今回も、「遙か2」院勢力下の場所が多いです。
ゲームではおなじみの神楽岡。
地図によると、標高105mの吉田山一帯が、神楽岡町となっています。
岡というからには、吉田山の上まで行ってみたい! という気持ちに駆られますが、
ここはゲームの通り、吉田神社を訪れるのが順当なところでしょう。
吉田神社のお隣は、京都大学です。
ですので、神社に行く時には、キャンパスの前を通ることになります。
大学の塀沿いには、久しく目にすることの無かった立て看板がズラリ。
特徴的な字体で、政治スローガンが書かれています。
あれって手書きなのですよね。
でも、ん十年前から、なぜか同じ様な直線的字体なのが不思議です。
吉田神社の本殿方向に上がらず、脇の坂道を上がっていくと
八百万の神様が祀られている大元宮(写真右)があります。
毎月朔日と節分に開かれるということで、当然ながら参拝者の姿はありません。
けれど、お参りするでもなく、辺りをふらふらとしているおじさんはいました。
そそくさと参拝して、その場を失礼します。
神楽岡の名前の由来となったという神楽岡社は、本殿脇にある小さなお社。
きょろきょろ見回していなければ、素通りしてしまうところでした(汗)。
手を合わせている間にも聞こえてくるのは、子供達の元気な声。
本殿のすぐ隣が、幼稚園なのでした。
時折泣き声が混じるところも、可愛いものです。
少々贅沢ですが、体力温存時間節約その他で必要に迫られ、
平安神宮から吉田神社までは、タクシーを使いました。
次に行く大豊神社への移動も同様にと思い、
吉田神社前に並んでいたタクシーに乗り込みます。
けれど、「大豊神社までお願いします」と言ったとたん、
運転手さんが固まりました。
行ったことがないそうです。
何年も京都でタクシーの運転手をやっているけれど、
「大豊神社に行きたい」というお客は初めてだそうです。
ひえええええ????!!!!
運転手さんは、真宮持参の地図を片手に車を飛び出し、
後ろに並ぶタクシーの運転手さん達に次々と尋ねていきます。
が収穫ゼロでした。
誰も行ったことがない。
神子は何度も行っています
しかしそのまま、ぶおおおん!とタクシー発進。
運転手さん曰く、「だいたい方向は分かりましたから」
そして、無線マイクをむんずとつかむと、本社と連絡を取り始めます。
「大豊神社の場所、わかりますか」
「ズズッガービーえ?もう一度」
「お・お・と・よ・じんじゃ#%&●〜*(←聴き取り不能)の方面らしい」
「了解ズガッビービー」
本社の情報収集能力はさすがで、無事大豊神社近くに着きました。
細い哲学の道に乗り入れて、狭いところで切り返し。
さすがプロの運転技術です。
真宮が降りるのと入れ替わりに、疲れ切った顔をした初老の御夫婦が
タクシーに向かって腕を振り回しながら駆け寄ってきました。
運転手さんには大変な思いをさせてしまったけれど、
ここまでタクシーを乗り入れたことで、
この御夫婦の助けにはなったのかも。
地図を眺めながら、
「ここがたいほうじんじゃか」と話している人がいたりなど、
神子以外には、とことん有名ではないのですね(苦笑)。
さて、ゲームでは大豊神社といえば狛ねずみですが、
狛犬もいます。
狛猿も、狛鳶もいます。
稲荷社には、狐さんもいます。
東山の山懐に入り込んだような境内。
すぐ上から、お山がこちらを見ているような感じです。
哲学の道は、疎水沿いのきれいな小道。
けれどやはりここも、煩悩まみれの真宮をはじめ、
観光客が途切れることなく、
哲学とは縁遠くなっているような(汗)。
大豊神社から哲学の道を南に向かって行くと、
ほどなく、とても有名な和菓子屋さんがあります。
そのお店の先で山側に曲がってすぐ、熊野若王子神社に到着。
京都三熊野の一つに、やっと詣でることができました。
永観堂の鎮守として熊野権現を勧請した神社ですが、
それを成したのは、もちろんというべきか後白河法皇。
とても明るい家族連れが、腰痛の話題などで盛り上がりながら去った後は、
境内に沈黙が下りました。
山懐に抱かれた、こじんまりと小さな神社です。
熊野若王子神社から、さらに山の方に分け入った先に、
大文字山・瀧宮神社(「遙か」エリアガイドでは滝宮神社)があります。
このエリアガイドだけを頼りに、道の分岐を間違えないように慎重に。
けれど幸いなことに、判断に迷うような横道や罠やダンジョンは無く、
意外とあっさり、瀧宮神社に着くことができました。
人の多い哲学の道から、100mも離れているかどうか。
それなのに、まるで深山のような雰囲気が漂っています。
空気が違うのです。
おおっ!あの鳥居です。
鳥居の右に、細道が続いていたので行ってみますと
ほっそりとした赤い鳥居が数本、
