凍てつく京の夜を、四つの影が走る。
躊躇いもなく恐れもなく、仕掛けるのは、圧倒的に不利な戦い。
共に駆け抜けた日々の絆を信じて。
今頃・・・どの辺りにいるんだろう・・・。
まだ、始まってはいないはずだが・・・。
望美と共に残った弁慶は、火桶の炭を足しながら、戦いに臨む彼らを思う。
囲炉裏の火に加え、火桶も使っていることで、部屋の中は暖かい。
けれど、火の側に横たわる望美の顔は青ざめ、その身体は冷たい。
今は眠っているようだが、この体調の悪さは、尋常ではない。
「敦盛の言うように、やはり、穢れ・・・なのかもしれない」
久々の邂逅を喜ぶ間もなく、四人は譲救出に向け出立した。
その前に交わした短い会話を思い出す。
「どうしたってんだ?!」
「神子が・・・このような・・・」
将臣と敦盛の驚きは大きかった。
「神子は・・・穢れに当たってしまったのではないだろうか」
それまでの経緯を聞いた敦盛がおずおずと言った。
「あの・・・神子が穢れに・・・とは・・・信じがたいのだが」
「俺は呪詛とか、そういうのはからっきし分からねえが、可能性はありそうだな。
何しろ、アブねえもんが、嵐山の屋敷の前に埋まってたくらいだ」
「もしかして、呪詛をかけた石とか、そういうものかい?」
「たぶん・・・譲の・・・力を封じるために、置かれたのだと思う」
「嵐山に行った時、急に神子の様子がおかしくなった。
埋められていたのなら、知らずに触れてしまったのかもしれぬ・・・」
「その呪詛ってのは、一度触れたくらいで、こんなふうになっちまうものなのか?」
「呪詛の強さにもよるが、神子の気は清浄なものだ。たやすくに穢れに冒されるものではない」
「オレもそう思うよ。けどさ、リズ先生・・・」
「・・・・・・ああ、分かっている。もう、神子・・・では、ないと言いたいのだろう。
務めを終えた今、同じ力を持ち続けることはない。封印ができないのもそのためだと思う」
「え?今、神子は・・・封印ができないのか・・・?」
「嵐山で一度試みただけだが、その時にできなかったのは事実だ。神子も気に病んでいる」
「それでも気丈に戦おうとしてたってこと?さすがだね。
でもちょっと、情勢としてはヤバいんじゃない?」
「次々に怨霊が出てきても、封印が効かないとなると、また五行の均衡が崩れていきます」
「でもなぜ、こんなことになったんだ?もう平家は怨霊を作ってないんだぜ」
「私が・・・何か関わっているのかもしれない・・・」
リズの言葉に、一同は驚いた。
「リズ先生・・・それはどういうことなのですか・・・?」
「『かもしれない』なんて自信がなさそうなわりには、深刻な感じだね」
「鞍馬から京に来て以来、私の立ち寄ったところに限って、怨霊が現れるようになった」
「で、その場所は?」
「一条戻り橋、嵐山、景時の京邸、そしてここ、五条だ」
「それだけなら、ただの偶然ってことも考えられるぜ」
「それに・・・」
か細い声がした。
「神子、気がついたのか!」
望美は弱々しい声で続けた。
「先生の行った場所・・・じゃなくて、先生と私の行った場所です・・・」
西に向かって走っていた四人は、途中で二手に分かれた。
人数の違いは決定的だ。陽動のために二人、救出と撹乱に二人。
持ちこたえられる時間はわずかだ。その間に終わらせなければならない。
さらに・・・計画には組み込めない、予測不能の脅威がある。
「あの館には、人ならぬ力が潜んでいる」
「どういうことだ?」
「昨晩、その力の片鱗を感じた。忍び入った私を面白がっている風だった」
「で、何も仕掛けてはこなかったのかい?」
「いや、凄腕の刺客を差し向けてきた」
「リズ先生に・・・そこまで言わせるほどの剣客がいるとは・・・」
「つまりは、そいつらにも当たるって覚悟は、しておいた方がいいってことだろ」
「お前達も・・・行くというのか?昨日のことがある。見張りは厳重になっているぞ」
「あれ?リズ先生は一人で行くつもりだったのかい?
