果て遠き道

第3章 暗鬼

2 再 会



「弁慶さん、水くさいですよ。どうして早く教えてくれなかったんですか?」
挨拶もそこそこに、望美は言った。
「え?」
問われて弁慶は怪訝な顔。
「こちらに来る時にすれ違った親子が、話していましたよ」
望美はわくわく顔だ。リズが苦笑しながら口を挟む。
「神子、用件はそれではないだろう」

弁慶は、やっと思い当たったようで、少し苦笑いした。
「ああ、薬湯の追加を取りに来たんですね。そのついでに、つまらない話まで
聞いてしまったというわけですか」
「つまらない話なんかじゃ・・・」
「いいえ、どうも、君の期待には沿えないようですから」

そう言うと、弁慶は苫屋と診療用の小屋を隔てる戸板に目をやった。
その扉も、苫屋の造り同様、用途さえ満たせばよい、との考えのもとに
取り付けられているようだ。
少し軋みながら戸が開き、そこから入ってきたのは

「ヒノエくん!!」
「やあ、久しぶり」
しかし、その恰好は・・・
「あの、もしかして、その着物は女の人の・・・?」
「神子姫様のあでやかな姿には及ばないけどね、どう?けっこういい感じだと思うけど」
ヒノエはくるりと一回転してみせた。
望美はしどろもどろに言葉を継いだ。
「・・・・・ええと、その・・・・ヒノエくんて、そういう趣味が?・・・って、ええっ?
もしかして弁慶さんの・・・その・・・あの・・・」

「なあんだ、噂をどこかで聞いたのかい?ま、ヤローの相手に間違われるなんて
面白くないけど、今はとりあえず、そういうことにね」
「冗談が過ぎますよ、ヒノエ。すみませんね、望美さん、行きがかりでこうなったんです」
弁慶は困ったように額に手を当てた。
「ヒノエがこの恰好でいきなり現れたものだから・・・。診察中だったので、ちょっとした騒ぎに
なってしまいましたよ。噂の相手が、可愛らしい本物のお嬢さんだったら、僕もうれしいんですけどね」
「贅沢言うなよ。オレだって、どうせ女装するならもう少しマシな相手と組みたいぜ」

「・・・・・なあんだ・・・・」
望美は小さくため息をついた。
「神子、がっかりしたのか?」
「少し・・・」
「理由を、考えてみなさい。ヒノエはおそらく秘かに京に入るため、このような策を用いたのだ」
パチンとヒノエが指を鳴らした。
「ご明察。やっぱりリズ先生は鋭いね」
「あんまり秘かにって感じはしないんだけど」
「そうですよね」
「まあ、京に入ればこっちのものだからさ。問題は道中でね。この恰好はいい目眩ましになったよ。
時々本気で口説いてくる、うざいヤローもいたけどね」
「あはは、きれいだものね、仕方ないかも」
「なんかビミョーなほめ言葉だね」

「そうまでして京に用とは?」
リズは笑っていない。
望美も不思議に思う。熊野は大きな勢力だ。別当自ら動くとは?

一同は、小さな囲炉裏を囲んで座る。
ヒノエは女物の着物をするりと脱いだ。その下に来ているのはいつもの服。
脱いだ着物を丁寧にたたみながら、話を始める。
「いろいろとキナ臭いんだよ、熊野を取り巻くあれこれがね」
「大事があったのか?」
「まだ、何も起こっちゃいないさ、表向きはね」
「つまり裏で何かが・・・ってことなの?」
「烏がね・・・、やられたんだ。オレが子供の頃から知ってるヤツらが、三人も・・・」
ヒノエは唇をかんだ。
「え?烏っていうと」
「熊野の間者ですよ。一人一人が高い能力の持ち主です」
「熊野の情報収集の要だ。身を守る術にも長けているはず。それが?」
「・・・・手を下したのが誰かも、後ろで誰かが糸を引いているかどうかも分かってないけどね、今のところは」
「でも、心当たりがあるの?」
「まあ、かすかにね。烏たちは、京を探ってたんだよ。京のどこで、どう動いていたかまでは知らないけど」
「つまりは、京に何かがある・・・と判断したか」

