果て遠き道

第6章 懐光

2 開かれた扉



焼け落ちた橋の向こうに、静かな山野の風景が陽炎の如く立ち現れた。
怨霊と炎に巻かれた己がうつし世を透かして見る、別世界。

朧なる幻か・・・・・・。
目にした人々は一様にそう思い、我と我が目を疑った。

一つの場に、二つの世界。
未だかつて目にしたことのない不可思議。
しかしそれは、この場所と重なり合う、もう一つのうつし世。
橋を通り、そこへと至る道が続いている。
道は谷間を抜け、彼方には野の広がり。

人々は驚き、ざわめいた。
不安げに後ずさりする者もいたが、今は逃げる場所とて無い。

「鬼、これはお前の妖かしの術か?」
橋の前に立つリズのもとへ、他の武士もやって来た。
「妖かしではない。見えているのは、この橋から続く、我が里だ」

武士達は顔を見合わせた。
中には、鳥辺野で剣を交わした検非違使も混じっている。
あの時は、リズに救われる結果となったためであろう。
頭から否定することはしない。
しかし、彼らの理解を超えた出来事であることも確か。

最前の武士が問うた。
「ここに、街の者達を逃がすというのか」
「そうだ」
「鬼の里に・・・か?」
「先程言った通り」

「・・・・・中には、鬼がいるのか」
「鬼も人も、誰もいない。ここは隠された場所。ただ広野があるばかりだ」

「信じて下さい!私、里に入ったことがあります。危険なことは何もありません」
望美は必死に人々に向かって訴えた。

けれど、リズと望美と落ちた橋の上にかかる朧な道とを順に見比べながら、
誰一人として動く者はいない。

「もう、時間がありません!早くみんな、逃げて下さい!!」
それでも皆、怯えたように身じろぎもしない。

・・・・・・と、
「我ら検非違使が、先頭としんがりを勤める!」
武士の一人が大音声で呼ばわった。
仲間の一人とうなずき合うと、大股で橋の上の道に踏み出す。

「おお・・・」
人々がどよめいた。
二人は川に落ちることなく歩いていく。
その姿は景色の中に霞んでいくように見えたが、すぐに引き返してきた。

橋の上で、再度皆を呼ぶ。
「この中は、美しき野が広がるばかりぞ!疾くついて来られよ!!」

つい・・・と、弟の手を引いた女の子が前に出た。
望美とリズに向かい、こくんと頭を下げると、橋に向かう。

「急げ!!」
呆然としていた人々は、リズの声に、はっと我に返った。
堰を切ったように、橋の入り口に向かう。

ほどなくして、全ての街人が里に入った。
それを見届けた武士の一人が、リズに向き直る。
リズと共に、影の世界で仲間の救出に当たった者。
リズの言葉を確かめるため、真っ先に光の中に入り、
一度は外界に出ながらも、仲間を助けるため、再び影の中に戻った者だ。

「鬼・・・感謝する」
「礼は要らぬ」
「あの時と同じか。再びお前に助けられた」
「すぐに怨霊が来る。この里の入り口、守りきれるか」
「人々を守るのが我らの勤め。しかしお前は、どこへ行くのだ」
「間もなく神泉苑に、巨大な怨霊が現れる。私の戦いの場は、そこだ」

「神泉苑・・・怨霊・・・集まる・・・とは?」
「・・・まさかそれは?!」
京に住まう武士達は、その言葉への反応も早かった。
「お前はそれと戦うと・・・?」
「なぜ、それが現れると知っているのだ・・・?」
矢継ぎ早に問うてくる。

「時は至った。何をもってしても、もう止めることはできぬ。ただ、倒すのみ」
「む、むう・・・」
「なんということだ」
「この事態、誰も掴んではいなかったということか・・・」

