龍の夢


第1章 彼方より来たりて


5 喪われた名



巌に飛び込むと、中は淀んだ空気に包まれていた。
明るい雪原から急に暗い洞窟に入ったせいで、周囲がまるで見えない。
目が慣れるまでの数十秒が、惜しい。
今ここで、やつらの仲間に襲われたら……。

私が入ってきた気配に気づいたのか、奥でガタリ、と音がした。
「おい、もう片づいたのか?」
足音が近づいてくる。
逃げ場はない。隠れる場所を探すこともできない。
心臓が、きゅっと縮まる。

伽卦流に危険を知らせた時は、無我夢中だった。
首筋に冷たい刃の感触を感じながら、躊躇う余裕すらなかった。
けれど今は……。

その時、白龍の声がした。

『神子……鈴を鳴らして』

……腕輪と、足飾りについた鈴のこと?

『そう』

……でも、鳴らない鈴だよ。
歩いても走っても、音を立てなかった。

『神子が望めば、鳴る』

男の怒声が響いた。
「あ!てめえは?!」

朧に、男の輪郭だけは分かる。

「何!」
「どうした」
奥から、次々と男達の来る気配。

私は、足をとん、と踏みならした。

チリン…。

澄んだ音色が響く。
続けてもう一度。

今度は、腕を振ってみる。
涼やかな音が広がる。

鈴の音は、壁や天井に幾度も反射し、重なり合い、
不思議な音色となって洞窟を満たしていく。

『大丈夫だよ、神子。
これで、誰もあなたを害さない』

やっと目が慣れて、見渡してみれば、
上へと続く階段の際に、数人の男が重なり合うように倒れている。
気持ちよさそうな、ぐがあぐごお!と言う音は、聞き違えようもない。

……ありがとう、白龍。

一気に、階段を駆け上がる。
傷ついた巫女のいる横穴を通り過ぎ、最上階へ。
そこには、囚われた女達がいる。
巫女をここから出すには、手は多い方がいい。

しかし……

「そっか、眠らせる相手を選ぶわけにはいかないんだね」
私は盛大にため息をついた。
女達を助けようと来てみたものの、
牢の中も外も、女も男も、皆気持ちよさそうに眠っていたのだ。

チリ…と、白龍の鈴がすまなそうに小さく鳴る。
鈴にそっと手を触れて、気にしないで、と伝える。

眠りこけた見張りの男の腰から短刀を抜き、
牢の格子を結んだ縄を切ると、扉を大きく開けた。
切り取った縄で男の手足をぐるぐる巻きに縛り上げる。

素早くやったつもりだ。
だが、男達がいつ目を覚ますか分からない。
鈴の効果がいつまで続くのか、白龍に尋ねてみてもいいが、
神様の感覚は、人とは違う。
白龍は残された力の中で、精一杯のことをしてくれたのだ。
後は、私が何とかするしかない。

岩を掘った不規則な段差の続く通路を、今度は全速力で駆け下り、
横穴をよじ登るようにして、奥の部屋を目指す。
見張りは三人もいたが、幸いにもまだ目覚めていなかった。

