雨に洗われた空から降り注ぐ陽光の下、
山間に隠されたその地は、明るい光に包まれていた。
かつてここに、小さな村があったことを示すものは、何もない。
滅びの痕跡を飲み込んで、草木は葉を茂らせ、根を伸ばし、
とりどりの花を咲かせている。
ささやかな営みが根こそぎ失われても、自然はその歩みを止めることはない。
深く生い茂った草をかき分けて、歩く。
一足ごとに立ち上る、むせるような草いきれ。
ひらひらと蝶が飛ぶ。
この草の匂い、足下に感じる土の感触、吹き渡る風、
山の色、小さな花・・・。
長い歳月の間も、忘れることはなかった・・・私の故郷。
滅びの秋・・・沈黙の冬を越え、住む者のないままに、春もまた通り過ぎていく。
心に刻まれた村の風景は、あの時のまま。
勢いよく伸びた青草に覆われていても、わかる。
・・・ここに道があった。
あの焼けた木の下を曲がり行くと、長老の家。
幼い私は兄達と共に、長老の元で学んでいたのだった。
難しい話ばかりで、よく分からなかったが、
長老は優しく教えてくれた。
学問も、武術も、・・・大きい兄達と一緒に学べる・・・と、
それだけで小さい私は嬉しくてならなかった。
・・・・父の思いを知る由もなく。
静寂を破り、数羽の鳥が鳴き交わしながら飛び立った。
心に蘇った過去のかすかな幻が、消えていく。
「先生・・・ここは・・・」
つないだ手から、望美が震えていることがわかる。
「ああ、そうだ。神子も、覚えていたのだな」
望美は黙って頷いた。
二人は、木立の中に開けた、狭い空き地に来ていた。
ここが・・・運命の輪の始まり。
白い光に包まれ、この時空から分かたれた場所。
望美に助けられ、怨霊の群を逃れて、短い安らぎの中にいた。
望美の優しさが、強さが、美しさが、
怒りと悲しみに惑う幼い私を勇気づけてくれた。
あの時、幼い私の心に生まれたのは・・・
憧れという名の・・・永遠に変わらぬ愛だった。
「先生・・・」
見上げる瞳は、悲しみの色。
小さな傷のある唇を、ぐっとかみしめている。
「すまぬ・・・。ここは神子には辛すぎる場所だったな」
「いいえ・・・それより先生の方が・・・私・・・」
・・・お前は、里の運命に心を痛め、
故郷の滅びの光景を眼にした私の心を思い、悲しみに沈むのか。
お前の優しさは・・・、いつも痛々しく、切ない。
「神子、私のために悲しむことはない」
小さく微笑んで、柔らかな手を引き、村はずれに続く道へと歩き出す。
幾度繰り返しても、避けることのできなかった滅び。
私一人の力など遠く及ばぬ、時空の理。
誰も知らぬままに、鬼の一族はこの地で果てていくはずであった。
・・・神子・・・お前という奇跡がなければ。
私は幾度、お前に救われたのだろうか。
生命も・・・魂さえも。
滅びの炎の中にただ一人、飛び込んで、小さな命を助け出してくれた。
遠く時空の彼方に引き離された、孤独な魂を、
彼方に輝く灯火となって、あたためてくれた。
お前に背を向けながらも、私の心はいつも、お前を追っていた。
お前の輝く生命の光跡を。
そしてお前は、時の輪の中に閉じこめられた私を、
新しき時へと・・・未来へと導いてくれた。
その新しき道を進む勇気をくれた。
一足ごとに広がる世界。
お前という光と共に在る世界。
あの時、幼い私を見ていた慈しみの眼が、今は別の想いを宿し、輝く。
手を伸ばし、肩を抱き寄せれば、この腕の中にその身を委ねてくれる。
お前がもたらしたのは、至福という名の歓び。
満たされた日々。
だから・・・なおさらに、この地に来なければならなかった。
通る者のない村はずれの坂道は、草に埋もれかけている。
この道を、幾度通ったことだろう。
幼き日には、兄達を追って駆け上がり、
最後に・・・父の大きな背を見上げながら歩いた。
束の間の邂逅は・・・
桜が狂おしいほどに舞い散る季節だった。
あれもまた、時空の定めであったのだろうか。
坂を上がりきると、小さな平地。
木漏れ日の射す、深い緑の中に、焦げた桜の巨木が立っている。
草の中に立ち、眼顔で問う望美に、答える。
「ここには、私の生まれた家があった」
