深き緑に(まばゆ)き青に  〜18〜




短刀とジャマダハルが、激しく打ち合わされては、離れる。
双方、腕は互角か。戦い方も近い。

身軽に飛び上がり、変幻自在に動くのは、ヒノエの得意とする戦法だが、
いつもの軽やかさ、技の切れが見られない。
軽業を駆使し、舟の中を自由に動き回るアザミに対し、
次第にヒノエは追いつめられ、防戦する側にまわっている。

「頭領!」
水軍の漕ぎ手が助けに入ろうとするが、
二人のめまぐるしい動きに追いつけず、為す術がない。

ガッ!
振り下ろされた短刀を、ジャマダハルが受ける。

「熊野をまた争乱の渦に叩き込んで、どうしようっていうんだい」
ヒノエは、下からアザミを見据えた。
「もう一度、出直すのさ。
今度は、あんたが敗者だ。全てを失い、絶望の中で死んでもらうよ」
「源平の戦が終わったばかりのところへ、そんなことが起きたら、
熊野はどうなると思ってるんだ」

「それがどうした。
争乱の時も、源平の合戦でも、あんたはいつも勝った側にいた。
敗れた者達のことが、あんたに分かるのか?
争乱の中で孤立し、見捨てられて死んでいった俺の一族、
俺の目の前で、死んでいった両親、小さい頃からの友……」
あんたには、この恨み、分かるものか!!」

短刀が、ぎりりと軋んで、ヒノエの顔に近づいた。
だが、ヒノエはアザミに向けた眼をそらさない。
「そして生き延びた者達が、敵を討ちに来たってわけかい」
アザミは、皮肉な笑みを浮かべた。
「違うね、取り戻すのさ。この熊野を」
「法皇を葬れば、熊野に向けて朝廷が動く。源氏が動く。
そうなったら、出直しどころじゃないんだぜ」
「あんたがそれを知る必要はないさ!」

研ぎ澄まされた刃先がヒノエの頬に当たり、つ…と赤いものが流れた。
ヒノエの口調に、かすかな苦さが混じる。
「あの争乱の時、オレはまだ、何もできなかった。
争いに巻き込まれた人々が、家を失い、家族を失い、
熊野が荒廃していくのを、手をこまねいて、見ているしかなかった。
だからオレは決めた」

ヒノエの眼が光る。
アザミはヒノエの足払いをかろうじて避け、飛び退いた。

ヒノエは頬の血を拭った。
「もう二度と、こんなことは繰り返さないってね」

アザミは口元をゆがめて笑う。
「しょせん、勝った者の驕りだ。
きれい事を並べたところで、今の優位を手放すつもりもないくせに」

アザミはヒノエの攻撃を誘うように、じりじりと後ろに下がっていく。
「俺には、お前に勝る才がある。
無いのは、この才を振るう熊野という国だ!」
「小さいね。そんな小っちゃい心で、何を成そうっていうんだい」

斜めになった舟の上で、アザミは膝まで水に浸かった。
好機と見た水軍の一人が、後ろから飛びかかろうとした。

が、「止めろ!」
ヒノエの制止で、咄嗟に身をすくめる。

そのすぐ隣に、針が飛んだ。
アザミが振り向きもせずに投げたのだ。

「背を向けているからって、甘く見ないでほしいな」
そして、あからさまに挑発する。
「別当様、俺はこっちだよ。
水の中なら、動きは遅くなる。俺を仕留めたいなら、こっちにおいでよ」

ヒノエは、身構えながら数歩、前に出た。
その刹那、アザミは仕掛けを施した床板を思い切り揺さぶった。
ヒノエが体勢を立て直すより速く、海水が勢いよく流れ込み、足元を覆う。
アザミは板を足場に宙を飛び、ヒノエに飛びかかった。

反射的に、避ける。
だが、傷めた足が限界に来た。
がくっと膝を折ると、傷口が海水に沈む。
「く……!」

かろうじて、刃の一撃をかわした。

「しぶといね」
次の一撃。
横に転がりながら逃げ、身体を起こす。

「あきらめが悪いんだね。
もうその足、動かないんだろ」
「あきらめが悪いのは、あんたの方じゃないのかい。
気になってるんだろ?他のやつらが首尾よくやっているかって」
「何を!!」
さらに一撃。
よろけながらかわす。

「気づいてるかい。
街も、オレの屋敷も、いつものままだ。
いくら待っても、何事も起きないってね」

「湛増……」
アザミの顔が憎しみにゆがんだ。

「あんたはもう、一人だ。
あきらめるのは、あんたの方だよ」

「何も失わずに全てを手に入れた者に、何が分かる!!」
ヒノエの顔に向けて、針が飛んだ。
同時に、アザミが刃を構え、飛び込んでくる。
「ご自慢の頭脳も容姿も、別当の地位も、
お前自身の力で手に入れたものは、何一つ無いじゃないか!」

ヒノエは身を低くして針を避け、
水で滑る床を利用し、腕を軸に身体を回転させる。
ヒノエの蹴りがアザミの足に当たり、アザミは大きくよろけた。

ガクン!!
その時、舟が激しく揺れた。
ヒノエもアザミも、咄嗟に船縁につかまる。

「頭領!もうすぐ沈みます!」
「逃げて下さい!」
水軍衆が叫ぶが、二人はにらみ合ったまま動かない。

「オレの力で手に入れたものが、何も無いって?
それはそうさ。天から与えられたものだからね」
「傲慢な男だな…熊野別当。
熊野は、自分のためのもの、とでも言いたいのか」

「わかってないね。
熊野別当が、熊野のものなんだ」

アザミは一瞬、息を止めた。
「別当が……熊野の…」

「オレは、この熊野の山も海も、守る。
天から与えられた全てを賭けてね」

「だが、動けなければ、終わりだ!!」
大きく傾いだ床を蹴って、アザミがヒノエの上から短刀を突き出した。
ヒノエは船縁につかまった手を離す。身体が滑り、そのまま水の中へ。

ヒノエが落ちた後の船縁に、アザミはぶつかった。

「う!……」
アザミの動きが止まった。
次いで、信じられない、という表情で、アザミは自らの胸を見下ろす。

そこには、舟に仕込まれていたアザミの大針が、深々と刺さっていた。

ヒノエが、海中から顔を出す。
足の傷の痛みに歯を食いしばりながら、
アザミと、その胸にある大針を見上げた。

「……別当殿は…鉄の鎧で、沈まなかったのか」
「残念だったね。
あんたの狙いが正確だから、胸当てしか、つけなかったよ」
「最後まで……食えないやつだな、あんた」
「戦は、全力でやるもんだろ」

「あんただけは…、倒したかった」
「わかってたさ。最初から」
「最初から…?」
「黙って事を運べば済むことを、わざわざオレの前に現れた。
あれは、オレ達の目を引きつけておくためだけじゃない。
見定めに来たんだろ?オレのこと」
「そうだ。…俺は確かめたかった。
俺が、あんたより…、優れていることを…」
「だから、同じ藤原の頭領として、受けて立ったよ」
「………同情か」
「まさか。オレは、野郎にはそんなに優しくないさ」
「だろうな……」

アザミは最後の力を振り絞り、船縁を乗り越えた。
そのまま、海に身を投げる。
あっけないほど小さな水音がして、その姿はすぐに見えなくなった。



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