果て遠き道

第2章 遠雷

3 嵐 山



京の街に穏やかな日射しが降り注ぐ。
常ならば、美しく、静かな一日になるはずだった。

しかし今、街を抜け、嵐山に来た望美とリズの眼前には、無惨な焼け跡が広がる。
つい昨日まで、そこには星の一族の住む館があった。
譲が暮らしていた。

かつての権勢が衰えたとはいえ、貴族の末席に連なる家柄の屋敷。
それが今では元の形を微塵も留めることなく、黒く焦げた柱が倒れ、所々に煙がくすぶるのみ。

屋敷の前には野次馬がたむろしていた。
だが彼らはリズの姿を見るとあわてて屋敷から離れ、望美達を遠巻きにする。

「譲くん・・・・」
リズから聞いて覚悟していたとはいえ、この惨状を目の当たりにした 望美の衝撃は大きい。
ふらふらと、焼け跡に向かって足を踏み出す。

「神子!」
リズがそれを押しとどめる。
「先生・・・・・離して下さい。何か手がかりを・・・・。そのために来たんです!」
望美はリズの手を振りほどこうと、もがいた。
その視線は、焼け跡をあてどなくさまよっっている。

リズの手に、瞬間、力がこもる。
「落ち着きなさい!神子」
「あ・・・・・」
「どうしたのだ、神子。自分を見失っては、欲するものは得られぬ」
リズの言葉に、望美は我に返った。
どうしたというのだろう。
焼け跡を眼にしたとたん、何かにとりつかれたように我を忘れてしまっていた。

「すみません先生。もう、大丈夫です」
「・・・・・ならば、よいが・・・。炎は見えずとも、まだ熾火となって残っている。
足場も脆い。迂闊に踏み入れば無事ではすまぬと心得なさい」
「はい」

「私共が調べて参りましょう」
供についてきた梶原家の若い郎党達が申し出た。

朔やリズの反対を押し切って嵐山に行こうとする望美に、とうとう二人は折れた。
だが、九郎にかけられた謀反の嫌疑も捨て置けない。
朔は留守居として邸に残ることにして、その代わりに彼らを供につけてくれたのだった。
源氏の神子と伝説の剣の使い手。同道を命じられた若い郎等達は張り切っていた。

しかし、彼らの申し出をリズは穏やかに辞した。
「いや、それには及ばぬ。何を調べればよいのか、お前達にはわかるか?」
「え、えーっと・・・。焼け残っている物があれば、そういう物かな・・・と思いますが」
若い男達はお互いに顔を見合わせ、頭をかいた。

「この近くで馬を休ませておいてくれますか?私達だけで大丈夫ですから」
望美の言葉に、皆はかしこまった。
「はっ!馬は必ずや、休ませておきます!」
「何かありましたら、すぐに我らをお呼び下さいませ!」

焼け跡を調べながら、リズと望美は敷地の中を奥へと進んだ。
屋敷に仕える者達の住居、中庭。
そして譲がいたかもしれない母屋、廊下で結ばれた別棟。

「何も見つかりませんね」
「うむ、妙だ。しかし、幸いなことでもある」
「先生・・・・こんな時にそんな・・・」
リズは別棟の跡を調べながら答えた。
「今まで見てきた限り誰一人、火事の犠牲になった者はいない。これは幸いといえよう」
「あっ、そうですね!」
「お前に惨状を見せるわけにはいかぬと思い、先に立って歩いたが、杞憂に終わったようだな」

「じゃあ、譲くんは」
「無事、逃げおおせたのなら、よいが・・・・・」
「先生、それはどういうことですか?」
「気になるのだ。なぜ譲は姿を現さない?
炎上する屋敷から逃がれたのなら、我らを頼ってもよいはず」
「先生が、妙だと思われているのはそのことですか?」
「それもある」
「譲くんとお屋敷の人達・・・・・もしかすると、藤原家の親戚の家に?」
「そうだな。まずそこから調べてみよう・・・」
「景時さんが帰ってきたら相談してみませんか?」
「神子の望む通りに」

