この話にはオリキャラだけが登場しますので、
苦手な方、本編未読の方はご注意下さい。
話の背景は、「比翼」余話「零零七番の使命」 の続きです。
また、話中で回顧される烏視点からの京邸脱出のエピソードは、
第4章から第5章前半までのものです。

比 翼 

− 余 話 −

笑みと戸惑いの間


よく通る細い声と、少し調子が外れた元気のよい子供達の声が入り交じって
家の裏手から聞こえてくる。
細い声は今様を詠っているようだ。
子供達はといえば、何を歌っているのか、騒いでいるだけなのか、どうもよく分からない。

声のする方へと、ミサゴはゆっくり歩を進めている。


父親の苦闘などどこへやら、数回繰り返しただけで子供達は真言を覚えた。
――別当様直々のご命令、とのミサゴの言葉に、
女の子達は眼を輝かせ、男の子達も皆、とても神妙な態度だった。

しかし、用がすめばもうじっとしている必要はない。
子供達は、同席した薊にせがんで、一緒に外へ遊びに出たのだった。

自分も、別当様の命令は果たした。
すぐにも戻るべきなのだが……。

まばらに生えた松の木の間から、詠いながら緩やかに舞う薊の姿が見えた。
その周りで、子供達も思い思いに歌ったり舞ったりしている。
上手に薊を真似する子もいれば、何ともちぐはぐな動きの子もいる。

薊は、話しかけてくる子供に何か答えた。
その顔には、ミサゴが見たことのない笑顔がある。

しかし、肩と足に受けた傷が、まだ痛むのだろうか。
静かな舞の形だ。
大きな動きは無く、かすかに足を引きずっているようだ。

だが同時に、抑えた動きはどこか艶めいてもいる。

粗末な着物ではなく、白拍子の装束を纏ったなら……

足を止め、ミサゴが薊の舞姿に見入ったその時、
型破りな踊りに興じていた男の子が、ミサゴを発見した。

「さっきのおじさんだ!」
一人が叫ぶと、他の子も一斉に騒ぎ出す。

ゆっくりとミサゴを振り返った薊の顔に、さっきまでの笑顔はない。

眼が合った。
烏としての役目ならば、きまりが悪い…などと感じることもないのだが…。
しかし、今さら引き返すわけにもいかない。
ミサゴもまた、熊野男の端くれだ。

と、薊が子供達に二言三言話しかけた。
子供達はミサゴと薊を見比べ、
「はーい!!」と大声で答えて家に向かって走り出す。

薊に向かって手を振りながら駆ける女の子達と、
ミサゴに向かってあかんべえをする男の子達が、脇を駆け抜けていく。
「後で舞をもっと教えてね!」
「お家で待ってるね!」
「や〜い、なっかよし〜!」
「ぼくのあざみねえちゃんにてをだすなよじゅうねんはやいぜぼうや」
「失礼なこと言わないの!」ぽかっ!
「いてっ!」


薊がこちらに向かって歩いてくる。
心当たりはないが、何か用があるのだろうか。

ミサゴが歩み寄ると、薊はぴたりと足を止めた。
これ以上近づくな、ということだろう。
ミサゴも足を止め、少し離れて向き合う。

「私に用か?」
斬りつけるような言い方は前のままだが、
簡潔な答えしか許さない物言いには、簡潔に答えるまで。
「そうだ」
「先に聞こう」

――先に、ということは、薊も何かあるのか?

そっちこそ先に、と言いたいが止めておく。
押し問答になるのが落ちだ。

「不足なものはないか」
「無い」
「ここに少しは馴染んだか?」
「ああ」
短く答えてから、薊は子供達の去った方を見やる。
「あまりに賑やかなので、最初は戸惑ったが、
今は……それもよいと思っている」

遠くに向けたその眼は、険のない優しい眼差しだ。

来てよかった、とミサゴは思う。
いつもそのような眼でいればよいものを…とも思う。

だが、長い間に身につけた心の鎧は、簡単には外せないものだ。
まして、幼い頃より命の際を歩いてきたのならば、なおさらのこと。

ミサゴは何気ない風を装いながら、そろり…と少しだけ前に出た。


熊野を揺るがせた昨夏の事件を知らぬ烏はいない。
その中で、薊という娘の果たした役割、元々の出自はもちろんのこと、
事件の経緯は詳細に至るまでミサゴの頭に入っている。

熊野詣でに乗じて後白河法皇を暗殺しようという大がかりな陰謀。
表立った証拠こそ無いが、鎌倉が裏で糸を引いていたのはほぼ確実だ。

だから、薊が櫛笥小路で有用な情報を伝えてきた、とヒノエから聞いた時は、
当然のことながら全く信じることができなかった。
仲間から孤立した薊はまだ真相を知らず、
再び鎌倉に操られていたとしてもおかしくはない。
ましてや、梶原景時の妹から、からくり小屋の秘密を明かす言葉を伝えられているなど、
まともに取り合うことができようか。
さらには、京邸へと通じる隠された入り口を教えたとなれば、
そこへヒノエをおびき出そうとしている、としか思えなかった。

