果て遠き道

第6章 懐光

5 神 子



望美はぐっと拳を握りしめると、顔を高く上げた。

     「私は、人の力を信じる!!
     倒れるまで、みんなと一緒に戦うよ!!」

     あたたかな力が望美を包む。
     肯定

望美は再び天上から、黒い雲と障気に覆われた京を見渡した。
人々の祈りを感じ、自分の纏う白き光を感じ、白龍の浄き力を感じる。

百鬼夜行という圧倒的な穢れの力の前に、
なすすべもなく滅び行くことなど、あっていいはずがない。

滅びを止めるために、龍神の力を招来すること・・・。
それは・・・白龍の神子のみが成し得ること。

私は・・・間違っているのかもしれない・・・。
けれど、私はこの道しか・・・選べない!

     「私、白龍のもとへは、行かない。
     白龍がくれた戦う力・・・私には、これだけでいい」

     肯定

     「私は・・・勝手な神子だね・・・白龍」

     否定

     「最後まで、見守っていてくれる?」

     肯定
     鈴の音が響く


白い世界が消え、望美は百鬼夜行の前に立っていた。
剣を構え、襲い来る障気を断つ。

私は、大きな過ちを冒したのかもしれない。

倒れ行く人達を、一刻も早く救い出すべきだったのかもしれない。
でも・・・

「先輩・・・、よかった、動けるんですね」
「心配しちゃったよ〜、凍りついたみたいになってたから」

「ごめん、もう大丈夫だから」
みんなに笑顔で応える。
傷だらけの顔で、みんなも笑顔を返す。

私はこの地に立って、この地で生きて、この地で死んでいく。
それを望み、それを選んで、私はこの世界にいる。

私は白龍の神子・・・そして、春日望美。
人は・・・神では・・・ない。
神になることは、私にはできない。



百鬼夜行の中でも、戦いが続いている。
時折、赤い光が揺らぎ、不規則に明滅する。
内と外からの攻撃は、少しずつ功を奏しているようだ。
しかし、不利な状況は変わらない。
アクラムに近づくことはならず、アクラムからの攻撃のみがリズを撃つ。

「涙ぐましい奮闘ぶりのようだな、お前達の神子は」
アクラムは口元に皮肉な笑みを浮かべている。
「自ら剣を取って戦うとは、ずいぶん勇ましいが・・・
己の腕を頼み、龍神を呼ぶこともせぬとは・・・・傲岸なことよ」

アクラムがつい、と指を横に動かした。
と同時に、気の刃がリズの肩を切り裂く。
「つっ・・・・・」
ぐらりとよろめく足を踏みしめる。
「避ける力も残っていないか・・・下らぬ末路だな、リズヴァーン」

リズの顔にかかる髪は、血糊で赤く染まっている。
しかし、ばさりと垂れた髪の間からのぞく青い双眸には、
微塵の揺るぎもない闘気が宿る。

リズには、望美の思いが届いていた。
この、長引く戦いこそが、望美の意志であると。

お前は、選んだのだな、神子。
この地に残ることを・・・。
人の力で、平安を取り戻す道を。

お前には・・・、わかるだろうか。
これほどに熱く、戦いの血潮が騒いだことはない。

私は、退かない。
死力を尽くして、戦い抜いてみせよう。

お前と共に、在るために・・・!!

「龍神を呼ばぬ愚かな神子のために、京は滅びる。
お前達も、これで最期だ」

アクラムが袖を翻すと、無数の真空の刃が降り注いだ。

「リズ先生!!」
敦盛が、己の身体で刃を受ける。
「敦盛!すまぬ!!」
敦盛の身体の下から瞬間移動。
アクラムの眼前へ。
「無駄なあがきだ」
アクラムの術が、リズを射抜く。
避けることなく、そのままリズは剣を振り下ろした。

「ば・・・馬鹿な・・・」
アクラムの仮面の真央に、鮮紅色の亀裂が入る。

アクラムは、よろり・・・とよろけた。
仮面の亀裂は上下に走り、そこから赤い光がほとばしり出た。

リズが膝から頽れる。
敦盛は倒れたまま、動かない。

カラン・・・
二つに割れた仮面が転がった。
そこにアクラムの姿はない。

中核を失い、百鬼夜行の脈動が止む。
赤い光が消え、辺りを静寂と闇が支配する。

と、次の瞬間、百鬼夜行は轟音と共に崩壊を始めた。



百鬼夜行を覆っていた強い障気が弱まっていく。
どろどろと流れながら、その形が崩れていく。
今にも倒れそうに、ぐらぐらと巨体が揺れる。
怨霊達が次々に剥がれるように現れ出でる。

「うわ〜、不気味なのが湧いて出てくるよ」
「先生が鬼の首領を討ち取ったのだ」
「好機ですね」

「今ならきっと、百鬼夜行を封印できる!みんな、お願い」
「オッケー、任せとけ」
「神子姫様の勇姿のためにも、やるしかないね」
全員が一斉に攻撃に出る。

アクラムを倒したのなら、すぐに戻るはず・・・。
望美は、目の前に聳える百鬼夜行に、リズと敦盛の姿を懸命に探すが、
二人の気配すら、感じられない。

しかし、不安と恐怖を心の隅に封じ、望美は百鬼夜行に向き直った。

先生も敦盛さんも、立派に目的を果たしてくれた。
今度は、私達の番だ!

