果て遠き道

第4章 炎呪

1 兄と弟



緑深い山々から流れ来た、清らかな水が巡る地。
いにしえより、人々に恵みを与え、育んできた地。

その地にあっても、人の世は様々に有為転変を繰り返してきた。
争い、和し、睦み合い、憎しみ合い、信じ、裏切り、
束の間の栄華と凋落、この世の極楽と地獄との間を、飽くこともなく行き来する。
瞬きほどの生の間に、人はどれほどの思いを背に負うてゆくものか。

散りゆく生命のなす思いは、降り積もり、幾重にも重なり
いつしか地の記憶となる。

時は去り、時は残り
時は移ろい、時は地に刻まれる。
地の記憶。
形無くして、確かに在るもの。


    ああ、この地は・・・とても古いわ。
    いにしえの神々の記憶の、なんと甘美なこと。
    鎌倉とは比べるべくもない・・・・幾世代もの人々が紡いだ思いが重なり、絡み合う。
    忌まわしい記憶と共に・・・眠る力。
    悲しいものね・・・孤独な力は。
    地の記憶の中から、お目覚めなさい。
    あなたを呼ぶ者が来るわ。
    その声をお聞きなさい。
    私の見つけた記憶の残滓。
    私に従い、その力を・・・・・再び・・・。



「イヤな感じの雲だな」
「重苦しい気が立ちこめている・・・。昨夜はこれほどでは・・・なかった」
「こんな中、出掛けていくのかい」
「まあ、京までわざわざ出てきた目的は果たさねえとな。
黒幕はだいたいわかったが、手を下しているヤツをつきとめないことには、意味がねえ」
「意外と、カラスをやったのも、同じヤツかもしれないね」
「ヒノエは・・・動かないのか・・・?」
「まあね。カラスの敵討ちはしてやりたいけど、今オレのやるべきことは、別にあるからね。」
「情報集め、ですか。新たにカラス達が動いているようですが」
「鎌倉の腹の底を探るのが、熊野にとっては第一ってね」
「おっ! てえことは、ヒノエ、今日は出掛けないんだな」
「そうだよ」
「そいつはラッキーだぜ。敦盛に、お前のきれいな着物、貸してやってくれ」
「えっ?!ま、将臣殿・・・な、何を・・・言って・・・」
「カムフラージュだ」
「か・・・かめふだ・・?」
「オレはかまわないよ」
「わっ私は・・・かまう!!」
「じゃ、ヒノエと弁慶で、着付けをたのむぜ。ちょっと譲んとこ、行ってくる」
「本当は姫君のお召し替えを手伝いたいところだけどね」
「仕方ないですね。じゃあ、敦盛、少しじっとしていて下さい」
「うわっ!寄るな触るなっ・・・ぎゃっ!!ぎゃああっ!!!」


「う・・・くっ・・・」
譲は、言うことをきかない身体を、無理矢理起こそうともがいていた。
リズから聞いた話は、捨て置けないものだったのだ。
昨夜の内に龍の宝玉が消えた。いや、何者かに盗まれたのだろう。
宝玉を入れた箱の周囲には、浅い堀跡しか無かったそうだが、現に中身がなくなっているのだ。
盗まれたことを気付くのを遅らせるために、巧みに堀跡を消したとも考えられる。
雪・・・という昨夜の条件を鑑みると、その可能性は低いといわざるを得ないが。

梶原邸に行き、直にこの目で確かめないと、憶測を連ねているだけでは何にもならない。

  「あのお嬢さんの生命と引き替えましょうね・・・」
  「手を下すのは、私じゃなくてよ・・・」

あれは、どういうことなんだ。
先輩のことを・・・この俺が・・・なんて・・・・・あり得ないじゃないか。
ただの脅しか?
それとも俺の意志に関わりなく・・・・?

  「自分でも、わかっているのでしょう?くすくすくす・・・・。
   あなたの中の嫉妬の炎・・・心地よいくらいに、燃えていますのね」

そんなこと・・・、そんなことは・・・・ない・・・のに・・・。
この世界に残ると・・・・決めた時から・・・・俺はもう・・・・。

くそっ、余計なこと考えるな!今は、宝玉の行方を知ることが一番大事じゃないか。
いざとなったら、先輩のために、くれてやってもいい・・・と思っていたのに。
とにかく、こちら側の切り札だった龍の宝玉が、何者かに・・・・
ん? 待て・・・。
手段を選ばないあいつのすることだ。
どうしても手に入れたいものがあるとして、入手ルートを一つに限定するなんてことが、あるだろうか?
宝玉を奪ったのは、やつの手下じゃないのか?

