果て遠き道

序章 初雪

2 いさかい



「す・・・すみませんでした。私・・・先生の気持ちも考えないで」
「いや、気にするな、神子。問題は私のほうにある」
「・・・・・・・?」
「今日は櫛笥小路に行ってきた」
話題を変えられた・・・・と思った。しかし無理に話を戻すこともできない。
もちろん京の様子も気になる。

「景時さんの京邸に・・・? 朔は元気でした?」
「うむ。神子によろしく、とのことだ。
新しい扇の店ができたので、一緒に行ってみたい、とも」
「うわぁ〜、楽しみ!! 今度行ったら案内してもらわないと! 景時さんは?」
「しばらくの間鎌倉に行かねばならぬそうだ。戻るのは来春になる、と」
「朔・・・大丈夫かな? 寂しくないかな・・・。
弁慶さんは近くに住んでるけど、いろいろ忙しいようだし・・・」
「・・・・・・だから・・・神子が冬の間一緒にいてくれるなら、大歓迎なのだが・・・と、景時は言っていた。
神子は、どうする?」
「!!・・・先生、それって、鞍馬を離れるっていうことですか?」
「そうだ」
「せっかく慣れてきたのに・・・」
「・・・・・」
「でも、朔を一人にしておくのも心配ですよね。
お邸には警備で梶原党の人達がいるとしても、話し相手にはならないし・・・・」
「そうだな」
「じゃあ、先生、景時さんのお言葉に甘えて、この冬は京邸で過ごすことにしますか?」
「神子が決めたのなら、そのように」

「・・・・・・・・・先生・・・・?」
「何だ・・・?」
「もちろん、先生も一緒に行きますよね?」
「・・・・・・・・・・・」
「先生、もしかして・・・」
「神子や朔に迷惑を掛けてはいけない」
「先生!!!」
「今は戦時とは違う。私が邸に出入りしては・・・」
「いや!!!」
「神子・・・?」
「絶対にいやです!! 
私、もう・・・・・先生と離ればなれなんて・・・そんなの、絶対に・・・いやです」

望美はリズの着物をつかむと、その厚い胸に顔を押し当てた。
いつも・・・そうなのだ。先生はこうして、私のために・・・と言いながら、私から離れていく。
一緒にいたいのに。それなのに・・・・・・一番大切な私の願いを、先生は分かってくれない・・・。


リズの手が望美の頬に触れ、そっと顔を上向かせた。二人の目と目が合う。
リズの眼差しは戸惑いを含み・・・、そしてとても優しい。

「鞍馬山の冬は厳しい。まして、このような粗末な庵では、神子の身に負担が大きすぎる」
「先生・・・・私の身体を心配して・・・?」
「冬の間は今宵のような、いや、もっと過酷な寒さが毎日のように続く。だから・・・・・」
「でも、それならなおさら、先生も一緒に・・・」
「私は鬼だ。お前は戦の時の人々しか知らぬ。誰もが朔や景時のように私と接すると思うか?」
「先生・・・だって、先生は源氏と一緒に戦って、九郎さんの先生で・・・」
「お前達を無用な諍いに巻き込みたくないのだ。聞き分けてはくれないか・・・?神子・・・」
「そんな!!先生がそんなことで遠慮して、京邸にも行かないなんて!!
私、何があっても先生の側にいます! それに、朔や景時さんだって先生の味方ですから!」

「神子・・・・」リズの声は静かで、悲しげだった。
「お前は今、ひどく心乱れている。明日・・・・また話そう」
「でも私、やっぱり・・・・」
「神子・・・・・・・」
「せ・・・先生・・・?」
リズの顔が近づく。

「・・・ん・・・・・・」
重なり合う唇。
長く・・・・・・深く・・・・・・。
途切れた言葉は甘い息づかいの中、行き場を失い空中に彷徨う。
音を無くした世界。
囲炉裏の火がぱちっとはぜた。

「先生・・・・、ずるい・・・・・・です」
唇が離れた時、上気した頬のまま、望美はやっとかすれた声を出した。
「これは、『おやすみのきす』だ。神子がそう呼んでいるのではなかったか?」
「・・・・・先生・・・・・やっぱり、これって、ずるいです。私・・・・・・!あ・・・・・」
リズの手が髪を優しく撫でている。
眠りに誘うように柔らかく、暖かく、心地よく。

