冷たい床に倒れ込むようにして横たわり、幼い少年は深い眠りに落ちていく。
目の前に美しく光る白い鱗。
「これは・・・何?」
「これはね・・・・」
つかの間の安らぎだった。
あの
たちこめる怨霊の障気さえ寄せ付けない、清浄な気を持つ
けれど
優しい微笑みにもう一度、包まれたくて、目を上げた瞬間・・・・・
あの
振り上げられた怨霊の剣から、あの
自分の剣すら抜けぬまま・・・。
「あぶない!!」
そう叫んだ時、思わず手に掴んだ鱗。
刹那、鱗は眩く白い光を放ち、世界は無と化した。
立ちこめる怨霊の邪気も、夜の森も、優しいあの
いや、全てから切り離されたのは自分。
何もない空間、光も音も熱も無く、上も下も無い空間。
果てしなく落ちていくのか、流されていくのか・・・・・分からない・・・・・
ただ、焼け付く首の痛みだけが自分の存在の証。
「わあああーーーーっ!!!!
恐怖に捕らわれ、もがきながら叫んだ。
しかし、その声は虚空に吸い込まれるだけ。
どれだけの間、そうしていたのだろう。
叫び声も嗄れ果てふと気づいた時、彼は森の中で、夜露に濡れた草の上に倒れ臥していた。
冷んやりとした草の触感が心地よい。
ここは・・・? その瞬間、恐怖が蘇る。
しかし・・・・・かすかな希望と共に、夢を見ていたのか・・・・・と思った。
大人の目を盗んではよく里の外へ探検に出る。
疲れてそのまま寝入ってしまったのか、と。
動こうとしたとたん、首に燃えるような痛み。
手の中に、白い鱗。
夢ではなかった。
そしてここは、知らない場所。
本能的に分かってはいた。鬼の里とは、森の匂いが違う。木々も、草も違う。
月のない夜だ。
森は闇の中。
迂闊に動き回ることは危険だ。
近くの木の枝に上り、獣の襲撃を避けながら朝を待つべきか・・・・・。
その時、脳裏に蘇る恐怖の一瞬。
あの
ぼくをかばったばかりに、あんなに強いのに、後を取られて、
それでもぼくを守ろうとしてくれて・・・・・。
そのためにあの
じっとしているなんて、できなかった。
リズは走った。暗闇の森を、つまずきながら走った。
なんだか目の前がぼやけて、いつものように夜目がきかない。
リズは、自分が泣いていることに、初めて気づいた。
炎に包まれた里。怨霊の群れとの絶望的な戦い。次々と倒され、息絶える人達。
あんなに強かった父さんも・・・・・。最後の言葉を残して・・・・・・・。
「私が血路を開く。リズヴァーン、お前は逃げろ。逃げて、生き延びろ!
これが、父の・・・いや、鬼の棟梁の命令だ。
お前は生きて、未来に命をつなげ」
突然の別れ・・・信じられなかった。受け入れるなんてできない、と思った。
でも、父の言葉は拒絶を許さない。
わずかな隙をつき、逃げた。振り向いた時には、父の姿はもう、見えなかった。
「生き延びろ!」・・・父の言葉が心の中にこだまする。
泣きじゃくりながら、炎の中を駆けた。穢れた炎はリズにまとわりつき、息を奪った。
やっと炎を振り払った時には、首も頬も焼けただれていた。
熱さと痛みに耐えかね、動くことができなくなった。
そして・・・顔を上げた時には、怨霊に取り囲まれていた。
もう、逃げられない・・・・・そう思った時、光とともに怨霊が消えた。
あの
たった一人で。
どうしても倒せないはずの怨霊が、その
美しい浄化の光とともに。
ぼくはただ見つめていた。
その
ぼくを見て微笑んでくれた優しい笑顔に、息が詰まりそうだった。
どこから来たのかもわからない。名前も知らない。
ただ・・・・とても美しくて、強くて、優しい・・・・・不思議な・・・・・
もっと強ければ、一緒に戦えたのに。
ぼくをかばったりしなければ、
あの
助けなくては!!ここがどこかわからないけど、帰らなくては!!
・・・・・・・でも、どうやって?
草に足を取られた。足がもつれて、そのまま倒れてしまう。
常であれば転ぶことなどないリズだったが、
酷い火傷と疲労と夜の寒さが、彼の幼い身体から急速に体力を奪いつつあった。
一度倒れると、身体がいうことをきかない。起きようとしても、手足に力が入らないのだ。
「こんな所で・・・・倒れるなんて・・・」
木々の間から星空が見える。
「ぼくは・・・・どうしたらいいんだろう」
意識がすうっと遠のいていく。
その時、リズは自分を呼ぶ声を聞いた。
「誰?!」
姿は見えない。しかし、もう一度・・・・。
その「声」は、耳に聞こえてくるのではなかった。言葉ですらなかった。
けれど、リズにははっきりと、自分が呼ばれているのだと分かる。
「声」の呼ぶ方へと、這いながら進む。
着物は破れ、生い茂る草の葉で、手も顔も傷だらけになったが、気にしなかった。
急な斜面を登り切った時、目の前に小さな窪地が開けた。
小川が流れている。
むさぼるようにその水を飲んだ。着物の袖を破り、水に浸して火傷した首を冷やす。
冷たく、清らかな水だった。激痛が和らいでいく。
そして窪地の奥には一軒の小さな草庵。夜の闇の中で、淡く光を放っている。
「声」はその草庵を指し示していた。
リズは立ち上がり、よろけそうになりながら、一歩一歩草庵に向かった。
恐ろしくはなかった。むしろ、その小さな庵は親しみ・・・自分に近い何かを感じさせる。
リズが近づくと、草庵は光を増した。
引き戸に手を掛けると、なめらかにすっと開く。
暗いはずの部屋の中は、月明かりに照らされたように青い光に満たされている。
誰もいない。
黙って他人の家に入るのはいけないと思った。
けれど、この場所が自分を迎え入れてくれていることが、リズにははっきりと分かる。
もう体力も気力も限界だった。