果て遠き道

第4章 炎呪

5 鬼の力



両側に崖が迫る細道に入った。大人が二人並んで通るのがやっとというところか。
そこから、さらに狭い横道にそれる。
道の入り口は落石に隠され、知らぬうちに素通りしてもおかしくない。
あらかじめ例の男に教えられていたということだろう。分かれ道があるなどとは気づかない場所だ。

からからと小石が落ちてくる、ひび割れた山肌に刻まれた急峻な小道。
足取りはいやが上にも慎重になる。崖の頂上に出た時には、さしもの屈強な野盗達も、肩で息をしていた。
望美を担いできた男も、望美を地面に下ろすなり、大きくうめいた。

しかし頭は皆に休む間を与えず、いろいろと指図する。
前もって大方の手筈はつけてあったのか、男達は不平を言うでもなく黙々と動く。

望美は地面に横たわったまま、彼らの動きを目で追っていた。

その様子から察すると、男達は山を覆う不吉な気を感じ取っていないらしい。
いや、感じ取ることができない、というべきか。
入り日よりも赤く染まった風景の異様さに言い及ぶ者は、一人もいない。

彼らの目論見も、うすうす分かってきた。
せっせと周辺から岩を転がしてきては崖淵に集めている・・・ということは・・・。
計画自体は、下の道に向かって岩を落とすという、至極単純なもののようだ。
ここは張り出した棚のようになっているので、岩は道のほぼ真上から落下する。

先生・・・。
望美は懸命に平静を保とうと努めた。

おとなしく岩の下敷きになるような先生ではない。
だが、次々と岩が落ちてくるとなれば、簡単に逃げることはできないだろう。
瞬間移動で避けたとしても、鳥のように飛べるわけではないのだ。
まして、あの狭い道で、私を囮に・・・・動くなと、足止めされていたら・・・

怖れよりも、怒りが先に立つ。
落ち着かなくちゃ!
望美は懸命に自分に言い聞かせた。

長時間縛られているせいで、手足も痺れてきている。
このままではいけない。
このように、心も身体も乱れたままでは・・・。

静かに呼吸を整え、全身から余分な力を抜いていく。
力んで緊張した状態では、最大の力を使うことはできない。
張りつめた糸に、それ以上の力を加えることができないのと同じだと、先生は教えてくれた。


一味の頭は、少し離れた高い位置から指図を出しながら見張り役も務めている。
その頭が、合図を送った。
男達が一斉に崖の縁に並べた岩の後で身構える。

先生が来たんだ!!

身をよじって、下の道を見ようとしたその時、

おおおぉぉん・・・
赤い光が、波のように揺らめく。

何かが地面の下で動いた。
地震ではない。
とても・・・強い気配。
怨霊のそれではなく、生き人でも死人のものでもない。

ぐいっと身体を持ち上げられて、我に返る。
「会わせてやるぜ、お前の鬼に」

手下の男にそのまま崖っぷちまで引きずられていく。
そこから、山道を走り上ってくるリズの姿が見えた。
足場の悪い険しい急坂にも関わらず、速度を緩めずにぐんぐんこちらに近づき、
とうとう崖の真下の隘路に入ってきた。

先生・・・来てはだめ!!

はっと気づいたように、リズが崖の上を見た。

二人の視線が出合う。
覆面に隠され、リズの表情は窺えない。
しかし、険しかった眼差しが、望美を見た瞬間、励ますように優しくなるのがわかる。

・・・・・無事なのだな、神子。必ず助ける。安心しなさい。

望美はこくんとうなずいた。

・・・・・私は、大丈夫です。

「鬼!そこを動くんじゃねえぞ!」
頭が大声で叫んだ。

手下の刀が、望美の首に当てられる。
ひどく冷たい感触。
でも、眼を閉じたりしない。自分に向けられた刃の存在から眼をそらしたら、負けだ。

「一歩でも動けば、この女の命はねえと思え!」
「お前達は・・・!」
「覚えてるか、鬼。いつぞやは、世話になったな」
「神子を放せ!」
「へっ!そこまでご執心かい。なら、この女、俺達がもらおうか」
リズの声が低くなる。
「神子を傷つけたら・・・容赦せぬ!」
「偉そうな口きくんじゃねえよ!鬼の分際で!」

頭は望美に近づいた。
望美の怒りに燃えた眼を見ると、愉快そうに笑う。
「お前もそんなにあの鬼がいいか。なら、やつの冥土の土産に、
せいぜい泣き叫ぶ声でも聞かせてやるんだな」
そう言うと、望美のさるぐつわをむしり取った。

機会が来た!
望美は声の限りに叫ぶ。
「岩が落とされます!!」

「こ、このあま・・・!!」
手加減無しの拳が顔を打つ。
悲鳴をあげるかわりに、叫ぶ。
「崖に大きな岩が集められて・・・」
「黙りやがれ!!」
髪をつかまれ、引き倒された。
「やれ!」

