果て遠き道

第3章 暗鬼

6 潜む影



「これは・・・・ひどいですね」
譲の着物をはだけ、傷を目にした弁慶が眉をひそめた。
身体の各所が青紫に腫れあがっている。
「この傷は・・・・・」
リズも一瞬、言葉を失った。
「ええ、打撲・・・・と言っていいでしょう。けれど・・・・」
「かなり深いところに損傷があるな」
「身体の内側に、直接攻撃したとしか思えませんが・・・・、いったいどうやって」
そう言いながらも弁慶は的確に手を動かし、膏薬を塗った布を当てていく。
隣でリズは、傷の大きさに合わせて布をたたみ直し、弁慶に手渡していく。
沈黙が降りた。

あの・・・・政子ならば、可能だろう。
時を止め、水の上に立ち、自然の理を意のままに変える力を持つ者ならば、
このように尋常ならぬ傷をつけることなど、造作もあるまい。
しかし、抵抗する術の無い譲に向け、躊躇いもなくこのような力を振るうとは・・・・。
酷い・・・ことを。

「そんなに譲くんの怪我はひどいんですか」
望美が起きあがってこちらに来ようとする。
「望美さんはこの傷、見ない方がいいと思いますよ」
「そうだな。神子はそこで休んでいなさい」
「ええ〜っ?!」
望美はふくれっ面になった。

「少し元気になったからといって、すぐに動きまわるのは感心しませんね」
「薬師の言うことはきくものだ。神子がこれほどに回復しているとは、嬉しい驚きだが」
「驚いたのは私の方です。先生ったら、急に入ってくるんですから」
「ふふっ、突然扉が開いて、雪まみれの黒い塊が飛び込んできた時には、僕も驚きましたよ」
「少しでも早く、譲くんを連れてこようとしてたんですね」
「・・・うむ・・・・」
「どうやら・・・・、他にも理由がありそうですが」

バタン!大きく扉が開いた。
ひゅうーっと冷たい雪が吹き込んで、
「譲はどうした?!!」
「どうやら、奴は現れなかったようだね」
戸を閉めながら
「寒いだろう・・・・すまない・・・・・・・」
三人が帰ってきた。

「みんな、お帰りなさい!」
「やっぱり、むさ苦しい野郎と違って、愛らしい声に迎えられるってのはいいね」

さっきまでの気持ちがうそのように、目の前が一気に明るくなる。
よかった・・・。本当によかった!!
みんな、譲くんを助けて、無事で帰ってきてくれた・・・。

でも・・・・ん?ヒノエくんが何かおかしな事を言ってたような・・・。
「奴って、誰のことですか?」
「お前、こういうことは絶対聞きのがさないな」
「い、いや・・・・神子が無事であれば・・・・」
「源氏の館には、手練れの刺客がいるって話だったけど、とうとう姿を現さなかったんでね」

「それで、ここが襲われているかもしれない・・・・とリズ先生は考えたわけですね」
手当を追えた弁慶が振り向いて言った。
「杞憂に終わってよかったが・・・」
リズの声は心なしか沈んでいるようだ。
「でも、みんながここから出発したことは、誰も知らないはずだけど」
望美は疑問に思う。
「俺も、そこんところが気になったんだ」
「・・・・我らの正体、すでに知られていると思っていた方がよい」
「で、その理由ってのは何なんだい」

その時、
「ん・・・・うっ・・・」
譲がかすかに呻いた。

「譲!」
「ん・・・ん・・・」
譲は苦しげに顔をゆがめている。

「おい、痛むのか? 弁慶、こいつの容態はどうなんだ?」
「正直言って、かなりひどいです。けれど、時間をかければ、きっと回復できるはずですよ」
「そっか・・・・。口もろくにきけねえから、心配しちまったぜ」
「ただ、体力がひどく弱っています。ろくに食事を摂っていなかったようですね」
「うっ・・・うう・・・」
「譲!!」
「気がついたみたいだね」

