「朔は大丈夫かなあ・・・」
望美がぽつんと言った。
「きっと心配してると思うし、私、夜が明けたら京邸へ」
「いけない、神子」
「ああ〜、オレが行くよ」
「だめです、先輩」
一斉に反論の声が上がる。
「ええっ?!そんなに反対しなくてもいいじゃない!」
望美の声が、思わず大きくなる。
「わかっているのか、神子。ここは戦場と同じだ。
自分の立場、置かれた位置を冷静に考えてみなさい」
「ええと・・・でも、私に今できることは・・・」
「自重した方がいいと思います。一番狙われているのは、先輩なんですから」
「そうかなあ」
「お前、楽天的なのにもほどがあるぜ。
呪詛されて、さらわれて、それでもコタえてねえのは、ある意味すごいけどな」
「酷いめに・・・あったようだ。喉の赤い痕が・・・痛々しい」
「えっ?」
思わず望美は喉に手をやった。
これは・・・この痕は・・・。
「ヤロー達、よってたかって姫君を脅かすなよ」
「そうですね、でも、用心するにこしたことはありません。
百鬼夜行を起こそうとする者にとって、一番邪魔なのは誰か、と考えれば
自ずから答えは出ると思いますが」
「百鬼夜行は、とても強力な怨霊ということですよね。
だったら、白龍の神子と八葉として、怨霊と戦ってきたという事実だけで、
先輩や俺達は、叩いておくべき存在と映っているんだと思います」
「そうだね。どうやら龍の宝玉を奪おうとしたのも、
オレ達の力を封じておきたかったからみたいだしね」
「新しい神子と八葉を、自分のもとに取り込む目的ではなかったということですね」
「それって、私達がもう一度八葉と白龍の神子に選ばれるかもしれないって、
政子さんが考えたってこと?」
「そうだ、神子」
「考えすぎですよね。確かにもう一度神子の力が戻ってくれば、
もっとちゃんと戦えるはずだけど」
「神子・・・お前はそれを望むのか」
「??先生」
「お前は、まだ自覚していないのだな。
覚えているだろう、神子と八葉の間には絆が生まれ、
お互いに引き合うものであると」
「南の島からヤローが二人、はるばる京まで出向いてきたってね」
「そういうヒノエも・・・熊野から来た」
「九郎まで、京にいるんだぜ」
「鎌倉からの命に背いて、景時さんも戻ってきました」
「その中心にいるのが、望美さん、君なんですよ」
「うーん、わかったような、わからないような」
望美は額に手を当て、天井を見上げて考えようとした。
朔に会いたいだけなのに、どうしてこんな話になってしまったのか。
その時、景時が急に顔を上げた。
続いて、小さなため息をつく。
望美はその様子に気づいた。
「どうしたんですか、景時さん」
「いや〜、オレの式神が、やられちゃったみたいだよ」
景時は情けなさそうに肩をすくめる。
「ええっ、気づかれたんですか?」
「信直の仕業か」
「そうです、リズ先生。距離は離れていたのに、強い力の塊のようなものを
飛ばしてきて、それで式神が消されたんです。あれが、鬼の術というのでしょうか」
「その通りだ」
「景時さんは大丈夫なんですか?どこか痛いとか?」
「あ〜、それは大丈夫。心配してくれてありがとうね」
「でも、少し状況は不利になりましたね」
「堀川の動きを・・・把握できなくなったということか・・・」
「ま、最初の状態に戻ったと思えばいいさ」
「将臣はオレと似たような考えなんだね」
「平家は、さんざん追いつめられて、そん中を切り抜けてきたんだ。
ちっとばかしのことで、いちいち嘆いてたら、それこそ身がもたねえ」
「兄さんの場合、小さなことは気にならないんじゃなくて、
目に入ってないだけのような気がするけどな」
「あ、そうかも」
「なんかボロクソだな。ま、否定はしねえが」
「え〜っと、お話し中に悪いんだけどさ・・・」
景時が遠慮がちに口を挟んだ。
「オレ、式神弐号を動かそうかなあって思ってるんだけど」
「式神弐号?なんか旧式のロボットみたいだな」
「ろ、ろぼっとって?」
「予備を用意しておいたってことかい。さすが軍奉行殿は抜け目がないね」
「いや、そんなに立派なことじゃなくてさ。
実はね〜、オレって一度に一体ずつしか式神を操れないんだよ」
「ふふっ、けれど、二体めを用意しておいたのは、偶然・・・ですか?」
「で・・・、すぐにその式神は活動できるのだろうか」
「そんなに時間はかからない、というより、時間はかけられないよね」
景時は眼を閉じると印を結び、呪を唱え始めた。
邪魔にならぬよう、一同は景時から離れ、沈黙する。
耳に入るのは、ごうごうと鳴る風音と、景時の低い声だけ。
各々は、心の中で今の状況を反芻している。
ここは戦場と同じ、と先生は言った。
確かに戦の前夜に似ていると、望美も思う。
待っているのは、避けられない戦いだ。
けれど、わからないことが多すぎる。
百鬼夜行を起こさせないことが第一だ。
そのためには、信直を止めなくてはならない。
でも、あの信直がたやすく捕らえられるだろうか。
そして背後にいる、人外の力を操るという政子。
そのような力に対し、どうやって戦えばいいのだろう。
神子の力さえ戻れば・・・!
