果て遠き道

第1章・流離

5 京への雪道



「今度は怒っているのか?」
雪のまだ残る急な山道を下りながら、話を中断したリズヴァーンが声をかける。
「当たり前です!!!先生になんてことを!!!まだ小さいのに!!!絶っっ対!許せない!!」
リズの話を聞きながら、望美の怒りはどんどん増していく。

夜語りはもうするまい、とリズは決めていた。望美の動揺が大きすぎる。
だから、京邸へと行く道すがら話をしたなら、少しは望美の気も紛れるだろうと考えたのだが、
今度はリズの予想しなかった方へと、望美の心は走った。
自分には望美の感情の赴く先を推し量ることはできないようだ。
生き生きとした望美の心の有りようが、リズには眩しい。

が、そんな思いを抱きながらも、リズは、怒りにまかせて先へとずんずん進む望美から
目を離すことはなかった。
残雪の山道を行くには少々無謀な歩き方をしている。
と見る間に
「きゃっ!」
望美が足を滑らせた瞬間、リズはもう腕の中に望美を抱えていた。

「大丈夫か?!」
「は、はい・・・。ありがとうございました」
「溶けかかった雪は、夜の寒さで凍る。晴れているからといって油断してはいけない」
「すみません・・・私・・・」
「私のために神子は怒ってくれていたのだな。そのことを咎めはしない」
「でも、頭に血が上って足元がおろそかになってしまいました」
「分かっているならば、それでよい」
「はい・・・ 雪道で心を乱すなんて、修行が足りませんね、私・・・あっ!」
望美ははっとした。
「荷物が・・・・・」

リズが望美を支えるために手から放した荷物が、崖の中腹にひっかかっている。
「問題ない。すぐに取ってくる」
瞬間リズの姿はかき消え、すぐにまた荷物を手に現れた。
「ごめんなさい、先生。荷物、濡れちゃいましたね」
「かまわない。荷物などより、お前が無事でいる方が大事だ」

リズは荷に付いた雪を払うと、望美の手をとって歩き始める。
「あ、あの・・・」
「どうした?」
「もしかして、私がまた滑らないように手をつないでくれたんですか?」
「そうだが・・・、神子は・・・いやか?」
望美はにっこりした。
「いいえ、すごくうれしいです!!先生とこうして歩けるなんて!」
言うなり、望美はリズの腕に両手を絡め、はずんだ足取りで歩き出す。

望美のぬくもりが腕に伝わる。
望美に合わせて黙って歩きながら、リズは心の中で呟く。
・・・・・私も、うれしいのだ。お前とこうして歩けるのは。

相変わらず危なっかしい歩き方だ・・・望美に山側を歩かせておいてよかった・・・
どうやらご機嫌は直ったか・・・が、話の続きは後にした方がよいのかもしれぬ・・・、
そんな他愛もないことが頭の片隅をよぎる。

雪を踏み分けながら山を下りていく二人の、静かな時間。
山の陰から出ると、陽に照り映える雪がまぶしい。
木から飛び立つ鳥の羽音と同時に、雪の落ちる音が響く。
空は吸い込まれそうなほどに青い。
眼下に京の街が広がる。

一瞬、北山から初めて京の街を目にした時の記憶が重なる。眩暈にも似た思い。

その時、望美がおずおずと切り出した。
「あの、先生・・・、一つだけ聞いてもいいですか?」
「・・・・・望むままに」
はっとして我に返り、何事もなかったかのようにリズは答える。

最前のリズの話を聞きながら、望美にはどうしても腑に落ちないことがあったのだ。
「あんなに酷いことをされる前に、なぜ瞬間移動を使って逃げなかったんですか?」

当然の質問だった。
続きを話さねば、望美は納得しないだろう。後回しには・・・できそうにないか・・・。
望美の視線を受けて、リズは苦笑した。

「できなかったのだ」
「え?」
「私はまだ幼くて、瞬間移動を自在にできなかった。そういうことだ」
「瞬間移動も、こつが要る・・・ということですか?
だったら私も修行すればできるんでしょうか?」
「いや、瞬間移動は鬼の血を持つ者だけが為せる技。
こればかりは、神子が願っても叶うことはない。
しかし、鬼の一族の者とて、修練無くしてはこの技を使いこなすことはできない」

