果て遠き道

第2章 遠雷

4 景時の書状



リズ達が戻ってみると、櫛笥小路の梶原邸は、固く門を閉ざし、門番の姿もなかった。
しかし中からは、慌ただしげな様子が伝わってくる。

「どうしたんでしょう、お邸で何か?」
供の郎党が大声で呼ばわった。
「神子様が嵐山よりお戻りだ!疾く門を開けられよ!!」
すると、
「おおっ!白龍の神子様が!」
「今開けるぞ!!」
すぐに中から答えが返ってきた。

「どうしたんですか?」
望美が問うと、皆が口々に答える。
「神子様!怨霊が・・・・怨霊が現れたのです!」
「我らの剣では倒せず、今、朔様が・・・・」

「何っ!朔様がっ?!」
供の郎党の一人が馬から飛び降りるなり、邸に駆け入った。
後に続いて奥の庭に行くと、朔が震えながら、両脇を支えられて立っていた。

「朔様!おけがは?!」
「朔!大丈夫?」

「ああ、あなたたち、帰ってきたのね」
朔はかすかに微笑んでみせた。
「朔、怨霊が出たって・・・・?」
「ええ。驚いたわ。なぜ今になってまた・・・・」
「朔、怨霊は?」
「やっと・・・・鎮めたわ・・・・。もう、だめかと思ったのだけれど、一所懸命呼びかけたら、
現れた時と同じように、地中に戻っていったの。でも、封印したわけではないから・・・・。
望美、あなたが帰ってきてくれて心強いわ」
「・・・・・・朔・・・・私は」

「神子、朔は疲れているようだ。まずは休む方がよいのではないか?」
「あ・・・そ、そうですね。ごめんね朔。大変だったのにいろいろ聞いちゃって」
「いいえ、いいのよ。気にしないで、望美」
「よかったら私、そばにいるけど・・・」
「ありがとう。うれしいわ。あなたがいるなら、私、もう大丈夫よ」

しかし、言葉とは裏腹に朔の顔はひどく青ざめている。
「お医者さんに診てもらった方がいいかも」
「そんなに大げさにしなくても大丈夫よ」
「弁慶さんに来てもらったらどうかな」
「忙しいのに悪いわ。昨日来てくれたばかりなのに・・・・」
「一応、使いを出してはどうか?怨霊が出たことだけでも知らせておいた方がよい」
「そうね。弁慶殿にも気をつけるよう、伝えましょう」
「弁慶さん、きっと心配してすぐに来てくれるよ」

望美と朔は部屋に入った。
武士達は三々五々、自分たちの持ち場に戻っていく。

二人になると、朔はその場にくずれるように座り込んだ。
「だ、大丈夫?!」
「ええ。私ったら、だらしがないわね。張りつめていた糸が切れてしまったみたい。
それより・・・・・」
朔の顔が曇る。

「何か、気になることがあるの?」
「ええ。さっきの怨霊なのだけれど、何かを・・・いえ、誰かを探して、呼んでいたようなの」
「朔は怨霊の声が聞こえるんだものね。で、怨霊は何て言っていたの?」
朔は懸命に思い出そうとしたが、ふっと息を吐いて首を振った。
「それが・・・・、はっきりとした言葉ではなくて。ごめんなさい。だめね、私・・・・」

「そんな・・・・、朔は立派だよ。それに比べて私は・・・・」
望美の脳裏に、嵐山で遭遇した怨霊武者の虚ろな眼窩が焼き付いて離れない。
「望美?あなたこそ、どうしたの?何だかいつものあなたらしくないわ。
譲殿の手がかりは何かあったの?それとも・・・・」

リズは邸の中を見回り、最後に、怨霊が現れたという奥の庭に入った。
今朝、望美と稽古をしたばかりの場所。
すでに夕暮れ時の薄闇が迫りつつある。
そこにはじっと庭先の一点を見据えている、若い武士の姿があった。

リズから声をかける。
「嵐山では助かった。礼を言う」
「あ、これは・・・、リズ先生。あれは、その、たいしたことでは」
そう言って振り返ったのは、嵐山で検非違使の鼻をあかした郎党だった。
朔を案じて、真っ先に邸に飛び込んだ者でもある。

「まだ名を聞いていなかったな」
「河原三郎信直と申します」
「朝方、神子と私の稽古を見てはいなかったか?」
「はい!あの時は素晴らしい打ち合いに感服いたしました!
是非一度、手合わせをお願いできればと」
「今朝も同じ事を言っていたな」
「はっ!覚えておいでとは・・・」
「では、相手になろう」
「おお!誠にございますか?」
「うむ」
「いつ、お願いできますでしょうか?」
「このような時、武士のならいはいかにあるのか?」
「・・・・・いざ鎌倉のお召しあらば、いかなる時でも出陣するのが武士にございます。
まして、このように非常の事が起きたとあらば・・・」
「先の無い身・・・・と申すのだな」
「はっ!しからば」
「今か!」

