果て遠き道

間章 散桜

3 花断ち



はらはらと花びらが散る。
満開の桜花の上に広がる霞の空。
さえずり交わす鳥の声が響く。
足元の、土と青草の柔らかな感触。

春の大気。
なつかしい・・・・。

ここは・・・・
この道は・・・・

胸が・・・苦しいほどに高なる。
帰ってきた?
本当に?


この坂を上れば、そこには・・・

駆け出そうとした、その時
「何やつ」

低く響く声が、リズの足を止めた。

眼前に現れ出でたのは、鬼の男。

堂々たる体躯が、行く手に立ち塞がる。
後ろで束ねた、金色の長い髪。
リズを見据える、鋭い眼光。

あ・・・・
ああ・・・
やっぱり、ここは・・・・

「・・・・父さん・・・」

かすれた声を絞り出す。
涙が、こぼれ落ちる。

「ぼくの名は、リズヴァーン。父さんの・・・子です」

父の青い双眸に浮かんだものは、驚愕・・・の色だったのだろうか。
だが、それは一瞬のこと。
鋭い眼差しはそのままに、何も答えず、ただ黙ってリズを見ている。
射抜くようなその眼を、リズは真っ直ぐに受けとめる。
言葉を発することを許さない、重苦しい沈黙の時が過ぎてゆく。

つ・・・と視線を反らしたのは父だった。
「ついて来い」
くるりときびすを返すと、歩き出す。
「はい」
リズも後に付き従う。

坂道を黙々と行く父の背中は、とても大きい。
真っ直ぐな髪が、木漏れ日に縁取られて光る。
鳥の声の他は、聞こえるのは自分たちの足音だけ。

今なら・・・
里が滅ぶ前の、今、伝えておけば・・・
でも、どうやって、信じてもらえばいい?
ぼくが父さんの子供だってことも、分かってくれたのかどうか・・・。
いや!考えていても仕方ない。
せっかく戻れたんだから、何としてでも・・・。
だけど、未来の出来事を伝えれば、ここでも時空は変わってしまうのだろうか。
ぼくは・・・・
でも、里のみんなを助けたい・・・!

「リズヴァーン・・・と言ったな」
背を向けたまま、ふいに父が口を開く。
「はい」
「お前は今、誰の元にいるのだ」
「・・・・独り・・・で、暮らしています」
「どこから来た」
「・・・遠い・・・所です。あの、それで・・・どうしても聞いてほしいことが・・・」
「そうか・・・」
その言葉にこもる何かひどく激しいものが、それ以上の言葉を語るなと言っていた。


ほどなくして着いたのは、里のはずれの小さな家。
庭では桜花が咲き誇り、微風に絶え間なく花びらを散らしている。
リズは、この家を知っていた。
ここには・・・
きっと、まだ・・・・

「そこで、待っていろ」
父は家に入り、すぐに出てきた。
手には、二振りの剣。

その一つをリズに差し出す。
「これを持て。木刀では用をなさぬ」

よくわからないまま、剣を受け取る。
ずしり・・・と重い。

「剣を持つのは初めてか?」
「こんなに立派なものは、振ったことがないです」
「その腰の木刀、使い込まれているようだが、修行はしているのだな」
「はい」
「ならば」
父は剣を構えた。
「打ちかかってこい」
「え?」
突然のことに驚いて父を見上げるが、静かなその顔には、何の表情もない。

剣が風を切る。
ぼくの力では受けきれない。
見切って後ろに飛ぶ。
「剣を構えた者の前で、躊躇するな」
見切ったはずの位置に、すでに剣先がある。
手に重い剣で払いながら、横にかわす。
そして、かわした先に、再び寸刻の遅れもなく剣が届く。

何て・・・すごい剣なんだ・・・・。
父の剣に、恐怖よりも、畏怖が先に立つ。
不規則に逃げ回るリズを追っていながら、無理な動きはない。

その剣は流れるように動き、
剣の軌跡に舞い落ちる桜花の花びらが、
すっと断ち斬られていく。

・・・この剣の動きは・・・・。
あの(ひと)の剣・・・。
舞うような、神子の剣が重なる・・・・。
この剣を、ぼくも・・・。

剣をかわしながら懐に飛び込み、打ちかかってきたリズの眼には、
何かを求める者の一途な光。
父の顔に、かすかな笑みがのぞく。


攻撃を受けきれず、リズの手から剣が落ちた。
その額の直前で、父の剣が止まる。
リズは眼を閉じることもせず、剣を見据えていた。
重く慣れない剣を振ったために、掌からは、幾筋もの血が流れている。

「ありがとうございました」
父が剣をひくと、リズは地に膝をつき、頭を下げた。
「礼節をわきまえているな、リズヴァーン」
だって、この里の長老に学んだから・・・あなたが、教えてくれたから・・・。

「お話が・・・!」
リズの必死な視線が父のそれとぶつかり合う。
一瞬の静寂。

父はゆっくりと口を開いた。
「鬼の里は・・・、凶つ事に襲われるのだな」
「は・・・はい」
驚きながら、リズは答える。なぜ、父さんは、わかったのだろう。

「心しよう。そして・・・・」
父は、しばし瞑目した。
「リズヴァーン、お前はこの里に留まることを選ぶのか?」

思ってもみなかった言葉。
ここに・・・故郷に・・・・いられる。
もう、独りぼっちじゃない。
みんなと一緒にいられるんだ!
それに、ここにいれば、里のみんなを助けられるかもしれない!

けれど・・・。
リズにはわかる。

胸に下げた白い鱗が、ほんのりと熱を帯びている。
ぼくが生きるのはこの時空じゃない・・・。
ここには、ひととき、逆鱗の力で来られただけ。
ぼくはもう・・・・、ぼくの時間を生きている。
あの(ひと)に続く時間を。

この場で、泣けたなら、どんなにいいだろう。
父にすがりついて、思いっきり泣いて、
これまでどんなに辛かったか、話すことができたなら・・・。

でもぼくは、それを望まない。
父さんも、きっと同じ。
だから

「ぼくは・・・行きます」

一瞬、父は眼を閉じた。

「それがお前の選択ならば・・・・、選んだ運命を生きよ」
「はい」

「これを持ってゆけ」
父がリズの手に渡したのは・・・
「私の剣と、鬼の戦装束だ」
「・・・・・・・」
驚いて何も言えないリズに、さらに父は言葉を続けた。
「どちらも、今のお前の身には合わぬもの。
しかし、お前はやがて、それにふさわしい男となることだろう」
その声は、あたたかく、慈しみに満ちている。

「父・・・さん」
「リズヴァーンよ、何があってもお前は生きろ。生きて、未来に命をつなげ」

炎の記憶がよみがえる。
「・・・・・・はい・・・・」 やっと、返事をした。
苦しくて・・・・胸が・・・つまる。
これは・・・
父さんが、あの炎の中でぼくに言った言葉・・・。
父さんは、知っていたんだ。
あれは、父さんにとっては、二度めの・・・・別れだったんだ。


振り向かず、山を駆け下りる。
押さえていた涙がこぼれ落ちる。
白い光が広がっていく。

なつかしい里が光の向こうに遠ざかる。

父さん・・・・、
ぼくは・・・いえ、私は、強くなります。
あなたに恥じぬように・・・強く、誇り高く・・・・・。


さようなら・・・・。



間章 散桜 

(1)夢 (2)月明かりの下で (4)名に籠めた思い

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