果て遠き道

第6章 懐光

3 最後の戦い



逃げまどう人々の声、武士の怒声、怨霊の発する音、大勢の足音、悲鳴、
都大路に満ちていた耳を聾する音が、一瞬、絶えた。
まるで言い合わせたかのように訪れた無音の時。


その刹那、轟音と共に大地が揺れ、巨大な陰の気が立ち上った。
天を突くかとばかりに高く昇ったかと見る間に
爆発的に膨れ上がり、渦を巻き始める。
その渦から、障気が周囲にまき散らされた。
「ぐわあっ!」
「ひいいっ」
障気を浴びた者は、次々に倒れていく。
かろうじて無事だった者達は、皆ちりぢりに逃げ去った。

神泉苑の木々よりも、寺の大塔よりも高い怨霊の渦。
それは定まった形を持たず、立ち上っては崩れ、崩れてはまた立ち上る。
たえず形を変える障気の狭間から、怨霊の姿が見え隠れする。

「これが、百鬼夜行・・・」
「おぞましいものだな」
「このような怨霊が・・・存在するとは・・・」

地に接する所が、どろどろと溶けたように流れ出した。
ぐらり、ぐらり・・・と百鬼夜行が動く。

「この調子でこいつは京の街中を行くのか」
「そのようですね。でも、そうはさせたくありませんね」
「そうだね、でもこれだけ大きいと、かなり弱らせないと封印はできないよ」
「確かに、封印は手間取りそうですね」
「とにかく攻撃を仕掛けよう。ここで話し合っていても始まらん」

「そ・・・そうね・・・」
「朔?」

朔が胸を押さえ、荒い息をしている。

「朔っ!!」
景時が駆け寄った。倒れそうになる朔を支える。

怨霊の声が、全身を圧するほどに響き渡っている。
こんなにたくさんの怨霊の声を聞いたのは、初めてだ。
一つ一つの言葉が分かる。痛みが分かる。
心が全て、怨霊の声に満たされていく。
苦しい・・・。

「怨霊の声が、強すぎるんだね。辛かったら離れていていいんだよ、朔。」
景時の言葉に、顔を伏せたまま、朔はかぶりを振る。
「朔、無理しないで」
望美が朔の手を握った。

黒龍・・・お願い・・・私に勇気を・・・。

「朔・・・大丈夫?」
朔は喘ぎながらうっすらと目を開いた。
「ええ・・・私は、大丈夫よ」
望美の手を、しっかりと握り返す。
肩で息をしながらも、景時に支えられて身体を起こした時、
朔の瞳には、強い光が宿っていた。

「ごめんなさい、心配かけて。私、一緒に戦うわ」
「え、え〜?休んでなくちゃだめだよ、朔」
「いいのよ兄上。みんな聞いて」
朔は一同を見回した。
「百鬼夜行から、たくさんの声が聞こえてくるの」

「へえ、そういうことか」
「うーん、そいうことって、どういうことなの?」
「百鬼夜行は大きな怨霊ですが、たくさんの怨霊の集合体でもある、ということですね」
「てぇことは、つまり」
「基本的な戦略の一つですね。分断して叩く」
「そうか、わかった!」

「じゃあ、決まりだな。近いところから始めようぜ」
「私は声に一つずつ応えていく。彼らを鎮めるわ」
「で、私はどんどん封印すればいいんだね」
「戦いは俺達が引き受けますから、先輩は封印に専念して下さい」
「作戦は決まったね」
「地道な作業だね〜」
「ここは着実にいきましょう」

しかし、リズが言った。
「すべきことは、もう一つ、ある」
「先生?」
リズの口調に、望美ははっとする。
何か心に秘めたものがあるのは気づいていた。そのこと・・・だろうか。

景時が言う。
「もしかして、信直・・・じゃなくて、復活した鬼の・・・?」
「そうだ。アクラムは、百鬼夜行の中心、この陰の気の渦の要となっているはず」
望美が叫んだ。
「先生、まさか?!」
「私が百鬼夜行の中に入り、アクラムを討つ」
「そんな・・・」