すうっと、気が収斂する。
二人は同時に剣をかまえた。
リズの鬼の剣に対し、剣術の手本そのままの信直。
変幻自在に移動するリズを相手に、信直は重心を低く保ちながら動く。
対照的な二つの剣が撃ち合わさり、火花を散らす。

両者譲らず、限りなく打ち合いが続くかに思えた時、
邸の門前に馬の嘶きが聞こえ、二人の打ち合いは終わった。



「そう・・・・・ならば、あのお嬢さんをあなたにあげる、というのはどうかしら?」
「・・・・!!!」
「ずっと慕っていたのでしょう?あなたを置いて鬼のもとに走ったひどい子を、
あなたはまだ想っているのね」
「卑怯・・・・・者」
「くすくすくす・・・。あなたのそんな一途なところ、嫌いではないわ」
「先輩をどうするつもりだ?!」
「さあ?あなた次第よ、天の白虎」
「オレのことはいい!!あの人には手を出すな!!!」

「では、これ以上抵抗するのはおやめなさい」
女の両眼が禍々しい光を放った。
「あなたの記憶を・・・・見せてもらうわ」

「ぐわっ!!!」
脳髄を鷲掴みされたような衝撃。
「宝玉の記憶は・・・どこ?」
女の声が頭の中から響く。
「さあ、宝玉を思いなさい」
「くっ・・・・」
声のままに、宝玉を思い浮かべてしまう。
「そう、いい子ね。その宝玉を隠した時まで、記憶を遡るのよ・・・」
「う・・・・ぐ・・・・」
思い出してはだめだ!考えてはだめだ!
そう念じるほどに、意識は龍の宝玉に焦点を合わせる。
「さあ、宝玉はどこ?」
「そ・・・・れは・・・・」
「それは?」

望美の笑顔がよぎる。幼い頃からの思い出が次々に現れては消える。
「先輩・・・・・」
「余計なことを思い出すのね。でも、足掻いても無駄よ」
光が強まる。
このままでは・・・・!!

「大化!白雉!朱鳥!大宝!」
譲は大声で言い始めた。
「何を・・・言っているの・・・・」

譲はなおも続ける。
「慶雲!和銅!霊亀!養老!神亀!天平!!」
以前、たわむれに暗記した年号。それを思い出すことに集中する。
少なくともその間は得体の知れない攻撃から、
記憶を守ることができる。

バチッ!!
電撃のようなショックが身体を襲う。
地面にたたきつけられた。
「生意気なことを・・・・」
女の語気が強くなる。

「仁平・・・久寿・・・・・保元・・平治・・・・」
ああ、源平の戦いが始まる頃だ。
再び雷撃。

冷たい土の上に倒れているはずなのに・・・・
何の感覚もない。
・・・・なんだよ、これって。
オレ、まだ生きてるんだろ。なのに・・・。

「養和・・・寿永・・・元暦・・・・・文治・・・・」
オレ達の世界では、ちょうどこの時代なんだよな、この世界。
・・・・この先に・・・何が、あるって・・・いうん・・・・だ?



六条堀川から戻った景時の家人は、一通の書状を携えていた。
それによれば、景時は既に・・・・・。

「ええっ?兄上が・・・・?」
「はっ!景時様は、西国に向けてご出立なさいました」
「鎌倉ではないの?」
「謀反人九郎義経の追討の命を受けましてございます」
「そんな・・・・・」
「急なご出立ゆえ、朔殿に留守居の件言い置くことができず、
代わりに書状をしたためし由、ここにお預かりして参りました」

景時からの書状。
それを囲んで、望美、リズ、朔、急遽やって来た弁慶。
昨日の今頃は再会を祝す楽しい宴の時間を過ごしていた。
それがたった一日のことなのに、とても遠い昔のように思える。

「では、読むわね」
朔が言った。
書状を開く。

そこには・・・・・・

「急に出掛けることになっちゃったけど、心配しなくていいからね。

幾つかお願いがあるんだ。
一つ目は、鎌倉に一緒に行くはずだった者達は、急いでオレに合流してほしいってことだよ。
政子様から手勢をお借りしちゃっててね。申し訳ないから早く来てもらいたいな。

二つ目は、オレが留守の間も洗濯がんばってね〜。って冗談じゃないんだからね、朔。
干す時に庭の花は踏まないように気をつけること。
春には戻れるといいなって思ってるから、
その時にはきれいに咲いた庭の花を見せてほしいな。