「じゃあ、あの時の先生は・・・」
「短い距離ならば飛ぶことはできた。だが、気を集中できない状態で、
逃げおおせるほどに遠くまで移動するのは、まだ無理だったのだ」
「先生・・・、私、心を乱したり足元をおろそかにしたりしませんから、
さっきのお話しの続きを聞かせて下さい」
「もうしばらく、少し辛い話になるかもしれぬが・・・?」
リズの腕を抱く望美の手に力が入った。
「大丈夫です!平常心・・・平常心・・・ですね」

ゆっくりと一呼吸して、リズは再び語り始めた。
「連れて行かれた先は、悪党達の隠れ家だった・・・・・」


閉じこめられていた木箱が開けられた。まぶしさに一瞬、目がくらむ。

「逃げようなんて、無駄なこと考えるなよ。俺達は街の奴らみたいに甘くねえからな」
逃げたら殺す・・・そういうことか。髭面の冷酷な目を見るまでもなく、リズには分かった。
そして、俺達・・・と言った。仲間がいる。血なまぐさいことも平気でやる、危険な人々が。
ぼくも・・・手段は選ばない。リズは心の中で決意した。

髭面はリズを軽々と抱え上げると、まるで荷を運ぶように肩に担いだ。
リズの視点が高くなり、辺りの様子がよく見える。
入り口の場所、板塀の高さ、破れ目はないか、
荷車や乱雑に積まれたがらくたの位置、小屋が二つ。
馬のいななきが聞こえる。裏手に繋がれているらしい。
これらを、運ばれながら頭にたたき込む。

影が長い。陽が傾きかけている。
男が一歩進むたびに、乾いた地面から、土埃が舞い上がる。
板戸を開けて入った小屋も、ほこり臭かった。

が、それ以上に酒の臭気が鼻をつく。男が2人、日中から酒を飲んでいる。
髭面を見ると、立ち上がって出迎えた。

「お帰りなせい、お頭」
「ん?そのガキはなんですかい?」
「今日は大収穫だ。ほらよ」
そう言うと髭面はくるりとリズの身体の向きを変えた。

「き・・・金色の髪・・・?!」
「ま、まさか、お頭、このガキは?」
「その、まさかだ。こいつは鬼だ」
「ひええっ!!こんな不吉なガキ連れてきて大丈夫なんで?」
「俺達、呪われるんじゃ・・・」
「何びびってんだよ、鬼といったって、まだこんな小さいんだ。何もできやしねーよ」
「さあ、どうだかな・・・」
言いながら髭面は部屋の奥にリズを下ろすと、男達を振り向いた。

「いいか、こいつから片時も目ぇ離すんじゃねーぞ。油断も隙も無いヤツだからな」
「どういうことですかぃ?やっぱり俺達に術を撃ってきたり・・・」
「こいつはな、街で人に見つかって袋だたきにあってたのよ。
抵抗もできずにやられてるフリしてたがな・・・おい、ボウズ」
床から見上げるリズの眼と髭面の視線がぶつかり合った。
「節々だけは痛めつけられないように、うまくかわしてやがっただろう?」

・・・・・この男、気付いていたのか。

「そんなことが、こんなガキにできるんで?」
「現にやってるんだぞ。だから街の奴らから、走って逃げおおせたんだ。
かわりに、俺には捕まったがな」
「さすがお頭!」
「で、このガキ、これからどうするんで?」

その時、がたがたと板戸が開いて、さらに男達が入ってきた。
急に小屋の中が騒がしくなる。
髭面に今日の首尾を報告する者、酒を飲む者、ごろりと寝ころぶ者。
さほど広いとはいえない小屋が、さらに息苦しいものになる。

その間、髭面に命じられた男2人は、黙ってリズを見張っている。
これでは下手な動きはできない。身体を休めながら機を窺うことにする。

ただでさえ、満身創痍のリズだ。加えて、手当の不十分な火傷のあとが痛み出している。
少し寒気を感じる。熱が出るのかもしれない。
身体を横たえていられるのが、かえってうれしいくらいだった。

夕餉の時間になった。
囲炉裏を囲み、酒をあおりながら、話題は自然に鬼のことになる。
リズの全く知らない話もあったが、まるっきりでたらめとわかるものもあった。

そんな中、誰かが言った。
「そういえば、あのガキを鎖かなんかで繋いでおかないとまずいんじゃねぇか?
鬼はパッと消えて逃げちまうって聞いたことがあるぞ」
「俺はそんなこと、初耳だ」
「いや、そんな噂、以前に聞いたぞ」
座が落ち着かなげにざわめいた。リズに視線が集中する。