・・・そして、私はここで、父と剣を交え、
炎の中で別れた父が残した言葉の、真の意味を知ったのだった。
「神子、私がお前とここに来たのは、過去を悲しむためではない」
「祈りを・・・捧げるためでしょうか」
「弔う者もなく眠る者達に、共に祈りを手向けてくれるのか」
「もちろんです、先生。・・・でも私は・・・先生の他には、
誰も助けることができませんでした・・・」
「神子、自分を責めてはいけない。そのために来たのではないのだ。
ここに来たのは、この地に・・・生きている私の姿と、
私を救い出してくれたお前の姿を見せたいと思ったからだ。
滅びがこの里の・・・鬼の一族の運命であったとしても、
お前は確かに、一つの命を、救い出してくれた」
『生きて、未来に命をつなげ!』
父の最後の言葉は、鬼の棟梁としての命令。
それは、一族の意志。
その命を果たしたと、この墓標無き眠りの場所に立ち、
報告しなければならぬ。
望美に明るい笑顔が戻った。
「先生、私のこと、みんな見ていてくれるでしょうか」
「無論」
「ええと・・・それで・・・私と先生と・・・あの・・・」
突然言い淀んで、望美の顔がみるみる赤くなった。
「私はお前と共に在ると・・・、きっと皆に伝わる。案ずるな」
「はい」
望美はにっこりと笑った。
そして手を胸の前で組み、木の間からのぞく青い空を見上げる。
風が吹きすぎ、長い髪がなびいた。
望美の瞳は、真っ直ぐに天に向かう。
お前の祈りは、高みへと昇りゆくものなのだな。
彼方から巡り来て、彼方へと巡りゆく大いなる気の流れへと
地に眠る者達を導く。
ありがとう・・・神子。
そして・・・父上・・・母上・・・兄上達・・・我が里の人々
リズは天を振り仰いだ。
去りゆく時は、元には戻せぬ。
なれば、父上・・・滅びの時を越えて、私は、生きていく。
そして、これからも・・・・・この、愛しき神子と共に。
「先生・・・ほら・・・見て下さい・・・・」
差し伸べた望美の掌に、
天の何処からか、桜花がひとひら、舞い降りてきた。
「空から、素敵な贈り物ですね・・・」
「お前の祈りに、応えてくれたのだろう」
そよ風が吹き、花びらは飛び去った。
光射す静寂の地は、穏やかな時の中に眠る。
余話
1.馬酔木の花の零れゆく 〜鎌倉にて〜
(オリキャラ→朔)
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2.雨夜の花嫁 〜伊豆にて〜
(頼朝×政子)
3.汝、強き者 〜京にて〜
(梶原兄妹・リズ・望美)
4.おやすみのきす 〜倶利伽羅にて・前編〜
(リズ×望美)
あとがき
この話は、「果て遠き道」本編のプロローグの位置にあります。
プロローグを本編終了後に書くなんて・・・と思われるかもしれませんが、
読んで頂く順序としては、これでよいと信じております。
本編未読の方には???・・・なエピソードが満載で
申し訳ありません。
リズ先生は望美ちゃんと共にいて幸せであっても、
故郷を襲った悲劇をスルーしてしまうような方ではないはず。
まして、何度試みても滅びを止めることができなかったとあれば、
新たな時へ歩み出す前に、故郷を訪れるのではないかと思います。
余話としては少々長めとなりましたが、
お楽しみ頂けましたならうれしいです。
そして、一読してお気づきの方も多いかと思いますが、
前編は望美ちゃん視点、後編は先生視点に徹してみました。
それに伴い、前編の続き・・・永遠の絆を契るシーンも書きました。
ただ、詳細な描写はないのですが、性行為を描いているため、
表ページから直接のリンクは張っておりません。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
前編のURLの「yowa4」と「.html」の間に、
筆者が愛してやまないキャラの頭文字を、
半角英小文字で、1文字入れてお読み下さい。
↑ ↑ ↑ ↑ ↑
これで、長いリズヴァーンの物語は、本当の最終話となります。
最後までお読み下さった皆様、本当にありがとうございました。
2007.7.8筆