リズは弁慶に向き直った。
「弁慶、軍師としてどう見る」
「大将を討ち取るということですね。圧倒的な戦力の差がある時、
その能力を持った者がいれば、僕なら迷うことなく送り出します」
「弁慶、お前は先生に何を言っているんだ!」
「この前の晩と同じ答だな、弁慶」
「リズ先生は・・・ずるいですよ。軍師としての僕に、答を求めるんですから」

その時、
「私に・・・ご一緒させて下さい」
敦盛が進み出た。
将臣が思わず、割り込む。
「敦盛・・・お前・・・」
しかし敦盛は続けた。
「私ならば・・・、この怨霊の渦の中でも、道を開くことができます」
「そうか。では敦盛、案内を頼む」
「はい・・・」

「戻って来いよ、敦盛」
将臣が言う。
「何があっても、あきらめるんじゃねえぞ」
「将臣殿・・・」
「ちっとばかしお前にはまぶし過ぎる島かもしれねえが、
経正も、尼御前も・・・、一門のみんなが待ってるんだ。
一緒に帰ろうぜ」

「ありがとうございます・・・将臣殿・・・」

リズは最後に望美を振り返った。
「神子、忘れるな。お前の決断はいつも正しい」

優しい声・・・優しい瞳・・・。
戦いの前なのに・・・先生は、なんて静かな悲しい眼をしているの。
同じ一族に剣を向けるから?
でも、先生の決意は固い。

私は、この場所で力いっぱい戦おう。
戦う場所は離れていても、心が離れることはないんだ。
神子として、先生の弟子として、恥じない戦いをしよう。

「よい眼だ。恐れてはいないのだな」
「はい!」

「では行こう、敦盛」

リズと敦盛は百鬼夜行に近づいていった・・・と見る間に、
吸い込まれるようにその姿が消える。

みんなが同時に息を呑む気配がした。

望美は、心臓がぎゅっと締め付けられるような気持ちだ。
二人が無事かどうかすら・・・わからない。

しかし、信じる。
信じて、戦う。

朔は胸の前に手を組み合わせ、祈る。
百鬼夜行の一角の動きが緩やかになる。
八葉が攻撃する。
ぬめる土塊と共に、怨霊武者が百鬼夜行からこぼれ出る。
望美の手から、白い光が放たれ、怨霊武者は光の中に消えた。

そうだ、大きい敵だけど、力の続く限り封印するだけ。
そして先生と敦盛さんがアクラムを倒せば、
きっと勝てる!!

望美は都大路の真ん中に立ち、剣を抜いた。
最後の戦いが始まった。



怨霊がひしめく中を、リズと敦盛は進んでいく。
辺りは障気に満たされた闇。
視界もままならない中、敦盛は誤たず道を開く。
穴を穿つでもなく、怨霊を追い払うでもないのに、
敦盛の行く先は、遮られることがない。
時折道を塞ぐ怨霊がいても、敦盛が杖を振って追いやる。

「リズ先生、私から離れないようにして下さい」
敦盛が振り返って、幾度めになるのか、同じ言葉を繰り返した。
リズは苦笑して言う。
「私が迷い子になると心配しているのか」
「いえ・・・その・・・すみません。そういうわけではないのです」
「道を、急いでいるな」
「・・・はい。一刻も早く、鬼の首領を倒さねば・・・」
「そうだな」

しかし、敦盛が急ぐ理由は、それだけではない。
リズは、敦盛に異変が生じつつあることに気づいていた。
指先には長い齣爪。
手の形も、徐々に変わりつつある。

「くっ・・・」
小さい呻きと共に、敦盛の歩みがいっそう速くなった。

その背に、リズは話しかける。
「生きて帰るのだぞ、敦盛。将臣と共に、同胞のもとへ」
敦盛がひどく動揺するのが分かる。

振り返らぬまま、敦盛は言った。
「リズ先生・・・あなたはもしかして・・・・・私が・・・」
「お前を大切に思い、必要としている人々がいる幸福を、自ら手放しては行けない」

