龍の夢


プロローグ


3 遠い鈴音




車窓に海が広がった。

厚い雲が切れ、太陽の光が射しこむ。
海は鈍色から一転して、沖の彼方までまぶしくきらめいた。

「わあ…」

一人の少女が感嘆の声を上げた。

「いいなあ、電車の窓から海が見えるなんて」
少女の嬉しそうな横顔に、隣に座った少年は思わず苦笑する。
「まあ、確かに俺達の街に海はないけど」

高校生とおぼしき二人は制服姿。
平日の昼間に、地図を手にしているところを見ると、修学旅行のようだ。

「海はないけどっ…て?
海が見えるって、すごくない?」
少年は、ふっと息を吐きながら笑った。
「でも俺達、ずっと寺と神社ばっかり回ってただろ」
「うん、それで?」
「そういうの、見慣れてるっていうかさ、
海を抜きにしたら、改めて感激するようなものも…」

少女は、くいっと頭を下げた。
「ごめん、嗣務くん、私が行きたいって言い張ったから」
「え、違うって!俺、そんな意味で言ったんじゃ」
少年は、あわてたように手を振った。
その否定の仕草、頭を下げている少女には見えていない。

電車が停まり、高校生が大勢乗ってきた。
とたんに周囲が騒がしくなる。

「ねえ、物理の最後、分かった?」
「あっちゃ〜、俺ヤバいよ」

そんな会話が漏れ聞こえてくる。

「中間試験みたいだな…」
嗣務と呼ばれた少年が、下を向いたままの少女に話しかけた。

しかし…

うつむいた少女が、震えている。

「どうしたっ!美鈴っ」

まわりの視線が一斉に集まる。

「大丈夫かっ!」
肩に手をかけて、美鈴の顔を上げさせる。
「しっかりしろ!」

初めて見る美鈴の表情だった。
その眼は、夢の中にいるかのように虚ろだ。

空恐ろしいものがこみ上げてきて、嗣務は力任せに美鈴の肩を揺さぶった。

「あ…」
美鈴の眼に、光が戻る。

嗣務と視線が合うと、ふわっと笑顔が浮かんだ。

笑顔の仮面をかぶったと…そう見えたのは、思い過ごしか。

「ごめんね、心配かけて」
美鈴はすまなそうに詫びる。
「俺のことはいい。でも、今日はもう帰ろう。
どっかの寺でも、気分悪そうだったじゃないか。
夏美たちには、携帯で連絡しておくから」

だが美鈴は、にこにこしながら首を振る。
「無理するなよ」
「大丈夫」

結局、笑顔の前に根負けした。

「遅かったみたい……」
「何のことだ?」
「あ……何でもない…ごめん」

そのまま二人の間に沈黙が落ちる。
周囲にざわめきが戻った。



電車は短い距離を走っては停まる。
海が建物の向こうに隠れ、観光客がどっと乗り込んできた。

「美鈴って、いつもそうなんだよな」
嗣務がぽつんと言う。返事はない。
ちらっと横を見ると、美鈴は、ぽお〜っとした顔で遠くを見ていた。

……いつも、こうなんだ。
隣にいるのに、遠い所にいるみたいで。
笑顔の向こうを、誰にも見せないで。

だから危なっかしくて……目が離せない。
目を離したら、どこかへ行ってしまうのだろう。
そんな気がして、ならない。


隣の中年女性のグループが、ひときわ大きな声でどっと笑った。
そのかまびすしさに負けじと、嗣務は声を張り上げる。
「美鈴!!起きろ!」
「へ?」
「次で降りるから!!」
「や、やだな〜、私眠ってないよ」
「じゃ、前の駅は何だった?」
「忘れた」


改札を出て、二人は人通りの多い狭い道を歩いた。

「もう夏美たち、着いてるかな」
「どうかな、海岸でも歩いているかもしれない」
「二人の世界を満喫してるよね、きっと」
「そのために、参加者の一番少ないコースに便乗したんだろ」
「デスティニーランドには、大勢行ってるもんね。
あそこじゃ二人きりなんて、確かに無理かも」

広い海岸通りに出た。
向こう側に、長い橋が続いている。
地下道を渡って、橋の上に出る。

「ごめんね、でもありがとう」
「何のことだ?」
「嗣務くんが最後に参加するって言ってくれたから、
やっと四人集まって、このコースが認められたんだもん。
他の所に行きたかったんでしょ。だから気を使ってもらって悪かったなって」

橋は島へと続いている。
島の入り口には大きな鳥居が聳えていた。

「いや、俺は寺とか興味ないけど、海食崖には興味あるから」
「あー、嗣務くんらしいね」
「それにしても、今日は行く先々でやたら補修工事が多かったな」
「冬に、お寺や神社にばかり雷が落ちたんだって」
「変だよな。不自然だ…」


「美鈴〜!!」

遠くから呼ぶ声がした。
鳥居の下で、手を振る人影がある。
別行動していた、同じグループの二人だ。



「遅いよ〜!美鈴〜」
「ごめん!夏美」
「チェックポイントにだけは、グループ全員で行かないとまずいしな」
「その後はまた別か?」
「堅いこと言うなよ」

四人で島のチェックポイントに直行する。
展望台でぽつねんと待っていた歴史の若い教師は、
「やっと来たか」
と言いながら、それぞれの行程表に確認印を押した。

八州(やしま)、 少し顔色悪いぞ」
教師が美鈴を見て眉をひそめた。
「この島、アップダウンがきついんだ。大丈夫か」

「え…あ…私?呼ばれました?」
右を見て、左を見てから美鈴はやっと自分のことだと気づく。

「完全に寝惚けてるな。いつものことだが」

ぷっ、と夏美たちが吹き出した。
嗣務は笑わなかった。




「じゃ、このラブラブの鐘を鳴らしたら、私達はまた…ね♪」

眼下に海を見下ろす丘。
風が強い。
夏至近くの太陽は空高く上がり、
水平線のきらめきをなぞるように、船が行く。

「勝手に軽いネーミングするなよ」
「あはは、だってえ」

吊り下げられた鐘の下で軽口をたたき合う友人に背を向け、
美鈴は鉄柵を掴み、身を乗り出して海を見ている。

ぴくりとも動かないその背中に、鐘の音が降り注ぐ。

「じゃね、美鈴」
「おい嗣務、お前達もこの鐘鳴らしちゃえよ。
事後承諾ってやつでさ」
「事後承諾って、何のだよ」

夏美たちはそそくさと丘を下りていった。

美鈴は振り返りもせず、見送りもしない。
いつもの美鈴からは想像できない素っ気ない態度。

「美鈴、そろそろ行こう」
嗣務が声をかけるが、美鈴は答えない。

その時、やっと気づいた。

美鈴は泣いていた。
とめどなく落ちる涙を拭いもせず、
海の彼方の空を見つめて、静かに泣いている。

「もう…行ってしまったんだね……龍」

鐘が再び鳴り響いた。

後から来た二人連れが、次々と鐘を鳴らしては去っていく。

潮騒の音を聞きながら、 嗣務は何も言わず、美鈴が振り向くまで待っていた。




次へ



2007.12.6





プロローグ

[1.まどろむ龍]  [2.神泉苑]  [3.遠い鈴音]
[4.夏]  [5.襲来]  [6.夏・ふたたび]


[龍の夢・目次]  [キャラクター紹介]




[小説トップへ]