「よく知ってんじゃねぇか、その通り、鬼の一族は瞬間移動って術を使う」
髭面が口を開いた。今度は全員の視線が髭面に集まる。

「俺のじいさんがその目で見たのさ。
目の前にいた鬼の女が、あっという間に遠くに行っちまったのをな」
男達の一人が聞いた。
「そのお人が例の、検非違使をしてたっていう、お頭のお祖父さんで・・・?」
「お前ぇも、つまんねえこと覚えてやがんな」
髭面は酒を一口飲み、話を続けた。

「別当殿のお言いつけで、院に取り入ってる白拍子を探ってた時のことよ」
「そいつぁ、すごい別嬪だったんでしょうなぁ・・・」
「いい役が回ってきたと、一時はじいさんも喜んだみてえだがな・・・」
髭面は瓶子ごと酒をあおった。
「鬼といってもしょせん女だ。それでちょっかい出そうとしたら、目の前から消えやがった。
おまけに術まで撃たれてひどいケガしてな」

囲炉裏の向こうに座る髭面は、リズにちらりと視線を走らせる。

「挙げ句の果てには、職を解かれた。鬼の女の一件の他にも、まあ、街の奴らにいろいろ
便宜図ってやってたのが、別当殿のお気に召さなかったらしくてな」
髭面は吐き捨てるように言った。
「青臭くて生意気な別当殿よ。自分は海賊とつるんでたってのによぉ」

座が静かになった。

「まあ、じいさんはお役目がら、鬼については街の奴らよりは知ってたからな、
俺も小っちぇえ頃から話だけは聞いてたさ」

髭面は立ち上がり、リズの目の前に来た。
「だからよ、わかるんだ。お前は瞬間移動、できねえだろ?
できるんなら、街の奴らから逃げおおせたはずだからな」

図星だった。
リズはまだ瞬間移動がうまくできない。黙って髭面をにらみ返す。

「ま、お前が素直に答えるはずもねぇな。だがよ」
髭面はリズの方に身を屈めた。
「売られた先では、もっといい子にしといた方がいいぜ」

しん、としていた男達が俄に活気づく。
「そいつぁ、いいや!」
「鬼の子なら、すっげえ値がつきますぜ!!」
「これで、呪われるのは俺達じゃねえ!」
「お前、まだびびってんのかよ」
笑い声で、一座がどっと湧いた。

「で、どこか、当てはあるんですかい?」
「喜んで金を出す奴なら何人も知ってるさ。貴族にするか、寺の坊さんにするか、
高値を付けた方でいいじゃねぇか」
「そりゃあ、そうだ」
「でも、稚児にしても小っちゃ過ぎねえか?」
「そんなの気にする坊さんが金なんざ出すかよ」

髭面はリズの顎ををつかみ、顔をのぞきこんだ。酒臭い息が吹きかかる。
「その火傷が目障りだが、ずいぶんと可愛い顔してるじゃねえか。
鬼が見目麗しいってのは、まんざらウソでもないらしいな」

男達のねっちりした言葉の裏は、まだリズに分かるべくもない。
だが、ひどくおぞましいものであることは本能的に感じ取れた。
リズの眼に、昏く青い炎が燃え上がる。

「鬼なんざ、神仏に見放された穢れたやつらよ。
それが寺に入って、偉い坊さんにかわいがってもらえるんだ。
せいぜい浄めてもらうんだな」
「穢らわしいのはお前だ!!」
言うなり、リズは髭面の顔に向かい、思い切りつばを吐いた。

「くっ!!」
「こいつ!!」
「お頭に何をする!」
傍らにいた見張りの二人が同時に刀を抜く。

斬りかかろうとするのを髭面が止めた。
「やめとけ。せっかくの金づるだ。斬ってどうする」
「へ、へい」
「すいやせん、つい」
「鼻っ柱の強ぇえボウズだ。エサは食わしときな。弱ってると値が下がる」

髭面は元の場所に戻ると、また何事もなかったかのように飲み始めた。
手下の男達もてんでに飲んだり食ったりしている。

人間・・・・これが・・・・人間? 
こんな下卑たやつらが人間・・・・
京の街のやつらも、話も聞かずに憎悪をぶつけてきた・・・
何もしていないのに・・・・抵抗だってしていないのに・・・・・、
石を投げ、殴ったり蹴ったりした・・・・・・

神子・・・・あなたは、こんなやつらのためにぼく達の一族と戦ったの?
・・・・そんなに、鬼が憎かったの?

それならなぜ・・・・・・・・・ぼくを助けたの?!

