果て遠き道

第2章 遠雷

2 譲の行方



「先輩!・・・逃げて・・・下さい!」

望美は驚いて目覚めた。
譲の声が聞こえたような気がした。苦しげな声。
夢?

朔とおしゃべりしながら、いつの間にか眠ってしまっていた。
ぶるっと身震いする。
外は暁。
鞍馬に比べればまだ暖かいとはいえ、火の気のない部屋は底冷えがして寒い。

身支度をして土間に行くと、朔が竈に火を熾していた。
「おはよう、朔」
「おはよう。ずいぶん早いのね。疲れているのでしょう。もう少し寝ていてはどう?」
「ありがとう。でも、稽古もあるし、お料理も教えてもらいたいし・・・」
「ふふっ、忙しいのね。では、お料理の話はもう少し後にした方がよいかしら。
先にお稽古をしてくるといいわ。リズ先生に約束していたのでしょう?」
「うん、じゃあそうするね。でも朔は、毎日食事の支度をしているの?」
「そういうわけではないわ。ただ、できる時にはお手伝いしないと、私・・・」

朔は次の言葉を飲み込んだ。望美に話せば詮の無い愚痴になりそうだったから。
自分の思い、自分の立場、自分の成すべき事、繰り返し問うてもまだ答えの出ない諸々の事・・・。

「・・・朔・・・えっと・・・」
「ああ、ごめんなさいね。何でもないのよ。だから気にしないで」
「・・・ここにいる間、一緒に手伝わせてくれるかな。私、いろいろ覚えたいんだ」
「ありがとう。じゃあ、頼りにしているわね、望美」
朔は微笑んだ。望美の明るさに、心がなごむのを感じる。

望美は庭に出た。夢のことが頭から離れない。
朝日のまぶしさに、一瞬、目を閉じた。
再び目を開くと、昇り始めた太陽を背に、リズが静かに佇んでいるのがわかった。

「も、申し訳ありません!先生を待たせるなんて・・・」
「朔に教えを乞うていたのではなかったか?それはもうよいのか?」
「あ、先生ご存知だったんですか?お料理のこと」
「うむ」
「後で朔と相談することにしました。今は・・・」
「始めるか」
「お願いします!」

「はぁぁっ!!」
望美が打ち込んでくる。
「・・・・・・」
「とおっ!!!」
間合いの取り方も踏み込みも、流れるような剣さばきも、いつものまま。

しかし・・・

「うっ・・・」
リズの一瞬の切り返しに、カラン、と音を立てて望美の木刀が手から落ちた。

「何を迷っている」
リズの声は厳しい。
「・・・!」
望美の腕が、じん、と付け根まで痺れている。
「私の言っていることの意味が、分かるか」
「はい。すみませんでした」
「なれば・・・」

その時、がやがやと人の声がした。
「おおっ、やはり!」
「源氏の神子様だ」
「なんとお美しい剣の使い手だろうか」
「こちらは景時様の先生の・・・」
「さすがに伝説と言われるだけのお方だ」
梶原党の武士達だった。
「な、なんか、私たちの稽古、見られてました?」
「そのようだな」

リズはゆっくりと前に進み出た。それまで騒いでいた武士達が沈黙する。
「早朝から皆を起こしてしまったようだな。すまなかった。
初めて対面する者もいると思うが、私はリズヴァーンという。
景時殿とのご縁で、こちらには春までやっかいになることとなった。よろしく頼む」
リズは静かに頭を下げた。
促されて、望美も挨拶する。
「春日望美です。朝から大声を出して申し訳ありませんでした。
これから気をつけますので、以後よろしくお願いします」
なんとも芸のない自己紹介だと思いながら、望美はぺこんとお辞儀をした。

すると、
「こちらこそ、よろしくお願い申す」
「俺は神子様達と一緒に戦ったんですよ。そんな他人行儀な」
「えー、拙者は以前よりこの邸に仕えている者で・・・。」
「変わった剣さばきですね。一度手合わせ願えませんか?」
みんなから同時に挨拶が返ってきた。
聞き取れない。

でも、なんとなく嬉しくなって、望美はリズを見上げた。
「顔なじみの人もいるし、みんないい人でよかったですね」
「ああ。そうだな」
リズも微笑んでいる。
だが・・・その眼が笑っていないのを、望美は見て取った。

「と、いうわけで、オレのいない間もみんな仲良くね〜♪」
いつの間にか、景時も来ている。
「リズ先生、望美ちゃん、朝餉の支度ができたみたいだよ」

朝食を食べながら、望美は尋ねた。
「あの、弁慶さんは?」
「ああ、今朝まだ暗いうちに帰ったよ。望美ちゃんによろしくってさ」
「弁慶さん、忙しいんですね。会いに行こうと思ってるんだけど、迷惑かな?」
「そんなことないんじゃない?望美ちゃんと先生なら、いつだって大歓迎に決まってるって♪」
リズは黙ってやりとりを聞いている。
「じゃあ・・・、その・・・今日は嵐山に行ってもいいですか?」
「・・・そ、そうだね。譲くんにも、会いたいよね」
「・・・」
リズは答えなかった。いつもの沈黙?
それとも、何か知っている?!
譲くんのことで?

今朝の夢。
あれは、ただの夢ではないのでは?