だとしたら、手遅れか?!
いや、そうとは限らない!とにかく、行ってみればわかることだ。

でももし、やつがもう宝玉を手に入れているのなら、先輩は無事ですむかもしれない・・・。

一縷の希望を、譲の直感が激しく否定する。

そんな、甘い女じゃない。
あいつは、人間ですら、ない。
あいつから、先輩を守るためには・・・・。

「譲・・・・」
壁の隙間に爪を立て、かろうじて半身を起こした時、将臣が来た。
譲の様子を見て、その眉間にしわが寄る。
昔は・・・もとの世界にいた頃は、見ることのなかった表情。
が、すぐにいつもの笑顔にもどる。

「急に無理するもんじゃないぞ。リズ先生の話を聞いて、アセる気持ちもわかるけどな」
「わかってるさ、そんなこと」
兄に向かうと、つい、以前のようにつっけんどんな口調になってしまう。
「一晩で、よく口答えまでできるようになったな。上々な回復ぶりだ」
「どっか、出掛けるんだろ」
「ああ、そうだが、ちょっとその前にお前と話しておきたいと思ってな」
「何だよ、改まって」

将臣は譲に近づくと、珍しく小声で言った。
「龍の宝玉の行方のことだけじゃねえだろ。他に、何があったんだ。
なぜ、そんなに焦ってる」
「・・・・・・・・そんなこと、兄さんに関係ないだろ」
「望美のことか」
「!!」
「やっぱりな」

兄には、隠し事ができない。
普段は超がつくほど鈍いくせに、物事の核心は恐ろしいほど的確に突いてくる。
だが・・・・全部なんて・・・・・言えない。
譲は考えながら、答えた。
「頼みがある、兄さん。できれば、あと・・・五日・・・いや十日くらい、先輩を俺に会わせないでほしいんだ」

将臣の目は、射るように譲を見据えている。
「それだけ経てば、お前の心配の種は消えるっていうのか?」
「完全に消えるわけじゃない。でも・・・・」
龍の宝玉を渡す期限は五日。
渡さなかった時には、譲が望美を手に掛ける・・・という政子の言葉。
単なる脅しではないかいう疑念はある。だが、底知れない力を持つ政子のことだ。
最後の手段として宝玉を渡すという手段が選べない今、政子がすでに宝玉を手に入れて
いようといまいと、危険を避けるためには、譲が望美に会わないこと、これが一番の方策だろう。
そして、いずれにしろ十日もあれば、それまでの間に何かの動きがあるはずだ。
それによって、次の策を考えることもできる。

「そうか・・・・・」
将臣はそれ以上尋ねなかった。
「望美を説得するのが難しそうだが、何とかやってみるさ」
譲はほっと、肩の力を抜いた。
将臣は続ける。
「だが、そうだとすると、あいつにとっちゃ、お前の誘拐はとんだ無駄骨だったってことだな」

ぞくり・・・・
譲の背に、冷たいものが走った。
無駄なことなど・・・・あの人ならざる者が、するだろうか。
政子の目的は、最初から・・・先輩を・・・?

