果て遠き道

第6章 懐光

1 苦い再会



神泉苑を目指す。
洛中にも、一つならず火の手が上がっている。
怨霊に追われ、逃げる人々に幾度も遭遇した。
立派な屋敷の門や壁が、無惨に壊されている。
まして粗末な家々は、怨霊の侵入を防ぐなどできない。

悲鳴が響く。
貴族の屋敷を警護する武士と怨霊の戦う音も聞こえてくる。
どこかの屋敷を略奪してきたらしく、塗物の箱や衣を抱えた無頼漢が数人、
怨霊に取り巻かれている。
断末魔の悲鳴の上がる中、すばしこい一人が仲間を置いて一目散に逃げていった。

「ひどい・・・」
眼前に繰り広げられる光景が、望美の心に突き刺さる。
「この世の終わりみたいな光景だな」
将臣がぼそりと言った。
「数多の惨状を・・・止められるのは、神子だけだ。今は、つらいだろうが・・・」
「道を急ぎましょう」
「・・・・・・・はい」

一行の前に立ち現れる怨霊は、白い光の中に消えていく。
望美の周囲だけが、障気を寄せ付けず、清浄な気に満ちていた。

しかし、都大路を進むにつれ、地が障気にじわじわと覆われていくのがわかる。
空を覆う黒雲が、神泉苑上空に渦巻き、低く垂れ込めている。
時折、黒雲の中に稲妻が閃く。


神泉苑の木々が見えた時、逃げまどう人々の群とぶつかった。
彼らの走り来た方向は、内裏よりもさらに北。
赤黒い炎が上がっているのが見える。

「あれは・・・怨霊の炎」
リズが呟いた。

人の流れに逆らい、武士の一団が慌ただしく走っていく。
「大勢あちらに取り残されているぞ!」
「何人だ?!」
「救援に行った者は一人も戻っていない!」

バサリ・・・。
外套の翻る音に、皆が振り向いた。
「すぐに戻る。神子は皆と共に、先に神泉苑へ行っていなさい」
それだけ言うと、リズは一行から離れ、北に向かって歩き出す。

「どういうことでしょうか、リズ先生」
「お考えがあってのこととは・・・思うのですが・・・」
「あまり寄り道している時間はないんじゃない」

しかし
「私も行きます!!」
「神子・・・」
「先輩!」

「先生、あの方向にあるのは・・・・・」
「そうだ」
背を向けたまま、リズは答える。

望美は心を決めた。
「ここで押し問答している時間はないです。先生、私も行かせて下さい。そして」
望美はみんなを振り返って、言った。
「絶対に戻ってくる。お願い、信じて」

すぐに答えたのは朔だった。
「もちろんよ、望美。私はここで、あなたたちを待つわ。いいわね、兄上」
「そ、そうだね〜。後に退く気はないみたいだし」
「神子姫様を信じるよ」
「言い出したら聞かねえからな」
「大事な戦の前だ。無茶はするな」
「俺も、信じてますから」

「ありがとう、みんな!」
「すまぬ・・・」

リズが望美の肩を抱き、二人の姿はかき消えた。


赤黒く燃え立つ炎の向こうから、いくつもの悲鳴が聞こえてくる。
炎の中には、火気を纏う怨霊の姿。

川を背にした街の一画が、炎と怨霊とで、完全に孤立していた。

「この先に、大勢の人が・・・。先生、瞬間移動でここを抜けられますか」
「向こうの様子が分からぬままでは危険すぎる。
怨霊を切り伏せながら炎を抜けるぞ、よいか」
「はい!」

望美の手から、浄化の光が放たれた。
怨霊の纏う炎が弱まった瞬間にリズが斬り込み、望美が怨霊を封印していく。
次々に立ち塞がる怨霊の間に、道を穿ち、進む。

この炎と怨霊の群・・・・・
望美の脳裏に、幼いリズと出会った鬼の里の情景が蘇る。
「先生も・・・きっと同じ」
「繰り返してはならない・・・」

必死に剣を振るううち、次第に炎が薄らいできた。
やっと周囲の様子が見える。

そして、なぜ人々が川を渡って逃げないのか、その理由がわかった。
橋は焼け落ち、川には水の気の怨霊が蠢いているのだ。

怨霊を食い止めようと戦っている武士の一団がいる。
善戦しているとはいえ、いくら倒しても起きあがってくる怨霊相手には、
明らかに分が悪い。それでも彼らは怯むことなく剣を振っている。

その時、
「きゃああっ」
「うわああん」
子供の悲鳴が上がった。
幼い男の子が転んでいる。
少し年上の女の子が駆け寄った。
逃げ遅れた幼い姉弟。
そこへ、怨霊武者の剣が迫る。

