きりきりきりと、力の限り弓を引き絞る。
真っ直ぐに狙う矢の先に、長い金色の髪をもつ長身の男。
張りつめた弦を解き放つ。
「だめーーーーっ!!!」
悲鳴と共に、立ち塞がる少女。
その額の真ん中に、矢が突き刺さる。
弓矢を投げ捨て、少女のもとに駆け寄る。
少女の顔面に広がる赤い血の色。
スローモーションのように、もどかしい動き。
少女の見開いた目から、一筋、涙が流れ落ちて・・・・・・
「うわああああああっ!!」
自分の声に目覚める。
全身をぐっしょりと濡らす不快な汗。息が苦しい。
「どうしました?!」
声がする。
「大丈夫?」
目の前に、夢の中の少女の顔・・・・・先輩・・・・・・。
「あ・・・・・俺・・・・」
言葉が続かない。
「うなされていたようですが、悪い夢でもみましたか?」
ああ、弁慶さんだ・・・・。
慣れた手つきで、額や首筋の汗を拭ってくれている。
「すみません・・・・」
これ以上聞かれたくなくて、声をやっと絞り出す。
「恐いめにあったんだものね。でも、もう大丈夫だから・・・」
先輩の、笑顔。
辛くて・・・・見ることができない。
俺は、あなたに笑いかけてもらえる資格なんてない。
この夢・・・・政子の言っていたのは、こういうことだったのか・・・。
俺が・・・・あなたを・・・・手にかける・・・。
・・・・ならば、見極めなくては・・・・と思う。
俺に夢の力があるのなら、もっとしっかりと、この夢の正体を・・・。
悪夢の意味するところを掴むまで、俺は、逃げられない。
逃げては、いけない。
この夢を現実にしないために・・・・。
撃たなければならないのは、俺の・・・・、俺の心だ。
でも・・・・わかっているのに・・・・どうして・・・・
こんなに・・・・・、
悲しいんだろう、俺・・・・。
再び譲が眠ったのを見届けると、望美は膝を抱えて壁に寄りかかった。
どうしちゃったんだろう、譲くん・・・。
酷い目にあった・・・・だけじゃないんだ、きっと。
助け出しただけじゃ、まだ何かが足りないんだ。
先生も譲くんも・・・・私のわからないことで、何か隠してる・・・・。
そのことで、辛い思いをしてる。
囲炉裏にちろちろと燃える炎を見ながら、
望美の思いは同じ所をぐるぐると巡る。
将臣とヒノエ、敦盛は隣の診療所で眠っている。
間もなく長い夜が明けるのだろうか。
試験の前・・・・・徹夜で一夜漬けの勉強をしたっけ・・・・。
遠い場所、遠い日のことが、ふいに記憶によみがえる。
「神子・・・」
リズの声に、はっと我に返った。
「そのままうたた寝しては、風邪をひく」
「・・・・・はい」
リズは、起き直って向きを変えた望美を支えようと手を差し伸べ・・・・
はっとしたように、途中で腕を下ろした。
「先生?・・・・どうしたんですか?」
「いや、なんでもない・・・・」
リズは目を伏せたまま、背を向け、小枝を火にくべる。
夜明け前の、しん、と静まりかえったひととき、
眠れぬままに横になった望美の耳に、静寂を破り、馬の嘶きが聞こえてきた。
「ここに用か・・・・」
一挙動で立ち上がり、リズはもう戸口にいる。
隣の診療所でも、動く気配。
弁慶は、起きあがろうとする望美を目で制して半蔀から外を見た。
梶原の京邸の一室。
「痛いのでしょうけれど、じっとしていてくれないと手当ができないわ」
「いえ!朔様に、そ、そのような・・・・。あの・・・もう治りました!ですから、どうか」
「信直殿!」
朔のぴしりとした声。
「は、はいっ!」
「私は、戦場で数え切れないくらい、傷の手当をしてきました。信直殿の怪我をみたのも
一度や二度ではないはずです」
「はい。そうですが・・・・」
「信直殿が、これほどの傷なのに医師に診てもらうのを拒んだのですよ」
「その通りです。診てもらうほどのことではありません。だから、拙者のことは・・・」
「信直殿!!薬を塗ります!」
朔の声が一段と大きくなったその時、
「失礼する」
リズが突然、姿を現した。
家の中で瞬間移動するなど、めったにないことで、二人はひどく驚いた。
「リズ先生・・・。急にどうされたの?望美は一緒ではないのかしら」
「こ、これは、先生!不甲斐ないところをお見せしてしまい、申し訳ありません!」
信直は慌てて着物を羽織る。
その身体には、網目のようにくまなく赤い筋が広がっている。
背中には真っ直ぐな傷もあり、そこから血が滲んでいた。
「曲者と聞いたが・・・・」
「はっ!不覚を・・・・とりました」
「どこで襲われた」
「邸内を見回っていた時に不審な気配を感じ、庭に出ましたところ、・・・・後をとられました」
「不可解な傷だな」
「はい・・・・。恥ずかしき事ながら、何が起きたのか分からないのです。
急に全身に痛みが走り、大声をあげて倒れてしまい・・・・・武士たるものが、これでは・・・・」
「不意をつかれたというのか」
「め、面目ありません」
「曲者は西の塀を越えて出た・・・そうだが?」
「は、しかとこの目で。・・・・雪上に倒れては・・・おりましたが・・・」
「そうか・・・・・」
「あの、リズ先生、信直殿はひどい怪我で・・・・」