「神子っ!!」

大岩が次々に落とされる。
地面に大きな亀裂が走った。

望美の上に野盗の頭が馬乗りになり、
振り上げたその手には抜き身の刀。
「せっかく可愛がってやろうと思ったが・・・」

「外・・・道!!」
リズの眼に、氷よりも冷たい炎が燃え上がる。
頭が刀を振り下ろすより速く、その腕が血飛沫を上げ、刀は弾け飛んだ。

そして全てが、一瞬の内に起こった。

せり出した崖が、下の道に向かって崩れていく。
一味の狙いは、岩と共に岩盤ごと落とすことだったのだ。

「先生ーーーーっ!!」
「飛べ!!神子!!」

先生の・・・声!!

望美は思い切り反動をつけて跳ね起き、頭から逃れた。

崖縁に向かって転がり、そのまま宙空へ身を躍らせる。

野盗達が息を呑む気配。

岩と一緒に落ちていく。
でも・・・少しも怖くない。

望美より先に落下していく岩の上に、リズの姿が現れては消え、
次の瞬間、その腕の中にしっかりと抱き留められていた。

「少し長い距離を飛ぶ。よいか」
とても優しい声。先生の・・・声。
「はい・・・」

気がつくと、隘路の入り口にいた。
縄が解かれたが、すぐにはうまく立てない。

その時、大音響と共に、野盗達のいる崖が崩れ落ちた。
男達の断末魔の声が、土砂に飲み込まれていく。

「あ・・・あ・・・」

眼前の道は落ちてきた岩で完全に塞がれた。
最前まであった、道に張り出した崖は跡形もない。
生きている者の姿も・・・。

以前からの落石の痕跡があった。
弱い地盤なのは明らかだった。そこでわざと崩落を起こしたなら、
それが引き金となり、崩壊は迫り出した箇所だけですむとは限らない。

野盗達に入れ知恵した例の男は・・・知っていて、彼らにやらせたのだろうか。
だとしたら・・・許せない。
そんなやつが、京邸にいたなんて・・・。

「すまぬ・・・神子」
リズがぽつりと言う。
「えっ?どうして先生が謝るんですか?」
「神子・・・痛むか?」
それには答えず、リズは望美の顔をそっと上向かせ、口から流れ出た血を、布で拭う。

望美は笑ってみせた。
「ちょっと口の中を切っただけですから」
「手ひどく殴られたのだな。頬が青あざになりかけている」
「ふふっ。ちょっと痛かったけど、ちゃんと受け流しました」
「神子・・・お前は・・・」
「避けたら、もっと殴られるでしょう?だから、子供の頃の先生が急所をはずしていたみたいに、
私も少しだけ、動いてみたんです。先生ほどは、うまくなかったけど」
「そうか・・・。刃を喉元に突きつけられた時でさえ、お前は怯まず、落ち着いていたのだな・・・」
「先生から教わったことを、一生懸命思い出していただけです。それより・・・」

「・・・・・・・・」
望美が何を問おうとしているのか、リズには分かっていた。
「あの時、野盗の腕と刀が・・・・・・先生?・・・」

リズは望美から離れ、背を向けた。
望美の胸がズキン!と痛む。
「・・・あれは、鬼の力だ」
「やっぱり、先生が?」
「そうだ」
「先生・・・聞いてはいけないことだったんでしょうか?」

リズは背を向けたまま答えた。
「隠すことでも・・・ない。瞬間移動も、術を撃つのも、鬼の力だ」
「先生を助けたシリンさんや、昔の鬼の一族の人達が使っていたのは知っています。
でも、先生が使うのは、初めて見ました」
「自らに封じてきた。私は、お前と九郎の剣の師であるのだから」
「・・・先生・・・こっちを向いて下さい・・・」
リズは振り返らない。

「しかし・・・あの時・・・お前を失うかも知れないと思った時・・・
私の心は、お前を殺めようとする者への怒りと憎しみで、いっぱいになり、
私は、自らの戒めを・・・破ったのだ」

先生・・・鬼の力を使ったことが、そんなに辛いの?
それとも、怒りに身を任せてしまったことが辛いの?

