果て遠き道

第5章 闇来

4 それぞれの決意




「そうですか・・・九郎はやはり京に来ていたんですね」
弁慶はいつもの笑顔のままで言った。
しかしその声には、安堵の思いが滲み出ている。
「よかった・・・」

九郎からの連絡が途絶え、やがて九郎が謀反の嫌疑により追われていると知って以来、
弁慶の心の隅に棘のように刺さっていた小さな悔恨が、やっとその痛みを和らげた。
請われるままに自分が九郎の側にいたならば、九郎が謀略にさらされる前に
その存在を察知し、深刻な事態となることを防ぎ得たかもしれないのだ。
真っ直ぐな気性の九郎なればこそ、自分のような者が補佐するべきではなかったか。

だがこれは、単なる感傷と自惚れに過ぎないとも自覚している。
九郎の軍師として生きる道を選ばなかったのは、自分自身。
今さらその結果を悔いたところで、何事かが変わろうはずもない。
何よりも、一緒に危機をくぐり抜けてきた自分が九郎を信じないでどうするのか。

・・・・・「九郎なら、大丈夫ですよ」
望美に繰り返した言葉は、自分に言い聞かせるためのものでもあった。

だから、よかった・・・と思わずにはいられない。
謀反の咎で捕らえられている者達の嫌疑を晴らすという九郎の戦いは、まだ始まったばかり。
だが少なくとも九郎は、戦いの場である京まで、無事辿りつくことができたのだから。

「先生も弁慶さんもヒノエくんも、九郎さんが京に来ると思っていたのに、
なぜ私の前では鎌倉に行くはず、なんて言ったんですか」
望美は少々ふくれっ面だ。
なんだか自分だけが話の輪の外にいるような気がしたのだ。

「おや、姫君は怒っているみたいだね」
「それだけ元気になったということですね。医者として、うれしいですよ。
もちろん、僕自身としてもね」
「神子、口にすべき事も、口にすべき時も、選ばねばならぬということだ」

「リズ先生が言うと、すごく深く聞こえるぜ。
だが、九郎のことは一安心として、さっきここに入ってきた時、
話がある、とか言ってなかったか」

「そうだね。今日一日、オレ達はそれぞれに動いていろんな情報を手に入れた。
それをこの場で出し合うって、どう?」
「いいんですか、ヒノエ。ここには平家も含めて、立場の違う者達が揃っているんですよ」
「だからこそ、だよ。オレが無駄にここにいると思うのかい?
それに、後から景時まで来るってね」

「え?景時さん、京に戻ってきたんですか?」
「ふふっ、二人がどこで会ったのか、興味がありますね」
「景時・・・源氏の軍奉行殿か。ま、俺はかまわねえ」
「私も・・・今はお互いの立場より優先すべきものが・・・あると思う」
「俺も賛成です。振り回されるのはもう、うんざりですから」
「一致したようだな」

「じゃ、まずはリズ先生からどうぞ」
「なれば、まず核心から言おう」
その口調に、かすかな苦さを感じ、一同は軽い驚きを感じながらリズを注視した。

「過去二度にわたり、京を滅ぼさんとした鬼の首領が、蘇ろうとしている」

「なんだって・・・」
皆が驚愕し、絶句した中、リズは続けた。
「信じ難い話であろう。しかし、私は異界でその鬼に会い、
その鬼を現世に蘇らせようとしている、もう一人の鬼とも剣を交えた」

ごうごうと風が鳴り、苫屋を倒そうとするかのように大きく揺らす。
耳を聾さんばかりの風音が辺りを圧する中、皆の間に沈黙が落ちた。
リズの話は淡々と続く。

そして、各人が話を終えた時、皆の疑問は一つに集約されていた。
「かつての鬼を蘇らせて、何をしようというのだろう」

「私の得た答えは・・・」
リズが口を開いた時、突風が吹き込んだ。
夜陰を背負い、ゆらりと現れたのは景時だった。
声をかけようとした望美は、挨拶の言葉を飲み込んだ。
常ならぬこわばった表情に、暗い眼。
入るなり、景時はがくっと膝をついた。

「景時さん!!」
「どうしたっ?」

駆け寄った望美達を見上げ、景時は笑ってみせた。
「怨霊が・・・増えていてね、どれもやけに強いんだよ。あ〜、恐かった〜」

「怪我をしていますね」
手燭に火を移すと、弁慶が手際よく傷を調べていく。
「たいしたことないから、オレ、大丈夫だよ。
それより・・・望美ちゃん、リズ先生・・・」
「何ですか、景時さん」
「ごめん・・・。信直のことで、大変な思いをさせちゃって」
景時はリズに向き直った。
「先生のことを検非違使庁に密告したのも・・・やつなんです」
「そんな・・・景時さんがあやまることないですよ」
「景時、お前に咎はない。だから私達に詫びることもないのだ」

