果て遠き道

序章 初雪

4 野 盗



夜半を過ぎ、望美はリズの腕の中で静かに眠り、
庵の中は小枝のはぜる音だけが小さく聞こえている。

その時、
半眼に閉じられていたリズの眼がゆっくりと開かれた。鋭い光が宿っている。
「全部で・・・6人・・・」

望美の静かな寝息を確かめると、起こさぬよう、そっと床に横たえた。
ちらっと愛刀のシャムシールに眼を走らせるが、手に取らない。
「神子のいるこの場所を、野盗の血で穢してはならぬ」

次の瞬間、彼の姿は屋根の上にあった。雪はやみ、雲間から薄く月の光が射している。
賊の数と位置を確認する。庵の中でかすかな足音と気配から察した通り、全部で6人。

音さえ忍ばせていれば気づかれぬと思い、見られることなど考えてもいないのだろう。
雪明かりの中、庵を遠巻きに囲みながら近づいてくる。抜きはなった刀が光る。

戦場からあぶれ、新しい世からもあぶれ、在るべき場所を持たぬ落ち武者のなれの果て。
山越えの途中、急な雪に行き暮れて、道も見失ってさまよっていたようだ。
庵から上る煙を見つけ、食料とねぐらを奪いにやって来たのだろう。
殺気を放つ目ばかりがぎょろぎょろと光り、押し殺した荒い息が、白く立ち上る。

瞬間移動。
賊の背後に降り立つ。

「一夜の宿を請うて来た・・・・・というわけでもなさそうだな」
突然の後ろからの声に一瞬、賊はうろたえた。が・・・、
「このまま立ち去るがいい」
リズの感情を交えぬ押し殺した声と静かな言葉に、賊は相手の力量を見誤った。

「俺たち相手に、素手で一人かよ!」
頭とおぼしき男が体勢を立て直すと斬りかかってきた。

リズは黒い疾風と化す。
男は声を上げる間もなく、肩を砕かれ崩れおれた。
隣にいた男も、次の瞬間、腹を押さえて倒れ込む。
一人、また一人と、リズの動きを目で追うこともできず、何が起きているのか分からぬまま
刀を振ることもなく雪上に倒されていく。

雲が途切れた。月の光があたりを照らし出す。
冷たい雪に半ば顔を埋めた彼らは、はじめてリズの姿をはっきりと見た。
男を6人倒した後で、息のひとつも乱さぬ長身の男。
長い金色の髪、冷たく青い光を放つ双眸・・・・・・。

「ひぃっ・・・・!! お、鬼・・・?!」
「く、く、鞍馬山の鬼・・・本当にいたのか?!」
「い、命ばかりは・・・・お助けを・・・」

完全に戦意を喪失した彼らは、黙って見下ろすリズにただ怯え、口々に慈悲を請いながら、
腰を抜かしたまま、雪の上を這いずっていく。

「ならば・・・・・立ち去れ」
リズの口調は、戦いの前と同じく静かだった。
が、全身から放たれる威圧感に圧倒され、
男達はリズの青く光る両眼から目を反らすことすらできない。

「来た道を戻れ。三本杉を目指して行けば、 貴船道(きぶねみち)に通じる道に出る。
朝までにこの地を離れねば・・・次は、無い」
リズが踵を返すと、男達は金縛りが解けたように、こけつまろびつ一斉に逃げ出した。

「どうやら神子を起こしてしまったようだな」
庵の戸口が小さく開いている。
板戸を開けると、望美が待っていた。剣を身につけ、リズのシャムシールを傍らに置いて。

「見ていたのか、神子?」
「はい」
「戦う用意はできていたようだな」
「先生に敵う相手ではないと思いましたが、万一ということもあります。
でも、形勢は有利でしたので、先生の戦いの流れを邪魔しては、と思い、
出ることは控えていました」
「戦場に身を置いた者の習いはまだしっかりと身に付いているな、神子。
気配で目を覚まし、行動も早い。
何より素早く状況を見て取ることは重要だ。一瞬の判断の狂いは致命的にもなりうる」
「はい!!先生」

