遠い道を歩き出します。

ええと・・・本当に、遠かったです。
行きの道が長く感じられるのは、いつものことなのですが、
人家が途切れ、急な山道にさしかかった時には、引き返そうかと思ったほど。

切通しを抜け親水公園へ

低い山の切通しを抜けて、親水公園の広い池を回り込み、
江川邸前にやっと香山寺への道標を見つけた時には、ほっとしました。
この道で良かったんだ〜と。

さらに奥の、山木の集落の一本道を行きます。
この辺りには、お寺か?!と見間違えるほどに大きくて立派な構えのお宅が多く、
???なぜか自家用車は全て超徐行運転???

道標を見逃したか、やはり間違った道に来たか、気づかずに通り過ぎたか、と
不安感MAXになったところで、変わったアーチ形の門を発見。

香山寺アーチ門  香山寺頂上の御堂

ここが、香山寺でした。
アーチは、旧韮山県庁の門柱に使われていたそうな。
明治初期に韮山県があったとは、全く知りませんでした。

頂上の建物を取り囲むように、斜面を開いた所にお墓が建ち並んでいます。
なので、写真は控えめに。

この辺りに山木判官平兼隆の館あったのか、と思いつつも、
花嫁が逃げ出したり、頼朝に攻め込まれたり・・・な出来事とは、
今は無縁な、ひっそりと静かなお寺でした。


【願成就院】

香山寺から南西方向に、一気に移動。
・・・なんて言うと威勢がいいですが、来た道をひたすら戻り、
踏切を越え、ほぼ線路沿いに走っている国道136号線を目指します。
幹線道路を歩くのは好きではないけれど、迷わないために一番確実な行き方です。

駅の西側に出たとたん、道標は一切無くなりました。
国道沿いに大小各宗派のお寺がたくさんあることに驚きましたが、
それ以外はとりたてて特徴のない2車線の道路を、
排ガスを吸い込みながらひたすら南に向かって歩きました。

困ったことに、この頃から足の裏に違和感が。
なぜか、靴下と擦れあうたびに、ひりひりとした痛みが襲ってきます。
自慢できるほどの鈍感肌なのに、こんな時に限って、なぜ?!!

けれど、ここで足をかばって変な歩き方をすると、
今度は腰や膝に負担がかかって、さらに大変なことになるので、
姿勢を変えないように気をつけながら、我慢して同じ足運びを続けます。
ただし、スピードは約3割減。

幸いなことに願成就院への曲がり道には、とてもわかりやすい
案内板がありました。
ただ、そこへと至る参道は舗装工事の最中で、地面が露出していて
歩きにくいことはなはだしく、でこぼこの石を踏みつけながら歩いたことで、
足裏の痛みが急上昇。

低い山を背に建つ願成就院は、頼朝の奥州攻めの勝利を祈願して、
北条時政(政子の父)が建立したそうです。
山の西側には、北条氏邸跡(こちらは、足の痛みで断念)もあるし、
ご近所にお寺を建てたのね。

願成就院遠景  願成就院山門

当時は広い寺域を誇ったようですが、今の願成就院は、とてもこじんまりと
しています。境内には、あちらこちらにユニークな五百羅漢像が。
よく見れば、「あなたも自分オリジナルの羅漢像を・・・」
という案内板がありました。

境内には人気がありませんが、道路工事の車がひっきりなしに
山門の前を行き来していて、大きな話声も聞こえてきます。
時折罵り声も混じるのに嫌気がさして、そそくさと退散。


【真珠院】

願成就院の南にある古川橋の北詰から、川に沿って西に行くと、
真珠院というお寺があります。

真珠院

ここは、「遙か」とも妄想とも無関係。
氏族間の対立の犠牲になった姫君ゆかりのお寺です。

頼朝は政子以前に、なぜか遠くの伊東氏の八重姫と恋愛関係に。
伊東は伊豆半島の東海岸。蛭ヶ小島は山を越えて西側。
これだけ離れていると、会いに行くのも大変だったはずです。
けれど、監視役の北条氏とあまりよい関係でなかった豪族の姫君。
頼朝の中に何がしかの計算が無かったとは・・・。

結局、ご存知の通りの結果となり、それでも頼朝を訪ねて実家を脱走してきた姫は、
受け入れてもらえずに入水してしまいます。

八重姫御堂  梯子供養

破壊衝動にかられる話ですが、境内にはその姫を祀る御堂があり、
姫を助けてあげたかったという、当時の人の思いも残っています。

それにしても、配流の身でありながら、地元豪族の姫君を次々と落とした
頼朝っていったい・・・。

この時点で、足が反乱を起こしました。
もう歩きたくないと言うのです。
でも、韮山駅まではなんとしても戻らなくてはなりません。
というわけで帰り道は・・・痛っ!ギクシャク痛っ!のろのろ・・・以下同文。
北条氏邸跡にも、北条政子産湯の井にも、立ち寄れませんでした。


けれど、なぜか楽しく、心は空っぽ。
建物に切り取られることのない、広い空の下を歩く時間は幸せです。
踏切前で、真上の空を見上げて深呼吸。
思い切りアヤシい図ですが・・・。

まだ明るい午後14:23、韮山駅を発車。
三島発14:57のこだま号で、石橋山の下をくぐって帰りました。


【付記】

電車片道料金: 2480円(4160円)

JR:東京〜三島 2210円
伊豆箱根鉄道:三島〜韮山 270円
(新幹線特急料金 1680円)

東京〜三島の距離では、往復運賃の割引適用はありません。

国府津駅で電車の切り離し作業を見て喜ぶ・・・などの趣味が無い場合は、
東京〜熱海は直通列車に乗る方が楽です。

今回の旅は、韮山での滞在時間が3時間弱と、とても短いものになりました。

教訓 いくら履き慣れた靴だからって油断してると酷い目にあうから気をつけろ





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