望美の胸に不安が黒雲のように広がる。
この世界では、夢に出てきた者の方が、夢を見た者のことを思っているという。
しかも、譲は夢に未来を予知する能力の持ち主。

「私、どうしても行きます!譲くんに何か起きてるかもしれない!!」
望美は顔を上げて叫んだ。
「望美?」
「望美ちゃん・・・」
「神子の剣の迷い・・・そのことだったか」
「・・・はい。先程はすみませんでした。でも、譲くんのことが気にかかるんです」
剣は真っ正直なもの。リズには、お見通しだったのだ。
「先生・・・、私と一緒に嵐山に行って下さい」

一瞬の沈黙の後、リズは答えた。
「行かぬ方がいい。我ら、気づくのが遅・・・すぎた」

「先生!それって・・・どういう?!」
「なぜ、そう言えるんですか。確か、昨夜の話では・・・」

「!!昨夜って・・・私達が部屋を出てから何かあったんですか?」
「兄上!ひどいわ。私達に隠し事をするなんて。譲殿はかりにも・・・」
「分かってる!そんなことはオレだって!!・・・それより、リズ先生、あなたは何を?
・・・もしかして昨夜のうちに?」

「嵐山まで行ってきた」
「で、今朝にはもう戻っていたんですね」
「たいしたことではない・・・。そう、私の労など・・・そんなことより」
「譲くんは、無事なんですか?!先生!!」
「・・・すまぬ・・・神子。わからないのだ。星の一族の屋敷は焼け落ちて、もう跡形もない」
「先生が行った時には・・・もう?」
「煙が、まだくすぶっていた。昨夜早く動いていれば、あるいは・・・」
リズは苦しそうに言った。

「なぜ景時さんに知らせが来なかったんですか?」
「兄上は頼朝様の家臣ではあるけれど、京の職に就いてるわけではないから・・・」

・・・「先輩!・・・逃げて・・・下さい!」
望美の脳裏に、夢で聞いた譲の声が響く。
暁の頃に、その声で目覚めたのだった。

・・・暁の頃・・・?
「先生、嵐山に着いたのはまだ暗いうちですよね」
「そうだが・・・」
「夜が明ける前には、こちらに戻っていたんですね」
「その通りだ」

だとしたら・・・
「譲くんは、生きてるよ!!」
「本当?」
「望美、あなた、わかるの?」
「神子・・・」
「明け方、譲くんの声を聞いたの。私に、逃げろって言ってたの」

「ええっ?!」
「それじゃ、次はもしかすると」
「神子、お前が危ない」

望美はきょとんとした。そんなことは、思ってもみなかったのだ。
譲が危ない目にあっているのではと、そのことばかりが気になっていた。

譲がもとの世界に帰らなかったのは、望美がこちらに残ったからだ。

「この世界は、俺たちの世界の歴史と似ているようでいて、
どんどん違いが大きくなってきているんです。
戦の勝者は源氏でしたが、この先どうなっていくのか・・・俺には皆目見当もつきません。
だからこの目で確かめたいんです。この世界の行く末を」
「でも、将臣くんもこっちにいるんだよ。譲くんまで帰らなかったら・・・」

「祖母のことも・・・ありますから」
「あ、スミレおばあさんの・・・」
「ええ、嵐山の藤原家に世話になることにしました。星の一族についても、もう少し調べてみたいんです」
「そうか、譲くんはもう、決めたんだね・・・」

「・・・先輩、もとの世界の料理が食べたくなったら、いつでも来て下さい。
あの・・・もちろん、リズ先生も一緒に」
「うん、ありがとう。もとの世界のことを知ってる人が京にいるって、何だか心強いよ」
「先輩にそう思ってもらえるんだったら・・・俺、うれしいです」

伏し目がちに、時折目をそらせながら話す譲の気持ちを察することは容易だった。
どちらかといえば、鈍感の部類に入る望美だったが、幾度となく死線をくぐり抜け、
自分の想いを貫き、愛する人と心を通わせて生きることを知った今では、
譲の気持ちが痛いくらいにわかる。

「幼馴染みの譲くん」として「星の一族」として、譲はこの世界に残ると決めたのだ。
それだけを、望美との絆のよすがとして・・・。

そしてそのために、譲は危機に瀕している。

「私は、大丈夫。やっぱり嵐山まで行こうよ。何か手がかりがつかめるかもしれない」
「だめだ、神子」
「行っちゃいけないよ、望美ちゃん」
「どうして?!先生も景時さんもおかしいよ!二人とも!」

「待って、望美」
朔が穏やかな声で割って入った。
「朔までっ?!」
「兄上達が昨夜何を話していたのか、私達はまだ知らないわ。その話があったから、
リズ先生は嵐山まで行ったのでしょう?
まずは兄上に、全部話してもらった方がよいと思うのだけれど」

「そうか!その通りだね。私ったら、何だか焦っちゃって、肝心なこと、忘れてたよ」
「では、兄上」
「え、えぇ〜っ、オレ?う〜ん、困っちゃったなあ。どうしたもんかなあ・・・」
「ごまかさないで下さい、兄上。こんな時なんですよ!」

「う〜ん、できればもっと見えてきてからの方がいいかなあ〜って思ってたんだけど」
「仕方あるまい。すでに危機は存在している。神子にも朔にも、油断があってはならない」
「・・・そうですね。じゃあ、いいかい?オレの話、最後まで落ち着いて聞いてくれるかな?」
「はい、兄上」
「お願いします」

その頃、櫛笥小路を目指して早馬が京の街を駆けていた。

「ええっ?!」
「そんな・・・九郎さんまで?」

せわしない足音が近づき、部屋の外で止まった。
「お話の所、失礼つかまつります!早馬の使者にございます」
「うん、何?」
「景時様、すぐに出仕せよとの御下命です」
「・・・ここで詳しく言って構わないよ」
「謀反人、九郎義経の六条堀川の屋敷にて、
頼朝様の御名代、政子様がお待ちでございます。
お急ぎ下さいませ!」



第2章 遠雷

(1)暗雲 (3)嵐山 (4)景時の書状 (5)刺客

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