「ほらよ、これでも食ってな」
見張りの一人が薄い汁の入った椀を床に置いた。
「腹、減ってんだろ。縄を解くわけにはいかねえからな、這いつくばって食うんだぞ。
犬っころみてえによ」
そう言うと男はへらへらと笑った。

確かにリズは空腹だった。体力も限界まできている。
汁から立ち上る湯気が、リズの鼻孔をくすぐる。

しかし・・・・・
這って椀に近づきながら、左右に目を走らせる。
椀を持ってきた方の見張りは、這いつくばるリズを面白そうに見下ろしている。
もう一人は、先ほど抜いた刀をまだ鞘に収めずに構えたままだ。
あの髭面は・・・・何人かの手下と話している。
時々油断無くこちらに目をやるが、注意を集中しているわけではない。

今しか、ない!

リズは身体をひねると、抜き身を持つ男に向かい、汁の入った椀を蹴り飛ばした。
「熱っ・・・!」
一瞬、男の注意が逸れる。
その手の刀に向かって、足を突き出す。目測とタイミングを誤れば、致命傷になる。

が、もう一人の男が気付いて手を出すより早く、リズの足の縄は断ち切られた。
手の縄も切れるか?・・・今は無理だ!ならば・・・

目を閉じる。
瞬時に気を高める。
この間に斬られたら終わりだ。だが移動するのは、背にした板壁一枚分のみ。
行け!!

「野郎っ!!」
振り下ろされた刀が空を切る。
足を縛った縄だけを残し、リズの姿はかき消えていた。

「なめた真似を・・・」
「何処へ行った?!」
「慌てるんじゃねえ!!!」
浮き足立つ手下を髭面が一喝する。
「たいした距離は動けねえはずだ。この周りを探せ!門を固めろ!」
男達はわらわらと外に飛び出した。

リズは馬小屋にいる。
身体が熱い・・・。
瞬間的な気の消費で、リズはひどく消耗していた。
が、気力をふりしぼって手の縄を解くと、素早く馬を繋いでいる紐を外す。
馬を見るのは初めてだった。小さく、声をかけてみる。
「びっくりさせてごめんね、お馬さん」
しかし、見慣れぬ侵入者に怯えた馬は、足を踏みならし、高く嘶いた。

「馬小屋か?!」
異変に気付いた男達が駆けつけた時、馬が暴れながら小屋から走り出てきた。
蹴られてはたまらない。荒くれ男達とて、ひるんだ。
門を閉じようとしていた男達も、馬に蹴散らされる。
外に走り出た馬の背に掴まるリズの姿が見えた。

「馬まで持って行かれてたまるかよ!!」
すかさず男達が追ってくる。
道が狭い。馬の速度が緩んだ。
「今だ!引きずりおろせ!!」
男達の罵声が飛ぶ。
その声に驚いた馬は、高く前足を上げて棒立ちになった。

「うわっ!」
リズは地面に投げ出された。
興奮した馬に踏みつけられなかったのは、幸運だった。

馬が狭い道を塞ぐ形になっている。

リズは走った。
が、足に力が・・・・入らない。
熱のためか、意識が遠のきそうになる。
背後に男達の足音。ぐんぐん近づいてくる。

あんなやつらに・・・! 人間・・・なんかに!! 思い通りにされて・・・たまるもんか!! 

道の向こう、橋のたもとで淡い若葉を宿した柳の木が揺れている。

あの、橋まで・・・頑張ろう・・・。
朦朧としてきた意識の中で、リズは走り続ける。

橋が、目の前に迫った。

その時

周囲の風景がぐにゃりと曲がった。
一瞬、倒れるのか・・・?と思った。
しかし、違う。橋を取り巻く気は、異種のもの・・・。

これは・・・?!

鬼の気!
里を取り巻いていた結界と同じもの。

今なら・・・できるかもしれない。
いや、やるしかない!

男達の荒い息づかい、重い足音がすぐ後ろに聞こえる。

気を集中して・・・
この橋の向こうへ・・・

「許さねえ!!」
刀を抜き放つ音。

先に何があるかもわからない。

「よく見知った場所以外では、まだ飛ぶな!」・・・父から厳命されている。

それでも・・・

遠くへ!!

「終わりだっ!!」

飛ぶんだ!!

・・・・・・・・・飛翔
・・・・・暗転・・・・・・・



第1章 流離

   (1)遠き道の始まり (2)地の玄武 (3)夜話 (4)捕らわれて (6)一条戻橋

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