あの夜・・・・、龍の宝玉が光った。
その時にはもう、始まっていたのだ。
ただ、俺達が気づかなかっただけ・・・・。
悪夢にうなされ、首に熱さを感じて、真夜中に目覚めた。
忘れもしない・・・、宝玉の埋まっていた場所が、ひどく熱い。
龍の宝玉を保管している部屋に走り、そっと箱の蓋を開いてみると、
暗闇の中、それは息づくような光を幽かに放っていた。
触れてみるとほのかに温かい。
しかし、その光も熱も、譲の手の中でみるみる失せていった。
晩秋の冷たい夜気が、身体に染み入ってくる。
ぞくっと震えたのは、寒さのせいばかりではなかった。
先程の夢・・・・禍々しい炎。その中に蠢く影は・・・・?
いったい、どういうことなのだろうか。
冷静に考えれば、ただの悪い夢。気にするようなものではない。
だが、自分の星の一族としての能力は、夢に未来を予知すること。
それに従うなら、何らかの意味があるはずだ。
・・・・・全く、なんて役立たずの力なんだ。
夢で未来を見たって、その意味をすぐに判読できないんじゃ、仕方ないじゃないか。
ぎりぎりの所で、一族の人達も、館の使用人も、逃がすことができたけれど。
譲は地べたに四肢を投げ出したまま、これまでのことをぼんやりと思い返していた。
身体が思うように動かない。
さんざん痛めつけてくれたものだ。そのくせ、水や食事は運ばれてくる。
命まで奪おうとしないのは、やはり、宝玉の在処が知りたいからか・・・・。
そうだよな、やっぱり、隠しておいてよかったんだろう。
あの夜から、夢を全く見なくなってしまった。
でも、夢の記憶はないくせに、毎晩ひどく苦しくて、うなされた。
いくらなんでも、おかしいと思うだろ。
だから・・・・・。
あの場所に気づくとすれば、あの人だけ。
今思えば、ずいぶんマズい場所だったのかもしれないが。
信じるしかない。
気づかれないことを。そして、裏切られないことを。
今の俺にできることといえば、それしか・・・・
ん?
外が・・・・騒がしいな・・・・・。
館の武士達が慌ただしく走り回っているみたいだ。
今時のご時世で、こんな所に侵入する馬鹿もいないはずだが。
となれば・・・・、
まさか!!
だめだ、俺のことは放っておけ!!
あんたは先輩のことだけ、守っていればいいんだ!!
そのために俺は・・・・。
もしも先輩に何かあったら、リズ先生、俺はあんたを許さない!!!
冬の陽が傾き始める頃になって、望美は目覚めた。
「いけない!」
あわてて飛び起きると、ちょうど朔が薬湯を手に、部屋に入ってくるところだった。
「あら望美、目が覚めたのね。薬湯を煎じてきたのよ。
これを飲んで、今日はこのまま休んでいるといいわ」
「そんなこと、できないよ。譲くんの行方を突き止めなくちゃ」
「気持ちは私も同じだわ。でも、焦ってはだめよ。
まず身体を休めるように言われたでしょう」
「それは・・・・そうなんだけど、せめて、京の藤原家に行って・・・・」
「星の一族の人達は、いくつかの藤原家に分かれて身を寄せているそうよ」
「え?朔、もう調べてくれたの?」
「藤原家はとても数が多いの。でも、星の一族と近い血筋となると、それほどはないわ。
なので、兄上の名代ということで、文を書いて尋ねてみたのだけれど・・・」
「譲の行方はわからない」
廊下に座っていたリズが言った。
「先生・・・、もしかして、ずっとそこに?」
「そうだ」
「・・・・・あの、すみません・・・・」
「何も問題ない。神子が無事ならそれでよい」
「なぜ、星の一族の人達は、譲くんの行方を知らないんでしょう?」
「譲殿は、館の人達を逃がすために、最後まで残っていたそうなの。
すぐに後を追うから、と言って、みんなを先に行かせて、それで・・・」
「ちょうど、館の炎上した日のことだ。譲はそれ以来、どこにも姿をみせていない」
「・・・・そんな・・・・・」
もしかしたら、というかすかな希望が潰えた。
やはり譲は、何者かの手により連れ去られた、と考えるしかないのだろう。
となれば、「譲くん、ここにいますか?」と聞いて回るわけにもいかない。