しかし一時動揺した武士達だったが、怯むことはなかった。
「我らにできることは、腹をくくってこの場を戦い抜くことか」
「武士の本懐を貫くだけだ」

先の武士がいずまいを正し、一歩進み出ると、己の名を名乗った。
「・・・武運を祈る」
リズも礼に習い、名乗る。
「私の名は、リズヴァーン。後を託すぞ」

「鬼の名は、不思議な響きがするものだな。何かの意が、込められているのか?」
リズの青い目が、武士に注がれる。
「リズヴァーンとは、楽園の門を、守る者だ」
静かな声。

「楽園の門・・・」
口の中でかみしめるように繰り返した武士は、絶句した。
「では・・・一族の楽園を・・・我らに開いたというのか・・・」
「・・・・・・そうだ」
「そして、お前を捕らえようとした我らに、その門を託すと・・・」

望美は、胸が詰まるような思いを感じた。
先生の心を、わかってくれる人がいた。
以前は敵対していたけれど、それでもわかりあえた・・・。

「ありがとうございます」
望美は思わず口に出していた。
一瞬、武士達が怪訝な顔になる。

望美は、彼らに向き直り、一人一人の顔を見回した。
先生が後を託した人達。先生を受け入れた人達だ。
最後の戦いを前にした今、この人達にはちゃんと伝えた方がいい。

凛として、名乗る。
「私は春日望美。白龍の神子です。皆さんも、ご武運を」

望美はそう言って頭を下げると、くるりと踵を返し、歩き始めたリズの後を追う。

武士達はその後ろ姿を見送った。
その心の中には、様々なものが浮かんでは消える。

では、さっき見た白い光は、神子の封印というものだったか。
・・・この娘が、源氏の神子。龍神の加護を受けた存在・・・。
神子が共に、戦うというのか。

そして武士達は一様に、この戦いの意味を悟った。

瞬間移動の直前、二人の背に武士達の声が届く。
「必ず、勝つのだぞ!」
「我らは、ここにてお前達と共に戦う!」
「この里、死守してみせるぞ!リズヴァーン!」



帰りの道程は速い。
距離は掴んでいる。一気に瞬間移動で怨霊の群を抜けた。

「こちらの道を行こう」
怨霊が塞ぐ小路を避け、重苦しく垂れ込めた黒雲の下を急ぐ。

リズは黙したまま、何も言わない。
望美は、その顔を見上げた。
前を見据える厳しい眼差し、固く引き結んだ口元は、
激しい感情を抑えている印であると、望美は知っている。

戦いを前に心を乱してはいけないと、誰より分かっているのはリズ自身。
気を整えるため、意識してゆっくりと呼吸をしているのが分かる。

先生がしたことは、こんなに心が乱れるほど・・・大変なことだったんだ。
改めて、望美は思う。

あの里は、鞍馬から京に下りてきた日に、リズに連れられて入った場所。
幼い日のリズがシリンに出会い、命を救われた場所だ。

けれど、それだけではない。
鬼の一族と京の人々との因縁の場所でもあるのだ。
あの里には、長い年月に渡り鬼の一族が重ねてきた思いがこめられている。

リズはそれを・・・人のために開いた。
他ならぬ、一族と敵対してきた京の人々に。

怨霊の炎を見た時、先生はすぐに行こうとした。
その時にはもう、決めていたのだろうか・・・。
しかし決断の早さは、容易さ、軽さを意味するものではない。

そこに至る思いと、その重さとを、リズと分かち合いたいと、望美は思う。
できぬとわかっていても、そうしたいと思う。

静かな小路で、望美は立ち止まった。
「神子?」
振り向いたリズの手を、そっと握る。

リズの青い目が、どうしたのだ?と問うている。
何と言えばいいのだろう。
ありがとう・・・でも、よかった・・・でもない。

「弟子がこんな風に言うのは、生意気かもしれませんけど・・・」
望美は口ごもった。
「思う通りに、言ってみなさい」
リズが望美の手をしっかりと握り返す。

望美はリズを見上げた。
「先生は・・・私の誇りです」

リズの手に、一瞬、痛いほどの力がこもる。
「あ!ご、ごめんなさい・・・私・・・偉そうに・・・」

しかしリズは、ゆっくりと言った。
「神子は・・・・・正しかったと思うのだな」

リズが問うたのは、鬼の里を開いたことだと、望美には分かる。
望美はリズの視線を受け止めた。

「正しいかどうかは・・・わかりません。でも、みんなの命が助かりました。
先生には・・・とても辛いことなのに、こんな言い方しかできなくて・・・すみません。
でも、先生は立派だったと思います」