将臣の大きな手が、譲の肩にかかった。
そのまま、譲を支えて床に横たわらせる。
「まだ寝てろ。それからな・・・・」
「・・・・・・」

「いいかげん、望美を解放してやれ」
「え?!」
唐突な将臣の言葉に、一瞬、譲の思考が止まった。
将臣が何を言おうとしているのか、わからない。
「・・・・何のことだよ、俺、先輩に何も・・・」
「お前、閉じこめられてた時、あいつのためならって、自分を犠牲にすること、考えなかったか?」
「・・・・・・・・」
「思った通りか」
将臣は小さなため息をついた。
「なあ譲・・・・、お前、本当に自分の道、歩いてるか?」
譲はますます当惑した。
「・・・・・何が言いたいんだよ。俺は、星の一族としてこの世界に残ったんだ。
星の一族の俺が先輩を・・・先輩の命を、危険にさらすなんて・・・」
「そんなこと、わかってるさ。でも、お前の思ってることは、望美を本当に守ってやることとは違うんだ。
そこんとこ、区別つけてもいいんじゃねえか・・・?」
「わからないよ、兄さん・・・。区別って何だ?」
「そっか・・・」
「そっか、じゃないだろ」
「俺の言い方が下手クソだったな。どうも、こういう改まった話は苦手だぜ。
まだ本調子じゃねえってのに、混乱させちまって、悪かった」
「俺に、どうしろって・・・いうんだよ」
「ま、よく考えてみろってことだ。自分で結論出さなきゃ、意味ねえからな。
あとな、お前の心配が何なのかは、今は聞かねえ。が・・・、俺達もいるってこと、忘れんなよ」

その時、袿姿の敦盛が、弁慶とヒノエに引きずられて入ってきた。
「将臣殿・・・・こ、このような・・・・」
恨みがましい目で将臣を見る敦盛の顔は真っ赤だ。
「いいじゃねえか! これで少しは目立たなくなる」
「ふふっ、それはどうでしょうか」
「え?目立つのか?でもまあ、せっかくだから、さっさと出掛けようぜ」
「わ、私は・・・このような恥をさらすなど・・・」
「いいから気にすんなって。だけど、しゃべるなよ。その低い声でバレるといけない」
「そ、そういう・・・・問題では・・・」

将臣と敦盛は、診療所を後にした。



蹄の音。
身体がゆらゆらと揺れる感覚。
男達の声。

意識がゆっくりと戻ってくる。
望美は、自分が馬の背に、振り分け荷物のようにくくりつけられていることに気付いた。
口には猿ぐつわ、さらに両手両足は固く縛められ、身動きが取れない。
みぞおちに鈍い痛みを感じ、一気に記憶がよみがえる。
梶原邸で、油断して部屋の扉を開けたところを襲われたのだった。
でも、なぜ私を・・・?

辺りには重苦しく淀んだ気が漂っている。
息苦しさを感じるのは、猿ぐつわのためばかりではない。
うっすらと目を開くと、ごつごつとした地面が目に入る。
昨夜あれほど降ったというのに、雪は無く、赤茶けた道。
いや、道が赤いのではない。周囲に赤い光が満ちているのだ。
男達は・・・・この凶兆に気付かないのだろうか?

「おい、例の場所はまだなのか?」
頭上で男の声がした。
望美は、まだ気を失っているふりをする。

「向こうに見えてる崖がそうじゃねえんで?」
「ちっ、遠いな」
「本当に、鬼は来るんでしょうかね」
「女を人質に取ったんだ、来るだろうさ」
「だが、しょせん鬼だ。女の一人や二人、平気で見殺しに・・・」
「でも、この女が倒れた時の様子じゃ、かなりご執心のようだったぜ」
「うるせえな。ここでうだうだ言ってもしょうがねえだろうが」
「俺には、あの男はどうも信用ならねえ気がするんだが」
「いや、こうして馬まで用意して寄越したってことは、あの男も本気ってことじゃねえのか」
「そうでさあ。まるっきり勝ち目がねえなら、ここまで俺達を手助けするはずが・・・」

男?・・・・・この連中を手助けしている?
その男の手引きで、こんなことに?
そもそも、こんなやつらが梶原邸に入れること自体、おかしいような気がする。
先生の疑いは・・・・本当だったの?
でも、誰が・・・。

そして、この男達の狙いは先生。
先生が私を助けに来たところを、罠にかけるつもりなんだ。
こいつら、何者なんだろう。五条橋での一件を見ていたようだけど・・・。
リズに対する男達のひどい言い方に腹は立つが、それより、少しでも多く話を聞いておかなくてはと思う。

望美は、息を潜め、耳をそばだてた。




第4章 炎呪 

(2)兄と妹 (3)現世と冥界の狭間で (4)怨嗟 (5)鬼の力 (6)馬上の男 (7)弟子 (8)孤独を知る者 (9)闇の中の対決 (10)解放

[果て遠き道・目次(前書き)]

[小説トップ]