オレ達が行った方が、勝算は上がると思うよ」
「仮にも、神子や譲は・・・源氏のために戦ったのではないか・・・。
それが敵に回るとは・・・。今の源氏の繁栄も、そのおかげだというのに・・・。
私にも・・・行かせてもらえないだろうか」
「自分の弟助けるのに、理由なんざいらねえだろ。ただし、弁慶、お前は残れ」
「不本意ですが・・・、こればかりは仕方ないですね。医者として、このまま望美さんを
放っておくことはできません。それに・・・」
弁慶は少し笑った。
「譲の手当の準備も整えておきますよ」
混濁していた意識がぼんやりと焦点を結び、望美は薄く目を開いた。
ぱちぱちと小枝のはぜる音。
鞍馬の庵にいるのか・・・と錯覚しそうになる。
でも・・・ここは・・・違う。
板戸の軋る音に、ここが五条橋だと気づく。
弁慶が隣の小屋に入っていったのだろう。
・・・そうか、譲くんが帰ってきた時のために、準備してるんだ・・・。
怨霊と戦おうとして・・・急に倒れてしまった・・・かえって足手まといに
なっちゃったんじゃないのかな・・・。
気がついた時には、将臣くんと敦盛さんもいた・・・。
みんなで怨霊の話をしていて、先生がまた変なことを言うから、
正しく言い直したんだっけ。
でもその後・・・
みんなが大事な話をしているのに、また意識が遠くなって・・・。
最後にかすかに聞こえたのは・・・・。
「譲は六条堀川、源氏の館に捕らえられている」
「昨晩、やはり・・・そこへ行ったのですね」
「行くならば私こそ適任と言ったのは、お前だぞ、弁慶」
「そうですね。でも、首尾の方はまだ伺っていませんでしたから」
「あの場所では言えぬ」
「仕方・・・ないでしょう・・・」
昨夜、先生の身体は・・・熱かった。
眠っていたはずなのに少しおかしいかな、って思ったけれど・・・。
私が何も知らないで休んでいた間に、先生は、危険な場所に行ってたんだ・・・。
・・・・・・・・「神子。譲を助けたいというお前の願いは、必ずかなえる。
だから、心を楽にしてゆっくり休むことだ」
先生・・・みんなと会わなかったら、一人だけで行くつもりだったの?
私・・・そんなの・・・いやなのに!!・・・先生・・・。
「おや、目が覚めましたか」
戻ってきた弁慶が声をかける。
望美はあわててパチパチとまばたきをして、うっすら滲んだ涙をごまかす。
つうっと一筋流れてしまった雫に、どうか気づかれませんように。
弁慶が湯気の立つ椀を持ってきた。
「うっ・・・」
望美の嫌そうな顔を見て、弁慶はおかしそうに微笑んだ。
「薬湯ではありません。薄い汁粥です。これなら少し飲めるでしょう?」
「あ・・・ごめんなさい。弁慶さんのお薬が嫌いとかじゃないんですけど・・・」
「ふふっ、かまいませんよ。リズ先生に頼まれたんです」
「え?」
「行きがけに、『神子の薬湯を、もう少し甘めにしてほしい』って」
「えええっ?」
「甘いのはリズ先生の方だと思いますが・・・」
望美はすごく恥ずかしい。
「す・・・すみません。私・・・子供みたいですね」
「いいんですよ。きちんと飲めなければ、どんな薬だって効き目はありませんから。それに・・・」
「?」
「少し頬に赤みがさしましたね。少しは回復してきたのかな?」
「ああっ!弁慶さん、もしかしてわざとからかったんですか?」
「声にも張りが出てきたようですね」
弁慶は望美に笑顔を向けると、囲炉裏に小枝をくべた。
「弁慶さん・・・、あの・・・」
「何ですか?」
「外、寒いんでしょう・・・?」
「ええ」
弁慶は半蔀を少し持ち上げた。
「雪が・・・降ってきました」
