アクラムが、ゆっくりと腕を上げていく。
「我がまほろなる庭に薄汚い人間を入れた罪、死を以て贖うがいい」
それは戦いの宣言ではなく、はるか高みからの冷酷なる宣告。
アクラムの掌がリズに向かって開かれた瞬間、
凄まじい気が放たれた。
逃げる間隙すら、無い。空洞を覆い尽くす膨大な力の波動。
それはリズを倒してなお壁に当たり、弱まることなく跳ね返り、
さらに反対の壁に反射して、予測のつかぬ渦となる。
渦に巻き込まれ、リズは幾度も壁に叩きつけられた。
アクラムはそのただ中に平然として立つ。
リズの口の端から、血が一筋、流れ落ちた。
「百鬼夜行無くば、鬼の里を開くこともなかった。
京に滅びを呼ぶは、お前の意志か、アクラム」
「一族を裏切り、貴き者に刃を向けるお前が、我が名を軽々しく呼び捨てるな」
再びの攻撃。
しかしその刹那、リズの姿は消えていた。
「何?」
訝しげにリズの気を探った瞬間、眼前に剣が振り下ろされる。
アクラムは術を放ち、瞬間移動で逃れる。
「ほう、術の渦に翻弄されたと見せながら、壁に穴を穿っていたか」
アクラムは片頬だけに笑みを浮かべた。
「そのしぶとさ、気に入らぬ。
しかし、最期にお前の名をきいてやろう。名乗れ」
「リズヴァーン」
「リズヴァーン・・・と?」
その名を繰り返したアクラムの声が、怒りを含み、低くなる。
「己が名の意味を知りながら、門を開いたというのか。
門は、高貴なる存在を守るため、卑賤の者には永遠に閉ざされるべきもの」
リズは剣を構える。
「門とは、行きて還りし者のため、異なる地を繋ぐものだ」
「ますます、気に入らぬ」
アクラムの瞬間移動。リズの背後に回る。
振り向き様、リズが剣を振るう。
次の瞬間、アクラムの姿は頭上にあった。
アクラムと同時に術を撃ちながら、リズは壁を蹴り、中空のアクラムに斬りかかる。
「これは『人』の起こした百鬼夜行。
愚かしくも、人間自らが招いた災厄を、なぜ鬼のお前が止める」
「止めねば、全てが滅びよう。無辜の者をも巻き込み、明日を奪ってよいというのか」
アクラムは吐き捨てるように言葉を継いだ。
「かつて人々は浄土を願い、滅びを夢見た。その愚かさ・・・何も変わってはいない。
我が一族を滅ぼしてなお足りず、血にまみれた穢れをまいたのは、
人間自身に他ならぬ」
アクラムを包む気が、ぐわっと膨れ上がった。金色の髪が、赤き風に揺らぎ、なびく。
彼もまた、滅びと共に在った者。
「百鬼夜行の怨霊達の姿が見えるか。うらみを呑んで死んでいった、多くの武者達の姿が。
古い怨霊など、数のうちにも入らぬ。人々が呼んだ戦の愚かな結末こそが、この百鬼夜行」
空洞の壁が崩れ、わらわらと怨霊達が姿を現した。
アクラムの冷笑が響く。
「皮肉だが、必定だ。京の自壊・・・ここから見届けてやろう。
お前と共に来た怨霊もろとも、ここで百鬼夜行の贄となるがいい」
周囲を取り囲んだ怨霊武者が、一斉にリズに斬りかかる。
しかし、それらは太刀を振り下ろす前に、叩き伏せられた。
「リズ先生!」
敦盛が怨霊とリズとの間に飛び込んできた。
「敦盛!」
「お約束した通り、私が怨霊を食い止めます。先生は鬼の首領を・・・!」
「礼を言うぞ」
「いえ・・・私は・・・その・・・」
敦盛は一瞬言いよどみ、次に笑顔を見せた。
「リズ先生、お誓いします。
どのような姿になっても、私は決して心を手放すことはいたしません」
「敦盛・・・」
リズは、敦盛の眼の中に、強い決意の光を見た。
己が存在する痛みに耐え、血を分けた者達と相戦いながら、
信じる道を貫いてきた者のみが持つことのできる、決意の光だ。
「私も約そう。必ず、勝つと」
リズはそう言い残すと、怨霊の群の奥のアクラムに向かい、
真正面から間合いを詰めていく。
敦盛は首に掛けた鎖をつかみ、一気に引きちぎった。
攻撃!
