時が動き、宝珠が形を成した。
途切れた言葉の続きを、景時は途中で飲み込んだ。
眼前にいた望美とリズの姿が無い。
そして、鎖骨の間に触れる、宝珠の感触。
その意味するところは明らかだ。
皆が、一斉に動いた。
「譲、お前はまだ無理するな」
立ち上がろうとした譲を、将臣が制する。
「大丈夫だよ、兄さん。先輩を探す方が先だ」
「オレもそれには賛成だね」
「リズ先生も・・・神子と一緒だとよいのだが」
強風の中、葦をかきわけて橋の上に出る。
「オ・・・ォォォ・・・ン」
風に交じり、夜陰の向こうから、人ならざるものの放つ音が聞こえ来る。
しかし、
「風向きが定まらないね」
「これでは、音の出所がわかりません」
「東・・・だと思う。そちらの陰の気が・・・とても強い」
「やるじゃねえか、敦盛!」
「急ごう!」
神を相手に、一歩も譲らぬ戦いが続いている。
白龍の剣を手に戦う望美に、迷いはなかった。
やっとわかったのだ。
望美を阻んでいたのは、自分自身の心だったと。
宝玉はすでに砕けて八葉に宿り、身の内に浄化の光を宿しながら、
望美は己を神子として考えることが、ずっとできなかった。
じわじわと染み込んだ呪詛に覆われ、
自らを見つめる眼すら、曇っていた。
それこそが、最後のくびきであったのだ。
だが望美は自らの意志で、神子となることを強く願い、
その願いに、白龍は応えてくれた。
白龍の剣を、望美は振るう。
手に馴染んだその剣の感触も重さも、望美の身体の一部だ。
荼吉尼天に相対した望美とリズの剣は、流れるように自在に交差し、
怯むことなく繰り出される。
一呼吸の乱れもなく、望美の動きに合わせて戦いながら、
リズは湧き上がる自分の思いとも戦っていた。
戦いに集中すべき時に私は・・・。
振り払おうとしても、その思いは棘のように心を刺す。
何も知らぬままに、望美は神子に選ばれた。
しかし戦いに身を投じ、数多の試練をくぐり抜ける中で、
望美は己自身の心の力、神子としての力を、大きく成長させていたのだ。
自らの意志で望まぬ限り、龍神の声すらも寄せ付けぬほどに、
・・・・・・強く。
望美は、分かっているのだろうか・・・。
いや、龍神の声を阻んでいたのは、呪詛のせいと、考えているのだろう。
そうではないのだ、神子・・・。
お前の力は、呪詛を破り、お前が心から願ったその時に、龍神の声を聞いた。
そうだ・・・
初めて・・・神子自らが・・・選んだのだ。
神子である運命を。
荼吉尼天は眉を顰めた。
「しぶといのね・・・お前達」
双方共に無傷ではない。が、リズと望美には、臆する気配もない。
「ここまで来て、お前達などに邪魔はさせませんわ!」
そう言って、荼吉尼天が強力な攻撃を放った瞬間だった。
全身が赤い光に包まれ、その身がぐらり・・・と大きく揺らいだ。
何が起きたのか?
しかし、かろうじて攻撃を避けた二人は、その機を逃さず剣を振る。
それが、最後の一撃となった。
「アアァァ・・・ァァ・・・ァ・・」
宙をかきむしるように、手を上に伸ばした荼吉尼天の姿が、薄らいでいく。
ずずっ・・・と膝から崩れおれる。
と、靄のようなその姿の向こうに、政子の姿が現れた。
その時、
凄まじい殺気が疾風の如く、政子を襲った。
瞬間移動。
リズの剣がその一太刀を受け、ぶつかり合った剣から、闇に火花が散る。
殺気の主は、一瞬で飛びすさった。
「信直か!」
信直が夜陰の中から姿を現す。
「政子様!」
地に倒れ伏した政子に、望美が駆け寄った。
「敵を助けるとは、愚かなやつだ」
「なればなぜ、お前は鬼の術で、主を撃った」
リズの言葉に、信直は呵々と笑う。
「主なものか。その女・・・」
信直の笑いが止んだ。
「母の仇・・・、それだけだ」
「そういう・・・ことでしたの・・・」
政子がうっすらと目を開き、信直を見た。
「二つの顔を持つ者・・・その名の通り・・・でしたわね」
「母御の仇・・・その下に付き従っていたというのか」
「そうだ」
「この時を、待ち続けていたのだな」
「ああ、嬉しいぞ。俺が残っているうちに、この時を迎えられて」
「俺が残る・・・って、どういうこと?」
しかし信直はそれには答えず、望美に視線を移した。
「白龍の神子、なぜ俺に呪詛を返さぬ」
「え?呪詛を返す・・・?」
「幾重にもかけた俺の呪詛をことごとく浄化して、何も自覚していないのか?」
「呪詛を返すは、呪詛をすることと同じ。浄化こそ、神子の力だ」
「ねえ、荼吉尼天は消えたんだよ。お母さんの仇は討てたんでしょう?
だから、もう止めて。百鬼夜行なんて、起こさないで」
「信直、今なれば、まだ間に合うはず」
「もう・・・遅い」
信直は、口の端で笑った。
意識を失いかけた政子に向かって言う。
「とどめを刺してやれなかったのが残念だが・・・お前との約定は、守るぞ」
「させぬ!」
リズの剣が一閃する。
その切っ先をかわすと、信直は一瞬で遠く離れる。
「俺を追うのか?四神をも縛する力で撃たれたのだ。
捨て置けばその女、死ぬぞ」
「四神を縛する・・・?まさか・・・イシム、お前は」
「やっとその名で呼んだか」
信直は地に手を当てた。
その身体から赤い光が立ち上る。
「あれか?!」
「そうだね」
「しかし・・・あの赤い光は・・・」
「・・・信直・・・」
五条橋から駆けつけてきた六人が、夜陰を透かして望美達の姿を認めた。
望美も、彼らに気づく。
「みんな!」
しかし、
「うかつに近寄るな!!」
リズの言葉に、咄嗟に足を止める。
「さらばだ・・・」
信直の声が、闇に浮かぶ赤い光の中から響く。
地が鳴った。
形無きものが、集まるのがわかる。
信直という一点に集中する。
「この身の全てを・・・くれてやるぞ!
俺を憑代に、蘇れ! いにしえの影、この地に滅びをもたらす者よ!」
大気をびりりと震わせ、雷が走る。
稲妻に照らされ、信直の姿が黒い影となって浮かび上がった。
その影が、形を変えていく。
若武者の形が消え、束帯を纏った長身の典雅な姿へ。
傲然と顔を上げ、自らに注がれる視線に動ずる気配は、微塵もない。
地から吹き上げる風に、長い髪がなびき、
稲妻が閃くたびに、それはまばゆい金色に輝く。
影は、声を発した。
低く、柔らかく、冷ややかな、何人たりとも逆らうことを許さぬ声。
「・・・神泉苑・・・」
その言葉だけを中空に残し、目の眩む稲妻の閃きと共に、影は消えた。
「アクラム・・・」
リズは、影の消えた闇の向こうを見やる。
しかし、暗き闇は光を隠し、明日をも隠し、ただ茫漠と広がるばかり。
第5章 闇来