焼け跡に、障気が立ちこめている。
土塊がその障気をまとい、次々に形となっていく。
いくつもの怨霊が闇夜に生まれ出で、さまよい歩き始める。
橋の下、濃密な闇の中に淀み漂っていた気が寄り集まり、
土中に眠る恨みの気と呼び合う。
それらは次々と怨霊となり、あるものは川を行き、
あるものは岸に這い上がり、穢れた水をしたたらせながら
夜闇に消えていった。
京の街に、少しずつ、穢れが降り積もる。
空から舞い落ちる雪よりも密やかに・・・。
リズの姿は、すでに館の塀の中にあった。
続けて、音もなくヒノエが塀の上に飛び乗る。
うなずき交わすと、ヒノエは闇に消えた。
リズは建物の屋根づたいに、昨晩確認した小屋に向かう。
辺りの気を油断なく窺いながら・・・。
今夜も、あの刺客は現れるのだろうか。
見張りの数が増えていることを見て取ると、そのままとって返して
殿直の武士の詰所に降り立ち、前に立っている張り番の武士が気づく間もなく、当て身で倒す。
陰伝いに動きながら、幾ばくかの細工を施し、待つことしばし。
空から白いものがひらひらと舞い落ちてきた。
「・・・雪に・・・なったか」
館の裏門で騒ぎが起こった。
「曲者だっ!!」
「油断するな!強いぞ!」
「ま、まさか?!あやつは・・・」
「あ、奥に逃げたぞ!!」
少し遅れて、張り番のいない詰め所に、やっと騒ぎの声が届いた。
「何があったっ?!」
押っ取り刀で飛び出してくる武士を、一人、また一人と、倒していく。
外に何者かが待ちかまえていることに、中の者達が気づいた時には、
すでにリズはその場を退いていた。
油断なく刀を構えて外に出た武士達の目の前で、幾本もの篝火が同時に倒される。
リズの細工が功を奏し、急に襲い来た闇に、彼らの動きが止まった。
音を頼りに曲者の居場所を探ろうとするが、うまくいかない。
その頃には騒ぎの声は各所に飛び火していた。
母屋からわらわらと飛び出してきた者達は、
暗がりにヒノエが撒いておいたヒシの実に足を刺され、
その多くは動きが鈍くなっている。
そこを将臣と敦盛が駆け抜ける。
「追えっ!!」
「あやつら、平家だ!!」
「還内府だ!!」
撹乱しつつ、手勢を分散させる・・・。
それがリズ達の目論見だった。
こうすることで、譲の見張りの増援を一時的にでも食い止める。
その間に・・・。
降りしきる雪を貫き、リズは譲の閉じこめられた小屋にひた走る。
篝火に照らされ、その一画だけがほの明るい。
騒ぎにも誰一人、持ち場を離れず守られている小さな蔵と、その隣に目立たぬ小屋。
身を隠すこともなく、リズは走り抜け、すぐに雪がその姿を隠す。
その後には、うめき声をあげて倒れ込む数人の武士。
「ここにも出たぞ!!」
「そっちに逃げた!!」
「持ち場を離れるな!」
残った見張りが刀を抜き放った。
その背後を取る。
「ぐっ・・・」
篝火に、舞い落ちる雪が照らされ、炎の揺らめきの中に消えていく。
絶え間ないその雪の舞いが、一瞬
凍り付いた。
時が・・・止まった。
うめき声が途切れた。
館に充ち満ちていた怒号と慌ただしい足音が、ぴたりとやんだ。
武士達は倒れる途中の不自然な姿勢のまま。
篝火の炎は、一つの形を保ったまま。
周囲を覆う白い雪も、中空に静止したままに・・・。
「これは・・・」
館に潜む力の仕業か・・・?
しかし、なぜ自分だけが動ける?
その時、中空から声がした。
「こちらへ・・・」
リズの眼前に、青い狐火が現れ、誘うように明滅しながら移動する。
行かぬわけにはいくまい。
生殺与奪の権を握られている今では、譲を救うことは叶わぬ。
リズは狐火の後に従い、歩き出す。