「この怒りと憎しみは、いつも私と・・・鬼の力と共にあった。
お前がいなければ・・・・・お前に再び相まみえることができるのだと・・・知らなかったならば、
私は世界を呪い、憎しみに支配されて・・・静かに狂い、滅んでいったことだろう」

先生は・・・きっと今、とても悲しい眼をしている。
振り向かないのは、それを見せたくないから?
でも、私は・・・。

望美はリズの前に歩み出た。
「先生、なぜ、そんなに苦しんでいるんですか」
やはり・・・先生の眼は・・・透き通った悲しい色・・・。

「此度も、鬼の私を恨む者の復讐に、お前を巻き込んでしまった。
お前という光なくば、私は・・・邪気に満ち、災いを呼ぶ鬼そのものだ」

「違います!私はそうじゃないって、知っています!」

差し伸べられた望美の手から、リズは静かに身を退いた。
「そして呪詛もまた・・・鬼の力。私の血の中にある、お前を穢す忌まわしい力だ」

「先生・・・もしかして、私の具合が悪くなったことが、自分のせいだと思ってるんですか?」
「・・・・・・・」
望美は背伸びをすると、リズの覆面に手をかけた。
「だめだ、神子」
「いやです」
「やめなさい」
「やめません。先生、心を隠したりしないで!!」
「!!・・・神子・・・」

はらりと覆面がほどけた。

「私は、大丈夫です。先生が鬼かどうかなんて、関係ない。
さっきだって、先生が崖の下から見守ってくれていたから、心を強く持っていられたんです。
先生が、私を強くしてくれたから・・・、だから私は・・・」
「だがお前は、神子の力を失ってしまった。そして穢れを受け、その身も危ういのだ」

先生・・・そんなことを怖れていたの?
とても強い先生が・・・、こんなに震えて・・・。
うれしくもあり、おかしくもある。

望美はにっこり笑った。
「私は、それでもかまいません!」

「・・・神子!かまわぬとはどういうことだ。命すら、危ういのだぞ」
「私が選んだのは、先生と一緒に生きる道です。穢れなんかには負けません。
でももしかして、先生が想ってくれているのは、私じゃなくて、白龍の神子なんですか?!」
「違う・・・」
「神子じゃない私とは、一緒にいたくないんですか?」
「違う!!」

望美の差し伸べた手を、今度はリズは拒まなかった。
広い胸に、望美は顔を埋める。
先生の鼓動が・・・とても速い。
どんなに激しい修行の時も、ほとんど乱れないのに・・・。

「問うまでもない。お前が・・・ここにいるお前こそが、何よりも愛しい」
身体に回されたリズの腕の力が、苦しいくらいに強い。

  お前に憧れ、お前を待ち続け、やっと本当のお前と出会えた。
  剣を教え、共に闘い、・・・
  私はいつしかお前に、再びの恋をしていた。

  遠い神子のお前ではなく
  私の眼前で笑い、泣き、悩み、苦しみながら
  それでも前へと運命を切り開いていくお前自身に。

  穢れを受けても、なお清浄な一筋の美しい光であるお前。
  これこそが、お前を白龍の神子たらしめた力なのだろう。
  信じよう・・・。お前の強さを。
  誰の力を借りずとも、たおやかで、美しい、お前という存在を。

「私、先生といて・・・いいんですね」
「ああ。私も、お前といて・・・よいのだな」


おおおぉぉん・・・
煽られたように赤い光が揺れた。

はっとして、二人は身構える。

「あれは・・・な、何?」
崖が崩れ、剥き出しになった岩肌に、いつの間にか黒い穴が口を開いている。

よく見るとその黒い穴は、少しずつ形を変え、じわじわと広がっている。
穴というより、黒い影とでもいうべきか。
しかし、その向こうに、何かがいる気配がある。
望美の感じた強い気と、諸々の蠢くもの・・・。

「これも、五行の乱れが原因なんでしょうか」
「わからぬ。しかし、あまりに急すぎる」
「そうですね。前には、こんなことは起こらなかったし」

「神子、これを」
リズが小刀を手渡す。
「扱い慣れぬだろうが、持っていなさい」
「はい」
「影に捕らえられぬうちに戻ろう」

しかしその時、山の下から具足のたてるがちゃがちゃという音が聞こえてきた。
声や足音も聞こえる。かなりの大人数のようだ。

一瞬姿を消し、すぐに戻ってきたリズが言った。
「検非違使の一行だ」
「え?こんな所に何の用なんでしょう」
「目当ては、私の捕縛のようだ。鬼・・・という言葉が幾度も聞こえてくる」
「そんな!!嵐山で失礼なことをして、まだ足らないっていうの?!」

検非違使と梶原兄妹の一件を、二人はまだ知らない。
しかし・・・・


影はすでに道いっぱいに広がり、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
下からは、検非違使達の話の内容までが、はっきりと聞こえるようになってきた。


「これって、挟み撃ち・・・?道は一本しかないのに」



第4章 炎呪 

(1)兄と弟 (2)兄と妹 (3)現世と冥界の狭間で (4)怨嗟 (6)馬上の男 (7)弟子 (8)孤独を知る者 (9)闇の中の対決 (10)解放

[果て遠き道・目次(前書き)]

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