果て遠き道

第6章 懐光

6 朔の涙



「めぐれ・・・天の声!!」
望美からあふれ出た光が、巨大な百鬼夜行を包み、渦巻き、飲み込んでいく。
光はさらに奔流となって、地を走り天へと広がる。

「これで・・・最後!!」
「ええ、怨霊の声が小さくなっていくわ!」

先生、敦盛さん・・・無事でいて・・・。
眩い光の中に立ち、望美は祈った。
凄まじい力が、自分の中を通っていったことがわかる。
いつの間にか、みんなの傷も癒えている。
これが、浄化の力・・・。白龍が、神子たる私に与えてくれた力・・・。

ならば、きっと・・・大丈夫。
私達をつなぐ絆を、白龍が断ち切ることはないはず。

百鬼夜行の姿が崩れ、薄らぎ、消滅した。
封印の浄化の光は、さらに天高く上り、厚い黒雲を射抜く。
黒雲の狭間には、青い空。

清らかな風が、さやさやと吹きよせる。
闇は消え、暗雲がちりぢりに流れ去った。

風は京の街を吹き渡り、地に残った穢れを祓っていく。

街に残った怨霊達も、穢れと共に浄められ、消えていった。
焼け落ちた橋で、弁慶の診療所で、人々は一様に驚きの声を上げる。
倒しても倒しても襲いかかってきた怨霊達が、白く揺らめいたかと思うと、
次の瞬間には、その姿を消していたのだから。

ふと空を見上げれば、冬の午後の穏やかな陽射し。
微風が運び来る、冷んやりと清澄な空気。

皆には、分かった。
静かな喜びの気が広がる。

神子達の戦いが、終わったのだ。
京の街は救われた。
そして自分達もまた、自らの手で、明日という日を勝ち得ることができた。

それは、何にも勝る喜び。

人々の希望と喜びの祈りが、京の街に満ちていく。


鈴の音が降り注ぐ。
望美と朔は、天を仰いだ。

美しい二つの龍が、黄金の光跡を曳きながら天空高く駆け昇っていく。

          ありがとう、神子・・・
          この清浄な気の流れは、あなたがもたらしたものだ

     ありがとう、白龍
     おかげで、百鬼夜行を封印できたよ

          人の願いは、強い力を持っているね
          あなたの強い心が、あの百鬼夜行までも浄化した
          あなたにその力を与えたのは、私ではないよ
          それはあなたが一番よく知っている

     そうだね、私は一人じゃなかった・・・
     白龍がいて、みんながいて、京の人達がいて・・・そして・・・そして・・・

          大丈夫だよ、神子
          天地の玄武には、すぐに会える

     白龍!ありがとう・・・!!

          さようなら、神子、私は天に還るよ

     さようなら、白龍・・・人の世界を、これからも見守っていてね・・・

          神子の願いを、かなえるよ
          満ちていく命に、祝福を


浄められた五行の気が、今また京を取り巻き、巡り出したのが分かる。
戦いに火照った頬を、微風がなでていく。

望美は、隣に立つ朔が、天を見上げ、肩を震わせていることに気づいた。
「朔?・・・どうしたの?」
朔は、潤んだ瞳を望美に移す。
悲しいの?・・・いえ、そうじゃない。
初めて見る表情・・・。
心が痛くなるほど、きれいだ・・・。

「あの人が・・・黒龍が・・・来てくれたの」
朔は、涙に滲んだ声で言った。

白龍が来てくれたように、黒龍もまた、朔のもとを訪れていた。
黒龍に支えられて、黒龍と一緒に、朔は戦っていたのだ。

何と言えばいいんだろう・・・。
やっと再会できた黒龍は、もう天に還ってしまった。
朔は・・・どんな気持ちなんだろう。
それを思うと、望美は何と答えるべきかわからない。
やっと、おうむ返しのような言葉を言う。
「朔・・・黒龍に会えたんだね・・・」

「ええ、あの人が・・・私の中に・・・いたわ」
朔は、胸の前で組み合わせていた手を開いた。
「あの人、私のことを忘れていなかった・・・」
その掌には、馬酔木の小さな花蕾。

「不器用な人・・・。季を違えているので蕾しか入手できなかった・・・なんて、詫びるんですもの。
そんなこと・・・いいのに・・・こうして会えただけで、うれしいのに・・・」
「朔のために、運んできてくれたんだね」
「ええ・・・。あの人、覚えていてくれたんだわ。
春になって、馬酔木の花が咲くのを、私が楽しみにしていたこと・・・」