――味方以外は敵。
烏にとっての真理であり、任務を遂行する上での鉄則でもある。

『罠に相違ありません。自分が確認して参ります』
そう進言したのだが、ヒノエは取り合わなかった。

危惧したとおり鎌倉の刺客が現れ、
小屋に火を放たれた時には、歯がみをする思いであった。

だから、かろうじて脱出した後、馬を確保しようと京邸の厩に行き、
薊と鉢合わせした瞬間、剣に手をかけた。
その場で斬り捨てなかったのはなぜだろう…と、今でも思う。

こちらに向けた、射抜くように直截な視線のためだろうか。

それとも、返事も待たずに馬の引き綱を差し出し、
『一人では扱いかねていた。これを…』
そう言って、確かめるようにこちらを見上げ、小さく浮かべた笑みのためだろうか。
『二人は…逃げられたんだな』
その笑みに圧されるように、思わず答えていた。
『お二人とも、ご無事だ』

ともあれ、一瞬の決断を鈍らせ、剣を抜く機を逸した。
今さら薊に斬りかかったところで、すぐに決着がつくことはない。
徒に時間を費やすだけだ。
ならば、この場では薊を信じる風を装い、
裏門から馬を連れ出すことを優先すべきだ、と判断した。

しかし、危機は再度訪れた。
ヒノエ、望美と合流できたのも束の間、待ち伏せしていた刺客に取り囲まれてしまったのだ。

薊が人質に取られた時は、やはりそうだったか、と思った。
人質という形で、仲間にうまく取り返してもらったのだろうと。

だが、それは間違いであった。

『ほう…新宮の生き残りか。あやつ双子と聞いていたが、うり二つとは面白い。
同じ名まで名乗っていたか』
『お前が兄上を謀ったのか!』
『助力を得ながらしくじる方が悪い。そうは思わぬか』
『お前達に裏切られて兄上は!』

刺客の首領と覚しき男の冷酷な言葉は、薊の心を深く剔った。
悲鳴に似た声からは、眼に見えぬ血がどくどくと流れ出ている。

――この痛々しい娘を、俺は斬ろうとしたのか…。
その瞬間、慚愧の念と共に、ミサゴの中で何かが動いていた。


冬の低い太陽が傾きかけている。
吹きさらしの小さな草原を風が通り過ぎる。
海はすぐそこだというのに、やけに乾いた風だ。

「用…というのは、それだけか」
風に吹かれるままに、乱れた髪を直すこともなく薊は問うてきた。
言外に、もういいのだろう、と言われているのが分かる。

「ああ、そうだ。次は薊殿の用向きを聞かせてほしい」
眼に険が戻る。
「殿、はいらない。丁寧な言葉も不要だ」
「では言い直すぞ。
薊、俺に話があるなら聞かせてもらう
……と、これでいいか?」

確認を求められて戸惑ったのか、薊は少し遅れてこくりと頷いた。
そして、そのまま眼を伏せている。
珍しいこともあるものだと思いながらも、
ここで何か話しかけたらいけないのだろうと、ミサゴは黙って待つ。

やがて薊は大きく息を吸うと、一気に言った。
「お前が迎えを依頼してくれたと聞いた。
気遣いに感謝している」

何のことか分からず面食らう。
だがすぐに、薊が熊野に帰ってきた時のことだと気づく。

あの時は薊の足に合わせて皆ゆっくりと歩いてはいたが、
傷の癒えていない身体での山越えは辛そうだった。
そこで、零零七番の妻に迎えに来るよう、本宮詰めの烏を遣いに出したのだ。

なるべくさりげない言葉を選んで答える。
「歩き方を見れば怪我の状態は薄々察しが付く。
烏などやっていると、その辺りは聡くなるものだからな」

恩着せがましい言葉が返らなかったことに安堵したのか、
薊の肩から力が抜けた。
「皆に遅れまいと努めていたが、足はもう限界だった。
いつ、次の一歩が出せなくなるかと思っていた。
だから歩けなくなったら、そのまま私を置いていけば」
「あの望美様がそんなことを許すと思うか?」
薊は頭を振った。
「あの方なら、自分がお前を背負って行くなどと言い出しかねないぞ」
「そうだな」
口元に小さな笑み。

