夜が明けてまだ間もない。
窓ガラスの曇りを指先できゅっきゅと拭いて外を見ると、
淡い朝靄がたちこめている。
靄のベールを通して見上げる空は、暁の色に滲むグラデーションだ。
日曜の朝のためか、街はまだ半ばまどろみの中にある。
思い切って窓を開けると、冷たい空気に息が白い。
「みぃみぃ…」
どこからか、小さな鳴き声が聞こえてくる。
「みゃぁぁぉ…」
この家のほど近くに、声の主はいるようだ。
その鳴き声はとても頼りなげで、か細い。
「見てきます!」
あかねは家を飛び出した。
「私も行く」
泰明もすぐに後を追う。
隣家の角を曲がるやいなや、あかねは弾んだ声を上げた。
「わあ、可愛い子猫!」
「みぃ」
子猫は、まだよく見えない目を上げて小さく鳴く。
あかねは子猫を抱き上げた。
「小っちゃい……まだ生まれたばかりなんだね」
「みみ、みぃ」
「あ…金目銀目ちゃんだ。
白と黄色と黒の三毛かぁ。
何だか懐かしい感じがするのは気のせいかな」
「捨て猫か」
あかねに撫でられ、子猫がうっとりと目を閉じたところに、泰明が来た。
不機嫌な視線が突き刺さるのを感じたのか、
子猫は震えながらあかねの腕の間にもぐりこむ。
「はい、この段ボール箱に『かわいがって下さい』って書いてあります」
「己の責任をわきまえず勝手に捨てておいて、
他人には平気でそのような頼み事をするのか」
「この猫ちゃん、お家に連れて帰ってもいいですか?
このままじゃ、寒さに凍えてしまいます。
私、ちゃんと世話をしますから」
「神子が手を煩わすことはない。
神子に面倒を掛けぬよう、私がしっかり、しつけをする」
「じゃあ、連れて行ってもいいんですね!」
「問題ない」
「ありがとう、泰明さん!」
おそるおそる顔を上げた子猫を、仏頂面がにらんだ。
ふぎいぃぃっっ!!
子猫は、あかねの胸に顔を埋める。
「しかし神子、天真達との約束はいいのか?
てーまぱーくという所に、私達と一緒に行くことになっているはず」
「あ、そうだ…みんなと駅で待ち合わせて、開園と同時に入ろうって…。
でも…、この子、お腹が空いてるみたいだし」
あかねは携帯を取り出し、ごめんなさいのメールを打った。
――これで今日は一日、二人きりになれる。
だが、あかねは子猫とばかり遊んでいるかもしれない……。
泰明がそう思った時、メールの返事が立て続けに三通届く。
「あ、蘭が子猫を見たいって。
詩紋くんも、おみやげにケーキを持って行くから、子猫を見せてって。
それと天真くんも、詩紋くんのケーキが食べたいから来るって。
みんな来てくれるんだ!
よかったですね、泰明さん」
とても嬉しそうなあかねの様子に泰明も我知らず微笑み、
そして幸福なあきらめの吐息と共に思う。
神子の周りに人が集まるのは、京でも、この世界でも変わりがない。
それにやきもきするのも、あかねと共にある幸せの証なのだろう…と。
二人の小さな家に戻ると、泰明に子猫を預け、
あかねはぱたぱたとせわしなく皿やミルクの用意をする。
「神子に面倒をかけるな。必要以上に甘えるな。分かったか」
「ふみっ!」
泰明は子猫に言い聞かせながら、
冷んやりとした廊下に立ち、ささやかに調えられた庭を見た。
そこには、桜の若木がある。
二人で植えた桜だ。
いつか、遠いあの世界の庭にあった木のように、
満開の花を咲かせることを願いながら。
花は、故郷の世界に還ってきた。
その花の在処が、泰明の還る場所だ。
これまでも、そしてこれからも、永遠に…。
―― 花の還る場所 ――
エピローグ
1.京・前編
2.京・後編
3.重陽
[あとがき]
感想アンケートが置いてあります。ご協力いただければ幸いです。
[花の還る場所・目次へ]
[小説トップへ]