でも、そんなことはあり得るんだろうか。
それに、
・・・・・「神子・・・お前はそれを望むのか」
先生はなぜ、あんなことを。
物思いに沈みながら、ふと目を上げた時、譲と視線が合った。
どちらからともなく眼を反らす。
望美はリズの背中に、とん、と額をつけて寄りかかった。
深く息を吐き出し、眼を閉じる。
先生・・・
何も言わず、ただ受け止めて・・・。
リズは、背中の筋一つ動かすことなく、黙って坐したままだ。
きっと望美は、私にこうしていてほしいのだろう、と思うから。
譲との間に交わされた一瞬の視線には気づいていた。
譲の、今までとは打って変わって落ち着いた様子。
望美の首についた赤い痕。
野盗から救い出した時には無かったものだ。
そして床についた剣の傷跡。
六道の辻で再会する前、望美はこの診療所にいたと話していた。
二人の間には、何事かがあったのだろう。
しかし
口にすべき事も、口にすべき時も、選ばねばならぬ。
望美が話そうと思った時が、その時。
その時が来るか来ないかも、望美の心次第だ。
望美も譲も、その気にいささかの揺るぎも無いことが、はっきりと分かる。
ならば、それでよい。
背中など、いくらでも貸そう。
それでお前がひととき、安らげるのであれば。
神子のいない日々がやがて訪れ、
忘却を知らぬ私の記憶が、神子の思い出を繰り返し紡ぎ出す。
それは、私が毀れ、塵となるまで永劫に続く日々。
やがて来るその時を思うたびにわき起こる気持ちが、
「さびしい」という名であることを
神子は教えてくれた。
その気持ちは、私の胸を痛くするもの、
私を立ちすくませるものだった。
だが、神子が自分の世界へと還り、
私のことを忘れる日が来たとしても、
神子が幸福であるならば、それでよい。
私の胸を刺す「さびしさ」など、些細なことだ。
神子は、生きて、幸福であるべきものなのだから。
しかし神子は己の帰還を望むより、
百鬼夜行から京を救うことを願い、
龍神を呼び、天空の彼方へと消え去った。
その時襲い来た、経験したことのない激しい気持ちは、
「怒り」というものであったと思う。
鬼への、
神子を連れ去った龍神への、
神子をもって贖う京という街への、
そして何より、神子を守りきれなかった私自身への。
神子は自ら望むことなく、突然に己の世界から切り離された者。
見知らぬ京という街に招来され、
お前にはこの街を救う力が宿ると云われ、
懸命にその力を得ようと努めた。
か細い肩には重すぎる荷を背負いながら、
八葉の疑惑と不審を、信頼と結束に変え、
時の流れを正した。
だが、その果てに待っていたのが、
この世界の真の救いが、己の身と引き替えであるという事実。
これは神子の稀有なる清浄さがもたらす、不可避の理であるのか。
そして神ならば、神子の全存在を欲することが、許されるのか。
神子と龍神にまつわる事共は極秘。
詳細な記録を残すことは、禁じられている。
私はそのように教えられ、
それに従うことは当然であると考えていた。
人のために造られた私は、人の命ずるままに務めを果たす。
八葉としての務めも同じこと。
神子を守ることが私の任であるならば、
それを全うするまでのことと思っていた。
しかし私は今、自ら則を破り、
自己の中の忘れ得ぬ記憶を呼び出し、
その内容をこうして書き記している。
なぜなら私は、考えずにいられないのだ。
人にとって本当に大切なこととは、何なのだろうと。
答えのない問だ。
かつて、このような問は無意味なものだった。
人の道具たる私には無縁なものと考えていたからだ。
しかし今は、答えの出ない問を抱き、追い求めながら
懸命に生きることの尊さを知った。
九十年の長き歳月が教えなかったことを、
三月あまりの短い間に、私は知ったのだ。
神子という存在によって。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「よし、やっと動いたよ」
景時が印を解いた。
「で、どうなんだ、あっちの様子は」
「ちょっと待ってね。今、水の上に出るから」
「式神は・・・池の中にいるのか」
「身を隠すにはいいかもね」
「ええと・・・もう、池の側に信直はいない・・・それで、母屋は・・・ん?」
景時の顔が強張った。
緊張が走る。
「どうした?!」
「何か、見えたの?」
「そうじゃない、静かすぎるんだ。酒宴が終わったにしても・・・」
「もしかすると、かなりやばいってことか」
「政子様が強引に動いたんだ。みんな!気を」
景時の言葉がすっぱりと切れた。
時が、止まる。
その刹那、望美を抱え、リズは瞬間移動していた。
第5章 闇来