リズは再び母屋に戻った。
「先生、何を探しているんですか?」
「それは・・・・・」

すうっ、と寒い風が吹き抜けた。
太陽が雲間に隠れる。

「きゃあっ!!」
突然、望美の足元の地面が割れ、黒くひび割れた手が突き出た。
望美の足を掴む。
「神子!!」
刹那、望美を抱えてリズが飛ぶ。

地面から這い出てきたのは怨霊武者。
土塊をぼとぼとと落としながら、望美達に向かってくる。

なぜ・・・また怨霊が・・・・?
しかし、今は問うている時ではない。
望美は剣を抜いた。

「闘いを選ぶのだな、神子」
「はい!先生」

白刃がきらめく。
リズと望美の剣の前に、怨霊武者は倒れ伏した。
だがこのままでは、すぐにまた蘇る。
封印を・・・・・。

「えっ?」
「どうした?神子」

もう一度・・・。

「でき・・・ない」
「封印が、できないというのか?」

もう一度!
もう一度!!

怨霊武者が起きあがった。
虚ろな眼窩が、望美を見る。
それは光を宿さぬ暗い穴・・・・吸い込まれる・・・・!!

「いやああああっ!!」
「神子!!」

リズの剣が怨霊武者を真っ二つに切り裂く。
怨霊武者はどろどろと崩れながら、土塊と混ざり、地中に吸い込まれるようにして消えた。

「もう大丈夫だ、神子」
気がつくと、リズに強くしがみついていた。
頭を優しく撫でてくれているのは、リズの手。
「先生・・・・」
望美の声がかすれる。
「大丈夫だ、神子」
「私・・・・」
リズの腕の力が、苦しいほどに強くなる。
それが今の望美にはうれしい。
離さないでほしい。
「もう・・・、白龍の神子じゃないから?」

その時、馬の蹄の音が近づいてきた。
少なからぬ人数。
屋敷の前で止まると、何やら話す声が聞こえてくる。

「誰か来たようだな」
リズは、まだ少し震えている望美を連れて、来た道を引き返した。

門の前には、数名の武士と、明らかに役人とわかる装束の男。
その男がリズに向かって、止まるよう、手で制した。
「・・・・・先生?」
「我らに用があるらしい」

「火付けは、うぬの仕業か、鬼」
「火付けだったのか?」
「聞いておるのだ。答えろ!」
「名乗りもせずに詰問とは、それが検非違使殿の流儀か?」

「何っ!」
「分をわきまえろ!」
「鬼の分際で、過ぎた口をきくな!」
武士達は口々に叫んで、刀に手をかけた。

「あんた達こそ失礼でしょっ!!!」
さっきの衝撃で茫然自失の望美を、怒りが立ち直らせた。
「ここに住んでいた譲くんが心配で見に来たのに、
いきなり 理由も聞かずに犯人呼ばわりって、どういうことっ?!」
「神子・・・」

「生意気な小娘だ。鬼をかばいだてするなど」

その時、
「畏れながら申し上げます!!」

わらわらと、景時の郎等達が駆け戻ってきた。
「我ら、梶原景時様にお仕えする者にございます!こちらの方々は梶原様のお客人にて・・・」
「何?梶原殿の?!」
検非違使の男は少なからず動揺する。
京においても鎌倉幕府の力は大きい。ましてや梶原景時の名は、此度の平氏との
戦であげた数々の勲功により、知らぬ者とてない。

郎党の一人が続ける。
「それがしは、この方々のお世話を承っている者です。
火事の起きたのは昨晩と聞き及びましたが、お二方ともその頃は梶原様と宴の席を
囲まれておりましたこと、誓って相違ありません」

「むう・・・・。しかし、その者は鬼。梶原殿がそのような者を邸に入れるとは信じがたい」
むかっむかっ・・・・・。
望美の様子を見て取ったリズが、そっと押し留める。
事を荒立ててはいけない。
望美にもわかってはいるが、リズに対してあまりの言いようではないか!
しかし源氏の神子や八葉のことは、知らぬ者にやたらと言うべき事ではない。
この場をどうやって切り抜ければ・・・・・?