どうすれば・・・・。
このままでは、貴重な一日が何もしないままに終わってしまう。
考え込んだ望美に、朔はそっと薬湯を渡した。
「思いつめるのはよくないわ、望美。顔色もよくないし、あなたのことも心配なのよ」
「朔の言う通りだ、神子。譲を助けたいというお前の願いは、必ずかなえる。
だから、心を楽にしてゆっくり休むことだ」
「ありがとう、朔、先生」
望美は大きく息を吸うと、苦い薬湯を一気に飲み干した。
「え?・・・だ、大丈夫?」
「神子は薬湯が苦手ではなかったのか?」
「ぐぶっ・・・げほげほ・・・うぇーっ・・・・ごくっ!」
「やはり苦手だったか」
「う、うげぇっ。これで、げほっ、元気が出ました。だから大丈夫・・・ぐぅっ・・・です」
「あまり大丈夫そうにも見えないのだけれど・・・」
「ねえ、たしか朔も弁慶さんから薬をもらっているよね」
「え、ええ。そうよ」
「朔の分は、どうしたの?もしかして、私にくれたのは・・・」
「あ、あの・・・私の分・・・だったのだけれど・・・・あなたに必要かしら・・・と」
「朔にだって必要だよ。昨日は弁慶さんの手持ちの分だけで作ってもらったから、
少ししかなかったけど、私、これから五条橋に行って、たくさん貰ってくる」
「そんな・・・!!」
「それはならぬ!神子」
「ねえお願い。じっとしているだけじゃ、どんどん気持ちが滅入ってきて・・・。
外の空気を吸ったら、少し気持ちが晴れるかもしれないし」
「望美・・・・そのために薬湯を飲んだの?」
「神子・・・・そのために薬湯を飲んだのか?」
「はい・・・」
「ふふっ、あなたって、時々思いもよらないことをするのね」
「ならば私も一緒に行くが、よいな」
「はいっ!ありがとうございます」
「本当に二人だけでよいの?」
門の前まで送りに来た朔が言った。
「よろしければ、拙者がお供いたしますが」
門の警護に当たっていた信直も申し出たが、
「大丈夫。遅くならないうちに戻るよ」
そう言い置いて、望美とリズは梶原邸を後にした。
二人を見送った朔は、すぐには邸に入らず、しばし庭にたたずんでいた。
景時がいない今、望美とリズがいてくれて、本当によかったと思う。
望美の明るさとのびやかさに、自分はどんなに力づけられていることか。
時折、さっきのような突拍子もない行動もするが、
それすらも、一生懸命なところがほほえましい。
京を囲む山々はまだ明るいが、辺りは少し薄暗くなってきている。
底冷えのする寒さ。朔は着物の襟元をかき合わせた。
雪が・・・降るのだろうか。
空を見上げたその時、
「ド・・・コ・・・?」
背後から声がした。
声にならない声。朔にしか聞くことのできない、悲しみの声。
「あ・・・」
庭に、再び怨霊が立ち現れた。
「ギ・・・ギギ・・・」
怨霊はあたりを見回している。
「ドコニ・・・イル」
朔は胸の前で、ぎゅっと両手を握りしめた。
「お願い、黒龍・・・私に、勇気を・・・」
怨霊は朔に近づいてきた。
「ヨンダ・・・ワタシヲ」
「教えて。あなたは、誰を探しているの?」
「ギ・・・オマエ、ワカル?・・・ドコ?」
「あなたは、誰かに呼ばれたの?」
「ギ・・・」
「朔様っ!!」
その時、信直が庭に飛びこんできた。
走り入った速さを緩めず怨霊と朔の間に割ってはいりながら、
刀を逆手に持ちかえ、怨霊に突き刺す。
「ギ・・・ギ・・・」
怨霊の身体が崩れていく。
「待って!!」
「朔様?」
次の太刀を浴びせようとしていた信直が、直前で手を止めた。
「お願い・・・教えて」
「ギ・・・」
怨霊は、少し首を傾げたように見えた。
そしてそのまま、音もなく土に吸い込まれて消えた。
最後の一言を残して。
「オ・・・ニ・・・」
東山の頂きは、夕映えに照り輝いていた。
沈み行く太陽の動きと流れる雲の影で、山の色は様々に染め直される。
五条橋に向かう望美とリズは、その情景を見ながら、黙って歩を進めていた。
一瞬、血のような赤に包まれた山に、わけもない恐ろしさを覚え、
望美はリズの腕にしがみついた。
