深き緑に(まばゆ)き青に  〜8〜




仮面の一座は、行く先々で人気を博していた。
鮮やかな軽業の数々もさることながら、一番の出し物と評判の高いのは、
見るも麗しき白拍子の舞だ。
しかもそれが一転、衣装を脱ぎ捨て、伸びやかな手足も露わに、
とんぼを切り、果ては空中に渡した綱の上を歩くとなれば、
人々の耳目を惹きつけぬわけがない。

しかも、それがいつも見られるとは限らないところが、
さらに人気に拍車を掛ける。

仮面の下の素顔は、それは美しいそうだ。
時折、一人だけ法皇様に呼ばれているらしい。
観客はいろいろと噂し合い、したり顔で頷き合った。

白拍子の後ろで面白おかしく鉦や太鼓を叩き、口上を述べる者達のことを
ことさら気に留める観客はいない。
評判の一座といったところで、彼らにとっては一時の楽しみ。
熊野参詣のみやげ話の種となれば、それでよいのだから。


法皇の到着の先触れのように、その一座が勝浦の街に来た。
しばし街に落ち着くらしい。
無用な混乱を避けるためか、興行は浜で行っている。

外海を航海してきた大きな船が、ちょうど到着したばかりで、
浜は臨時の市まで建ち並び、大いに賑わっていた。


ヒノエと望美も、浜に来ている。

別当殿の、お忍びの視察だ。
手をつないで、楽しげに語り合いながら歩く若い二人を、
熊野の別当夫妻と思う者はいない。

「オレの手を離したらいけないよ」
「もう、ヒノエくん、心配しすぎだよ」
「お前を一人にしたら、悪い虫がすぐに寄ってくるだろう?」
「やだなあ、そんなわけないよ。
ヒノエくんこそ、女の子達が放っておかないと思うよ」
「光栄だね。姫君が妬いてくれるなんて」

「あ、アザミさんだ!」
ヒノエの牽制には全く気づかず、望美は人混みの中で
ぴょんぴょんと飛びはね、大きく手を振った。

宿での仕事を終え、アザミは再び商いを始めていた。
勝浦のこの賑わいは、予期せぬ幸運だったといえよう。
荷箱の中の物を並べただけのアザミの露店でさえ、
足を止める客は少なくない。

望美の大げさな動きに気づいたのか、客と話していたアザミは
こちらを振り向いてにっこり笑うと、すっと頭を下げて挨拶を返した。

「商売繁盛ってところだね」
「うん。よかったね。だから…なのかな、雰囲気も明るくなったような気がする」
「今までが暗かったとは、とても思えないけど」
「うーん、女の子の直感かな。恋してるのかもしれない」
「へえ、恋…ねえ」
「間違いないよ!だって、何だか女らしくなったもん」
「お前の直感なら、オレは信じられるよ」


その時、子供の一団が一斉に駆けてきた。
「あっちだぜ!」
「もう始まりそうだって!」
「待ってくれよう」
口々に叫び合いながら、人にぶつかっても、かまわず真っ直ぐ走っていく。

「きゃ…」
ヒノエと望美の間にも、頓着なく割って入り、何人もが駆け抜けた。
大勢の大人も次々と小走りに通っていく。

転ぶまいと踏ん張りながら、人波にもまれているうちに、
気がつけば望美は、先程の場所から随分離れてしまっていた。
人混みに混じり、ヒノエの姿が見えない。

「あれ…ヒノエくん?どこ?」

周囲を見渡すが、見知らぬ人ばかり。

きょろきょろするうちに、こちらに向かって
アザミが手招きしていることに気づいた。

ヒノエがいるのだろうか。
それとも、別の用事か。

アザミはいつの間にか店じまいをすませたようだ。
浜から街へと向かいながら、こちらを向いて、再度合図する。

望美は行ってみることにした。

すいすいと人混みを抜けていくアザミにやっと追いついたのは、
街の入り口に建ち並ぶ小屋の前だった。

「アザミさん!」
声をかけると、アザミは振り向き、小屋の向こうから手招きした。

「もうっ、少しは待ってくれても……ぐっ!」

小屋の戸が突然開き、男の手が望美の喉に巻き付いた。

中に引きずり込まれる時、望美の眼には、
呆然として立ちつくすアザミの姿が映っていた。




「望美!!」

一瞬のことだった。
走ってくる子供を押しのけて転ばせたなら、人波の中、その子が危ない。
躊躇いが、隙となった。

偶然か、それとも…。

ヒノエは唇を噛み、行き交う人々をかき分けながら、望美の姿を探す。

その時、後ろで小さな声がした。

「ヒノエさん…」

アザミだった。

「もう店じまいかい。早いね。」
「はい、あの…望美さんが、あっちで…」
「望美が?」
「気分が悪くなって、休んでいます」
「で、オレを呼びに来たってわけ?」
「はい」


アザミが案内したのは、人混みを抜けた松林の中だった。

「ウソは、いけないよ」

前を行くアザミの足が止まる。

「気分の悪い望美が、こんな所まで来られるはずがないだろ」

「気づいて…いたんですね」
「ああ、とっくにね」
「では、なぜここまでついてきたんですか」
「それはこっちが聞きたいね。
こんな所で、オレに何の用なんだい」

アザミは振り向いた。

「ヒノエさん…」

潤んだ瞳が、じっとヒノエの眼を凝視する。

「私のこと…見て下さい」

ヒノエは答えず、アザミの瞳に魅入られたように動かない。

「私は…こうして、二人だけになりたかったんです…」

「……オレも、そう思ってたよ」

「ヒノエさん…そのまま…じっとしていて」

アザミがゆるゆるとヒノエに近づいていく。

「眼を…閉じて下さい」

「こう?」

「はい。……ヒノエさん、私…あなたのことを…」

息がかかるほどに、その距離が近づいた時、

キンッ!!

鋭い音が響いた。

刹那、二人は飛び退き、間合いを取る。

油断なく身構えるどちらの手にも、武器があった。

ヒノエの手には、愛用のジャマダハル。
そしてアザミの手には、黒く禍々しい針が握られていた。



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