だが、
「俺がその役目をすべきだったが」
そう言ったとたん、薊の眼に怯えた色が浮かぶ。

どうにも正直なことだが、こちらがそれに気づいていることを、
薊に感づかせてはならない。

途切れることなく言葉を続け、もっともなことをさらりと言う。
「俺は別当様から、皆を無事に勝浦に送り届けるよう、仰せつかっていたからな。
道中、事があればすぐに対処しなければならん。
かといってまさか、客分の敦盛殿やリズヴァーン殿に、お前を背負えと
頼むわけにもいかない。…となれば、助けを呼ぶしかないだろう」
薊は頷いた。


しかしミサゴの真意は、他にもあった。

京を脱出し少し余裕ができた時に、ミサゴはあることに気がついた。
怪我の癒えていない薊を徒で同行させるわけにはいかないので、
ずっと馬に同乗していたのだが、薊は常に身体を縮め、
一生懸命ミサゴから身を離そうと努めているのだ。

剣に手をかけたことを覚えていて、まだ警戒しているのか。
それとも俺が嫌われているのか…。
だが馬上で揺られる頑なな背を見ている内に、ふと思い至った。

薊は、法皇の寵愛を受けた白拍子であった…と。
暗殺の好機に兄とすり替わるため、
命じられるままに法皇に近づき、側近く仕えていたのだ。

血を分けた唯一の肉親である兄のため、一門再興のため、
苦楽を共にしてきた仲間のためとあれば、否やとは言えなかっただろう。

若い娘にとって、あまりにも酷い役目だ。

――俺は好色な爺さんとは違うのだが。
そう言いたいところだが、それを口にしたらどうなることか。

そして…もう一つのことを思い出す。
そういえば、手傷を負った時、弁慶殿に助けられた…とか。
その後は五条の診療所で、しばらくの間一緒に……
ということは……

役目の範囲を超えた様々な妄想が駆けめぐったが、結論は一つだった。

俺は離れていた方がいい。
それで、薊という娘の気持ちが楽になるのなら。


この類の気遣いをしたことは、決して悟らせてはならない。
同情されること、憐れみを受けることを、薊は極端に嫌う。
ミサゴは軽く肩をすくめて、こともなげに言った。

「あいにく烏が任務で出払っていたので、
男の代わりのできる女性に助力を願ったというわけだ。
頑丈なおばさんなら、お前を背負って山道を行くくらい大丈夫だと…」
ヒュ〜ン!
ミサゴを目がけて、どこからか栃の実が飛んできた。

身をかわし、思わず周囲を見回すが、吹きさらしの野には誰もいない。
野と家裏の畑を隔てるまばらな松の木にも、人影はない。

元間者の女性とは、油断できないものだ。
嘆息するミサゴを見て、薊はくすっと笑った。

よい笑顔だと思う。
これを見られただけで、来てよかったとも思う。

「では、これで失礼する」
「そうか」

引き留めてもらえるはずもないが、あまりにあっさりした答えだ。
もう一押ししてみる。

「別当様の命で、俺はこれからすぐに出立する」
「マハーカーラの真言を伝えに、か?」
「そうだ」
「あの神と本気で戦うのだな」
「馬鹿馬鹿しい、と思っているのか?」
「いや……信じてみたいと思っている。
時が来たなら、全身全霊で祈ると誓う」
薊の真剣な眼差しに嘘はない。

「ああ、それが熊野のため、俺達にできる全てだ。
熊野は俺の故郷だからな」
「…私の故郷でもある」
「俺はしばらく勝浦を離れるが…」
「先ほども同じことを言った」
「ああ、そうなのだが…ええと…俺が戻ったら」
「戻ったら何かあるのか?」
「よければ、先ほどの舞を……見せてくれないか」

「……………」
風の音ばかりがひゅうひゅうと鳴り、冬の陽が陰った。

空気が凍り付いたかと思ったその時、
「分かった」
小さな声が答えた。



この程度で、熊野の男が有頂天になってたまるものか。
ミサゴは平静を装いながら、零零七番の家に戻り、いとまを告げた。

外に出たところで、零零七番に声をかけられる。
「俺ん家の薊ちゃんに手を出すなよ。まだ十年早いぜ、坊や」

ギュンッ!
栃の実がうなりを上げて飛んできて、零零七番の後頭部を直撃した。





− 余 話 −

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余話・薊編でした。
オリキャラですが、本編を読んだ方達から、
彼女のことが印象に残っている、という感想をたくさん頂き、
作った当人としても、不幸のてんこ盛り人生に設定してしまった彼女に
幸福への道筋をつけておきたいと思い、書かせていただきました。

彼女は難しいお嬢さんです〜。
無理もない…のですけれど。

同時に、本編中のエピソードを別視点から描いたものとしても、
お読みいただけるような形で書いてみました。
お楽しみ頂ければ幸いです。

2009.10.4 筆