「あいつが頼朝様と内通してオレを見張っていることは、以前からうすうす
感づいてはいたんです。でもまさか・・・先生達に悪意を抱いているとは・・・」

景時は、これまでの話を聞いていない。リズは言った。
「景時、お前は知らなかったのだな。信直が鬼の血の者であると」
「え・・・・」
景時は絶句した。
「そうか・・・信直が・・・鍵だったのか・・・・・・」

「どうしたんですか、鍵ってなんのことですか」
「何かが分かったって顔してるぜ。でも、あまりいいことじゃなさそうだね」
「景時・・・古い記録を調べたのだな」

景時はうなずき、その場の一人一人を見渡すと、絞り出すような声で言った。

「・・・百鬼夜行が・・・、起きる・・・」



六条堀川。
夜を迎えたというのに、院の使者はまだ居座っている。

後白河法皇に宛てた返書は馬で早々と送ってある。
しかしその後も話を引き延ばし、あげくは、宵闇の中、帰途をたどるなど
怨霊に襲われて命も落としかねない恐ろしいことと、空々しく涙までこぼしてみせた。

意図するところは明白だ。返書以上の助力、援助を源氏方から引き出すため。

使者は夕餉と酒を饗され、政子と御家人達を相手に、のらりくらりと
当たり障りのない話をしながら、ふいに重要な事柄について切り込んでくる。
苛立たしいことこの上もないが、殿上人でもある院の使者に礼を失することがあれば、
それこそ大失態。

この重大事に、坐して酒の相手とは・・・。御家人衆は切歯扼腕する思いだ。

しかし政子の胸中には、それ以上のものがある。

信直を呼び戻し、新たな指示を与えようとしたところで、中断を余儀なくされた。
使者を置いて、長く座を空けていることはできない。
さらに、もてなしに何の趣向もこらされていなければ、侮られる。
このような者相手に・・・政子は苛立っていた。

離れていても信直に命令を出すことはできる。
だが、細かなことまで通じるほどに、お互いの心は結びついていない。
否、むしろ厚い障壁があるといっていいだろう。

しかし短いやりとりの中で、信直は聞き逃せないことを言った。
あの鬼・・・地の玄武が、信直の正体を見破り、さらには地に宿る鬼の存在までも
気づいているというのだ。

地の玄武・・・この館で葬っておくべきだった・・・。


政子がもてなしの指示に忙殺される中、館から信直の気が消え、
戻ってきたのは夜も更けてからだった。

「近頃は、勝手な振る舞いが多すぎるわね」
政子の怒りの気が周囲を取り囲んだのにもかまわず、信直は薄く笑った。
「申し訳ありませんでした。この後は、ずっとこちらに控えておりますゆえ、
どうかご勘気をお鎮め下さい」


信直は庭にいる。
夜の中、雪がほの明るい。
かすかに、わざとらしい談笑の声が流れ聞こえてくる。

「雲上人の頭はただの飾りか。欲に目が眩み、
自分の足下が揺らいでいることにさえ気づかぬとは」
つまらぬことが脳裏を掠めるが、それは一瞬のこと。

身の内に沸き上がる鬼の力が、ほとばしり出ようとざわめき立つ。
燃えるほどの熱さを感じて己が両手を見れば、それは赤い光を帯び闇に浮かんでいる。
気を集めると、その光はぐんぐん強さを増していく。

信直は破顔一笑すると、その気を庭の池に向け、放った。
池からこちらを覗いていた小さなサンショウウオが、かすかな音を立てて消滅する。

つきん・・・と頬が痛んだ。



百鬼夜行・・・その忌まわしい出来事は、現代からやって来た三人以外は
一度は耳にしたことがあるものだった。
しかし、龍神に関わることだけに、その当時の詳細な記録は残されていない。
ましてや、数十年も昔のこと。
京から鬼が姿を消してからは、過ぎ去った災厄という意味合いしかなかった。

「弁慶は、龍神については詳しいだろ。何か知っていることはないのかい」
「僕が調べた限りでは、先代の神子と八葉、そして龍神が京を救った・・・としか。
景時、安倍家の記録には、他に何か書かれていないんですか」

「強い力を持った鬼が百鬼夜行を呼び出したと・・・それだけなんだ。
オレはさ、逆から考えたんだよ。・・・政子様が・・・望むことを叶えるとしたら、
どうするかってね。
信直が鬼だと知るまでは、確信できなかったんだけど」

皆の言葉が行き交う中、望美は混乱した思いをおさめきれずにいた。

信直が裏切り者であったと知っただけでも大きな衝撃だった。
もちろん、景時邸に二心ある者がいたことは、望美自身が野盗にさらわれたことで、
もう疑ってはいなかった。
だがそれが、梶原家の郎党の中でも一番気が利き、自分たちに明るく親しげに
接してくれていた信直であったとは。
さらに信直が、かつて京を襲った百鬼夜行という悪夢を再現しようとしていることが、
望美をひどく動揺させている。