「だ・・・め・・・だ。五日・・・以内に・・・治さなくては・・・」

つつつーっと、いつの間にか望美が割って入ってきていた。
リズが素早く、譲の身体に着物をふわりとかぶせる。
「譲くん、気がついたの?」
「先・・・輩・・・?」
「うん。もう大丈夫だからね、譲くん」
「なぜ・・・先輩が・・・・ここに・・・」
「私だけじゃないよ、分かる?みんな、いるんだよ。みんなが譲くんを助け出したんだから」
「俺を・・・助けた・・・?」
「うん、そうだよ」
望美は元気づけるように、にっこりと笑う。
譲は顔をそむけた。
「ひどいこと、されたんだね、譲くん。食事も水も、もらえなかったんでしょ」
「手を・・・つけなかっただけ・・・です」
「え?」
「何が・・・入ってるか・・・わかりませんから」
譲は唇を噛み、きつく目を閉じた。
「譲くん、どうしたの、痛いの?」
腕に触れた望美の手を、譲は弱々しく払った。
「譲くん・・・・?」

「譲・・・お前・・・」
その様子を見ていた将臣の顔が厳しくなる。
「みんな、話は後だ。今は譲を休ませてやってくれ」
「そうですね。医者として、僕からもお願いします」
「確かに、もっと落ち着いてから、きちんと話を聞かせてもらった方がいいだろうね」
「今は・・・安心して、ゆっくり眠るといい・・・・」

「すまぬが一つだけ、聞かせて欲しい」
みんなの言葉を遮るかのように、リズが口を開いた。
常ならば、このようなことはしないリズだ。みんなの耳目が集まる。
「この一件の黒幕は、頼朝の」
顔をそむけたまま、譲は答えた。
「妻の・・・・政子・・・です」

驚愕と、緊張が走った。
どこからか忍び込んだすきま風が、一瞬の冷気を運んでくる。
望美は我知らず、ぞくりと震えた。



   なんてザマだ・・・・。
   何も・・・・できなかった。
   触れることはおろか、近づくことさえ・・・・・。

   まだ、俺は、真なる力に届かないというのか・・・・。
   技を磨き、己を鍛え抜き、俺は・・・これほどに強くなったというのに。

   そうだ、無力なあの頃とは・・・違う。
   石を投げられ、追われ、怯えて泣くことしかできなかった
   みじめな子供は、もうどこにもいない。

   俺だけが、できる・・・。
   力を捨てたあいつとは、違う。

   周到な、準備。
   闇に紛れ、次々と怠りなく進めてきたのだ。

   ああ、楽しい。
   力を振るうのは、楽しいぞ。

   俺の力を、全て解放して・・・あいつと戦ってみたい・・・。
   俺の剣を喉元に突き立て、どちらが真の力の持ち主か教えてやろう。

   そうだ。
   まだ、完全な失敗ではない。
   場所だけは、もうわかったのだ。

   対抗する術さえ見出せば・・・隙をついて、今度こそ。

その時、暗闇に一条の光が射し込んだ。
穏やかだが、まぶしすぎる光。

   なぜだ・・・・。なぜ・・・・・優しき世界を見せる・・・。
   ただ一つの・・・・俺の・・・誤算・・・。



「黒幕は政子・・・・って言ったよな」
「リズ先生は・・・それをどのようにして、つきとめたのですか」
「今夜はオレ達、そんな時間なかったと思うけど」
みんなの疑問はもっともだった。
「信じられぬかもしれないが・・・・」
リズは、静止した時間の中で、政子に会ったことを話した。

「時間が止まるってか?なんか、SFみたいな話だな。だが、頼朝の奥方に関しちゃあ、
前々からいろんな噂が聞こえてきてるってのは事実だ」
「何もできずにオレが凍り付いてたってのが、気にくわないね。圧倒的な力の違いってのも
気分良くないけどさ、ま、こういうことは知らないより知ってる方が、ずっといいね」

「しかし・・・・それだけの力があるなら、なぜ頼朝殿は・・・・もっと利用しないのだろうか」
「一番上に立っているのは頼朝だ。怪しげな力に頼ってるようじゃ、国を統治するなんて
できないんじゃねえか?大っぴらに政子の力を使えねえのも、そのためだろ」
「人心を掴めなかったら、治まるものも、治まらないからね。まあ、少ない人数が相手なら、
恐怖ってやつで従わせるのも可能だろうさ。でも、少なくとも、熊野には通じないよ。
まして、西国の果てまでとなったら、簡単にはいかないだろうね」

