2日目
〜河原院址・五条大橋・深泥ヶ池・上賀茂神社・
仁和寺・野宮・嵐山・六波羅蜜寺・祇園社・清水寺・法住寺〜
宿泊したホテルは五条通り沿いにあります。
付近はビジネス街で、地下鉄の駅が近いこともあり、ホテルを出ると朝の通勤の人達が
せわしく行き交っています。人波に混ざり、東の五条大橋へ。
山から顔を出した太陽がまぶしいけれど、こんな通勤の風景っていいな、と思いました。
ここでお勤めしている人にとっては日常のものなのでしょうけれど。
朝一番めの訪問先は、河原院址です。
ガイドブックによっては掲載されていないので、どんなところだろうと思っていたのですが、
五条大橋の南西、普通の家が建ち並ぶ中に、碑だけがぽつんと立っていました。
「遙か1」ですでに荒れ果てていた河原院。
一見華やかな友雅の心のかけらがここにあることに、とてもやるせない思いがしたこと・・・
その時の哀しいような切なさが蘇ってきました。
河原院て、友雅が決して人には見せない
心の風景を象徴しているような場所・・・というような気がします。
五条大橋のたもとに扇塚があります。
よく調べていなかったので、そのまま素通りしようとしたのですが、
碑文を読んでみると、平敦盛の名がありました!!
読解力不足の私にはちょっと意味の取りにくい文章なのですが、
敦盛さんの没後に奥方がこの地で得度し、寺僧と共に扇を作ったのが縁で
扇工が集まったことから、ここが扇の名産地となった・・・・らしいです。
間違っていたら、す・・・すまない。
五条大橋といえば、有名なころころとした牛若・弁慶像はどこだろう、と探したら、
車通りの激しい道のど真ん中で排ガス浴びてます。
ち、近づけないですっ! 写真撮影もあきらめました。
京の街を北上。深泥ヶ池に着いた頃から、風花が舞い始めました。
五条の日差しとはうってかわって、重い鈍色の冬の空です。
池は近くまで宅地開発が進んでいましたが、明るく開けたところでした。
貴重な水草を保護しましょう、という立て看板があり、歴史的な説明のようなものは見あたりません。
一人剣を振る、武士の幻を探しましたが、あまりにかけ離れた風景です。
池の主はもう住んではいないのでしょう。
上賀茂神社の立て砂は、雪で濡れて灰色でした。白砂を期待していたので、残念。
でも何はさておき、すーはーすーはー・・・。
これで京の気になじめたはずだけど・・・。
本当にここは神域、という感じがしました。境内をめぐる水のきれいなこと!!
しばしの間、朱塗りの欄干の橋に立ち、流れる水と、生じてはすぐに消える水泡を
眺めるともなく見ていました。
この時間が旅の時間。とてもすてきな時間です。
次に向かったのは仁和寺。大きなお寺です。
立派な山門をくぐり、左側の御室御所へ。 たぶん永泉の住まいだったところ。
御所の建物は、どこからも庭を眺めることができるように建てられています。
庭は枯山水あり、池あり滝あり、自然の風景を取り入れたとても美しいものです。
この風景を作り、この風景を愛で、この美しさを日々呼吸した人達が、
千年の昔からいたのだな、と思うと、その美意識の堅牢さに
眼から鱗がぽろっと落ちる思いがしました。
風流とか、美意識というと、はかなくて脆弱なものというイメージがあったのですが、
それを続け、変わらずに在るということは、強烈な意志の力無くしてはあり得ないと。
ととと・・・思わず熱く語ってしまいました。
冷たいこの床を、昔の何世代もの人達が歩いたのだな、と思うと、思わず興奮。
寒さもどこへやら、というくらいでしたので・・・・・(苦笑)。
美しいこのお寺、桜の季節に来たいものです。
次に訪れたのは嵐山。若者のグループが目につきます。
星の一族には会えぬまま、野宮神社へ。
想像していた以上に小さな神社で、霊水はどこにも・・・。でも苔庭が大変にきれいでした。
