零零七番の使命
この話の背景は、「比翼」第5章
「4.出立の時」の後の熊野です。
冬だっていうのに、太陽がまぶしいぜ。
熊野って所は、元間者の俺には、少しばかり明るすぎる。
海の青、木々の緑、どれもなぜ、これほど強く光るんだ。
しかし、ここでお庭番として働くのが、俺の任務。
いや、任務だった。
半年ほど前までは。
今の俺は……
水軍衆の一人だ。
間者→お庭番兼有能な水軍手伝い→殉職扱い→水軍
というのが、俺の激しくも華麗な
熊野に潜入した間者だった俺が、
なぜ熊野水軍の一員に?とは、当然の疑問だ。
だが、ここに至るまでの日々はすでに記録に残してきた。
男は多くの言葉を語らぬもの。
今はただ、俺の器量の大きさが、敵にすら認められてしまったから、
とだけ答えておこう。
これでは過小評価と、思われるかもしれない。
大人の男であるのに、自分の実力を把握していないのでは、と。
だが俺は大人であると同時に、謙譲の美徳というやつも兼ね備えているのだ。
これもまた、渋い男であるための必要条件だ。
ともあれ、どこで何をして生きようと、
俺が零零七番であることに変わりはない。
孤独な影を背負い、これからも淡々と、
水軍のって言うより、海賊の方がかっこいいなあ
任務を全うするだけだ。
そしてある日のこと、突然俺は苛酷な任務を命じられた。
正確に言えば水軍衆全員…なんだけど。
総員呼び出しをかけられて行ってみると、
そこには強面の副頭領が、俺達を待ちかまえていた。
「野郎共ぅぉ! これは頭領からの命令であるぅ!!」
「おおうっ!!」「はいなんでしょうか」
「覚悟はいいかあっ!!」
「おおうっ!!」「まあまあといったところです」
群に身を潜める時には、群の掟に従うものだ。
俺はみんなと一緒に返事をした。
嘘をついたらいけないので、正直に答えたため、
少し長くなってしまったが。
しかし副頭領は、そんな俺の答えを聞き逃さなかった。
小さい声で言っていたのに、耳のいい人だなあ。
「零零七番! たるんどるぞおっ!!」
副頭領が恐い顔をして怒鳴った。
ふっ…たるんでいるのではない。
どんな時にも余裕を忘れないだけだ。
いっぱいいっぱいの副頭領とは格が違う、というところか。
それを見せつけてやるのも悪くないかもしれない。
「ごめんなさい。気をつけます」
俺は即答した。
「よし、以後気をつけるように」
「はい」
「では、頭領からの命令を伝える」
副頭領が咳払いをすると、水軍衆は一斉に姿勢を正した。
この結束はすごいなあ。
若くて美形で頭が良くて運動神経に恵まれ家柄も申し分なく
統率力も抜群というだけの頭領の下に、ここまで一致団結できるなんて。
とにかく、こんな場面でくしゃみをしないように、
俺は万全の注意を払うことにしよう。
しかし万全の注意など、副頭領が任務の説明を始めたとたん
どこかへ吹っ飛んでしまった。
――この任務、果たして全うできるのか。
さすがの俺も、少し青ざめていたに違いない。
副頭領は耳が痛くなるくらいの大声で言った。
「いいかあっ! ちゃんと覚えるんだぞ!