「それで・・・わざわざリズ先生を呼んだ用件・・・というのは・・・・なんだったのですか」
敦盛の問いに、よどみなくリズは答えた。
「京の気が乱れ、怨霊が出現したのは、私の鬼の気が呼び出しているからだと・・・・。
そして、それを正すのには、新たな神子と八葉を選ぶ必要があり、龍の宝玉がいるのだそうだ」
「おいおい、それを政子がやるってのか?」
「神子は・・・白龍が選んだのではなかったか」

「いいえ、そうとは限らないと思いますよ」
それまで黙って聞いていた弁慶が口を開いた。
「過去には、鬼の首領に召喚されて、京に降り立った神子もいたそうですから」
「へえ、その首領とやらは、ずいぶんな力の持ち主だったんだね」
「ええ。そう考えると、人外の大きな力を持つ者ならば、
神子を選ぶことも不可能ではないと思うんです」

「でも、だからって、譲くんにこんなにひどいことしていいわけじゃないよ!」
望美が怒りに耐えない様子で言った。
「それに先生にまで、何て事を! 先生が怨霊を呼ぶなんて、あるわけないのに!!」

「ま、ご立派な目的は口にしてるけど、言葉通りには受け取れるもんじゃないね」
「言ってることとやってることのギャップが大きすぎるぜ。絶対に宝玉は渡せねえな。
って、俺、場所も知らないんだが。リズ先生も、変なこと気にすんなよ」
「これだけひどい目にあわされても、譲は渡そうとしなかったのだろう。それは・・・
決して渡してはならない相手だと思ったから・・・ではないのか」
「譲が龍の宝玉を隠しておいてくれて、助かったってことか」

「だが、新たな神子と八葉・・・・それを手中にすることでいったい・・・・何をしようと・・・」
「少なくとも、『京を救うため』などではなさそうですが・・・・、
けれど五行の均衡が崩れ始めているのは事実です」

話を聞いていると、望美には一つの恐ろしい答えしか見えてこない。

「ふうん、ちょっと分かってきたぜ。新たな神子と八葉が、その乱れを正して京の滅びを食い止める・・・か」
「それを成し遂げたのが源氏・・・・とあれば・・・・」
「朝廷も民もこぞって、源氏を称えるってね。帝のお膝元での源氏の力は盤石になるよ」
「それが、狙いだというのか・・・・。しかし・・・・そうなったら、リズ先生が・・・」
「全ての元凶・・・・鬼だってことで、糾弾されるんだろうね」
「スケープ・ゴ−トか・・・?汚ねえ手を使いやがるぜ」

みんなの結論も、私と同じだ・・・。
動き始めた大きな策謀。自分の無力さが悔しい。
望美はリズを見た。しかし・・・・
「だが、私の鬼の気が、怨霊を呼び覚ましているのなら」
リズは望美と目を合わせることもなく、淡々と答える。
「その時は、私は・・・」
「先生!!!」
望美は叫んだ。
その先を、言ってはだめ、先生・・・・!!

どうしても、一つ訊いておかなければならないことがある。
「それだけだったんですか?先生」
「神子・・・・」
「政子さんの話、今のことの他に、何かあったんじゃないんですか?」
「無い」
間髪入れずに、リズは答えた。
静かに、きっぱりと、望美の眼を見つめながら。

望美の心の中で、警報音が鳴り響く。
先生・・・帰ってきてから、なぜ覆面を外さないの?
なぜ、そんなに淋しそうな眼をしているの?

望美にはわかる。
大切な人のことだから、望美には、痛いほど、わかる。
先生は・・・・とても・・・・苦しんでいるんだ。

先生・・・・・。

私にできることは何?
先生のために、私は・・・・何をすればいいんだろう。

二人だけの、あの穏やかな日々は、もう遠い。
途方もなく大きな力に飲み込まれそうで、とても不安で、恐い。
でも、先生・・・・私はここから逃げないから!

一緒にいよう!先生・・・。
どうか・・・・・私の手を、離さないで!!



第3章 暗鬼 

(1)怨霊を呼ぶ者 (2)再会 (3)救出 (4)狐火 (5)代償 (7)読まれた書状 (8)鳥辺野

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