朔は愛おしむように、小さな花房を胸に抱いた。
頬にひとしずく、涙がこぼれる。
「変ね、私ったら。うれしいのに、・・・泣くなんて・・・。でも私・・・これで・・・」
朔は顔を上げ、望美と目を合わせた。
微笑み、そして天を仰ぐ。

「これからも・・・生きていけるわ」



冬の陽が傾いてきた。
京の街では、人々が慌ただしく動いている。

焼け跡の片付け、怪我人の手当、壊れた家々の修理等々、
破滅の淵から戻ってみれば、すべきことは山のようにある。
夕刻も近い中、たとえ急ごしらえでも、まずは夜の寒さをしのぐ場所を作ろうと、
人々は忙しく立ち働いていた。

そのような喧噪から一筋二筋隔たった路地の一隅、
焼け落ちた粗末な家の前に、額に大きな傷を負った若者が倒れている。
その傷は顔の中央を走り、痛々しい赤い筋となっていた。

若者がうっすらと目を開くと、自分を心配気にのぞき込む老婆と少女の姿。

「・・・私は・・・なぜ・・・」
若者は掠れた声を出した。二人の顔に安堵の色が浮かぶ。

「気がついたんだね」
老婆が言う。少女は黙って立ち去った。
「こんな所じゃ、ろくな手当もできないけど・・・」
老婆は着物の袖を裂いて、若者の額の傷にぎこちなく巻いた。
「私は・・・大丈夫です・・・」
「その傷では、いい男が台無しじゃからのう・・・」
そう言うと老婆は歯のない口を開き、小さく笑う。

若者は身を起こした。
戸惑いながら、老婆に尋ねる。
「見知らぬ私に、なぜこのようにして下さるのですか・・・」
老婆はため息を一つ、ついた。
「倒れたもんを助けるのに、訳なんぞ・・・いらぬわ」

その時、若者の前に水を入れた椀が突き出された。
「あの・・・これ・・・」
少女がどこかから水を汲んで戻ってきたのだ。

「かたじけない」
受け取ろうとして、若者は老婆の不自然な姿勢に気がついた。
先程からの、力のない声は、年のせいではなかった。
足が奇妙な方向に曲がっている。

「その足は、どうして・・・?」
「ああ、火に巻かれて逃げる時に・・・な」

若者は、周囲を見回す。
肩を寄せ合うように、小さな家々が建ち並んでいたであろう界隈が、
今は見る影もなく壊されている。
焼け跡には、ここかしこに煙がくすぶっている。

「う・・・うああ・・・」
若者の口から、獣のような呻き声が漏れた。
少女が怯えたように後ずさる。

この惨状は・・・私の・・・せいではないのか・・・?
若者の中の何かが、それが真実であると告げている。

喘ぎながら再び頭を巡らせる。
胸を押し潰すような悔恨だけが、津波のように押し寄せ、息を奪う。
「私は・・・私は・・・何をしたのだ・・・」

若者は、記憶の底を探った。
しかしそこにあるのは、奈落を覗くような黒い深淵ばかり。
何もない。何も・・・覚えていない・・・。
ぐらり、と眩暈がする。
ただ分かるのは、己が許されざる者であるということだけ。

それが、身を切られるよりも痛く、心が砕けそうに悲しい。
ひりひりと灼け付く悲しみに、涙すら出ない。
額の傷が燃えるように熱い。

「お水・・・飲むといいよ」
少女が再び、おそるおそる椀を差し出した。

汚い椀だ。
しかしその中にあるのは清らかな水、心づくしの気持ち。

若者は受け取ると、一口だけ、飲んだ。
喉を通り、胃の腑に入っていく水が、灼けた心にも、しみ入っていく。

私は、何者なのでありましょうか・・・。
遠い空に向かい、問う。
もとより、答えは返らない。

私は・・・どうすればよいのでしょうか・・・。

暗黒の淵から、水泡のごとく、ほのかな青い光が浮かび出た。
悲しみの青・・・祈りの青・・・。
なつかしく、優しい光だ・・・。

目をそらしたら、消えてしまうのではないかと思う。
失いたくないと思う。
その光の導くままに、静謐な世界にありたいと願う。

救うに値しない身と知りながら。



冬の夕暮れは早い。
山の端は明るいが、神泉苑はすでに暮色に包まれている。

リズと敦盛は、まだ見つからない。
探しあぐねた一行は、一度五条橋へと戻ることにした。

「白龍は、すぐに会えるって言ってたのに・・・」
「白龍は神様ですから、俺達とは時間感覚が違うのかもしれません」
「そうだね。神様の言う『すぐに』ってのが、いつなのか、そこが問題かもね」
「でもさ、神様なんだから嘘は言わないよね〜。きっとすぐ会えるよ」
「しけたツラすんなよ。せっかく百鬼夜行に勝ったんだ。もう少し喜べって」