ここは、女達の閉じこめられていたような牢ではなく、
光も射さない、ただの狭い空間。

奥に、こちらに顔を向けて横たわった人影が見える。
私は身を屈めて進んだ。

と、その人影が、苦しげに息を吐き出すと、かすかに身じろぎした。
白龍の鈴でも、眠ってはいなかったのだ。

そっと声をかける。
「巫女様、ですね」

かすれて弱々しいながら、その人はよく通る声で答えた。

「そうです。私はあなたを待っていたのですよ。
神を宿す娘……」





広場は男達の歓声と怒声に包まれている。
「狗麻!!」
振り下ろされた悪土王の斧をかいくぐり、
周囲の声に負けじと伽卦流が叫んだ。

「加勢を頼むのは、許さねえ!!」
重い斧の勢いに体勢を崩すこともなく、悪土王は斧を横に薙ぐ。
咄嗟に避けた伽卦流の胸当ての紐が、引きちぎれた。

「馬鹿野郎!気を散らすな!!」
狗麻が怒鳴るが、その声すら周囲の声にかき消される。

それでも伽卦流は、戦いながら狗麻のいる方へと近づこうとする。
思う存分に動き回る戦いを得意とする者同士、
伽卦流は明らかに、自分に不利な戦い方をしている。

「伽卦流のやつ、何をしてやがる…」
狗麻が歯がみをした時、伽卦流の声がやっと届いた。

「巫女はあの巌にいるぞ!!」

それを聞くやいなや、狗麻は両脇にいた仲間の襟首をひっつかみ、
凄い形相で走り出した。

「娘が一人だけで、助けに入った!!」
続けて、伽卦流はそう言ったようだ。

だが、狗麻は聞き流した。
そのようなことは、あり得ない。
聞き違いに決まっている、と思ったのだ。





巫女は、ひどい傷を負っていた。
だが、手当を受けた様子はない。

暗がりのせいで、はっきりと傷口が見えないのは、
かえってよかったかもしれない、と思う。
私が目にしたことの無いような傷に違いないから。

どうやって、外まで運べばよいのだろう……。

躊躇う私に、巫女は白い手を差し出した。
「起こして下さい。あなたの肩を貸して……」

巫女の傷は、右側の方が酷いようだ。
こわごわ、傷の浅い方の腕の下に、自分の肩を滑り込ませる。
身を屈めなければ通れないほど低い穴を、巫女を抱えてにじり出た。

急がなければならないと分かっていても、慎重に動かざるを得ない。
それでも、時折無理な力がかかっているはずだ。
だが、巫女は声一つあげることもなく耐えている。

やっと通路へ出た。ここは少し明るい。
髪が無造作に短く切られていることに気づく。
私が身代わりにたてられたのは、このためと分かる。
巫女という呼び名から、神がかった老婆を連想していたが、
この人はまだ若く、美しい顔立ちをしていた。

だがその白い顔には、まぎれもなく死の影が射している。
一目だけでも、仲間の顔を見せてあげなくてはと思う。

急ぎ足になった私の心を見透かしたように、巫女が言った。
「いいのです。私はあなたに会いたかったのだから…」

さっきも同じことを言った。
どういうことだろう。でも、今はあまりしゃべらない方がいい。
「話すと身体に障ります」

しかし、巫女は続けた。首を振ることすらできないのだ。
「この巌に神の気を感じた時には、どんなにうれしかったことか…。
あなたに会うまでは生きなければ、と思い定め、耐えてきたのです」

「なぜ私に?……あなたには、白龍が分かるの?」
「龍……大いなる神。その神を宿すあなたに、私は願いたかった…」
「願いたかった?今は違うの?」
「私の代わりに、巫女になってほしいと…」

それは……できない……。
でもせめて、この巫女の力になりたい。

「巫女になるとこ以外で、私にできることはないかな」

「一つだけ……」
「それは何?」
「これを……あなたに…」
そう言うと、巫女は胸元を示した。
そこには、管玉と勾玉を連ねた首飾りがある。

言われるままに手に取ると、それは蛍のような光を放ち、
気が付くと私の首にかかっていた。

「え?」
きょとんとする私に、巫女はかすかな笑みを浮かべた。
「この首飾りの、次の持ち主を探してほしい……」
「その人が、新しい巫女になるってこと?
でも、どうやって探せばいいの?」
「首飾りが、その巫女の元へとあなたを導く」

そのような娘が、すぐに見つかるのだろうか……。
それより前に、伽卦流は無事なのか、
私もここから一緒に脱出できるのか、
何一つ、確かなことはない。

でも、この巫女の心だけは、揺るぎなく確かだ。
命を賭けて、私を待っていてくれた。
私も、応える。
「分かった。必ず見つけるよ」

「感謝します、龍を宿す娘。
私には、あなたに…してあげられることは、何もないけれど…」
巫女の声が、だんだん細く小さくなっていく。

「いいの、何もいらない。
だから、もうしゃべらないで」

「あなたが喪った名の代わりに、私の名を…あげます」

喪った……?
私の名……?

私は、私だ。
でも私は……

白龍と一緒に時空を渡り
途中で、大切な人達とはぐれてしまったのだ…

室山章人さん……
原田嗣務くん……

私は二人を助けなくてはならない……

私は二人の友達だった……

そう、私は、二人の友達の私だ……

だが、その私とは、……誰なのか?


ガタン、ガタン、とあちこちで音がした。
寝惚けただみ声が聞こえてくる。
男達が、とうとう目を覚ましたのだ。


「凛……あなたに、私の名を……」

ふっと、巫女の身体から力が抜けた。

前と後ろに、わらわらと男達が現れた。

足の鈴を鳴らしてみる。
しかし、巫女を抱えた腕は自由にならない。

男達が、無言で太刀を抜き放った。




2008.6.10




第1章 彼方より来たりて

[1.暁の雪原]  [2.囚われしもの]  [3.妖狐と修験者]
[4.都の武人]  [5.喪われた名]


西の夢幻

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