オリジナルキャラがメインの話です。 「果て遠き道」本編未読の方は、ご注意下さい。



果て遠き道

余話1 〜鎌倉にて〜

馬酔木の花の (こぼ)れゆく



―わが背子にわが恋ふらくは奥山の 馬酔木の花の今盛りなり― 


花曇りの午後、細い道にゆるゆると馬を進めていく。
道はひどくぬかるんでいる。夜来の雨に、谷戸の湿気も加わっているのだろう。
土には、桜花が点々と散り敷いている。
山側に目をやると、桜の古木が数本、僅かに花を残しているのが見えた。

頼朝も、父祖の地とはいえ、ずいぶんと奥まった所に本拠を構えたものだ。
南に海、残る三方を山に囲まれた鎌倉とは。
上つ道を来たというのに、馬が難儀した。荷の行き来もままならぬ。
切り通しを作るつもりだろうが・・・幾年かかることか。
片頬に皮肉な笑みが浮かぶ。
戦は弟等に任せ、自らは打って出るより守りを固めるか。

道は曲がりくねりながら続いている。
前方を歩く、人の影が見えた。
ゆっくりとはいえ、馬の歩みは着実で速い。
ほどなくして、その人影が、ほっそりとした女であることがわかる。
髪をおろしているは、尼僧か・・・・・・。頭の隅で考える。

目的地・・・梶原の邸は遠くはない。が、もとより急いで着きたいわけでもない。
しかしあの北条政子との約定は、何にも勝る。
・・・今は、伏して待たねばならぬ時。
戦も始まった。力を試すよい機会でもある。
頼朝に従う武家に在れば、必ずや合戦に出られるだろう。

梶原党の名は、聞き及んでいる。出自は平氏ながら、源氏に寝返ったとか。
それに政子が関わっていることは、薄々わかる。
梶原景時とやらも、不運な男だ。

だが、その者に、これから仕えねばならぬ身。
武家としての作法やら礼節やらに則って暮らすなど、馬鹿馬鹿しい限りだが・・・。
景時に重用されるようになることが、あの政子と頼朝からの命令だ。
景時が鎌倉を離れる時にも、付き従うほどになれと。
要は・・・見張り役。見張り役が必要なほどに、侮れぬ男、ということか。

「若武者らしく、立派に振る舞って頂きたいですわ。
周囲の者からも厚い信頼を寄せられるようになること、期待していますわね。
あなたに、できるかしら」
「御意」
「まあ、よい返事ですこと。すっかり変わったのね、あなた」
「はい。かつての非礼は、恥じ入るばかり」
「くすくすくす・・・。よいわ。鎌倉のために働いてくれるのなら。
でも私の力、忘れてはなりませんことよ」

そうしろというなら、そうするまで。
心の底の嗤い声など、誰にも聞こえはしないのだから。

その時、悲鳴が上がった。
山の上だ。
何ものかが、急斜面を落ちてくる。
小さな塊が一つ、そして大きな黒い塊が一つ。

子供と猪であることを、瞬時に見て取る。
同時に、ここはではもう、自分は「人」であることを考える。
「こういう時は、子供を助けるべきなのだろう・・・」

間髪入れず、馬に鞭を入れる。寸刻の遅れもなかったはず。
しかし、見れば尼僧はもう崖下へと駆け寄っていた。
子供を受け止めるため、落ちてくる土塊を浴びながら手を差し伸べている。

「馬鹿な・・・」
子供とはいえ、落ちてくる時の勢いというものがある。
女の細腕で受けられるとでも。

だが、尼僧は子供を抱き留めると、自らも身を投げ出して勢いを逃がした。
すぐに身を入れ替え、続いて落ち来た猪の牙から子供をかばう。

「無茶なことを」
馬の速度を緩めず、飛び降りながら抜刀。
その勢いを利用して、猪に太刀を振り下ろす。
命の尽きたことも気づかぬのか、猪はまだそのまま進もうとする。
着地と同時に、ぬかるみを利用して身体を反転させ、猪の低い四肢を薙いだ。
ずずっと、鼻面を泥に埋め、崩れるように猪が倒れる。
ぬかるんだ土に猪の血が流れた。

驚いて声も出なかった子供が、はっと我に返ったのか、火のついたように泣き出した。
尼僧が子供を抱いて立ち上がる。
その前へと動き、猪の死骸が見えぬよう遮った。
「女人は、見ない方がいい」
尼僧にまで泣きわめかれてはたまらない、と思う。

しかし返ってきたのは、
「ありがとう」
落ち着いた声。取り乱した気配は、微塵もない。

大きな瞳が、こちらに向けられている。
静かな眼だ。身を危険にさらしたばかりというのに。
まだ若い娘・・・少女と言ってもいい年頃。
このような年の女は、訳もなくかまびすしく騒ぐか、
ふて腐れたように黙り込むものと、思っていたが。

このような時、何と答えればよいのか。
言葉を探し、素っ気ない返事が見つかった。
「礼には・・・及ばない」

娘は、腕の中で泣いている子供に顔を向けた。
静かに話しかけながら、傷を調べていく。
髪に挿した淡い色の花房が、白い横顔にかかり、揺れる。
しかし俯いたその顔には、傷から滲んだ血と泥とが幾筋も流れている。
顔をかばうこともしなかったのか。

