果て遠き道

第2章 遠雷

1 暗 雲



京、櫛笥小路の梶原邸。
もう夜というのに、常になく華やいだ笑い声が聞こえてくる。

「ふふ、相変わらずなのね。望美」
「ええっ、どうして?」
「だって、ねえ、兄上」
「そうだね。でも、自分たちで気づいてないってのが、望美ちゃん達らしいっていうか♪」
「何を言われているのか、よく・・・、わからない」
黙って杯を口に運んでいたリズが、ぽつりと言う。
「ねえ、朔ったら、何がそんなにおかしいの?景時さんも、意地悪しないで教えて下さい」
「ええ〜っ、意地悪してるつもりなんかないよ」
「そうね。じゃあ望美、リズ先生のこと、呼んでみて」
「??・・・えっと、先生・・・」
「それなら、今度はリズ先生の番だね♪望美ちゃんを呼んでみてくれますか?」
「・・・神子・・・」
「あ、もしかして・・・私が先生のこと、先生って呼ぶから・・・?」
「そして、私が神子を・・・」
「や〜っと気がついた?」
「ふふふ。ああ、こんなに笑ったのは久しぶりだわ」
「そんな、だって先生は先生なんだから、それ以外にどうやって・・・」
「気にすることはない。私のことは、神子が呼びたいように呼びなさい」
「はい!先生」
「笑ってしまってごめんなさい。一緒に暮らしていても、そのままなのね、あなた達。
私、とても・・・すてきだと思うの」
「・・・な〜んか、あてられちゃうね、朔。こんなの冬中見せられてたら・・・」
朔の顔が一瞬翳り、すぐにまた笑顔に戻る。
「兄上の考えそうなことね。私がそれで気持ちを変えるなんて、ありっこないでしょう」
「朔・・・。私達、かえってあなたに・・・」
朔の表情の変化を見て取った望美も顔を曇らせる。
「そんなことないのよ。来てもらって、私、とてもうれしいの。本当に、本当よ。
もう、兄上がよけいなことを言うから、望美が気にしてしまったわ」
「ははは・・・ごめんね〜。どうも、一言多いのかな、オレって」
「あ、私なら別に、気を遣わなくても・・・。それより、こうして朔と景時さんに会えて、
一緒に話ができるって、本当に楽しくて」

「ではその中に、僕も入れてもらえませんか?」
「弁慶さん!!」
にこやかな笑みをたたえて部屋に入ってきたのは武蔵坊弁慶だった。

「明日にでも五条橋まで行ってみようと思ってたところなんです。
今日はもう、お仕事終わりなんですか?」
「景時が迎えの者を寄越してくれたんですよ。幸い重病の患者はいないし、
君達に会えるなら、たまには早じまいもいいものです」
「すごい、景時さん!さすがですね」
「望美、兄上を褒めすぎないで。でも、兄上もたまにはいいこともするのね」
「はは、は・・・。褒められたついでに、けなされてるみたい・・・だね。朔は厳しいな」

「そうだな。妹御として景時の力、もう少し認めてやってはどうか」
リズが珍しく口を開いた。
「うわ〜。リズ先生にそこまで言ってもらえるなんて、なんか感激だな〜♪」
「そうね、源氏の軍奉行としては、りっぱにお勤めを果したのはわかっているの。
ただ、こんな風にすぐ調子に乗らなければよいのだけれど」

「景時はかつて、それと知らずに私の隠形の術を破ったことがある」
「え?」
「それって?」
「いつのことなんですか?」
リズが自分から話し出すなど、滅多にないことだ。一座の視線が集中する。
これも・・・先生の過去の話なんだろうか・・・。
そう思いながら、望美はリズを見つめた。

「私は以前、安倍の屋敷に出入りしていたことがある」
「ええ〜っ。ちっとも知りませんでした。安倍家でもその話は聞いたことがなかったなあ」
「それも道理。鬼の私が陰陽寮の官位を持つ者達の屋敷に、招かれるはずもない」
「とすると・・・もしかして、隠形の術を使って入ったということですか?」
「うむ」
「リズ先生も、なかなかやりますね。見直しましたよ」
「弁慶さん、それって褒めてるんですか?」
「ええ、もちろん」