「聞いたところじゃ、また怨霊も出たみたいだしね。いよいよ京が怪しいって思ってるわけ」
「裏で動いているとするなら、後白河院か、頼朝か・・・」
「鎌倉殿は今、西国の平定と関東の地固めに忙しいだろうけど・・・でもね」
「確かに、平家の知行国を完全に掌握したとはいえまい」
「ただ、九郎のことも・・・ありますから」
「鮮やかに姿をくらましたもんだね。その九郎が昔のよしみで熊野を頼ってきたら」
「九郎さん、熊野に?」
「いいや、九郎は来ていないよ、姫君。もし来たとしても、九郎をかくまったりしたら、
それこそ鎌倉に熊野攻めの口実を与えるようなものさ」
「ええっ!それって、九郎さんが助けを求めても味方しないってこと?ひどいよ、ヒノエくん・・・」
「望美さん・・・」
弁慶がやんわりと制する。
「どうかヒノエを責めないでやって下さい」
「でも・・・」
「神子、落ち着きなさい。熊野別当としてヒノエの判断は正しい。そして九郎もまた、自分の立場を
念頭に置いて身を処すだけの判断力を持っている。お前もそれは分かっているはず」
望美は自分を恥じた。割り切れない思いはある。けれど・・・。
「・・・はい、そうでした。すみません、先生」

「で、景時が九郎を追っているんだって?」
「うん。それで、せっかく久しぶりに会えたのに、すぐ西国に行っちゃったんだ」
「ふーん、西国へ・・・ねえ」
「ふふっ、そうなんです」
「え?何かおかしいの?」
「いや、景時もしたたかな男だと、二人は言いたいのだ。命令には忠実だが・・・」
「?」
「望美さんは、まだ九郎が西国でうろうろ逃げ回っていると思いますか?」
「なぜ、そんなことがわかるの?」
「あいつの性格考えりゃ分かるさ。あらぬ嫌疑をかけられたとしたら、どうすると思う?」
「・・・・ええと・・・九郎さんなら、きっぱりと否定すると思うよ」
「だが、それを捕り手に話したとて、通じまい。とすれば、神子・・・」
「・・・・もしかして・・・・まさか頼朝さんに、直談判?」
「ひゅ〜。そういうこと」
「あの真っ直ぐぶりは、無謀なくらいですからね」
「行き先は他にも考えられなくはないが・・・」
「で、その間景時は、知らん顔して西国で九郎捜しに励んでるってわけ?」

三人の話を聞いていて、望美はだんだん腹が立ってきた。思わず大声になる。
「そんな!!ずっと心配していたのに、見当がついているなら、なぜ話してくれなかったんですか?!」
弁慶とリズは顔を見合わせた。
「望美さん、すみません・・・けれど」
「あの邸で口にできなかっただけだ」
望美の脳裏に、ここに来る途中でリズの言った言葉が蘇る。
 ・・・・・・・・『神子、人は・・・うわべだけではわからぬものなのだ』
「あ・・・・」
やっぱり先生も弁慶さんも、あの邸の人を疑ってるんだ・・・。
悲しさがこみ上げる。望美はうつむいた。
そんな様子を見て、床に置いた望美の手に、リズがそっと手を重ねる。
あたたかくて、大きな手。
望美はありがとうの代わりに、ほんの少しだけ、リズの方に頭を傾けた。

それに気づかぬヒノエと弁慶ではないが、見て見ぬふりをして話を続ける。
内心、リズに貸しができた、と思いながら。

「そんな時に、頼朝の北の方が上洛・・・だろ?直接様子を見に来ないわけにはいかないじゃない?」
「九郎追討の院宣を受けるためだけではないでしょうね」
「京での幕府の力を高めたい、ということはあるのだろうが・・・」
「確かに、西国に睨みをきかせるには、京という地は好適でしょう」
「政治の中枢が支配の強化を図るのは当然のことだ・・・だが」
「こっちは、あんまり鎌倉に強くなられちゃ困るんだけどね」
「単なる勢力拡大策・・・とは思えないですね。それだけでは説明がつかない・・・」
「譲のことだろ?」
「うむ、そのことだが、昨晩・・・む!!」

緊張した空気が走る。
リズは黙って剣を取り、立ち上がった。
弁慶も、すでに薙刀を手にしている。

望美は胸が押し潰されるような圧迫感を覚えた。
これは・・・外から漂ってくる、このいやな気は・・・。
「怨霊・・・ですね。私も行きます!」
考えるより先に、言葉が出た。
今度こそ封印ができるかもしれないし、今度もできないかもしれない。
それでも、戦わなくては、と思う。
なぜ怨霊がまた出現するようになったのか、恐れず対峙してみれば、何かわかるのではないだろうか?