懐から布を出し、娘に手渡した。
「これを・・・使うといい」
「ありがとう」

布を受け取ると、娘は自分の傷ではなく、子供の傷の血を優しく拭った。
その顔が曇る。
「足の傷は、少し深いわ・・・」

子供は、驚いたように娘の顔を見ている。
蓬のように伸び放題の髪をした、汚らしい子供だ。
この娘と縁ある者とも思えないが・・・。
「その子供、身内の者か?」
「いいえ、知らない子よ」
顔を上げずに、娘は答える。
心地よい声・・・だと思う。しかし、
「自分の怪我も、心配したらどうだ」
少し強い声が、思わず口から出る。
娘は驚いたように振り向いた。

「私の、こと・・・?」
一瞬、あどけない表情がのぞく。
思ってもみなかったことを、いきなり問われた・・・という無防備な表情。

しかし、すぐに娘は子供に向き直った。
傷口を布で縛りながら、こともなげに言う。
「この子は猪に追われて恐ろしい思いをして、その上こんな怪我までしているのよ。
その痛みを思ったら、私の怪我なんて・・・なんでもないことでしょう?」

娘が、心からそう思っていることが分かる。
なぜ、そう思うのか、分からない。
何か、もっと、手伝えばよいのだろうか・・・。

戸惑っているその時、馬が戻ってきた。

馬はぶるるっと胴を震わせ、頭を振る。
いきなり飛び降りて放っておいた、こちらの無礼を咎めているようだ。
「よくもどった」
詫びの代わりに、顔の白い毛を撫でてやる。

と、気づけば娘が側に来ている。馬を恐れる様子はない。
子供をしっかりと抱きながら、あの大きな瞳をこちらに向けた。

嫌な・・・予感がする。
まさか・・・その子供を・・・。

「この子を、私の家まで連れて行ってもらいたいのだけれど・・・」
予感が的中した。
ためらいがちな言葉とうらはらの、真剣な眼差し。
見知らぬ子のために、なぜこうまでするのだ。

「私は、梶原朔といいます。梶原の邸は、この近くなの。お願い」

梶原・・・?!
ではこの娘は・・・。

断るわけには、いかなくなった。・・・・仕方がない。そう、仕方ないのだ。

地に片手片膝をつき、頭を垂れる。
身分というやつ、早速知ることになったか。

「拙者は、河原三郎信直と申す者にございます。
源頼朝様の命により、これから梶原景時殿の下に就くところにて。
知らぬとは申せ、先程よりの無礼な物言いの数々、お許し下さい」

「まあ・・・」
娘・・・梶原朔は眼を見開いた。
次いで、微笑んで言う。
「では、お願いいたします、信直殿」
心からの・・・笑いではない・・・。
水底から、ぽつりと上がった水泡のような笑み。

馬に跨ると、子供を抱き取る。
「足が、折れているかもしれないの。気をつけて」

「あの・・・朔様は、どうされるのでしょうか」
「歩いて帰るわ」
こともなげに答る。

・・・それなら一緒に、乗ったらどうだ・・・

言おうとして、言葉を飲み込む。

主の妹御を置いたままに去ってよいものか・・・。
しかし馬に同乗するは、女人に対しかえって無礼に当たるか・・・。

しばしの沈黙を、躊躇であると、朔は誤解したようだ。
「ああ、ごめんなさい。そうよね、いきなり行っても、
なかなか話が通らないかもしれないわ。
あなたに余計な迷惑をかけてしまってはいけないわね」
「いや・・・お気になさらずとも・・・」
「この花を門衛に見せて、朔から頼まれた、と言えば大丈夫よ」
そう言うと、朔は髪に挿した花の房を差し出した。
手を伸ばして、それを受け取る。
少し触れた指先が、とても柔らかい。

「では・・・、これを・・・」
馬の背の荷を探って、水の筒と新しい布を朔に渡す。
「邸に入る前に、どうかお顔を・・・お清め下さい」
「あ・・・私・・・」
白い頬が桜色になる。
「忘れていたわ・・・ありがとう」

けれど、泥を拭わずとも、その顔は美しい・・・と思う。

「御免!」
言うなり馬の向きを変え、鞭を入れて走り出した。
子供が小さく悲鳴をあげる。
「落としたりはせぬから、安心していろ。すぐに着く」
小さく頷く気配。


邸に着き、挨拶もそこそこに事情を話し、子供はすぐに奥へと引き取られた。
入れ替わりに走り出てきた長身の男が、
「朔〜!!」
と叫びながら馬に飛び乗り、駆け去った。

手の中には、淡い色の花簪がある。

馬酔木の花だ。
今が盛りの時期か・・・。
馬が葉を食わぬよう気をつけねばならぬ、厄介なだけの花と思っていた。

胸が、なぜか痛い。
触れ合った指の感触が蘇る。
壺のような形の小さな花の輪郭を、一つ一つ、眼でなぞってみる。

門の辺りが騒がしい。
馬の嘶き。
あの人が、戻ったか。

それを思っただけで、心の奥がざわめいた。

俺は・・・
何を・・・惑っている。

花を・・・返さねばならない・・・あの人に。

突然襲い来た奇妙な思いを振り払い、人声の方へと歩き出す。
その思いの名を、知らぬままに・・・。





余話 

2.雨夜の花嫁 〜伊豆にて〜(頼朝×政子)
3.汝、強き者 〜京にて〜 (梶原兄妹・リズ・望美)
4.おやすみのきす 〜倶利伽羅にて・前編〜 (リズ×望美)
5.我が故郷は静けき眠りにありて 〜倶利伽羅にて・後篇〜 (リズ×望美)

[果て遠き道・目次(前書き)]

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