「もう夜も更けた。眠りなさい、神子。明日も、お前によい朝が訪れるように・・・」
「・・・・先・・・・生・・・・・・」
悲しい気持ちのまま、リズの腕の中、眠りに落ちていく。
離したくない・・・リズの着物をまだぎゅっと握りながら。

夜の静寂の中。リズは小さく燃え続ける炎を見ている。

望美の暮らしていた世界のことを、リズは思っていた。
そこに帰りさえすれば、両親がいる。友がいる。
若い娘らしく美しく装い、目を輝かせながら友と語らい、
望美は青春の時をのびやかに過ごすことができたであろう。
明るく、穏やかで、希望に満ちた世界・・・・・・。
それを願わない者がいるだろうか。

しかし、望美は自分を追って、真っ直ぐに飛び込んできた。
手放さねばならぬもの、失うもの、持ち得たはずのもの・・・・全てを投げ捨てて。
そして選んだものだけが手の中に残る。望美は、私を・・・・・選んだ。
その選択の重さに応えたい。そのためには・・・・・・。

心を占めているのは、望美との小さな諍い。

望美の言う通り、ずるかった・・・と、思う。
しかし、あのような時、望美は一歩たりとも退かない。
考える時間が欲しかった。

京邸で冬を過ごすこと・・・・・。
鬼である自分と梶原党との間に軋轢が生ずれば、
望美、朔だけにとどまらず、景時にさえも累を及ぼすかもしれない。

「もちろん、リズ先生も一緒にね〜。新婚の二人を引き離すなんてヤボはしないよ〜♪」
景時の言葉が胸をよぎる。
からかい半分のような物言いだが、景時は人の和には非常に敏感だ。
彼なりの考えがあるのかもしれない。

二人が離れることを、望美は極端なほどに恐れる。
そうしてしまったのは、リズ自身のせいだ。
まずは景時を信じてみるべきか・・・・。

鬼の一族と人間との長い戦い、幾層にも積み重なった憎しみを望美はよく知らない。
鬼である自分を人々が恐れていることを知ってはいても、戦の日々の中、
それがどういう意味を持つものであるのか、心煩わす余裕などありはしなかったのだ。

ならば望美の願うままに、半生を語った方がよいのだろうか。
一人で暗闇の中、手探りで進み、やっと生き延びてきた、あの日々を。
自分はもうそれらを「思い出」として静かに語る事ができるのだろうか。
自分に向けられてきたむき出しの悪意も、暴力も、侮蔑ですら、もう恨んではいない。

しかしあのころの自分に立ち帰り、もう一度それらを追体験したとしたら・・・・・。
言の葉に隠しようのない怨嗟が滲み出るのではないか。

聞けば望美はきっと心を痛める。我が事のように怒り、悲しむだろう。
そのような、優しすぎる心の持ち主だからこそ、
彼の・・・・望美には悲しい昔語りは聞かせたくない。

このように願うのはいけないことなのか?
自分はまた間違った選択をしようとしているのか?

望美・・・・自分の腕の中で眠る、 愛してやまぬ(ひと)

遥かな昔・・・そして、つい昨日のことのように思い出されるあの日・・・・・。
自分は望美の腕の中にいた。

炎に包まれた村・・・・・恐怖と痛みと悲しみと怒り・・・・全てがない交ぜになり、
訳も分からず、ただ逃げ惑っていた自分を助けてくれた、優しく、強く、美しい (ひと)
自分の生きるべき道を照らし出す闇の中の灯火。

この(ひと)の前では、 私はあの時の子供のままなのだ。
こんなことを言ったら、きっといつものように屈託なく笑うのだろうが・・・・・。

望美の願う幸せ・・・自分の思う幸せ・・・

・・・・・小さな炎・・・・・
・・・・・寄り添う美しい二つの魂・・・・・
・・・・・それらを宿すささやかな庵・・・・・
・・・・・静寂なる山・・・・・
・・・・・総てを被い尽くして、雪は降り、夜は更けてゆく




序章 初雪

  (1)鞍馬の冬 (3)昔日の冬 (4)野盗

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