その時、リズの手が望美の肩にいたわるようにかかった。
「神子、お前は先に休むか」
「あ・・・平気です。すみませんでした、ぼんやりしちゃって」
望美は慌てて気を取り直す。

もっと大事なことがあるのだ。心を乱している時ではない。
どうやって、百鬼夜行を止めればいいのだろう。
神子も八葉もいない今、龍神の力を求められるのだろうか。

「信直を止めねばならない」
リズが言った。

「そうですね。それが一番合理的だ」
「だが、そいつ一人ってわけじゃねえんだろ?」
「北の方が、黙っちゃいないだろうね」
「・・・また、堀川に行くべきなのだろうか」
「軍師として言うなら、できれば、敵地での戦いは避けたいところですね」

それまで黙していた景時が口を開いた。
「みんなは・・・百鬼夜行を止めようとしているんだね」
「え?知らなかったんですか、景時さん」
望美は少し驚いた。
「ふうん、堀川での話の続きかい?軍奉行殿」
ヒノエがからかうように言う。
「いや・・・オレはここに、みんなに頼みに来たんだ。
無理に・・・とは言わない。だけど、みんなの力を会わせなければ、京は滅ぶ」

「それは、景時が源氏と袂を分かつということですか」
弁慶が穏やかな言葉ながら、核心に切り込む。

その言葉で、望美ははっと気がついた。
百鬼夜行を起こすよう、信直に命じたのは政子だ。
京にあっては源氏を代表する者。
その意志に逆らうということは・・・。

「そうなっちゃうかな〜。オレ、勝手に西国から戻ったでしょ。
その上政子様に直談判して怒らせちゃったしね」

源氏の世になればもう、あんなことはしないですむ。
誰もが安心して暮らせるようになる。
そう思っていた。

なのに・・・
政子様は、言い放った。
天に二つの陽はいらないと。

知ってしまったらもう、後戻りはできない。
多くの人の血が流れるのを見て見ぬ振りをして許したなら、
それはオレが手を下したのと同じことだ。

こんなの、何の償いにもなりはしないけど、もう、繰り返したくない。

いつもの軽口をたたく時のように、景時は笑顔のままだ。
だが、その背後に秘めた決意を見誤る者はいなかった。

ヒノエは屈託無く笑う。
「熊野は京から遠いけど、空も地も続いてるだろ?一つの地の穢れは、
他の地も穢していくものなんだよ。オレは熊野の神職だから、
神々が穢されるのを黙って見ているわけにはいかないね。
・・・って、これでいいかい?」

将臣は頭を掻きながら言った。
「後腐れ無くして、戻りてえからな。それだけだ」
「怨霊を・・・これ以上増やしてはならないと思う」

「そうか〜。みんなが一緒なら心強いなあ。
ごめんね、変なこと聞いちゃって」
いつもの景時の口調に、望美はほっとする。

と、景時は眼を閉じると言った。
「どうやら今、信直が堀川に帰ってきたようだよ」

「え?どうしてわかるんですか」
望美は驚く。
「式神を、置いてきたんだ」
「へえ、やるじゃん」
「オレの式神、動きがのろいから、あちこち動き回れないんだけどね、
様子を探るだけならなんとかなるよ」
「で、今はどんな様子なんですか」
「院の使者が居座ってるみたいだ・・・。かすかに酒席のような声がするよ」
「こんな時に・・・なんという・・・」
「ふうん、じゃあ北の方は今夜は動けないってことだね」
「せめてものラッキーってやつだな」

「源氏の館から百鬼夜行が始まるってことはないよね」
「自分に疑いを向けさせるようなことはないでしょう」
「じゃあ決まりだね。館を離れたところを、押さえる」

「神泉苑の・・・鬼門だ」
それまで黙していたリズが言った。
「先生・・・?」
望美の問いかけるような眼に、リズはかすかに微笑んだ。
しかし、すぐに厳しい表情に戻る。

「百鬼夜行は、そこから始まる」

・・・・・私はそのことを知っている。
彼の時に起きたことは、おそらく、この場の誰よりも詳しく知っている。
先代の地の玄武、安倍泰継の書き残したものを読んだから。
そこに書かれた一言一言が全て、脳裏に焼き付いている。

しかし、全てを語ることはできない。

望美が今、龍神の神子でないことだけが、せめてもの救いだ。

だが右の頬に灯った熱が、冷めない。

京の滅びを救おうとする望美のために、命を賭して戦うことは厭わない。
なのにその一方で、このようなことを願う私は・・・あまりにも愚かだ。
けれど、願わずには・・・祈らずにはいられない。

どうかお前に、龍神の加護が・・・無きままで・・・あるように・・・。




第5章 闇来 

(1)屈服 (2)対峙 (3)集いと別れ (5)絆 (6)二つの剣 (7)蘇る幻 (8)長い夜の終わり

[果て遠き道・目次(前書き)]

[小説トップ]