六条堀川、源氏の館から二筋ほど隔たった辻。
二つの人影が向かい合っている。
「久しぶりだね、九郎を追って西国に行ってるんじゃなかったのかい」
「いや〜、びっくりさせないでよ。いきなり声をかけるなんてさ」
「それはこっちだって同じさ。急に姿を現すなんてね」
「君が京に来てるとは思わなかったよ」
「お互い様かもね。で、なぜ景時は帰ってきたんだい」
「尋ねた方からお先にどうぞ♪」
「オレは熊野別当だぜ。源氏の大物に軽々しくそんなこと話すと思う?」
「ははは、相変わらずだねえ。じゃあ一つ教えてあげるよ。
院の使者は今、政子様と会ってる」
「へえ、この時期に院が源氏に何を言ってきたのか、ちょっと気になるね」
「ん〜、やっぱりそういうとこ、弁慶と似てると思うな」
「そう言われても、あんまり嬉しくないんだけど」
「とぼけ方がそっくりだよ。だって、院を動かしたのは君じゃないのかい」
「ふうん、源氏の軍奉行殿は、何を考えているんだろうね」
「熊野別当殿がわざわざここに来ているのが、何よりの証拠でしょ」
しばし二人は沈黙し、互いを推し量るように見合っていた。
ややあって、ヒノエが口を開く。
「で、軍奉行殿は、何の用があって堀川に来たのさ。
西国の報告ならば、ご丁寧に隠形まで使って館から出てくる必要なんて、ないはずだよ。
何かヤマシイところがあるんじゃない?」
景時から笑みが退く。
「・・・ヒノエ・・・京は今、こんな状態だ。熊野にとって、これは喜ばしいことなのか?」
「参ったな。真っ直ぐ来るとはね」
ヒノエも真顔になる。
「院は、熊野と源氏、どっちと結ぶのが有利か天秤にかけてるんだ。
できれば両方とうまいことやりたいってのは見え見えだけどね。
平家のいなくなった今、源氏だけが強くなるのは面白くないだろうから」
「源平双方によしみを通じていた昔の・・・ままか。
熊野側からの提案をしたのは君だね」
「そういうこと。で、その時は嬉し涙を流さんばかりの猿芝居をしてたけどね、
その裏ではちゃっかり源氏に使者を送ってたってわけ」
「さらにその裏で、ちゃっかり使者の先回りをしていたってわけかい」
「まあね。この京の有様が、朝廷の差し金かどうか知りたくて、
カマをかけてみたけどさ・・・そっちの線は不発だったよ」
そう言うとヒノエは親指を立てて見せた。
「黒幕は源氏。それも北の方。しかも、これで終わりじゃない。
まだ何か、途方もないことを狙ってる。違うかい?」
「熊野別当殿がなぜ・・・オレにそこまで言うのかな?」
「軍奉行の景時がどうするか見たくてね。オレがここまで掴んでると知って、どう動くか」
熊野が底力を蓄えてきているのも道理だ・・・と景時は思った。
この若さで別当職を勤め上げているのは、前職の父親の後ろ盾のためでも、
幸運のなせる技でもなく、頭抜けた実力のためだ。
頭脳、胆力、一瞬の判断力、どれを取っても並外れている。
ここでオレがヒノエの口を封じようとしても、周囲に潜んでいるカラスが阻止する手筈か。
景時は意を決して顔を上げた。
「後で行くからって、弁慶に伝えておいてくれるかな」
「ふうん、そういうことか。ヤローからのお願いなんて引き受けたくないんだけど、
今度ばかりは断るわけにもいかないようだね」
ヒノエの姿がふっとかき消える。近くの塀に飛び乗ったのだろう。
景時は自らも再び呪を唱え、その姿を隠した。
堀川の館では、政子が院からの使者と対している。
その眉がかすかに顰められた。
「どういうことですの・・・私の呪が消えた」
届けられた書状に目を落としながら呪の在処を探すが、
それは煙のように消え失せている。
天の白虎にかけた呪が発現するのを確かに感じたのに・・・。
白龍の神子に、逃れる術はない。
自分の仲間を斬り捨てることなど、できるような娘ではないのだから。
天の白虎は、心に秘めた想いを遂げることさえもできたはず。
なのに・・・なぜ・・・。
人の身でそのようなこと、かなうはずが・・・。
政子は、はっと目を見開き、次いで唇を強く噛んだ。
書状を持つ手が震えそうになるのを押さえる。
龍の宝玉が消えたのは、そういうことだったの?