リズはかすかに微笑む。
「お前のその、のびやかな心、優しい気持ちこそが尊い。
私は・・・迷い、戸惑い、わからぬことばかりだ」

なぜ、このようなことを言うのだろう。
もしかして・・・先生の心には・・・もっと別のことが・・・。

しかし、望美がその疑問を口に出す前に、リズが言った。
「神子の気持ちを乱してしまったようだな。すまぬ」
「い、いいえ、私なら大丈夫です」
慌てて望美は答える。

リズは望美から視線を外し、ふと遠くを見た。
「神子、気づいていたか?あの老人のことだが」
言われてみて、はっと思い当たる。
リズと老人は、お互いの顔を見て驚いていた。

「お知り合い・・・だったんですか」
「あの者は、幼き日の私を捕らえ、売ろうとした男、
逃げる私に向かって剣を投げた男だ」
「ええっ?!」
「怨霊の二度目の刃を防いでから、気づいた」
「先生・・・」

リズの話を聞いて、極悪人・・・と思っていた。
しかし、街人や検非違使の話は違っていた。
数十年の間に、あの老人は変わったのだろうか。
幼い子を容赦なく手にかける者から、幼い子をかばい、我が身すら投げ出す者へと。

それを知る者は、たぶんあの老人自身だけなのだろう。
けれど、確かに分かることもある。

望美はにっこり笑って言った。
「でも先生は、あのおじいさんの正体を知っていたとしても、
きっと助けたと思います。私、そう信じています」
「神子・・・」

「私だけじゃないですよ。あの子達も、検非違使の人達も、先生のことを信じてくれました。
私、とてもそれが嬉しいな・・・って」

・・・・・・・お前は、いつもそのように考える。
    我がことのように人の心を思い、その幸を願う。
    その美しい魂こそが、神子なのだろう。

「一番嬉しかったのは、検非違使の人達が、一緒に戦うと言ってくれたことです。
厳しい戦いになるでしょうけれど、絶対に、負けられないですね」

・・・・・・・お前という運命に導かれ、私はこの日まで歩むことができた。
    この先の戦いで、お前は何を選ぶのだろうか。

「先生・・・?」

・・・・・・・お前が心のままに在るように。
    その眩く自由なお前の心を守ることこそが、私の使命。

望美はリズの頬に手を当てた。
「私はここにいます。私を見て下さい」

・・・・・・・私が全てを明かしたなら、お前は私の心を察してしまう。
    それはお前の決断を曇らせる。

「お願いです。そんな淋しい顔をしないで・・・」

・・・・・・・お前は、私の思うことなど全て、分かってしまうのだから。

望美は少し背伸びをして、顔を上げた。
それは、二人だけで暮らした一とせに満たぬ短い間に、幾度も繰り返したこと・・・。
リズには、望美の願いがわかった。

・・・・・・・お前の望むままに。

リズは身を屈め、望美の唇に、そっと口づけた。

そして望美の肩に手を置き、一番大切な想いだけを伝える。

「私の心は、永遠に・・・・・望美・・・お前と共にある」




第6章 懐光 

(1)苦い再会 (3)最後の戦い (4)死闘 (5)神子 (6)朔の涙 (7)いとしき命に (8)雪夜 〜 短いエピローグ
(8)雪夜 〜 短いエピローグ ←背景効果付 (IEのみ6.0〜対応  重いので、他のタスクを実行中の方はご注意下さい)

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