「望美、私も・・・」
朔が、望美と共に百鬼夜行に向かい、手を差し伸べた。

「どうするの?朔」
「あなたの封印と同じよ。これまでは一つずつの声にしか応えられなかったわ。
でも、今なら・・・」
「朔の声が、百鬼夜行の怨霊全部に届くの?」
「ええ、そうよ」
朔は、望美をしっかりと見つめ返した。
「私はあなたの対、黒龍の神子ですもの。あなたを助けるわ」

望美は笑顔を返す。
「最後まで一緒にがんばろう、朔」
「ええ。私、一生懸命呼びかけるわ」
朔も微笑んだ。
「全ての怨霊に・・・、私の鎮魂の祈りを・・・」



百鬼夜行の中。
リズと敦盛のいる深奥に、白い光が届いた。

光の中に、怨霊達が次々と消えていく。

闇が薄らぎ、四方に間隙が穿たれた。
幽かに外界の光が射し込む。

その時、リズは幻を見た。

薄く射し込む光の中、金色の髪の美しい女が舞い降りた。
女の姿は朧に透き通り、現世の存在ではないことがわかる。

リズは、その女を知っている。
幼き日、瀕死のリズを看病してくれた女。
京の鬼の里に住んでいた、最後の主。

しかし、纏う装束は、白拍子のものか。
リズの目にしたことのない、あでやかな衣装。

女は膝を付き、割れた仮面をそっと拾い上げた。
愛しげに胸に抱きしめ、頬に押し当てる。

(お館様・・・)
女の唇が、耳には聞こえぬ言葉を形作る。

「・・・・・」
リズは女に呼びかけようとして、言葉を途切らせた。
仮面から顔を上げた女の表情は、リズの知らぬもの。
そこにあるのは、幸福に輝く「女」の顔だった。
そこに立ち入ることはできない。

女はリズに向かい、からかうように少しだけ、眉を上げてみせた。
(少しは、女の気持ちが分かるようになったんだね)

女は優雅な動作で立ち上がった。
ふわり・・・と髪がなびき、女は優しく微笑む。
微笑みの形のまま、女の唇は動き、
「リズ坊・・・」
という言葉を紡いだ。

そして、女の姿は陽炎のようにゆらめいて、光の中に昇っていった。
アクラムの仮面と共に。


「リズ・・・先生・・・」
敦盛が、かすかに動いた。
その傍らに、瞬間移動。
アクラムから受けた傷で、身体の動きがままならない。

「私達は・・・勝ったのですね」
「そうだ。百鬼夜行は、崩壊しつつある」

「よかった・・・」
そう言って安堵のため息をついた敦盛は、はっとした。
「私は・・・この声は・・・」
「気づいたか、敦盛。自分の姿、その目で確かめてみればよい」
「あ・・・」
敦盛は身体を起こし、自分の手を見、身体を見回した。
それは若き公達の姿。元のままの敦盛の姿だ。

「こ、これは・・・」
「周りを見てみなさい。神子が浄化の光を放ったのだ」
「では・・・私は・・・」
「神子の封印の光を受けてなお、お前はここに在る」
「・・・・・・・」

敦盛は、真上から射し込む光を見上げると、腕で顔を覆った。
唇が、かすかに震えている。
そのまま、くぐもった声で言う。
「私達は・・・帰れるのですね」
「そうだ、お互い、誓いを守ることができたな」
「はい・・・」

その時だった。
二人の足下が、滑るように崩れた。
リズと敦盛の間に大きな亀裂が走り、その下に大きな空洞がぽっかりと口を開いた。
瞬間移動の足場すら、無い。

「敦盛!」
「リズ先生、早く脱出を!」

落下する二人の声を飲み込み、百鬼夜行は崩れていく。



限りなく・・・どこまでも・・・落ちる・・・落ち続ける・・・。
全てが、崩壊していく中で・・・
清らかな水が、ひたひたと身体を包む。

静かな・・・世界・・・朔の祈りの世界・・・
悲しみの青に満たされた世界に、信直はいた。

あなたは、このような静けさと悲しみを、身の内に抱きながら
生きてこられたのですか・・・。

     あなたの悲しみは、私が受け入れるわ。
     だから・・・静かに、お眠りなさい・・・。

朔の声が、怨霊達に届く。
怨霊は鎮まり、その声に耳を傾ける。

初めて、あなたの心に触れることができた。
私には遠すぎた・・・あなたの・・・心に。

白い光に包まれ、周囲の怨霊が次々に消えていく

怨霊ならぬこの身は、浄化されることもない

終わった・・・。
二つの顔を持ち、どちらも偽り。
この名に込めた、父と母、二つの愛もわからぬままに・・・。
二つの血が結びあったものと、悟らぬままに・・・。

今なれば、わかる。
母の願ったことが。

滅びへと突き進む、荒ぶる力を使うことがないようにと、
傷つけるよりも、蔑まれて石を投げられる方を選んだ。
それは、呪詛よりも強い、愛の力であったはず。

全ては、遅かった・・・。

いや、こうして、己に戻れたこと・・・
無駄にはすまい。

この身の始末、己が手で。

信直は剣を抜くと、その身に深々と突き立てた。

肺腑を抉る痛み。

しかし数多の他者に与えてきた痛みに比すれば、
これが何ほどのものであるのか。
贖罪にも遠く及ばぬ。

暗転する意識の中、
最期に見た白い光が・・・。
・・・ひどく、眩い。




第6章 懐光 

(1)苦い再会 (2)開かれた扉 (3)最後の戦い (4)死闘 (6)朔の涙 (7)いとしき命に (8)雪夜 〜 短いエピローグ
(8)雪夜 〜 短いエピローグ ←背景効果付 (IEのみ6.0〜対応  重いので、他のタスクを実行中の方はご注意下さい)

余話

「1.〜鎌倉にて〜 馬酔木の花の零れゆく」

[果て遠き道・目次(前書き)]

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