深き緑に(まばゆ)き青に  〜11〜




「ヒノエくん!!」
望美は後も見ず、屋敷に向かって駆け出した。

縄を打たれた男達は、恐い娘がいなくなったことにほっとする。
が、それも束の間、入れ替わりに来た大男が彼らの縄を持った。

「おめえら、後でゆっくり話を聞かせてもらうからな」
頭上から、凄みのきいた声が降ってくる。
男達は震え上がった。
仮にも勝浦の街を根城にしていて、水軍副頭領のことを知らぬ者はいない。

しかも、漏れ聞こえてきた話から、
拐かそうとした娘の正体も薄々わかるというもの。
俺達は、とんでもない娘に手を出してしまったのか……。

後悔するが、もう遅い。
男達は、がっくりとうなだれて、屋敷の中へと引かれていった。


「望美様!!」
「いったい、頭領はどうしたんです?」
「大丈夫なんですか」
「何があったんですか?!」
「副頭領が、人払いして会わせてくれないんです」
「俺達、どうしたらいいのか…」

屋敷に入るなり、水軍の若衆たちが、口々に叫びながら望美を取り囲んだ。

「そ…そんな…ヒノエくんに何があったの?」

「望美様も、ご存じないんですか?」
「ご一緒に街に出掛けたのでは?」

「それが…私、ヒノエくんと途中ではぐれちゃって…」

「そ、そうだったんですか…」
「………あ!すみません、俺達が引き留めちゃって」
「そうでした。早く行ってあげて下さい」
「烏に運ばれてきた時には、もう…顔色が真っ青で…」
「ぐったりしていて、全然動かないんです…」
「こら、馬鹿!!望美様にそこまで言うな!」
「あ……」

終わりまで聞かないうちに、望美は全力で走り出していた。
「ヒノエくん!!!!」

幾度もつまづき、転びそうになりながら、奥の間に急ぐ。

廊下も庭も、厳重に警護されている。
異常なほどの警戒ぶりだ。

皆、望美を見ると一礼して道をあけるが、
誰一人として口をきく者はいない。

どうしたの……
何があったの……
ヒノエくん!!!

望美は、奥の間へ駆け込んだ。

部屋の中央に設えられた褥に、青い顔のヒノエが横たわっている。

眠っているの……?

「ヒノエくん…」
望美はそっと呼びかけた。

だが、ヒノエのまぶたは閉じたまま、ぴくりとも動かない。

「望美様……実は…」
後ろから、副頭領の声がした。

「何があったの?!ヒノエくん、どうしちゃったの…?」

望美の言葉に、副頭領は、ひどく辛そうな顔をした。

その時、慌ただしい足音と共に、配下の者が走ってきた。

「何事だ、騒々しいぞ!」
副頭領は不機嫌な声を出した。

「申し訳ありません!
ただ今、法皇様からの御使者がおみえになりました」
「何だと!」
「頭領に、御依頼の儀がある、とのことで…」

「…こんな時に……」
副頭領は、顔をしかめて唸った。
そして望美に向き直る。

「すみません。すぐに戻りますので、どうぞ頭領のおそばに」

望美は、こみ上げる涙をこらえながら、頷くしかなかった。





その夜遅くなってからも、熊野別当の屋敷の奥では、
慌ただしく人が動きまわっていた。
しかし、表向きはいつもと変わらぬ様子。
法皇の使者も、まるで何事もなかったように、しずしずと帰っていった。

「この虚勢、どこまで続くか…」
皮肉な笑みと共に、裏山に身を潜めていた男が呟いた。
男が探っていたのは、屋敷の奥での動き。
その場所からは、人の出入りがよく見える。

別当が部屋に運び込まれ、医者が呼ばれ、
ほどなくしてすごすごと立ち去った。
その後に入った妻は、大きな嗚咽の声を上げたきり、出てこない。
長い外套を纏った法師が続いたが、顔は布に隠れて見えなかった。
巨漢の副頭領は、出たり入ったりを繰り返している。

そして夜半を過ぎ、法師は部屋を出ていった。

そこまでを見届けると、男はその場を後にした。

薊様は失敗したようだが、我が頭領は勝った。

夜陰の山道を駆ける男は、高揚する気持ちのままに樹間の空を仰ぐ。

山道の木に罠を仕掛けたのが、つい昨日のことのようだ。
頭領自らが囮となり、それに欺かれた敵が見当外れな方向を
探っている間にも、我々は着実に動いてきた。
幾度、つなぎを取りに、京と熊野を往復したことか。

別当の骸をさらしものにできなかったのが心残りだが、
その死を、いつまでも隠しおおせるものではない。

いや、隠すこと自体、己が首を締めるようものだ。
さっさと使者に伝えておけばよかったものを。

法皇の到着が楽しみだ。
これから、さらに……熊野は追いつめられることになる。



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