波間に、小舟がたゆとう。
晴れ渡る空に高く昇った太陽の下、
水平線の彼方まで、まぶしい光が躍る。
小舟には、ヒノエと望美。
望美の膝に頭を預け、ヒノエは眼を閉じていた。
瞼の裏にまで光は届き、その明るさと暖かさを全身に浴びながら、
しばしの、まどろみを楽しむ。
法皇一行が熊野を去って久しい。
いろいろなことがあったが、
季節は進み、熊野は今、穏やかな日々の中にある。
あの日、ヒノエは屋敷に戻るなり倒れ、数日間、眠り続けた。
望美がつきっきりで看病にあたったことはいうまでもない。
「俺の二の舞になるかと思ったぜ。
別当が先頭切って無茶してどうすんだ」
見舞いと称してやって来た湛快が、あきれたように言った。
「あんたにだけは、言われたくないけどね」
「怪我してても、へらず口だけは一人前だな。
でも、望美ちゃんが俺の話に頷いてるぞ」
「ヒノエくん、お願いだから、もうあんな危ないことはしないで」
「こんな可愛い嫁さん心配させるとは、男としてまだまだだ。
望美ちゃん、こいつがダメになったら、いつでも俺んとこへ」
「いいから、もう帰れ」
「短気はよくねえ。人の話は最後まで聞け」
「人が動けないのをいいことに、この親父、言いたい放題……」
「こんないい機会、見逃す手はねえだろう」
言うだけ言うと、湛快は帰っていった。
口の悪さとは裏腹に、ほんのりと暖かいものを残して。
湛快の励ましが効いたのか、はたまた弁慶の的確な手当のためか、
何より望美の献身的な看護もあり、ヒノエは順調に回復していった。
だが、全てが終わったわけではない。
捕らえられた男達は、ヒノエが屋敷に戻るより早く、
見張りが少しの間目を離した隙に、一人残らずこときれていた。
使われたのは、彼らの持っていた針。
武器の類、隠し持っていた毒など、全て取り上げた後のことであった。
見落としたのか。
それとも……。
「獅子身中の虫がいる……ってことかな」
「そう考えておくに越したことはありませんね」
「うすうす感じてはいたんだ。
オレが勝浦にいる時を狙って、仕掛けてきていたからね。
簪の一件も、姫君を襲ったごろつきどもも」
「どうするんですか。炙り出すにしても、大事の直後です。
しばらくは警戒して、なりを潜めていると思いますよ」
「長期戦でいくさ。いずれ尻尾はつかんでやるってね。
それに、問題なのは、そんな小者じゃないよ」
「そうですね。一味の後ろには、何者かがついていた…」
「連中は、やけに自信たっぷりだったからね」
「確かに、法皇に手出しをしておいて、そのまま熊野が
自分達の手に転がり込むなんて、あまりに虫のいい考えです。
あれだけのことをするには、何らかの根拠があったはず」
「それにね、急死した新宮方の当主のことがある。
たとえ元の頭領の息子が来たとしても、それだけで協力すると思うかい?
下手をすれば、今の熊野を敵に回すかもしれないのにね」
「それに見合うだけの何かが、あった」
「そういうこと。やつは舟の上で言っていたよ。
オレが知る必要はないってね」
薊の行方は、杳として知れないままだ。
元間者の妻の所にも、噂は聞こえてこないという。
そしてヒノエの傷は完全に癒え、今はこうして二人、空と海のただ中にいる。
心地よい風が吹き渡るたび、
高い崖の縁まで生い茂った草が、波のように揺れる。
絶え間ない海のざわめき、高く低く飛ぶ海鳥の声。
ヒノエは眼を開いた。
青い空を背に、望美の微笑みが、ある。
何も語らなくても、つないだ手から通い合う想い。
つ…と腕を上げ、望美の髪に手を差し入れた。
そのまま腕を下ろせば、望美の顔も近づく。
まぶしいきらめきの中、小舟の上で、二つの影が重なった。
そして、この年若き熊野の守り人たちを、
熊野の深い緑と、眩い青が、静かに見守っている。
深き緑に
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最後までお読み下さり、ありがとうございました。
25000打お礼のリクエストとして頂いたヒノエ×望美、
とても長い話になってしまいました。
完成までお待たせしてしまい、申し訳ありません。
そして、リクエスト下さった神子様、ありがとうございました!!
「カッコいいヒノエくん」がご希望ということでしたが、
いかがでしたでしょうか?
ヒノエくんのカッコよさのツボは、私にとって
「熊野別当」として、揺るがぬところ。
そこを一生懸命書きました。
拙作「夏の空」も、同じスタンスなのですが、
このような描き方は馴染まないという方もいらっしゃるかと思います。
少しでも、共感できる部分がありましたなら、とてもうれしいです。
なお、大風呂敷が身上(←開き直った)ゆえ、
この話の背景は、もう少し大きいです(苦笑)。
で、「獅子身中の虫」の一匹が捕らえられる話が
「さらば零零七番」
。
当初は、そこまで含めた話にしようと目論んでいたのですが
話中のタイムスパンが長くなりすぎるため、断念。
予定は未定で雲散霧消の、いい例です……(苦笑)。
2008.3.7 筆
↑の後、この話の続きを長編の形にすることができました。
大風呂敷な物語ですが、よろしければ
[比翼・第1話]からどうぞ。