「すまなかった。私はこれで下がる。が、朔、馬で迎えを向けてくれたこと、感謝する。
神子が伏せっていたゆえ、助かった」
「え?望美の具合はそんなに悪いの?やっぱり昨日無理してしまったのかしら・・・」
「気分はよくなっているようだ。後で顔を見せてやってくれぬか」
「ええ、わかったわ」
「神子様・・・・大丈夫でしょうか」
信直も心配顔だ。
「そしてこれは」
リズは懐から包みを出した。
「弁慶から預かった。朔の分の薬湯だ」
朔の部屋を後にすると、リズは今度は景時の部屋に向かう。
雪で困っているだろうと、朔が五条橋まで馬で迎えを寄越してくれたおかげで、
たいした難儀もせずに、京邸に戻ってくることができた。
が、道々迎えの者から聞いた話では、昨晩邸に曲者が侵入し、
梶原党の中でも一、二の腕をもつ信直が深手を負ったという。
昨晩の自分達の動きと何か関係があるのだろうか。
どうしても確かめなければならない。
リズは望美を部屋に寝かせ、調べてみることにした。
望美と自分のことは・・・・これが終わったなら・・・・。
火の気のない景時の部屋は、暗く冷え切っていた。
文箱を取り出し、二重になった底を見る。
上の偽底に仕掛けておいた微細な砂が、下に落ちている。
文箱に隠されていたのは、九郎討伐を命じられ、京邸に戻ることもできずに、
その足で西国に向かった景時から届いた文。
誰かが昨晩、この文を盗み見した。
昨日五条橋に向かう前に確かめた時には、異状はなかったのだ。
「もう、躊躇している時ではないな・・・」
文に織りこまれた場所に、リズは立った。
「池の右」。
景時の文にある間違いの箇所を拾い出し、その下の文字を辿っていくと、
この言葉が現れる。
文を書く過程で、偶然形作られた言葉ではないはずだ。
池というのも、文中で花に言及していることから、譲が花の手入れをしていた
場所近くのものとわかる。
ここまでは、景時の文を読んだ時に、リズも弁慶も読み取ることができた。
ならば、他にもこの隠された言葉を探し当てる者がいてもおかしくはない。
信直は、池の右側に倒れていたという。
今、庭は白く雪に覆われ、池も凍り付いていて、なんの目印もない。
が、探すべき範囲は狭いはずだ。
推測の域を出ないことではある。
しかし、譲の行方不明と星の一族の館の焼失を知り、
勘の鋭い景時のこと・・・・。
ふらりと京邸を訪れた譲が、春のために花の種を撒いていると称して
庭で何かをしていた時のことを思い出したのではないか。
あの文は、それを伝えるためのもの。
景時らしいと言えばその通りな雰囲気を持つ文ではあるが、慌ただしい時間と
人目の中にあってなお、書いて寄越したこと自体に意味があるはず。
とにかく、探すべきは・・・・、
譲が花を植える場所。さらに、洗濯物を干す者が花を踏みかねない箇所。
丹念に雪をかきわけていく。
と、現れた地面に掘った跡が見え、一瞬、手が止まる。
しかしよく見れば堀跡は浅い。
小刀の鞘で固い地面をさらに掘り返していくと、カツッと音がして、
木箱に行き当たった。
取り出して、蓋を開く。
中には何もない。
「・・・・遅かったか・・・・」
譲が隠したままにしておくことが最良の策と考え、文の意を読み取ってからも、
リズも弁慶も敢えて取り出そうとはしなかった。
それが、裏目に出たか・・・・。
この箱に入っていたのは、推測通り龍の宝玉なのか・・・・?
それが奪われたとあれば、遠からず何らかの動きがあるはず・・・。
しかし、まずは龍の宝玉がここにあったのかどうか、
また、譲がこの箱を埋めたのかどうか確かめることからだ。
五条橋に戻り、譲に訊かなければならない。それも、すぐに。
立ち上がると、雪で白く覆われた庭に、景時の部屋から続く自分の足跡が視界に入る。
その向こうに、曲者の逃げた西の塀。
リズの眼に、昏い陰が落ちる。
「やはり・・・・そうだったか」
呟いたリズの姿は、次の瞬間、そこにはなかった。
「神子様・・・・」
部屋の外から呼ぶ声に、うとうととしていた望美は目を覚ました。
「はい・・・」
答えながらも、リズに言われたことを思い出す。
「私が戻るまで、この部屋を出てはいけない」
先生、まだ帰ってきていないよね。
「朔様がお呼びです」
「え?朔が・・・?」
どうしよう。でも、先生には何か考えがあるはず。
それに・・・・先生は、このお邸の人達を、警戒してたんだ・・・・。
望美は脇戸を少し開いて答えた。
「先生が帰ってきたら行くからって・・・・あ?!」
いきなり戸が大きく開かれ、腕を掴まれて廊下に引きずり出された。
ずんっ!!
前のめりになったところを、みぞおちに一撃。
先・・・・生・・・・。
「神子?!」
望美の声が聞こえたような気がして、リズは馬の歩みを止めた。
「呼んだのか・・・?私を」
周囲を見回す。
鈍色の空の下、眠ったようにうずくまる京の街。
遠くで童達の遊ぶ声。
鋭い声をたてて、烏が木の枝から飛び立った。
右の頬が熱い。
触れても、そこに宝珠はない。
しかし・・・・
「神子・・・・どうした?!」
雪を蹴立て、リズは馬を駆る。
第3章 暗鬼