ナウマク サンマンダ――
繰り返せぇっ!」
「ナウマク サンマンダ」
「くまさんさんまだ」
「ボダナン マカカラヤ ソワカぁぁぁっ!!」
「ボダナン マカカラヤ ソワカぁぁぁっ!!」
「ぼたもちまかからそわそわ」
「零零七番ーーっ!! 言ってみろ!!」
そ、そんな…ご無体な。一回で覚えられるはずない。
俺は自慢じゃないが、暗記物は苦手だ。
できれば、俺の任務は暗記重視じゃなくて、単純明快なやつで…。
しかしこのようなところで弱音を吐いていたら、
まともな仕事などできない。
俺はゆっくり立ち上がると、きっぱりと答えた。
「わかりません」
俺の潔い態度に、器量の差を見せつけられた副頭領の顔が、
今にも爆発しそうに膨れ上がった。
深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けると、再び口を開く。
「分からない、ですむと思うな。
いいか、これは熊野のこれからに関わることだ」
「おおうっ!!」「お」
今度は油断無く、俺もみんなに合わせる。
「では、これから一人ずつ、俺のところに来て真言を唱えてもらう。
完璧にできた者から帰ってよし。
できないヤツは居残りだ。いいな!!」
「おおうっ!!」「そ…そんな」
合わせ損なった。
副頭領の目が恐い。
結局、副頭領と一対一で、俺はまかはら…いや、まーはーかーら、
いや、まはーかーらの真言を覚えさせられた。
やっと開放された時には、強靱な俺の精神は極限まで疲弊し、
体力も限界に来ていた。
だが俺の心は、一つのことをやり終えた充実感に満たされている。
男の人生は困難の連続だ。
それでも折れることなく生きられるのは、
困難を乗り越えた時の大いなる歓びが何物にも代え難い報酬だからだ。
あ、でも本当の任務はこれからなんだっけ。
副頭領に命令されてしまったのだ。
「まず手始めに、家族にこいつを教えてこい。
紙に書いたからって、そればかり見てちゃだめだぞ」
「そんな…」
「返事ははっきり!!」
「はいっ!!」
気が重い。
家に帰れば、可愛い六人の妻と一人の子供が待っている。
あ、間違えた。一人の妻と可愛い六人の子供だ。
上の二行は読まなかったことにしてくれ。
願望が少しばかり混ざってしまった。
任務に家族を巻き込むようなことはしたくない。
というか、家庭内での俺の発言権は無に等しい。
俺が教えても、ちゃんときいてもらえるかなあ。
それに今、家には薊という名の美人が逗留している。
どきどきして、まともに話せない。
大人の男が何を言っているのかって?
ふっ…分かっていないな。
男は永遠の少年だ。
しかし、困った。どうしたらいいんだろう。
「ええとまず…物覚えの言い妻に真言を書いた紙を渡して、
それから子供達には順番に一人ずつ…
いや、何人かまとめて教える方がいいか…」
ぶつぶつ言いながら外に出た時だ。
「その任務、手伝わせてくれないか」
ふいに俺の後ろから声がした。
俺としたことが、ぬかったものだ。
だが俺の後を取れるとは、手練れの証でもある。
「ええと、誰だっけ」
俺は慌てることなく相手を誰何した。
「烏のミサゴだ」
「ああ、そういえば…」
記憶が蘇ってきた。
(俺以外の)一家総出で薊ちゃんを迎えに行ったのは、ついこの間のこと。
その時に、望美様と一緒に俺の家まで付き添って来たのが、ミサゴだった。
この男、いかにも頭がよさそうだ。
そんな人に手伝ってもらえるなんて願ってもないことで、
俺は内心ほっとした。
ミサゴは続けて言った。
「真言を伝えるため、烏も熊野各所に散っている。
俺ももちろん、真言は覚えているぞ」
だが、ありがたいこととはいえ、
俺には水軍の一員としての誇りというものがある。
誇り…これは、誰にも侵すことのできない男の聖域だ。
しかし、命に替えても任務を遂行すること、
これこそが、俺に与えられた至上の命令。
任務遂行のためならば、己の誇りにこだわってはいられない。
たとえ泥道に這いつくばろうとも、男は任務を達成するのだ。
俺は歯を食いしばってミサゴに言う。
「すいません、助かります」
しかしその時、副頭領が出てきた。
俺の背筋に冷たい汗が流れる。
今の話、聞かれてしまったのだろうか。
水軍が烏に手伝いを頼むなんて、職務怠慢で叱られてしまう。
だが、副頭領はにやりとミサゴに笑いかけると、
「零零七番を助けてやってくれ。
いい口実ができたな」
それだけ言って、立ち去った。
ミサゴが赤くなっている。
口実って何だろう。
それにしても、熊野の組織は柔軟だなあ。
俺は晴れ晴れとした気持ちで家への道を辿っている。
男の任務は命がけだ。
今度の任務もまた、その例外ではない。
しかし、何とか切り抜けることができそうだ。
任務と命、共に全うすることが、デキる男の証。
生き延びることもまた、俺に課せられた大切な使命なのだから。
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ヒノエくんラストバトルに至るまでの根回し?話の一端を
零零七番視点で書きました。
副頭領の苦労は絶えないようです。
2009.9.21 筆