望美の顔は少し上気し、戦の時に見せる緊張感と輝きを放っている。
久しぶりに見る「白龍の神子」、彼の「愛弟子」の顔だ。
「私は、すばらしい弟子に恵まれたな」
望美は耳まで赤くなった。
「あ・・・ありがとうございます、先生・・・。それで・・・・・」
リズの言葉は嬉しかった。しかし、今はそれに甘んじていい時ではない。
言わねばならないことがある。

戦いの気配に目を覚まし、リズが一人で行ったことに気づいた。
板戸の隙間からリズの戦いを見て、自分の考えが浅かったことを悟る。
自分はまだまだ未熟だ。
そんな自分をかばって、リズはあのように一人戦っている。

戦いだけではない。自分は食事すら、まだ満足に作れない。
生活全部が、リズの支えで成り立っていることは紛れもない事実。
我を通し、冬の間もこの鞍馬に居続けることは、リズに頼り切ることでもある。
そのことを微塵も気にするようなリズではない。が、それに甘えていいはずもない。
望美が今なすべきは何か?

リズは望美に約束したのだ。もう、どこへも行かないと。
だから・・・・・

「私、京邸に行きます。決めました」
「神子・・・!」
「先生が心配してくれてるのに、恩知らずな弟子ですね、私。
今みたいなこと、考えてもみませんでした。
穏やかな毎日で、鈍ってしまったみたいです」
「お前は・・・・・」
「でも先生は・・・・・・。・・・先生?!!」

望美の身体がふわりと浮き上がった。抱え上げられて、目の前にはリズの顔。
リズの眼は、優しく笑っていた。
「私も一緒だ、神子」
「先生!!!本当に?!!」

喜びに輝いた望美の顔が、すぐに曇った。
「・・・・えっと、・・・・・すごく無理してる、とか・・・・?」
「無理などしてはいない。お前と離れたくない・・・・・それだけだ」
「先・・・・生・・・・・ありがとう!!!」
「礼には及ばない。己の望む通りにするだけなのだから」
「でも・・・・言わせて下さい!私、本当に嬉しくて・・・先生、ありがとうございます!!」

雪の鞍馬山は月明かりに青い影を宿す。
先ほどまでの戦いが嘘のように、山は静寂に包まれている。

「雪、いつの間にか止みましたね」
「ずいぶん積もったな」
「月明かりの雪景色って、きれいですね」
「そうだな・・・とても美しいと・・・思う。だが風景は・・・」
「?」
「特に夜の風景は、見る者の心が映し出される」
リズは中天に懸かる月を見ていた。
「夜は・・・・恐ろしいものだった。まして雪の夜は・・・・・」

「先生・・・・・私、悪いことを・・・・?」
「そうではないのだ、神子。私は今、神子と見るこの風景を、とても美しいと感じている。
そして、ここにこうして在ることに感謝の思いを抱いている。これは・・・・」
月明かりに縁取られたリズの横顔は、祈りを捧げているかのように静かだ。
「幸せ・・・・・というものなのだろう」
「先生・・・・・」

「私は、お前が思っているほどに強い心の持ち主ではない。
世界を恨み、呪わずに生きてこられたのは、神子との出会いがあったればこそだ。
そして今は、お前と共に在り、お前に触れることができる・・・・・
かけがえのない時を過ごしている。だから・・・・」
「だから・・・・・?」

「私は、己を語る言葉を持たない。どうすればよいのか分からないが、
神子が望むならば、昔を語っても・・・よい」
「先生・・・・・私・・・・・」
それ以上の言葉が見つからず、望美はリズに顔を寄せ、そっと口づけした。
力強い腕がしっかりと自分を抱き留めるのを感じる。
そしてもう一度・・・。

リズがささやく。
「神子・・・・これは『おやすみのきす』ではない・・・」
返事の代わりにぎゅっと抱きつく。
庵の板戸が閉まった。

鞍馬の山のささやかな庵を照らす月は少し傾いてきたが、
夜明けにはまだ数刻の時を残していた。


序章 初雪   



序章 初雪

  (1)鞍馬の冬 (2)いさかい (3)昔日の冬

第1章 流離

(1)遠き道の始まり

[果て遠き道・目次(前書き)]

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