綴る願いは・おまけ

(泰明×あかね ED後背景 @現代)

よかった。杞憂だったようだ。
この分なら、あかねと二人きりの七夕の夜に邪魔が入ることはないだろう。

泰明はあかねの肩を抱き、安堵している。

あの不吉な若者は現れなかった。
いや、現れることなどできないはずだ。
神子の世界は、私の世界の時空から遠く離れているのだから。

「泰明さん、何か考えごとですか?」

いけない。
今は神子との大切な時間だ。

「何でもない。いや、問題ない」

しかし、その時だ。
















夜空から叫び声と一緒に人が降ってきた。
庭に立つ桜をすり抜けて、そのままドサッと地面にぶつかる。

「痛たたた……」
年の頃二十二、三の、長い黒髪を後ろに垂らした若者だ。
仕立てのよいスーツに身を包んでいる。
高い所から落ちたらしいのに、若者は何事もなかったように立ち上がった。

「あ! あの人は」
「こんばんは、お久しぶりです、みこさんと仏頂面の人」
「神子、ここには私達以外に誰もいない」
「え? 泰明さん、どうしたんですか。あそこに」
「あれ? 私のこと覚えていませんか?
えっと、何年ぶりでしたっけ。人の暦で千年ぶりくらいかな?」
「神子、私には何も見えない。神子が見ているのは幻だ」

しかし、泰明の抵抗は空しいものだった。
あかねがにっこり笑って、空から落ちてきた若者に話しかけたのだ。
「もちろん覚えていますよ」
「そうですよね〜。私のことを忘れるはずないですよね」
「忘れられるなら忘れたい」

この若者は不吉の塊だ。
天界人であることは、全く関係ない。
仕事を真面目に務めず、そのために妻と引き離されて
年に一度しか逢えなくなってしまった
のだ。
これこそ不吉以外の何ものでもない。

若者が行方不明の牛を追って、
初めて空から降ってきたのは、七夕が間近に迫った夜だった。
しかしあれは、泰明の世界の京で起きたこと。
なぜ、あかねの世界にまで現れるのだ。

ぎんぎんと睨む泰明に怖じける様子もなく
若者はきょろきょろと辺りを見回している。
「ずいぶん遠くに引っ越したんですね。
少し驚きましたよ」
「私も驚きました。
でもすごいですね。ちゃんと今の時代の服を着てるなんて」
「似合ってますか?」
「はい。とっても」
若者はうれしそうに答えた。
「きちんとした服装は大切ですよね。
時代と場所は、ちゃんとわきまえないといけませんから」

「ならば時空の違いもわきまえろ」
若者は目を丸くして、ぱちぱちとまばたきした。
「時空? そういえば、ここって前に会った時と違う時空なんですか?
気がつかなかったなあ」
「なぜ、ここに現れた」
「桜の木が目印ですよ。
この木は引っ越し前の庭にあったのより、ずいぶん若いですけどね。
でも、今は花の無い季節なのに、満開の時みたいな気が
周りを包んでいるので、すぐに分かりました」

「ええと、何かまた困ったことが起きたんですか?
牛さんに逃げられたとか」
「あらかじめ断っておく。手助けはできない」

若者は、にこやかに笑って頭を振った。
「いやだなあ。私は腕利きの牛飼いですから、
そんなへまは滅多にしでかしませんよ。
ここへは、ちょっと挨拶に寄っただけです。
お二人ともお元気そうで何よりですね」

あかねが心配そうに言う。
「でも今日は、織姫様と逢う大切な夜じゃないんですか」
「暦が異なるのだ、神子」
「あ、そうか」

若者もうなずいた。
「この世界の暦は、逢瀬に使うにはちょっと難有りですね。
でも、私と奥さんのことを心配してくれるなんて、
やっぱりやさしい人です、みこさんは」

あかねはにっこりした。
「今年はこれからなんですね。
晴れるといいですね」

「ありがとう、みこさん。
ああ〜、もうすぐなんです。楽しみだなあ。
じゃあ、牛を待たせているので、私はこれで戻ります」

その言葉を待っていたかのように、
「ンモ…」
桜の木の上から、遠慮がちな声がした。

「お二人が幸せでありますように」
若者はかつて帝にそうしたように、泰明とあかねに丁寧に頭を下げる。
そして二人が見守るうちに、淡い黄金色の光に包まれて姿を消した。


再び静寂の戻った庭に立ち、泰明とあかねは並んで空を見上げる。
地上の光にかき消され、ここから天の川は見えない。
それでも天に星は満ち、今夜も涼やかに輝いているのだろう。

「あの人、全然変わっていませんでしたね」
「たとえ鬼に説教されても変わらないだろう」

「みんなのこと…聞けばよかったかな」
「神子は、そう思うのか?」

しばしの間あかねは目を閉じ、やがて小さく首を振った。

泰明はそっとあかねを抱き寄せる。
「神子、願いがある」
「はい?」
「先ほどの歌を、もう一度、聞かせてほしい。
神子の歌う声が聞きたい」
「……はい」

伸びやかな歌声が、泰明の腕の中で響く。
笹の葉擦れの音が、あかねの声に和した。

今度こそ、二人きりの時間が始まる。






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おまけの方が本編より長いって…(汗)。

と言っても、どちらもとっても短いのですが、
ちょこっと楽しんでもらえればうれしいです。

2011.7.07 筆