その時、遠くから
「・・・◎▼△×●#□〜!!」
言葉とも叫びともつかない声が聞こえてきた。
将臣が、はっとして顔を上げ、次いで満面の笑顔になる。
「敦盛だ」
「え?」
「あれで」
「わかるの?」
「わかるさ。あんな変な声上げるのは、敦盛ぐらいだ」
「って、兄さんが無茶言うからじゃないのか」
「おーい!!こっちだー!!」

将臣の言葉通り、次の辻で敦盛とばったり出会う。
敦盛はさんざん走ったらしく、髪が乱れ、着物も泥だらけだ。
その上なぜか、髪の毛には土埃までついている。

「百鬼夜行の中とは、埃だらけの場所だったのか?」
九郎ならずとも、そのように問いたくなる。
しかし、話を聞いてみれば・・・。

崩壊していく百鬼夜行の中から、いつの間にか敦盛は別の場所に運ばれていた。
ひどく見慣れた風景だと、見回してみれば、なんとそこは・・・
「六波羅・・・だった」
「えっ?!」
「おいおい、そいつは・・・」
「危なかったね〜」

かつて平家の拠点であった六波羅は、今では源氏が押さえている。
そのただ中に、敦盛は降り立ってしまったわけで、
その後は、涙ぐましい脱出劇となったのだった。

「もう!白龍ったら意地悪だねっ」
「いや・・・神子、白龍はそのようなつもりではなかったのだと思う」
「そうですね。おそらく、敦盛にとってなじみ深い場所、
敦盛の気が多く残っている場所を選んだのではないかと思いますよ」
「だがやはり、もう少し配慮があって然るべきだ」
「九郎が言うと、説得力がありません」
「仕方ありませんよ、先輩。人の姿の時だって、そういうやつでしたから」

将臣が、ぼそっと言った。
「・・・てことは、あそこか?敦盛」
「はい、将臣殿・・・」
将臣は、敦盛の首に鎖がないことに気づいた。
「自分で、外したのか?」
将臣の視線に気づき、敦盛は答える。
「はい・・・。戦うために、私の意志で・・・」
将臣には、その意味することがわかった。
「よく無事で、戻ってきてくれたな。サンキュ、敦盛」
「・・・それは・・・リズ先生のおかげで・・・」

はっとして、敦盛は一同を見渡した。
「リズ先生は・・・まだ・・・?」
「ああ・・・まだ、戻らねえ」

敦盛は望美に向き直った。
「す・・・すまない。百鬼夜行が崩れていく時、リズ先生と私は足場を失って・・・」
「そのまま、はぐれてしまったの?」
「気が付いた時には、一人で六波羅にいた。私だけが、その・・・帰ってくるとは・・・」
敦盛は唇を噛んで俯く。

しかし望美は、笑顔で言った。
「ありがとう、敦盛さんの話で、先生のいる場所が分かったよ」
みんなは驚いた。
「まあ、望美・・・」
「へえ、これだけで居場所を突き止めるなんて、さすがだね」

望美は踵を返した。
「みんな、先に帰っていて。私は、先生の所に行く!」
「よし、では皆で先生を迎えに行こう!」
ビシバシドスバキという音がして、次の瞬間、九郎は地面に寝ていた。
「いってらっしゃい、望美」
「気をつけろよ」
「暗くなってきました。転ばないようにして下さい」

望美は走る。
今すぐにでも、飛んでいけるならどんなにいいだろう。
白龍が敦盛さんを六波羅に送ったのなら、先生はきっと・・・。

紫色の黄昏が辺りを覆う中、望美は鬼の里を目指し、京の街を駆ける。




第6章 懐光 

(1)苦い再会 (2)開かれた扉 (3)最後の戦い (4)死闘 (5)神子 (7)いとしき命に (8)雪夜 〜 短いエピローグ
(8)雪夜 〜 短いエピローグ ←背景効果付 (IEのみ6.0〜対応  重いので、他のタスクを実行中の方はご注意下さい)

余話

「1.〜鎌倉にて〜 馬酔木の花の零れゆく」

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