京都旅行記・初夏



〜河原院跡碑・松原橋(五条橋)・六波羅蜜寺・六道珍皇寺・
京都市動物園(法勝寺跡)・白河院跡・平安神宮〜



京都2日目。
宿泊先のホテルには、イギリスからの団体御一行が滞在中。
朝食のラウンジは、横文字が飛び交い、まるで外国にいるよう。
でも金髪碧眼は多けれど、先生やお館様のような美形はおりませぬ。

本日は、ホテルの近くからスタートします。
まずは五条通をまっすぐ鴨川まで。
五条橋に行き当たります。

せっかく五条橋まで来たのですから・・・と、今回も河原院跡の碑に立ち寄りました。
碑は、橋の西詰めを南側に少し入った所にあります。
伝えられる往時の繁栄を思うと、あまりにも小さな碑です。

河原院跡碑   河原院跡碑

鴨川の西に沿って流れる高瀬川沿いの道を北へ。

高瀬川沿い   高瀬川

次に目指す松原橋は、五条橋の北にかかる小さな橋。
ですが、「遙か」な時代には、こここそが五条橋でした。
つまり、弁慶さんが鴨の河原を橋の上から見るスチルの舞台は、この辺りかと。

松原橋   少しスチルっぽい?

小さな通りなのですが、ひっきりなしに自動車が行き交うのと、
荷物の積み卸しで、軽トラックがずっと停車していたのとで、
こんな写真しか・・・(汗)。

そういえば、なぜ五条通という名が南へ引っ越したかというと、
豊臣秀吉の命により、京の街を大幅改造した際に移されたそうなのです。
古いお寺の数々を現在の寺町通に集めたり、京の周囲に土塁を築いたりと、
太閤さんは、いろいろとやっています。


松原橋を東側へ渡ると、家々が軒を連ねた六波羅界隈へと入ります。
「遙か」な頃は、平家の根拠地でもあり、葬送の地、鳥辺野への入り口でもありました。

まずは、前回訪問の時には駆け足で通った六波羅蜜寺に参拝。
宝物殿に上がり、有名な平清盛像とゆっくり対面しました。
鎌倉時代の作と伝えられるその像が、どれほど清盛自身の姿を写しているものかは
わかりませんが、彫りの深いその顔は、今にも口を開いて言葉を発するのではと、
一瞬錯覚するほどに、強い個性を感じさせます。
昔の大河ドラマ「新平家物語」で、平清盛を演じた仲代達也氏と、
面差しに共通する所があるような。

六波羅蜜寺   平清盛公塚


六波羅蜜寺の前の通りを南へ数10mほど下った所に、
平家六波羅第(六波羅探題府)跡の碑があります。

学校前から六波羅蜜寺方向を見る
ただ、現在は中学校の敷地の中。
正門の格子のすぐ脇にあります。
けれどやはり、写真は遠慮しました。
この写真は、学校前から六波羅蜜寺方向を見た所です。


もう一度六波羅蜜寺の前を過ぎ、再び松原通に。
橋とは逆方向の東大路通への坂道を上がる途中に、六道珍皇寺があります。

拙作にも出てきた六道の辻。
現世と冥界の境でもあります。

六道珍皇寺   六道の辻

六道珍皇寺は、小野篁の伝説であまりにも有名なお寺ですが、
閻魔様のお手伝いをするために夜な夜な通ったという井戸は、
やたらな人が冥界に出入りしないように(?)と、
格子に仕切られ、近寄ることも禁止されています。

本堂・井戸は右奥にありますが、格子で仕切られています   格子越しに、ズームアップ。でも、見えません(汗)


「遙か3」の次は、「2」の舞台へ。
院の勢力下にあった、白河へと向かいます。
場所は、京都を代表する観光スポットである平安神宮付近なので、
バスの主要路線が走る東大路通からは便も多く、とても行きやすいのです。

が・・・
観光スポットということは、人が集まるということ。
バス通りに出て驚きました。停留所には長蛇の列ができています。
昨日の神泉苑ではっきりと認識しておくべきでした。
6月は、修学旅行の月なのです。
ハタ迷惑なグループ行動の中学生に出くわして、
怒りのボルテージが急上昇しました。