道の奥へと誘うように並んでいました。
空気は冷たく湿っています。
薄暗くて足下が少しぬかるんでいる上に、人気のない場所に踏み込むのも
躊躇われましたので、入り口で引き返しました。
ちょっと残念ですが、無理はできません。
鳥居の後ろの急階段を上ると、小さなお社。
瀧宮神社に参拝。
深山の気を呼吸しながら、草深い山の奥へと目をやれば、
「神子殿ーっ!!」と叫びながら、あかねちゃんを捜す、
頼久さんの後ろ姿が見えるよう。
↑ 煩悩神子には、妄想の具現化
という力が宿っているのです。
階段の下では気づきませんでしたが、水の流れ落ちる音が、右奥の方から聞こえてきます。
先程引き返した鳥居の道は、滝へと続いていたのかと納得。
ん? でも「遙か」ガイドには、鳥居の左に登っていくと滝があると。
左にそのような道があったのかどうか、現地で調べなかったので定かではありませんが、
今もって謎? な、滝の位置です。
瀧宮神社を出て間もなく、赤いガイドブックを抱えた女性とすれ違いました。
道は一本。目的地は明らかに瀧宮神社…。
もしかして、神子様だったのでしょうか。
「遙か」ゆかりの地では、神子様同士、気づかぬままにご一緒しているかもしれませんね。
「神子一人旅中」なんて旗を掲げて歩くわけにもいきませんが、
「遙か」ファンだけに通じる、さりげない印などあったら楽しいかもしれません。
この時点で3時過ぎ。
少々迷ったものの、一度立ち止まったら動けなくなることが分かっていましたので、
歩けるうちにまわっておこうと思います。
哲学の道と分かれ、鹿ヶ谷通を渡り、少し北に戻って丸太町通の東天王町バス停へ。
京都駅に出て、地下鉄烏丸線に乗ります。
洛南の竹田駅で下車。
次なる目的地は城南宮です。
歩ける距離ではありますが、迷子になっている時間は無い…(苦笑)ので、
竹田駅前からバスに乗り、城南宮東口下車。
バスの運転手さんが、城南宮までの道と、帰りのバス停の位置まで、
丁寧に教えてくれました。感謝!!
おかげで、無駄に迷って体力を消耗することなく、辿り着けました。
城南宮は、平安遷都の際に、
南の守護として創建された神社です。
サイト的に、どうしても行っておかねばならないのです。
こういうのを、おバカの一念というのでしょう。
広く知られているところでは、源氏物語に出てくる花を揃えた神苑のお庭と、
そこで催される曲水の宴。
拝観受付時間ぎりぎりの4時に、神苑へ飛び込みました。
雅な興趣に欠けた入り方ですが(汗)。
沙羅双樹の花の時期、との情報を得ていたのですが、見つけることができずに残念。
ただ、平安神宮の時とは逆に、閉園も間近いため、一人だけでゆっくり歩けました。
しかも入り口はチェックされていますので、警戒レベルも下げられます。
ここかしこで、お庭の手入れをしている人や、水を撒く人を見かけました。
これだけのお庭を維持管理するのは、さぞや…と思います。
曲水の宴は、テレビのニュースで毎回のように報道されますが、
その場所(写真右)は、画面から想像していたほど広々した感じではありませんでした。
宴でもないのに中に踏み込むわけにはいかず、
杯の流れてくるという遣水を目でたどります。
晴天続きのためでしょうか、小さな流れは、宴の時ほどの水量がありません。
やはり四神を開放しないと…
城南宮を西へ抜け、国道1号線を渡って鳥羽離宮跡公園へ。
ここは、幕末に鳥羽伏見の戦いも行われた場所でもあり、
築山には戦跡碑が建っています。
もう夕方とあってか、広い芝生の公園には、
ぽつりぽつりと数人の人影だけ。
公園の南には、鳥羽殿跡の碑があります。
何やら今日は、「跡碑」を見ることが多いような。
史跡に指定されている一画は、ぐるりとフェンスで囲われていました。
遺構の眠るその上で、サッカー少年達が練習の真っ最中。
蹴鞠の作法も激しく変わったでおじゃる…とか、マロ達が話しているかも。
碑はすぐ目の前ですが、フェンスの向こう側。
練習中に突入するわけにもいきません(苦笑)。
フェンス越しに撮りましたので、ご覧の通りの写真となりました(滝汗)。
緊張の糸がふつっと切れ、竹田駅へと戻ります。
京都駅直通のバスが1号線を通っているのですが、
本数が極端に少なく、停留所で時刻を見て、あきらめました。
平坦な道をぺたぺたと歩きながら、とりとめもないことを思います。
その地に立たないとわからない、有象無象のことがら。
五感で感じる、言葉にならないものたち。
旅はこれで終わり。
自分の影法師が、前に長く伸びています。
まだ明るい空に、夕焼けの色が差し始めていました。
京都旅行記・初夏
[はじめに]
(1)[法界寺・平重衡の墓]
(2)[京都文化博物館・神泉苑・東山展望台(将軍塚)]
(3)[平家本拠地・「2」の舞台・平安神宮]