三つ目は、困った時には望美ちゃんやリズ先生、弁慶の力を借りること。
頑張りすぎてはだめだよ。

急いで書いたから、あちこち間違ってるけど気にしないでね〜。
じゃあ、みんなによろしく♪」

というようなことが書かれていた。

「兄上・・・・。たったこれだけ?ひどいわ・・・・」
「九郎さんのこと、何も書いてないね・・・・」
「これだけでは、なぜ九郎殿が謀反の疑いをかけられたのかわからないわ」
「仮にも、九郎は追捕の命を受けた者。うかつにその名は書けないと思いますよ」
「この書状は、既に読まれていると思った方がよい」

「景時さんが、九郎さんを捕らえる役目だなんて・・・・」
「景時のことですから、きっと徹底的にやることでしょうね」
「そうだな。景時の組織する情報網は有効に働く」
「そんな・・・・。先生も弁慶さんも、九郎さんのことが心配じゃないんですか?!」

「九郎はきっと大丈夫だ。信じていなさい、神子」
「だって、先生・・・・。今、二人とも、景時さんがすぐにも九郎さんを捕まえてしまうような
話をしていたじゃないですか!」
「九郎は死中にあって、活を求めることのできる者だ。たやすく捕らえられたりはしない」
「そうですよ、望美さん。ぼくも九郎を信じているから、こうしてまだのんびりと
五条で薬師などやっていられるんです」
「先生も弁慶さんも・・・・」

「戦場での九郎の臨機応変の用兵ぶり、さんざん見てきたのではありませんか?」
「それは・・・そうですけど」
「あれは昔から変わらない。天性のものと言ってもよいだろう」
「昔からって・・・?」
「ふふふ、リズ先生もお人が悪いですね。今その話を持ち出しますか?」
「弁慶、照れているのか?らしくもないぞ」
「二人だけでわかってるなんて、ズルいです。ちゃんと話して下さい」

「いえ、たいしたことじゃないんですよ。リズ先生が言っているのは、昔、九郎とぼくが、
それぞれ仲間を引き連れて合戦のまねごとをやっていた頃のことなんです」
「どちらも見事な采配だった」
「先生は、ご覧になっていたんですか?」
「私は九郎の師匠だ。剣だけでなく兵法も講じていた」
「九郎には素晴らしい師匠がついていたんですから、ぼくは不利でしたよ」
「いや、相手の裏の裏をかく弁慶の戦法には、いつも九郎は追いつめられていた」
「でも、九郎は時に思いもかけないやり方で、形勢を逆転するんです」
「兵法書を学ぶだけでは得られない、実戦の何たるかを、九郎は身につけていた」

「望美、九郎殿はきっと無事よ。信じていましょう」
「そうだね、朔。ここで心配だけしていても何もならないし」
「それでこそ、いつものあなただわ」
「では、これからどうしますか、望美さん」
「まず譲くんの行方を捜すことから始めたらどうかと思うんだけど」
「そうだな」
「ぼくも、お手伝いしますよ。でも、その前に・・・・」
「・・・・?」

「まずはゆっくり休んで下さい。薬湯を煎じてきますから、それを飲んで
今日は早く寝た方がよいでしょう。明日も無理は禁物です」
「そうだね、私がついているから、安心して休むといいよ、朔」
「そういうあなたもね、望美」
「その通りですよ、望美さん。君の分の薬湯も持ってきますからね」
「え?あれって苦いから・・・・」
「神子。薬師の言うことはきくものだ」
「はい・・・」
「では、少し待っていて下さいね」

リズと弁慶は部屋を出た。

「少しは神子達も気が紛れたか・・・」
「リズ先生も人が悪いですね。そのためとはいえ、いきなり可愛いお嬢さん達の前で、
ぼくと九郎の昔話を披露するなんて」
「あれは若気の至り。今の自分はもう違う・・・・とでも言いたいか?」
「ふふふっ、あなたはやっぱり人が悪い。
けれど、それはともかくとして、景時の書状ですが」
「監視の目の中で、よくあれだけのものを書いたものだ」
「わざとらしい間違いが多すぎますが、景時のことですから『ああ〜っ、間違えちゃった!
書き直す時間もないし困ったな〜』とか言って使者に渡したんでしょうね」

「読み取ったか?」
「ええ。でも、まだ動かない方がいいでしょうね」
「私もそう思う。だが一つ、確かめておきたいことがある」
「リズ先生のなさろうとしていること、危険・・・過ぎるのではありませんか?」
「だが、急を要する」
「けれど・・・・」
「軍師としての弁慶なら、どう考える?」
「・・・・・適任なのは、あなたです。たとえ何千の手勢を持っていたとしても」
「では、神子達を頼む」

リズの姿は、宵闇の中に消えた。



第2章 遠雷

(1)暗雲 (2)譲の行方 (3)嵐山 (5)刺客

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