「えー・・・・、この方は、梶原様のお師匠でございますので・・・・釣りの」
先程の郎党がぬけぬけと答えた。

「へ・・・・・?」
検非違使の男は、いきなり毒気を抜かれて次の言葉を失った。

すかさず、リズが言う。
「というわけだ。失礼する」
「失礼つかまつります!」

唖然とする男達を尻目に、さっさと出立する。長居は無用だ。

「うまく言い抜けたものだ」
「さすがよの」
「いや、咄嗟に口に出ただけのことだ」
「検非違使達の間抜け面、見物だったぞ」
郎等達は愉快そうに話している。

しかし、
「何なのよっ、威張っちゃって、あいつ!!」
馬の背の上でも、望美の怒りはおさまらない。
「神子、気にするな」
「先生は、平気なんですか?」
望美は後ろで手綱を取るリズを振り仰いた。
「ああ、平気だ」
表情一つ変えず素っ気ないほどに簡単な答え。
先生は、本当に平気なの?小さい頃からああやって、酷い言葉を投げつけられてきたの?
リズの話を思い出し、望美の心は痛む。

しかしその時リズの心には、検非違使達との一件のことは欠片ほどもなかった。
代わりにあるのは、晴れた日の遠い雷鳴のような、心を騒がせる不安。

嵐の予兆を孕み、事は動き出した。
尾行、監視、九郎と譲の失踪、九郎への謀反の嫌疑、星の一族の館の炎上、
これらがお互い無関係に生じたこととは考えにくい。
いや、全てが繋がっていると考える方が無理がない。
これらを繋ぐ糸はまだ目に見えない。
だがあちらで少し、こちらで少しと凶事が積み重なっていき、いつしか・・・・。

その時、物思いに沈んでいたリズは、行き交う街の人々の様子がおかしいことに気づいた。
走っていく者、あちこちに身を寄せ合うように集まる者。
一様に不安げな表情だ。

郎党の一人が話を聞いてきた。

街の中に怨霊が現れた・・・・と。

「そんな・・・・」
最前の記憶がどっと押し寄せる。
望美の動揺を察したのか、馬が不安そうに身体を揺らす。
バランスを崩しそうになった望美を抱きとめながら、リズは人の走っていく先を見ていた。

「先生、押さえてくれて、ありがとうございます」
「・・・・・」
「先生?」

考え過ぎか・・・・あるいはただの偶然か・・・・それとも・・・・・。

「あの、先生?」
「ああ、すまぬ。少し考え事をしていた。何か?神子」
「先生は、あの焼け跡で何を探していたんですか?」
「あの場所で一番大切にされているものだ。あそこは星の一族の館・・・・」
「先生、焦らさないで教えて下さい」
「今は譲の元にある、と考えてよいのだろうか・・・」
「あ・・・!」
リズは望美に身体を寄せ、耳元で小さく言った。
「静かに、神子。それを言の葉に出してはならぬ」


暗闇の中に女の声が響く。
甘く優しげなその声に、残酷な毒を潜ませて。

「強情な子だこと」
「・・・・くっ・・・・・」
「早く楽におなりなさい」
「・・・・・・」
「まだ意地を張るつもりかしら?」
「い・や・だ・・・・・・・・」
「あなたの命を奪うのは簡単なこと。でも、あなたはまだ若いのですもの。
かわいそうで、私にはとてもできないわ。あなたにはこれから、
もっと役に立ってもらわなくてはならないし」
「俺は・・・・・お前の言うなりになんか・・・・くっ!!う、ああああっっ・・・!!」
「少し、痛い思いをした方がいいようね」
「・・・・・・・・」
「ねえ、恐いのでしょう?早くお言いなさい。
龍の宝玉をどこに隠したの?・・・・・天の白虎」



第2章 遠雷

(1)暗雲 (2)譲の行方 (4)景時の書状 (5)刺客

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