封印!
限りない繰り返し。
「ぐっ・・・!」
「将臣くん!!」
百鬼夜行の攻撃から、将臣が身を挺して望美をかばった。
幾度めだろう。
みんな、次々と望美をかばっては、身の傷を増やしていく。
「大丈夫だって。気にすんな」
将臣はからりと笑って、再び大太刀を構える。
だが、百鬼夜行は桁違いに、強い。
障気を放つだけではなく、気づかぬうちに仲間に憑依し、自由を奪う。
様々な戦いを経験してきた望美達だが、ここまで苦戦したのは、初めてだ。
互角に戦えているのかどうかも、覚束ない。
全員が満身創痍。
望美もまた、例外ではない。
しかし天を突くばかりだった百鬼夜行だが、少し小さくなっただろうか。
「封印してみる!!」
望美は叫んだ。
その意を察し、全員が一斉に攻撃を仕掛けると、百鬼夜行の足下が揺らいだ。
「今だ!!」
望美の手から白い光が広がり、百鬼夜行を覆い尽くした。
どす黒い障気が薄らいでいく。
「やった!!」
しかし、喜びも束の間。
封印の光を振り払うように、百鬼夜行は再び姿を現した。
「なんてことなの・・・」
「封印が、効かないなんて」
「もっと弱らせないといけねえな」
「あせりは禁物ですよ、望美さん」
「もう一頑張り、いってみようか〜」
「俺達を信頼して、攻撃は任せろ」
みんなは望美を笑顔で励ます。
けれど、それぞれがかなりの手傷を負っているのだ。
間断ない攻撃に、弁慶の治療が追いつかない。
「姫君にそんな顔は似合わないよ」
ヒノエが片眼をつぶってみせる。
しかし、その左腕には大きな傷痕が走り、先程から動かぬまま。
矢数の尽きた譲は、九郎の小太刀を借り受け、
望美と朔への攻撃を防ぐ役を果たしている。
つまりは、その身を盾にしていることと同じ。
上空から叩きつけるように襲い来た障気の刃が、
地に当たり砕け散って九郎の足を直撃した。
「ぐわああっ!・・・」
「九郎!!」
駆け寄った弁慶に、さらなる障気が降り注ぐ。
浄化!!
望美は封印の光を放ち、黒い障気は中空で消滅した。
「うっ・・・」
胸が苦しくなるほど鼓動が激しい。
疲れなど、とうに通り越している。
体力の限界が近い。
でも・・・
負けられない。
もっと、封印の力を・・・
使わなければ。
百鬼夜行から分かたれた怨霊が姿を現す。
手を伸ばし、光を放つ。
封印。
くっ・・・
意識が・・・
遠のく・・・
「望美!!」
朔の叫びが遠い。
だめ・・・!
こんな所で・・・
望美は必死に意識にしがみつく。
「白龍・・・お願い・・・」
幽かな声が応えた。
神子・・・
白龍の・・・声だ
神子は、私を望むの?
「そう・・・だよ・・・」
目の前に、白い光が広がる。
神子の願いを、叶えるよ
圧倒的な力に包まれたかと思う間に、
気がつけば、望美はまばゆい光の世界にいた。
白い光に満たされた世界。
ああ・・・ここには、一度、来たことがある。
神泉苑で、白龍は私の願いに応えて、雨を降らせてくれたんだっけ。
もう・・・ずっとずっと昔のことみたいだ・・・。
しかし今、人の形をした白龍の姿はここになく、
白い光の眩い強さは、あの時の比ではない。
望美の内に、力が満ちてくる。
さっきまでの無力感が夢であったかのように、
満ちた力は溢れ、ほとばしり出ようとしている。
望美が動くたびに、その後ろにきらきらと光跡が描かれる。
「これが白龍の・・・神子の力なの?」
白龍が肯くのが分かる。
そうだ!みんなは・・・?