とにかく気を静めてと・・・深呼吸・・・すーはーすーはー。
でも、バス通りの排気ガスも一緒に、すーはーすーはーしてしまいました。
くらくらします。

平安神宮前でバスを降り、京都市動物園へ。
入園料500円を払いましたので、キリンさんやゾウさんもしっかり見ました(は?)。

キリンさん   ゾウさん・・・私は何しに来たのか


でも、本当の目的は法勝寺跡碑。
探しながら園内を一周してしまいましたが、
ミニ遊園地のような一画に、やっと見つけることができました。
碑のすぐ後ろは、おもちゃの電車の線路になっています。

後ろは遊園地   法勝寺跡碑・大伽藍が今は・・・


この付近に大塔伽藍が建ち並んでいたのだと、
「2」のマップ(笑)と、碑の案内板を元に想像してみるのですが、
あっけらかんとした青空と子供たちの歓声に、私の妄想はあえなく敗北しました。

動物園を出て、東に少し行った所に白河殿跡の碑があります。
こちらは道路に面しているので、探す手間無し。ありがたいです。

動物園から二条通を東へ   白河院跡碑


「2」で帝と対立していた院とは、白河院を想定しているのでしょうね。
3代の天皇の背後にあって院政をしいた、大変な権力者であり、
平清盛との親子関係が取りざたされていることも有名な話です。
あながち無関係な周り方でもないのかも・・・などと、独り言をぶつぶつ。
来た道を引き返して、平安神宮へ。

京都の一大観光スポット、平安神宮は、とにかく 大きい!!
そして、色鮮やかです。
これでも、お手本の平安京内裏より小さいとは・・・。

天皇の命によって、貴族達が真夜中に内裏のあちこちに、
肝試しに行ったというエピソードが「大鏡」に残されています。
結果、ちゃんと行ってこられたのは藤姫の父君だけなのですが、
これだけ広くて、しかも真っ暗・・・となれば、さぞや恐かったことと。

応天門をくぐって入った先は、白い砂利の照り返しでまぶしい広場。
それを取り囲む朱の色もあざやかな建物。
夏至近くの正午、高く上がった太陽を真上から浴びるようで、
空を見上げるのが苦しいほどでした。

平安神宮遠景   平安神宮拝殿

西に白虎楼と右近の橘。

白虎楼   右近の橘

東に蒼龍楼と左近の桜。
ちゃんと対応してますね(ん?)

蒼龍楼   左近の桜

本殿の外周を取り囲む神苑も見学させて頂きました。

けれど、さすが観光スポット。
庭の間を縫う細道には、人が数珠繋がりでした。
慎重にカメラアングルを決めようとしている人の後ろには、
帽子や日傘の群がこんもりと溜まっていきます。
池の縁に沿う細道で、急に前の人が立ち止まったりなど、
ちょっとドキドキしました。
杖をついてゆっくりと歩くご老人、横に広がってマイペースで話しながら
歩くご婦人のグループ、間をちょこまかと早足で通り抜けるせっかち真宮。

人の列が途切れた瞬間を狙いつつ、写真を撮りました。

神苑池   泰平閣

というわけで、残念ながら、あまりお庭を観賞した気分にはなれぬままに、
神宮を後にしました。

ちょっと愚痴っぽくなるので、小さな字で・・・目立たないように・・・
人の群は・・・どうにも苦手です。
これまでは真冬と真夏という、観光客の少ない時期に来ていたことと、
「遙か」な場所を優先的に巡っていたことで、あまり団体とか
かしましいグループに遭遇したことがなかったので、
よけいにコタエるのかもしれませんけれど・・・。
そのような人達は、京都に限らずどこにでもいるのですから、
しっかり覚悟してから訪れるべきでした。





京都旅行記・初夏

[はじめに]
(1)[法界寺・平重衡の墓]
(2)[京都文化博物館・神泉苑・東山展望台(将軍塚)]
(4)[神楽岡・大文字山・鳥羽殿跡・他]

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