敦盛の足が止まる。

「辛くても、生きて戻りなさい。お前は、『生きて』いるのだから」

「リズ先生・・・」
敦盛は向き直った。
障気が吹き付けても瞬き一つしない瞳で、リズを見る。
「私の真の姿を・・・、ご存知なのですね」
「お前はアクラムを倒した後もここに残り、百鬼夜行と共に
神子に封印されようとしているのではないか」
「・・・・・・・・」

「将臣は、お前の考えに気がついていたな」
「はい・・・」
「将臣の言葉、お前は心に刻んだように見えたが」
「・・・あの時には・・・そのようにできるならばと、思いました。
しかし、この身が・・・穢れた怨霊に他ならないことを・・・ここに来て悟ったのです」

敦盛は自分の手に目を落とす。
それはすでに人の形を失い、筋張った長い指と齣爪が現れていた。
「私の気は、この穢れた場所に・・・馴染んでいく・・・」
敦盛は苦しげに言った。
「お願いです、リズ先生。渦の中心に辿りついたなら、
その後はどうか・・・、私のことは捨て置いて下さい」
「将臣との約束を違えるというのか」
「正気を失ったなら、私はただの怨霊。せめて、先生から離れた所にて、
一体でも多くの怨霊を道連れに・・・」

「敦盛!」
リズの厳しい声に、敦盛ははっと顔を上げた。
しかし、リズの顔に怒りはない。
そこにあるのは、揺るがぬ決意の眼差し。

「敦盛、それでも私はお前に背中を預け、アクラムと戦う」

敦盛ははっとしたように、息を呑む。
「リズ先生・・・」
「よいな、敦盛」
リズの言葉の意味を、かみしめる。

しばしの沈黙の後、敦盛は言った。その声が震えている。
「私は・・・自分の辛さばかりを考えておりました。
鬼の首領を倒すどころか、リズ先生に仇なすことになるのではと・・・そればかりを」
「あきらめるなという将臣の言葉の意、悟ったのだな」
「はい、私は・・・大切なことを・・・
外で戦っている皆が、私達を信じてくれていることを・・・忘れていました」

変わりかけていた敦盛の瞳の色が、少しずつ元に戻っていく。
「敵と戦う前に、己との戦いに、敗れることはできません」


闇の中を進むうち、障気の向こうに赤い光が見えた。
強い気を放ち、光自体が生命を持つかのように脈動している。

「あそこの・・・ようです。何と強い・・・」
「鬼の気だ」
「リズ先生・・・、同胞に刃を向けることになるのですね」
「覚悟はできている。敦盛も、その辛さの中で戦い続けてきたのだな」
「いえ、先生・・・。私は、ああするしか・・・なかったので・・・」
「私も同じことだ。ただ信じる道を、行くのみ。
我が身に流れる一族の血の誇りにかけて、退くことはできぬ」

「リズ先生・・・私に託された背を、必ずお守り致します。
先生は首領との戦いのみ、お考え下さい」
「感謝する」
「いえ・・・私も・・・ありがとうございました。
共に戻るため、戦いましょう」
「そうだ。共に、戻ろう、皆のもとへ」


脈動と共に明滅する赤い光の中心は、強烈な気に満たされた空洞。
そのただ中に、アクラムはいた。

中に進み入ったリズが、真正面から対峙する。

「天地の玄武か・・・。変わった趣向の八葉だ」
すっとアクラムが立ち上がる。
「怨霊と・・・、我が一族の、裏切り者とはな・・・」

アクラムの声が、低くこだまする。
仮面のまなこが、冷ややかにリズを見据えた。




第6章 懐光 

(1)苦い再会 (2)開かれた扉 (4)死闘 (5)神子 (6)朔の涙 (7)いとしき命に (8)雪夜 〜 短いエピローグ
(8)雪夜 〜 短いエピローグ ←背景効果付 (IEのみ6.0〜対応  重いので、他のタスクを実行中の方はご注意下さい)

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