そう考えたと同時に、望美の視点は天に翔け上った。
黒雲に覆われた京の街が、眼下に見える。
望美が意識を向けた場所へと、視界は焦点を結んでいく。
生き延びるために戦い、助け合う、人々の懸命な姿が見える。
倒れゆく人がいる。
炎上する家々がある。
鬼の里・・・
橋の上で、武士達は怨霊の群と戦い続けている。
その後ろには、傷ついた武士を手当てする人々。
里の小川から水を運び、傷を洗い、あるいは筒に入れて手渡す。
戦えぬ老人は祈り、童は何も知らぬげに走り回っている。
泣きじゃくる幼子を抱く母親は、優しく何かを語りかけている。
五条橋・・・
診療所の屋根の上で、子供が賊の襲来を報せている。
興奮した子が落ちぬよう、若者がしっかと着物の裾をつかんだ。
梶原の武士達が、賊を向かえ討つ。
眠り続ける政子の傍らには女達が控え、覗こうとする男共を追い払っている。
百鬼夜行・・・
望美には、その中の戦いさえ見えた。
先生・・・!!
赤い装束の仮面の男・・・アクラムと戦うリズの外套は既に無く、
服は裂け、そこかしこから血がしたたり落ちている。
その背後を守るように、怨霊と戦っているのは巨大な水虎。
・・・敦盛さん・・・。
絶望的な戦い・・・。
傷つき倒れながらも、みんな立ち上がっては戦い続ける。
退かない決意があるから。
でも・・・
その時、
百鬼夜行がどろりと溶け出し、みんなの足下に広がった。
と見る間に、踝、膝へと上がっていく。
地上にある望美の身体も、そこに捕らえられる。
身動きが取れない。
立ち上る障気に皆がもがく。
その上から降り注ぐ刃。
「だめえええっ!」
望美は叫んだ。
目も眩む光が視界を覆う。
一気に障気が消え、皆を捕らえていた百鬼夜行の一角が消滅する。
「望美!」
「すげえぞ」
みんなの声が聞こえる。
望美の中の力が増していく。
天と望美とを、繋ぐ力。
共鳴し、響き合い、それは今、奔流となって望美を待っていた。
この流れに身を委ねれば・・・
あの百鬼夜行も、浄化することができるんだ・・・
「そうだね、白龍」
肯定
でもこれは、人の身を越えた力、白龍の力。
「そのかわりに、私は・・・いなくなるんだね」
肯定
先生は、知っていたんだ。
白龍の神子に突きつけられる、この選択を・・・。
知っていたから、あんなに苦しんでいた。
苦しみながら、心に秘めていてくれた。
私の決断を曇らせることのないように・・・。
私の選ぶ道が正しいと、言ってくれていたんだ。
私を、信じているから・・・。
自分すら捨てて、先生は私の心を自由にしてくれた・・・。
先生・・・
私、先生を助けたい・・・。
みんなを・・・助けたい。
今は、百鬼夜行に吸い寄せられた怨霊の苦しみまでが、わかる。
アクラムの内に降り積もった、鬼の一族の悲劇が心に刺さる。
苦しいのは、人も、鬼も、怨霊も・・・全て同じ。
ならば・・・
今なら、みんなを救える。
白龍の力で・・・
私が願いさえすれば・・・
この災厄を・・・終わらせることができる。
鈴の音が響いた
「白龍・・・
私の願いは・・・・・・」
第6章 懐光
(1)苦い再会
(2)開かれた扉
(3)最後の戦い
(5)神子
(6)朔の涙
(7)いとしき命に
(8)雪夜 〜 短いエピローグ
(8)雪夜 〜 短いエピローグ
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