車窓に海が広がった。
厚い雲が切れ、太陽の光が射しこむ。
海は鈍色から一転して、沖の彼方までまぶしくきらめいた。
「わあ…」
一人の少女が感嘆の声を上げた。
「いいなあ、電車の窓から海が見えるなんて」
少女の嬉しそうな横顔に、隣に座った少年は思わず苦笑する。
「まあ、確かに俺達の街に海はないけど」
高校生とおぼしき二人は制服姿。
平日の昼間に、地図を手にしているところを見ると、修学旅行のようだ。
「海はないけどっ…て?
海が見えるって、すごくない?」
少年は、ふっと息を吐きながら笑った。
「でも俺達、ずっと寺と神社ばっかり回ってただろ」
「うん、それで?」
「そういうの、見慣れてるっていうかさ、
海を抜きにしたら、改めて感激するようなものも…」
少女は、くいっと頭を下げた。
「ごめん、嗣務くん、私が行きたいって言い張ったから」
「え、違うって!俺、そんな意味で言ったんじゃ」
少年は、あわてたように手を振った。
その否定の仕草、頭を下げている少女には見えていない。
電車が停まり、高校生が大勢乗ってきた。
とたんに周囲が騒がしくなる。
「ねえ、物理の最後、分かった?」
「あっちゃ〜、俺ヤバいよ」
そんな会話が漏れ聞こえてくる。
「中間試験みたいだな…」
嗣務と呼ばれた少年が、下を向いたままの少女に話しかけた。
しかし…
うつむいた少女が、震えている。
「どうしたっ!美鈴っ」
まわりの視線が一斉に集まる。
「大丈夫かっ!」
肩に手をかけて、美鈴の顔を上げさせる。
「しっかりしろ!」
初めて見る美鈴の表情だった。
その眼は、夢の中にいるかのように虚ろだ。
空恐ろしいものがこみ上げてきて、嗣務は力任せに美鈴の肩を揺さぶった。
「あ…」
美鈴の眼に、光が戻る。
嗣務と視線が合うと、ふわっと笑顔が浮かんだ。
笑顔の仮面をかぶったと…そう見えたのは、思い過ごしか。
「ごめんね、心配かけて」
美鈴はすまなそうに詫びる。
「俺のことはいい。でも、今日はもう帰ろう。
どっかの寺でも、気分悪そうだったじゃないか。
夏美たちには、携帯で連絡しておくから」
だが美鈴は、にこにこしながら首を振る。
「無理するなよ」
「大丈夫」
結局、笑顔の前に根負けした。
「遅かったみたい……」
「何のことだ?」
「あ……何でもない…ごめん」
そのまま二人の間に沈黙が落ちる。
周囲にざわめきが戻った。
電車は短い距離を走っては停まる。
海が建物の向こうに隠れ、観光客がどっと乗り込んできた。
「美鈴って、いつもそうなんだよな」
嗣務がぽつんと言う。返事はない。
ちらっと横を見ると、美鈴は、ぽお〜っとした顔で遠くを見ていた。
……いつも、こうなんだ。
隣にいるのに、遠い所にいるみたいで。
笑顔の向こうを、誰にも見せないで。
だから危なっかしくて……目が離せない。
目を離したら、どこかへ行ってしまうのだろう。
そんな気がして、ならない。
隣の中年女性のグループが、ひときわ大きな声でどっと笑った。
そのかまびすしさに負けじと、嗣務は声を張り上げる。
「美鈴!!起きろ!」
「へ?」
「次で降りるから!!」
「や、やだな〜、私眠ってないよ」
「じゃ、前の駅は何だった?」
「忘れた」
改札を出て、二人は人通りの多い狭い道を歩いた。
「もう夏美たち、着いてるかな」
「どうかな、海岸でも歩いているかもしれない」
「二人の世界を満喫してるよね、きっと」
「そのために、参加者の一番少ないコースに便乗したんだろ」
「デスティニーランドには、大勢行ってるもんね。
あそこじゃ二人きりなんて、確かに無理かも」
広い海岸通りに出た。
向こう側に、長い橋が続いている。
地下道を渡って、橋の上に出る。
「ごめんね、でもありがとう」
「何のことだ?」
「嗣務くんが最後に参加するって言ってくれたから、
やっと四人集まって、このコースが認められたんだもん。
他の所に行きたかったんでしょ。だから気を使ってもらって悪かったなって」
橋は島へと続いている。
島の入り口には大きな鳥居が聳えていた。
「いや、俺は寺とか興味ないけど、海食崖には興味あるから」
「あー、嗣務くんらしいね」
「それにしても、今日は行く先々でやたら補修工事が多かったな」
「冬に、お寺や神社にばかり雷が落ちたんだって」
「変だよな。不自然だ…」
「美鈴〜!!」
遠くから呼ぶ声がした。
鳥居の下で、手を振る人影がある。
別行動していた、同じグループの二人だ。
「遅いよ〜!美鈴〜」
「ごめん!夏美」
「チェックポイントにだけは、グループ全員で行かないとまずいしな」
「その後はまた別か?」
「堅いこと言うなよ」
四人で島のチェックポイントに直行する。
展望台でぽつねんと待っていた歴史の若い教師は、
「やっと来たか」
と言いながら、それぞれの行程表に確認印を押した。
「
教師が美鈴を見て眉をひそめた。
「この島、アップダウンがきついんだ。大丈夫か」
「え…あ…私?呼ばれました?」
右を見て、左を見てから美鈴はやっと自分のことだと気づく。
「完全に寝惚けてるな。いつものことだが」
ぷっ、と夏美たちが吹き出した。
嗣務は笑わなかった。
「じゃ、このラブラブの鐘を鳴らしたら、私達はまた…ね♪」
眼下に海を見下ろす丘。
風が強い。
夏至近くの太陽は空高く上がり、
水平線のきらめきをなぞるように、船が行く。
「勝手に軽いネーミングするなよ」
「あはは、だってえ」
吊り下げられた鐘の下で軽口をたたき合う友人に背を向け、
美鈴は鉄柵を掴み、身を乗り出して海を見ている。
ぴくりとも動かないその背中に、鐘の音が降り注ぐ。
「じゃね、美鈴」
「おい嗣務、お前達もこの鐘鳴らしちゃえよ。
事後承諾ってやつでさ」
「事後承諾って、何のだよ」
夏美たちはそそくさと丘を下りていった。
美鈴は振り返りもせず、見送りもしない。
いつもの美鈴からは想像できない素っ気ない態度。
「美鈴、そろそろ行こう」
嗣務が声をかけるが、美鈴は答えない。
その時、やっと気づいた。
美鈴は泣いていた。
とめどなく落ちる涙を拭いもせず、
海の彼方の空を見つめて、静かに泣いている。
「もう…行ってしまったんだね……龍」
鐘が再び鳴り響いた。
後から来た二人連れが、次々と鐘を鳴らしては去っていく。
潮騒の音を聞きながら、
嗣務は何も言わず、美鈴が振り向くまで待っていた。
プロローグ
[1.まどろむ龍]
[2.神泉苑]
[3.遠い鈴音]
[4.夏]
[5.襲来]
[6.夏・ふたたび]
[龍の夢・目次]
[キャラクター紹介]
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