生ぬるいやり方をしてしまったようだわ。
しかし表向きは平静な声で使者に向かう。
「院のご心痛、いかばかりのものかとお察ししますと、私も本当に心が痛みますわ。
源氏は全力で院をお支え致します。京が危うくなったなら、お望みの地に
喜んで新たな御所もお造りすると、お約束します」
「それは有り難きお言葉にござりますな。
ではその旨、書面にて頂けましたなら、院におかれましては
さぞお心強く、またお喜びになることかと存じます」
使者とはいえ、院の覚えめでたい老獪な公家は、そのままでは引き下がらない。
「かしこまりました。では、書状をしたためてまいりますので、御前を失礼致しますわ」
退席した政子は別室に入るが、返書を書くために用意された筆は執らなかった。
目を閉じて、しばし黙考する。
ここまで来て邪魔されるなど、あってはならないわ。
私が行くしかないようね。
この地の贄・・・・・・。
急がなければ。
びょうびょうと吹き交わす強風の中、
京の辻に剣と剣の打ち鳴らす音が響き渡る。
闘気と殺気がぶつかり合い、激しい火花となって風を払う。
「神子への呪詛、許せぬ!」
「おや、もうお分かりとはな」
「信直、お前は鬼であろう」
「・・・・・・!」
鍔近くでガキッと組み合った剣を、力任せに押し退ける。
「背中の傷を見られたのは不覚だったが、俺の正体まで気づいていたのか」
「お前は、初めから偽りばかりだった。神子との朝稽古を見に来ていた時から」
「何・・・?!あの時から・・・だと?」
「身体に染みついた炎と煙の臭い、例え着替えても消すことはできぬ。
ましてやあれだけの屋敷での大火だ」
「ちっ、はなから疑われていたってことか」
「何より・・・怨霊が出たと聞いただけで、場所も聞かぬうちに
庭に走り入ったのが不覚だったな。朔が襲われたと思い、用心を忘れたか」
一気に間合いを詰め、信直が打ちかかった。
間断のない斬撃がリズを襲う。
「その重い太刀で、俺の動きに遅れないとはな」
振り下ろした剣が手を変えて下から来る。
すかさずリズの剣が上から弾き落とす。
が、剣の重さは巧みに受け流され、次の瞬間には攻撃に転じている。
「手合わせをした時には、気づいていたというのか」
「太刀筋は正直だ。基本通りに全て完璧でありながら
これはお前ではないと、明らかに語っていた」
斬撃を受け流しながら、その合間を縫ってリズの剣が眼前に突き出される。
咄嗟に信直は後ろに退いた。
「堀川の時こそ、真のお前の姿」
二人は間合いをはかり、じりじりと回り込みながら、斬り込む隙を窺う。
「そうだ、あの時は楽しかったぞ。俺は待っていたんだ。
お前と存分に戦うのを」
「同胞に剣を向け、無辜の者を傷つけ、穢れをまくことが喜びというのか」
「俺はお前とは違う!鬼であることを、忘れ去ったやつとは!」
信直は斬りかかると見せて、術を放つ。
同時に放たれたリズの術がそれを弾く。
大気が衝撃でヒン・・・!と鳴る。
「なんだ、鬼の力を捨てたのではないのだな。面白くなった。
楽しい、楽しいぞ。思い切り己の剣を振るうのは」
連続して打ちかかっては離れる。
離れると見せて、至近距離から術を放つ。
剣と術の交錯する攻撃を、リズはことごとくはね返していく。
「それだけの力、なぜ今まで使わなかった」
「私は剣の師だ。しかし今は、自らへの封印を解いた」
「封印・・・」
瞬間、かつて己の力を取り戻した炎の記憶が蘇る。
封じられていた己の力が、あの日・・・母の死を境に、一気に溢れ出たのだ。
「信直、地の底から鬼を呼び出し、何とする」
「俺の名は、イシムだ」
「イシム・・・二つの顔を持つ者・・・」
「ふっ、お前のリズヴァーンというのは、たいそうな名だな。
楽園の門など、どこにある。
守るべきものなど、鬼にはないというのに」
「存在は滅しても、思いは残る。この名は、紡がれてきた一族の思いの結晶だ。
お前には、受け継ぐべき者の誇りはないのか」
「お前は、そんなものに縛られているのか」
凄まじい速さで交わされる剣戟の音が続く。
打ち合っては離れ、間合いをはかっては飛び込む。
変幻自在な剣の乱舞。
が、いつ止むともなく続いていた闘いは、唐突に終わった。
剣を構えた信直の顔が、一瞬、ゆがんだ。
何かが聞こえたのだろうか。
「しかし・・・」
小声で何事かを返す。
しばしの逡巡。
その隙を逃さず打ちかかったリズの剣をかいくぐると、
信直は指笛を吹き、走り来た駿馬に飛び乗った。
「決着は後日だ!!」
後ろ姿でそう叫ぶ。
「だがこれが・・・最後だった」
馬上で、信直は小さく呟いた。
何事もなかったように、京の辻に風が吹き荒れる。
遠ざかっていく信直の背を見送ったリズは、ゆっくりと振り向いた。
あたたかな気が、こちらに近づいてくる。
瞬間移動。
次の辻へ。
望美が走ってくる。
リズも走る。
腕を差し伸べて、指先が触れ、手を絡ませ、
二人はしっかりと抱き合った。
第5章 闇来