神社への参道は、竹林の中を曲がりくねって続く道です。
見上げると、空が見えないほどに高く伸びた竹が風のそよぎにも大きくしなり、
ざわざわと途切れることなく歌っていました。
静か・・・・・でした。
絶え間のない音の中の静けさ。
武満徹を思い、「風と木の詩」を思いました。
本業の音楽への加護を頂きたく、技芸のお守りを入手。
次は、京福嵐山線とバスを乗り継いで、洛西から一気に洛東へ移動しました。
時間があれば、神護寺まで足を伸ばすか、清涼寺、松尾大社、蚕の社などにも
行きたかった(すっごい無茶)のですが、断念。
まず訪れたのは六波羅蜜寺。空也上人像、平清盛像で有名なお寺ですが、
宝物館には入らず、そそくさと次へ。
どうにもバチアタリな参拝者です。
お寺のほど近くに賑わっているスーパーがあり、店名はと見ると「ハッピー六原」。
ハッピーですよ。しかも六波羅ではなく、あっさりと六原。
住んでいる人にとっては当然ながら、しっかり日常の世界です。
ヒノエ、銀との出会いの場が、地に足が着いた場所へと、一気に空間転移。
現実に引き戻された瞬間でした。
西に傾きかけたお日様と競争するように、急ぎ足で祇園社(八坂神社)へと向かいます。
この辺りは京都観光の華、祇園界隈なのですが、脇目もふらずに境内に突入。
大きくて立派な本殿にお参りします。
後で知ったのですが、大きいのも道理。本殿と拝殿が一緒になっているそうで、
特殊な造りの故、祇園造りという名まであるそうな。
ささやかな寄進をして、青龍石を入手。
祇園社と青龍、ぴんと来ない組み合わせだったのですが、考えてみればここは京の東の地。
しかも、この下の龍穴が神泉苑や東寺まで通じているという
言い伝えもあるし(←こういうことは調べてある)
青い石を握りしめて、ちょっとご機嫌。
次に向かったのが、世界文化遺産にして一大観光スポット、清水寺です。
これまでに廻った寺社の比ではなく、人口密度の高いこと! 特にカップル、外国人観光客が多いです。
急な清水坂の両側には土産物、食べ物etc.のお店が建ち並び、とてもにぎやか。
なんて書くと騒がしく俗化しているみたいですが、それはお寺とは別物。
刻んできた千年の時の流れは、世俗の波に押し流されるようなヤワなものではないことを、
清水寺はじんわりと感じさせてくれました。
堂内には「今年の漢字」に選ばれた「愛」の字の大額がありました。
間もなく迎える新しい年が、佳き一年でありますように、美しい字の選ばれる年となりますように、
と心の中で祈りつつ、ぬれ手観音を参拝。毎ターンHPを回復してくれて有り難うございます。
かの音羽の滝は大行列で、お水を頂くのは横目で眺めるだけであきらめました。
清水寺は山の上なので、まだ日は高いように思われますが、
見下ろせば、もう京の街には夕暮れが訪れています。
五条坂を駆け下りてバスに飛び乗り、三十三間堂へ。
でも、すでに閉門でした。
閉門時間を考えるなら、お参りの順番は三十三間堂から祇園社へと北上する方がよかったのです。
これくらい調べておきなさいよ!あーっ、私のバカバカバカ、
と未練たらしく塀に張りついて中をのぞき込む怪しいヤツが一人。
塀を飛び越えるなんてできないいし、長身を生かして踏み台になってくれる人もいない。
斜め向かいの法住寺にお参りして、本日も日没終了。
今回の旅はお日様との競争でした。ああ、日の短さが恨めしいです。
2泊3日もあれば、あんな所やこんな所、心ゆくまで妄想の世界に浸りつつ、
全部回れると思っていた私が甘かったでのですが。(←単におバカなのだと・・・・・)
早くも旅は終わりへと近づいて・・・・・明日の今頃はもう東京に。
悲しい気分でホテルへと戻ります。
途中のコンビニで夕食のおにぎりと、京とのお別れに名残の一献も買い込みました。
明日、旅の終わりに目指すは「遙か3」始まりの舞台、宇治です。