果て遠き道

第5章 闇来

7 蘇る幻



時が動き、宝珠が形を成した。

途切れた言葉の続きを、景時は途中で飲み込んだ。

眼前にいた望美とリズの姿が無い。
そして、鎖骨の間に触れる、宝珠の感触。

その意味するところは明らかだ。
皆が、一斉に動いた。

「譲、お前はまだ無理するな」
立ち上がろうとした譲を、将臣が制する。
「大丈夫だよ、兄さん。先輩を探す方が先だ」
「オレもそれには賛成だね」
「リズ先生も・・・神子と一緒だとよいのだが」

強風の中、葦をかきわけて橋の上に出る。
「オ・・・ォォォ・・・ン」
風に交じり、夜陰の向こうから、人ならざるものの放つ音が聞こえ来る。
しかし、
「風向きが定まらないね」
「これでは、音の出所がわかりません」
「東・・・だと思う。そちらの陰の気が・・・とても強い」
「やるじゃねえか、敦盛!」
「急ごう!」



神を相手に、一歩も譲らぬ戦いが続いている。
白龍の剣を手に戦う望美に、迷いはなかった。

やっとわかったのだ。
望美を阻んでいたのは、自分自身の心だったと。

宝玉はすでに砕けて八葉に宿り、身の内に浄化の光を宿しながら、
望美は己を神子として考えることが、ずっとできなかった。
じわじわと染み込んだ呪詛に覆われ、
自らを見つめる眼すら、曇っていた。

それこそが、最後のくびきであったのだ。

だが望美は自らの意志で、神子となることを強く願い、
その願いに、白龍は応えてくれた。

白龍の剣を、望美は振るう。
手に馴染んだその剣の感触も重さも、望美の身体の一部だ。
荼吉尼天に相対した望美とリズの剣は、流れるように自在に交差し、
怯むことなく繰り出される。


一呼吸の乱れもなく、望美の動きに合わせて戦いながら、
リズは湧き上がる自分の思いとも戦っていた。

戦いに集中すべき時に私は・・・。
振り払おうとしても、その思いは棘のように心を刺す。

何も知らぬままに、望美は神子に選ばれた。
しかし戦いに身を投じ、数多の試練をくぐり抜ける中で、
望美は己自身の心の力、神子としての力を、大きく成長させていたのだ。

自らの意志で望まぬ限り、龍神の声すらも寄せ付けぬほどに、
・・・・・・強く。

望美は、分かっているのだろうか・・・。
いや、龍神の声を阻んでいたのは、呪詛のせいと、考えているのだろう。

そうではないのだ、神子・・・。
お前の力は、呪詛を破り、お前が心から願ったその時に、龍神の声を聞いた。

そうだ・・・
初めて・・・神子自らが・・・選んだのだ。
神子である運命を。


荼吉尼天は眉を顰めた。
「しぶといのね・・・お前達」

双方共に無傷ではない。が、リズと望美には、臆する気配もない。
「ここまで来て、お前達などに邪魔はさせませんわ!」

そう言って、荼吉尼天が強力な攻撃を放った瞬間だった。

全身が赤い光に包まれ、その身がぐらり・・・と大きく揺らいだ。

何が起きたのか?
しかし、かろうじて攻撃を避けた二人は、その機を逃さず剣を振る。
それが、最後の一撃となった。

「アアァァ・・・ァァ・・・ァ・・」
宙をかきむしるように、手を上に伸ばした荼吉尼天の姿が、薄らいでいく。
ずずっ・・・と膝から崩れおれる。

と、靄のようなその姿の向こうに、政子の姿が現れた。

その時、
凄まじい殺気が疾風の如く、政子を襲った。
瞬間移動。
リズの剣がその一太刀を受け、ぶつかり合った剣から、闇に火花が散る。

殺気の主は、一瞬で飛びすさった。

「信直か!」
信直が夜陰の中から姿を現す。

「政子様!」
地に倒れ伏した政子に、望美が駆け寄った。

「敵を助けるとは、愚かなやつだ」
「なればなぜ、お前は鬼の術で、主を撃った」
リズの言葉に、信直は呵々と笑う。
「主なものか。その女・・・」
信直の笑いが止んだ。
「母の仇・・・、それだけだ」

「そういう・・・ことでしたの・・・」
政子がうっすらと目を開き、信直を見た。
「二つの顔を持つ者・・・その名の通り・・・でしたわね」

「母御の仇・・・その下に付き従っていたというのか」
「そうだ」
「この時を、待ち続けていたのだな」
「ああ、嬉しいぞ。俺が残っているうちに、この時を迎えられて」

「俺が残る・・・って、どういうこと?」
しかし信直はそれには答えず、望美に視線を移した。

「白龍の神子、なぜ俺に呪詛を返さぬ」
「え?呪詛を返す・・・?」
「幾重にもかけた俺の呪詛をことごとく浄化して、何も自覚していないのか?」
「呪詛を返すは、呪詛をすることと同じ。浄化こそ、神子の力だ」

「ねえ、荼吉尼天は消えたんだよ。お母さんの仇は討てたんでしょう?
だから、もう止めて。百鬼夜行なんて、起こさないで」
「信直、今なれば、まだ間に合うはず」

「もう・・・遅い」
信直は、口の端で笑った。
意識を失いかけた政子に向かって言う。
「とどめを刺してやれなかったのが残念だが・・・お前との約定は、守るぞ」

「させぬ!」
リズの剣が一閃する。

その切っ先をかわすと、信直は一瞬で遠く離れる。

「俺を追うのか?四神をも縛する力で撃たれたのだ。
捨て置けばその女、死ぬぞ」
「四神を縛する・・・?まさか・・・イシム、お前は」
「やっとその名で呼んだか」

信直は地に手を当てた。
その身体から赤い光が立ち上る。


「あれか?!」
「そうだね」
「しかし・・・あの赤い光は・・・」
「・・・信直・・・」

五条橋から駆けつけてきた六人が、夜陰を透かして望美達の姿を認めた。
望美も、彼らに気づく。

「みんな!」
しかし、
「うかつに近寄るな!!」
リズの言葉に、咄嗟に足を止める。


「さらばだ・・・」
信直の声が、闇に浮かぶ赤い光の中から響く。

地が鳴った。
形無きものが、集まるのがわかる。
信直という一点に集中する。

「この身の全てを・・・くれてやるぞ!
俺を憑代に、蘇れ! いにしえの影、この地に滅びをもたらす者よ!」

大気をびりりと震わせ、雷が走る。

稲妻に照らされ、信直の姿が黒い影となって浮かび上がった。

その影が、形を変えていく。
若武者の形が消え、束帯を纏った長身の典雅な姿へ。
傲然と顔を上げ、自らに注がれる視線に動ずる気配は、微塵もない。
地から吹き上げる風に、長い髪がなびき、
稲妻が閃くたびに、それはまばゆい金色に輝く。

影は、声を発した。
低く、柔らかく、冷ややかな、何人たりとも逆らうことを許さぬ声。

「・・・神泉苑・・・」

その言葉だけを中空に残し、目の眩む稲妻の閃きと共に、影は消えた。

「アクラム・・・」
リズは、影の消えた闇の向こうを見やる。
しかし、暗き闇は光を隠し、明日をも隠し、ただ茫漠と広がるばかり。




第5章 闇来 

(1)屈服 (2)対峙 (3)集いと別れ (4)それぞれの決意 (5)絆 (6)二つの剣 (8)長い夜の終わり

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