「くっ!」
怨霊の太刀をかわし、リズが瞬間移動しようとした時、
駆け寄った老人が、倒れ込むように男の子に覆い被さった。
その背に、剣が突き刺さる。

次の一太刀を老人に浴びせる前に、怨霊武者はリズの剣に切り伏せられた。
駆け寄った望美が封印する。

「おじいちゃん!!」
女の子が、老人の背に広がる赤い血を見て、怯えた声を上げた。
その老人の下から、男の子の泣き声が聞こえてくる。
望美がそっと手を伸べ、男の子を抱き取った。

「子供は無事だ」
リズが老人に話しかけた。
老人の傷は深い。
血は止まることなく流れ続け、着物を伝い、雪に赤い染みを広げていく。

「よかっ・・・た」
老人が、かすかに首を動かし、リズを見た。

と、どちらも驚愕に息を呑む。

半分白くなった髭が、老人の顔を覆っている。
その髭面の持ち主の顔を、リズは忘れてはいない。
幼い日の自分を、売り飛ばそうとした男。
無頼の者達を集め、その頭目におさまっていた男。
「鬼の・・・ボウズ・・・か」
老人が、かすれた声で言った。
その口から、ごぼごぼと血があふれ出る。

「おじいちゃん・・・」
女の子が泣きながら、力無く投げ出された老人の手を握った。
老人の指が動き、女の子の手を弱々しく握り返す。
「元気で・・・な・・・」
笑おうとしたのか、かすかに口が動き、引きつったように止まった。

目を開いたまま、老人はこときれた。

女の子はその場で、泣きじゃくりながらうずくまる。
望美に抱かれたまだ幼い男の子は、わけがわからないのか、
姉に向かって小さな手をのばす。
「おねえちゃん、おじいちゃん・・・ねてるの?」

「この場は危険だぞ!早く離れろ!」
武士が一人、走ってきた。
その後ろから、おそるおそる数人の街人達が来る。

「鬼、今度は子供を助けたか」
武士がリズに話しかけた。
見れば、鳥辺野にいた検非違使の一人。
影に飲み込まれ、リズに脱出を手助けされた者だった。

「助けたのは私ではない。この・・・・老人だ」
「こやつは・・・放免の・・・」
「検非違使庁の下部・・・か。知っているのか、この男を」
「ああ、死罪になるところを、頭の回る者ゆえ、先の別当殿が特別に裁可された。
今は、この辺りの放免達の元締めをしていたはず」

泣きじゃくる女の子の手を引いて立たせながら、女が言った。
「優しい人だったのにねえ。身寄りのないこの子達を預かって」
「放免共ときたら、乱暴狼藉の限りが相場と決まってるが」
「この人が睨みをきかせてるおかげで、ここいらは穏やかなもんだった」

「本当のおじいさんじゃなかったの?」
望美が尋ねると、女の子は目をごしごしとこすりながら、こくんとうなずく。
「おいで・・・」
女の子は望美に抱かれた弟に手をさしのべた。
望美が男の子を下に下ろすと、女の子は弟の手をしっかりと握る。
「今度は、手、放さないからね」
「うん」

きゅっと口を引き結んだ女の子の目にあるのは、何なのだろう。
親を失い、今また、養父を失った姉弟。
街人に付き添われていく後ろ姿を見送りながら、
望美は、唇を強くかみしめ、涙をこらえた。

同情の涙など、この子達は必要としていない。
今は、私にできること・・・それを果たすのみ。


リズは黙したまま老人の傍らに膝をつき、
かっと見開かれたその目を、そっと閉ざした。
自らも瞑目したのは、祈り・・・だったのだろうか。

炎が迫り来る。
少し開けたこの一画に残された場所は僅か。
人々は追いつめられ、一カ所に集まっている。
あの子供達も、一時怨霊の手から逃れられただけ。
武士達はじりじりと後退を余儀なくされている。

リズは立ち上がり、焼け落ちた橋に向かう。
「鬼、何故ここに来た」
武士が問うた。

「皆が逃げ延びる道を開くため」

武士は訝しげに言う。
「これだけの人数だ。お前達が怨霊の間を切り抜けてきたようにはいかないのだぞ。
いったいそのような道が、どこにあるというのだ」

望美の心臓が、ドクン!と拍つ。
先生・・・まさか・・・

リズは橋の前に立った。

「鬼の里を、開く」




第6章 懐光 

(2)開かれた扉 (3)最後の戦い (4)死闘 (5)神子 (6)朔の涙 (7)いとしき命に (8)雪夜 〜 短いエピローグ
(8)雪夜 〜 短いエピローグ ←背景効果付 (IEのみ6.0〜対応  重いので、他のタスクを実行中の方はご注意下さい)

第5章 闇来 (8)

[果て遠き道・目次(前書き)]

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