短刀とジャマダハルが、激しく打ち合わされては、離れる。
双方、腕は互角か。戦い方も近い。
身軽に飛び上がり、変幻自在に動くのは、ヒノエの得意とする戦法だが、
いつもの軽やかさ、技の切れが見られない。
軽業を駆使し、舟の中を自由に動き回るアザミに対し、
次第にヒノエは追いつめられ、防戦する側にまわっている。
「頭領!」
水軍の漕ぎ手が助けに入ろうとするが、
二人のめまぐるしい動きに追いつけず、為す術がない。
ガッ!
振り下ろされた短刀を、ジャマダハルが受ける。
「熊野をまた争乱の渦に叩き込んで、どうしようっていうんだい」
ヒノエは、下からアザミを見据えた。
「もう一度、出直すのさ。
今度は、あんたが敗者だ。全てを失い、絶望の中で死んでもらうよ」
「源平の戦が終わったばかりのところへ、そんなことが起きたら、
熊野はどうなると思ってるんだ」
「それがどうした。
争乱の時も、源平の合戦でも、あんたはいつも勝った側にいた。
敗れた者達のことが、あんたに分かるのか?
争乱の中で孤立し、見捨てられて死んでいった俺の一族、
俺の目の前で、死んでいった両親、小さい頃からの友……」
あんたには、この恨み、分かるものか!!」
短刀が、ぎりりと軋んで、ヒノエの顔に近づいた。
だが、ヒノエはアザミに向けた眼をそらさない。
「そして生き延びた者達が、敵を討ちに来たってわけかい」
アザミは、皮肉な笑みを浮かべた。
「違うね、取り戻すのさ。この熊野を」
「法皇を葬れば、熊野に向けて朝廷が動く。源氏が動く。
そうなったら、出直しどころじゃないんだぜ」
「あんたがそれを知る必要はないさ!」
研ぎ澄まされた刃先がヒノエの頬に当たり、つ…と赤いものが流れた。
ヒノエの口調に、かすかな苦さが混じる。
「あの争乱の時、オレはまだ、何もできなかった。
争いに巻き込まれた人々が、家を失い、家族を失い、
熊野が荒廃していくのを、手をこまねいて、見ているしかなかった。
だからオレは決めた」
ヒノエの眼が光る。
アザミはヒノエの足払いをかろうじて避け、飛び退いた。
ヒノエは頬の血を拭った。
「もう二度と、こんなことは繰り返さないってね」
アザミは口元をゆがめて笑う。
「しょせん、勝った者の驕りだ。
きれい事を並べたところで、今の優位を手放すつもりもないくせに」
アザミはヒノエの攻撃を誘うように、じりじりと後ろに下がっていく。
「俺には、お前に勝る才がある。
無いのは、この才を振るう熊野という国だ!」
「小さいね。そんな小っちゃい心で、何を成そうっていうんだい」
斜めになった舟の上で、アザミは膝まで水に浸かった。
好機と見た水軍の一人が、後ろから飛びかかろうとした。
が、「止めろ!」
ヒノエの制止で、咄嗟に身をすくめる。
そのすぐ隣に、針が飛んだ。
アザミが振り向きもせずに投げたのだ。
「背を向けているからって、甘く見ないでほしいな」
そして、あからさまに挑発する。
「別当様、俺はこっちだよ。
水の中なら、動きは遅くなる。俺を仕留めたいなら、こっちにおいでよ」
ヒノエは、身構えながら数歩、前に出た。
その刹那、アザミは仕掛けを施した床板を思い切り揺さぶった。
ヒノエが体勢を立て直すより速く、海水が勢いよく流れ込み、足元を覆う。
アザミは板を足場に宙を飛び、ヒノエに飛びかかった。
反射的に、避ける。
だが、傷めた足が限界に来た。
がくっと膝を折ると、傷口が海水に沈む。
「く……!」
かろうじて、刃の一撃をかわした。
「しぶといね」
次の一撃。
横に転がりながら逃げ、身体を起こす。
「あきらめが悪いんだね。
もうその足、動かないんだろ」
「あきらめが悪いのは、あんたの方じゃないのかい。
気になってるんだろ?他のやつらが首尾よくやっているかって」
「何を!!」
さらに一撃。
よろけながらかわす。
「気づいてるかい。
街も、オレの屋敷も、いつものままだ。
いくら待っても、何事も起きないってね」
「湛増……」
アザミの顔が憎しみにゆがんだ。
「あんたはもう、一人だ。
あきらめるのは、あんたの方だよ」
「何も失わずに全てを手に入れた者に、何が分かる!!」
ヒノエの顔に向けて、針が飛んだ。
同時に、アザミが刃を構え、飛び込んでくる。
「ご自慢の頭脳も容姿も、別当の地位も、
お前自身の力で手に入れたものは、何一つ無いじゃないか!」
ヒノエは身を低くして針を避け、
水で滑る床を利用し、腕を軸に身体を回転させる。
ヒノエの蹴りがアザミの足に当たり、アザミは大きくよろけた。
ガクン!!
その時、舟が激しく揺れた。
ヒノエもアザミも、咄嗟に船縁につかまる。
「頭領!もうすぐ沈みます!」
「逃げて下さい!」
水軍衆が叫ぶが、二人はにらみ合ったまま動かない。
「オレの力で手に入れたものが、何も無いって?
それはそうさ。天から与えられたものだからね」
「傲慢な男だな…熊野別当。
熊野は、自分のためのもの、とでも言いたいのか」
「わかってないね。
熊野別当が、熊野のものなんだ」
アザミは一瞬、息を止めた。
「別当が……熊野の…」
「オレは、この熊野の山も海も、守る。
天から与えられた全てを賭けてね」
「だが、動けなければ、終わりだ!!」
大きく傾いだ床を蹴って、アザミがヒノエの上から短刀を突き出した。
ヒノエは船縁につかまった手を離す。身体が滑り、そのまま水の中へ。
ヒノエが落ちた後の船縁に、アザミはぶつかった。
「う!……」
アザミの動きが止まった。
次いで、信じられない、という表情で、アザミは自らの胸を見下ろす。
そこには、舟に仕込まれていたアザミの大針が、深々と刺さっていた。
ヒノエが、海中から顔を出す。
足の傷の痛みに歯を食いしばりながら、
アザミと、その胸にある大針を見上げた。
「……別当殿は…鉄の鎧で、沈まなかったのか」
「残念だったね。
あんたの狙いが正確だから、胸当てしか、つけなかったよ」
「最後まで……食えないやつだな、あんた」
「戦は、全力でやるもんだろ」
「あんただけは…、倒したかった」
「わかってたさ。最初から」
「最初から…?」
「黙って事を運べば済むことを、わざわざオレの前に現れた。
あれは、オレ達の目を引きつけておくためだけじゃない。
見定めに来たんだろ?オレのこと」
「そうだ。…俺は確かめたかった。
俺が、あんたより…、優れていることを…」
「だから、同じ藤原の頭領として、受けて立ったよ」
「………同情か」
「まさか。オレは、野郎にはそんなに優しくないさ」
「だろうな……」
アザミは最後の力を振り絞り、船縁を乗り越えた。
そのまま、海に身を投げる。
あっけないほど小さな水音がして、その姿はすぐに見えなくなった。
深き緑に
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