「それにしても、いったい何のためだったんですか?」
「私は縁あって多くの書物を得、陰陽道を独りで学んだ」
望美はリズの話を思い出した。
「あっ、それってもしかして北山の?」
望美の問いかけるような視線に、リズはうなずいた。
「独学で学んで、それであんなすごい結界とか作っちゃったんですか?
すごいな、リズ先生は・・・。そこいくと、オレ・・・」
「いや、独学ゆえ、手元の書物だけでは分からぬ事も多かった。
そこで、安倍家や図書寮には幾たびも通った。持ち出すわけにもいかぬので、身を隠し、
その場で読まねばならなかったが・・・景時に会ったのはその頃だ」


がたがたっ。書庫の扉を開く音。
リズは書物を棚に戻すと、すっと気配を消し、姿を隠した。
瞬間移動で部屋から出ることは可能だが、調べものは終わっていない。
まだここから立ち去るわけにはいかない。
入ってきたのは、いつもの通り、兄弟子から書物を探すように命令されてきた、未熟な若者だろう。
修練を積んだ者と出くわした時でさえ、リズの隠形は気づかれることはなかった。
今度もまた・・・。そうリズは思った。
ところが

「あ、あれ〜っ?誰かいるの?」
気づかれたのか?偶然か?それとも・・・
「・・・ねえ、誰かいるんでしょう?先輩・・・じゃないよね〜。違うよね、この気配」
気を・・・読んだか?まぐれではない。だが、道を究めた者でもない・・・。
「こっち・・・かな〜?」
まっすぐこちらへ来る。
瞬間移動。別の書棚の間に隠れる。
「あれっ?!消えちゃった・・・?ええっと・・・うーん、まだ、いるね。
ねえ、出てきてよ。今なら逃がしてあげるから。
お師匠さんや先輩に見つかったら、恐いんだよー」

「何をそんな所で独り言言ってるんだ!!」
その時、声を荒げながら兄弟子が入ってきた。
「お前の役目は、さっさと書物を探して持ってくることだろう?!
それをぐずぐずと怠けてたな!!」
「ち、違うんですよ、オレ、ここでなんか怪しい気配がするなあ〜って思って」
「まともに印も結べないお前が、何が気配だ!十年早い!!
とにかく、そのアヤシイ気配なんぞ忘れて、さっさと仕事をするんだぞ!!」
兄弟子は出て行った。

「はぁ〜。また怒られちゃった。気のせい・・・なのかなあ。でも・・・」
リズの潜む場所に向かって、声をかける。
「悪い人・・・じゃないよね。オレ、信じるから、ここにある物、盗んだりしないでね」


「ああ〜っ!!思い出した。
あの時の、悪い人じゃなさそうな気配って、リズ先生だったんですか!」
「うむ。その折には、景時にはすまぬことをした。あの後、兄弟子に叱られたのではないか」
「いえ、叱られるのは、いつものことだったから。
でも、せっかくリズ先生の隠形を見破っても、オレ、他のことは中途半端で、
結局才能無かったんだよね〜」

「いや、景時の持つ力が、陰陽師という器の形に収まりきらなかっただけのことだ」
「えっえ〜?!そんな風に考えていてくれたんですか・・・?」
「誰もが、すでにある器にあわせて己を育てられるわけではない。
人はその心なりに伸びていくものだ」
「なんか照れちゃうけど、うれしいな〜♪」
「ありがとう、リズ先生。私もうれしいわ」

「景時さんって、発明もするし武芸も優れてるし、いろんな才能があるってことだよね。
そういえば弁慶さんも、法師で薬師で軍師で・・・」
「ああ、望美さんにその事を言われると、僕は照れるより恥ずかしい・・・ですね」
「??なんで?」
「そんなふうに見つめないで下さい。若い頃・・・というのはいろいろあるんですよ」
「荒事もずいぶんとやってきたしな」
「リズ先生も意地悪ですね」
「あ、そうか。先生は九郎さんの剣のお師匠だったから、
弁慶さんともお知り合いだったんですよね。その頃のお話しも聞かせて下さい!」

「うーん、せっかくだからもっと話していたいけど・・・」
「もう、ずいぶん夜も更けてきましたね」
「神子達は、もう休んだ方がいい」
「ええっ?!もうですか?なんか男の人達だけもっと起きてるって、ずるいなあ」