「神子は、あの山が恐ろしいのか?」
子供じみた恐怖心を見透かされて、望美は少し恥ずかしい。
「すみません。あんまり鮮やかな赤い色だったので・・・」
「そうか」
「あの、先生、東山に何か恐ろしいことがあるんですか?」
「神子は気にしなくてよい」
「そう言われると、すごく気になります」
やれやれ、というように、リズが肩の力をふっと抜いた。
「何でもない。ただ、山の麓に葬送の地があるだけだ」
「そうそうのち?・・・ああ、葬送の地・・・お墓とか、たくさんあるんですか?」
「・・・・まあ、そのようなものだ」
「そのようなものって・・・違うんでしょうか」
「いや、あの地の発する気に、何か神子を煩わせるものがあるのかと、思ってしまっただけだ。
私の勘違いだったのなら、それでよい」
望美はリズの顔を見上げた。
こういう時の先生は、絶対に何か別のことを考えている。
今度は私が言い当ててみよう。
それは、たぶん・・・
「先生は、怨霊のことを考えているのではないですか?」
リズは驚いた時でも、筋一つ動かさない。
しかし一瞬の返事の遅れが、望美の問いが正しかったことを教えている。
「よくわかったな、神子」
「葬送、といえば亡くなった人達のこと。山を見ていたのに、先生の考えが
そちらに向いたのは、なぜかな、と思って」
「そうか・・・・。では、神子は気づいているか?」
「怨霊のことで?」
「京の街の中にも現れたのは、知っているな」
「はい」
「場所はどこか、神子も聞いているのではないか?」
望美の足が止まった。
「・・・・・あ、もしかして・・・・」
「そうだ」
「偶然・・・かもしれません」
「そうかもしれない。しかし、そうでないかもしれない。
私の行った場所に限って怨霊が現れているのは、紛れもない事実だ」
「そんな・・・なぜ。それに、先生の行った場所、じゃなくて、私達の行った場所です」
「このことはお前に言うべきかどうか、迷っていた。しかし、神子は隠し事は好まぬだろう?」
「もちろんですっ!!」
「邸の外にいる今が、よい機会だ」
「・・・・先生は、まだお邸の中の人を疑っているんですか?みんな、いい人達みたいなのに」
「神子、人は・・・うわべだけではわからぬものなのだ」
望美は少し悲しくなった。
先生の言っていることは正しい。先生はたぶん・・・その事を身にしみるほど体験してきたのだろう。
けれどそれは、明るくて優しい京邸の人達の中に、裏切り者がいるということなのだ。
笑顔と忠誠の影に、もう一つの顔がある・・・・。
考えたくない。でも、目をそむけることもできない。
先生には・・・、確信があるのだろうか?
一番高い山の頂からも夕映えの光が失せ、薄暮のかすかな明かりが空に残る。
五条橋界隈は、すでに夕闇に包まれていた。
その橋のたもとに、弁慶の営む診療所がある。
板葺きの小屋だが、彼を慕う五条の人達の手が入っているのだろう、
幾部屋かありそうな、しっかりとした造りになっている。
そこから、二人の男が出てきた。老人と付き添いの若者。親子のようだ。
幾度も頭を下げている。
この時間ともなれば、辺りは物騒だ。おそらくこの二人が、今日の最後の患者だろう。
望美達とすれ違う時に、二人の会話が耳に入った。
「やっぱり別嬪さんは、ええのう」
「はあああ・・・、きれいだったなあ。弁慶さん、いいなあ」
「ええっ?弁慶さんの所に女の人が?」
「我ら、邪魔なのではないか?」
「でも、朔のお薬は必要です♪」
「神子、長居は無用だぞ」
小屋に接するように、とってつけたような苫屋がある。
それが弁慶の今の住まいだ。
ずいぶん粗末だが、本人は全く気にしていないようで、
あちらこちらに、その場しのぎの修繕の跡がある。
戦場での緻密な策士の仕事とは、俄に信じがたいほどだ。
夕餉の支度の薄い煙が立ち上る苫屋に向かい、望美達は小道を辿っていった。
そんな二人の姿を、川縁の葦の枯れ草の間から窺っている者がいる。
望美とリズが弁慶の苫屋に入ったことを見届けると、その者は夕闇の中を一目散に走り去った。