しかし、
「神子はここにいなさい」
リズが望美を制した。
「いやです!先生」
「君は待っていてくれますか?ここは僕の診療所なんです。だから、僕が始末をつけなければね」
弁慶の言葉は柔らかだったが、きっぱりしていた。
「でも・・・」
「ヒノエ、神子を頼む」
「おいおい、このオレが留守番役かい?」
「誰が見ているか分からぬのだ。今正体が知れてはまずかろう」
「こんな夜にそんな酔狂なやつもいないと思うけど・・・、じゃあ、そうさせてもらうよ。
危なくなったら行くからさ」
ヒノエの考えは、珍しく外れていた。酔狂なやつらは、すでにこの時・・・。

弁慶が苫屋の扉を開いた。
一気に外の冷気が流れ込む。
葦の枯れ草の間に、ゆらゆらといくつもの黒い影。
こちらに向かって来る。

「あんなにたくさん・・・。やっぱり私も行く!」
望美は剣を手に、二人の後を追って外に飛び出した。
その時、

世界が暗転した。

「神子っ!!」
遠くで、先生の声が聞こえたような気がして、
先生はどこだろうと探そうとして、
あとは何も分からなくなった。


「ほら、やっぱりあの鬼だ。さっき見かけたのは間違いじゃなかったぜ」
「ちっ!せっかくただで診てもらえるって話なのに、あの山法師、鬼の仲間か」
五条橋のたもとの草むらに身を潜め、弁慶の診療所を見張る数人の男がいる。
姿を現したリズと弁慶を見て、興奮して口々に言い合う。
鞍馬の庵を襲おうとした野盗達だ。

「あれ、女が倒れたぞ」
「鬼の野郎、あわてて支えてやがる」
「あの鬼の女みてえだな。ここにあの鬼と一緒に来たんだ」
「もしかして、あの時も・・・」
「どうりで小屋に近づかせねえと思ったぜ。中にあの女がいたんだな」
こういうことにだけは聡い連中だ。

「でもよ・・・怨霊相手に、ありゃ強すぎねえか」
リズと弁慶の戦いぶりを見ていた男の一人がため息混じりに言った。
「俺達じゃ手も足も出ねえわけだ」
「あん時ゃ、不意打ち食らったからよ」
不機嫌そうに答えたのは、肩を布でぐるぐる巻きにした男。
リズに一撃で肩を砕かれた、野盗達の頭だ。
「いくら鬼でも、俺達で一斉にかかれば・・・」

「お前達、あの鬼に恨みがあるのか?」
いきなり男達の背後から声がかかった。

「な、なんだ!」
「てめえ!いきなり!」
野盗達は刀の柄に手をかけた。
凶暴な面構えの武装した野盗どもを前に、声をかけた男は平然として続ける。
「あの鬼を倒したいなら、俺の話を聞け」
「何が言いてえんだ?」
頭が疑い深そうに聞き返した。
「鬼は強いぞ。勝ち目は全く無い。だから、お前達の意趣返しに力を貸してやろうと
言っているんだが」
「けっ!ロクでもねえ話だろうぜ」
頭は唾を吐いた。
「ならば、好きにするがいい」
男はあっさりと踵を返す。

「お、おい、待てよ」
野盗の一人が止めた。
「お頭、話だけでも聞いてみやしょうよ」
他の男達も口々に言う。
「うむう・・・」
頭は唸った。


リズと弁慶に斬られ、怨霊達はどろどろと土に溶け入っていく。
その土はひどく粘つき、ぬかるみよりも足にまとわりついてくる。
怨霊を倒せば倒すほど、足場は悪くなり、体勢を保つのも難しくなってきた。
診療所の小屋を背に戦っていた二人が、いつの間にか川べりの方へ追いつめられてしまっている。

バシャーン!川から水音。
びしゃびしゃびしゃっ!と何かが地面を走る。
と、次の瞬間、リズと弁慶は川の中から伸びた触手に捕らえられていた。
ふっと、リズの姿が消える。
獲物を失い、一瞬動きの止まった触手をリズの剣が斬る。
振り向きざま、弁慶を捕らえた触手も断ち切る。

ズザザザザーーッ!!
その時、一段と大きな水音をさせ、川の中からぬらぬらとした巨きな本体が現れた。
いや、引きずり出されてきた。
のたうち回る触手を掴んで川から上がってきたのは・・・、
「これで・・・、少しは戦いやすくなると、よいのだが・・・」
「敦盛!」

そして岸に停まった一艘の小舟。
そこから陸地に飛び移ってきたのは、大柄な体躯の男。
「よ、久しぶり!何か、大変なところに飛びこんじまったな」
「将臣か」


五条橋の上、野盗達の去った後に一人残った男が、顔にうっすらと笑いを浮かべ、
その光景を見下ろしている。
「おもしろい顔ぶれだ・・・」
しんしんと冷える夜気の中、寒さに震える様子もなく、男は橋を後にした。
「あの者達は、動くべき時を誤らないはず。なれば、今宵・・・」
その口元が冷たく歪む。
「愚かなやつらがいつ動くかは・・・予想もできぬが・・・これもまた一興」



第3章 暗鬼 
(1)怨霊を呼ぶ者 (3)救出 (4)狐火 (5)代償 (6)潜む影 (7)読まれた書状 (8)鳥辺野

[果て遠き道・目次(前書き)]

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