「だったら、私の部屋でもう少しおしゃべりしない?」
「あ、いいね!まだまだ話し足りないし。
先生、いいですか?朝の稽古には遅れないようにしますから」
「ああ、かまわない。だが、あまり夜更かしせぬように」
「はい!じゃ、行こうか、朔。おやすみなさい!」
「おやすみ〜」
「おやすみなさい」

望美と朔は部屋を出て行った。
「ねえ朔、お願いなんだけど、明日から私に料理を教えてもらえるかな」
「もちろんいいわよ。まず何から作ってみましょうか」
「そうだ、扇のお店って・・・」
「五条橋の先の・・・」
楽しげな二人の声が遠ざかっていく。

二人の後ろ姿を見送っていた弁慶が、戸を閉めながら低く言った。
「リズ先生も・・・やりますね」
「やはり、気づいていたか」
「無口な先生が、わざわざ景時の隠形破りの話題を持ち出したんですから・・・。
それに、このところ五条橋あたりでも、ずいぶんとそれらしき者たちの姿を
見るようになってきていますしね」
「我らの話は聞かれたくない。だが、景時が知っていて泳がせているのだ。
捕まえるのもまずいのではないかと思い、わざとらしい話もしてみたが・・・、
気づかれていると知っても、すぐには動かなかったな」
「ええ、望美さん達が去るのに合わせて、遠ざかっていきましたね。
少し手強いと・・・覚悟しておいた方がいいでしょう」

景時は黙したまま。そこには笑顔の欠片もない。
「何が起きているのか、話してもらおうか」
リズと弁慶は、景時と相対した。
「・・・・・・」
「我らを鞍馬から京邸に呼びよせた。お前の真意はどこにある」
「この不穏な動き、鎌倉とは無関係ではないはず」

「・・・・オレは・・・何よりもまず、頼朝様の家臣だ」
景時は声を落として語り始めた。
聞いている者はいない、と分かってはいても、自然、三人の話し声は低くなる。
「梶原党の棟梁として、彼らに対しての責任もある。
君達のように自由に話すことも、動くこともできない。
だが・・・オレは、朔の兄で・・・そして・・・戦場では君達の仲間だった。
だから、みんなの無事を・・・願っている」

「戦を終わらせてなお、鎌倉に、我らを狙う理由があるというのか」
「鎌倉殿は平家との戦の最中にも、着実に権力の地盤を固めてきましたね。
だとすれば、今望む物があるなら・・・」
「力の均衡を・・・崩そうとしているか・・・。だが、我らは権力とは無縁の存在」
「頼朝様のお心を推し量ることはできない。
けど、オレも含めたみんなが見張られているのは事実だ。
この先、何があるかもわからない。だから、お互いなるべく近くにいた方がいいと思う。
オレに言えるのは・・・ここまでだ」

「先日ここを訪ねた時には、尾行者も、京の街に見張りの姿もなかった。
そして弁慶は先程、『このところ』と言っていたな・・・」
「リズ先生と望美ちゃんを、朔と一緒にって考えた時には、まだこんなに急な動きはなかった。
何事もなく春まで楽しく過ごせると、思ってたんだけど・・・。
リズ先生達を騙して呼び寄せたわけじゃない。これだけは、信じて下さい」
「うむ。だが、結果的にはよかったわけだな」
「なるべく単独での行動は控えた方がいいということですね。
たとえ見張られているとわかっていても・・・」

「となると、嵐山の・・・」
「譲くんが心配だ」
「今は、星の一族の邸に身を寄せているんでしたね」
「ああ。この世界の行く末を、その目で見届けたい・・・と」
「たぶん、彼にも見張りがついていると考えていいでしょう」
「神子が譲に会いたがっていた。すぐにでも行きたがるかもしれぬ」
「なるべく早く、みんなで行けるように手配するよ」
「景時はあまり自分で動かぬ方がよいのではないか」
「自分から怪しまれるようなことはしない方が身のためですよ。ただ・・・」
「ただ・・・?」

「事は僕たちが思っている以上に進んでいるのかもしれない」
「どういう・・・ことなんだい?」
「時期的に、重なるんですよ。ちょうど、僕の周りや京の街に見張りが立った頃・・・」
「何があった?」

「九郎の消息が・・・、途絶えました」



第2章 遠雷

(2)譲の行方 (3)嵐山 (4)景時の書状 (5)刺客

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