果て遠き道

第4章 炎呪

2 兄と妹



朔は、検非違使別当と相対している。
詮議の場には、他にも数人の武士が同席していたが、彼らは、
先の別当、平時忠に劣らず、苛烈な詮議で知られている男を前にして、
微塵も動じる気配のない梶原の娘に、心中驚嘆していた。
この娘、どこでこのような胆力を身につけたのか・・・。
そして、秘かに同情し、しかしその心を悟られぬよう、無表情を装っている。
可哀想にこの娘、無事で帰ることはできまい・・・。

言葉穏やかに事の経緯を語り、梶原家の当主名代としての姿勢を崩さぬ朔に、
別当のいらだちはつのる一方だ。
「鬼をかばい立てするなど、梶原殿の本意ではあるまい。鬼に惑わされたという女に、
お前もたぶらかされて鬼の仲間と成り果てたのだろう」
「恐れながら・・・別当殿は私の話を取り違えていらっしゃるようです」
「女、無礼だぞ」
「別当殿に無礼を申し上げるつもりはございません。ですが、そのように 思し召されましたなら、お詫び致します。
けれど、たぶらかされた者など一人も・・・」
「でたらめを申すな!!お前が梶原殿をたぶらかして、鬼を京に引き入れたのであろう?!」
「何を・・・申されます?」
「これ以上の詮議は無駄じゃ!この女を牢に繋いでおけ!」
「し、しかし・・・」
「別当様、こちらは源氏の・・・」
「情けなら、もう十分にかけたであろう。まだ縄もうたずにいるのだぞ。
鬼にたぶらかされた者に、これ以上の遠慮は無用。京を守るのが、我が検非違使庁の務めじゃ」
「・・・・はっ。・・・けれど」
「その・・・・もうしばしの吟味が必要では・・・」
「何だ、お前達、この裁きに不満でもあると」

「オレは、大いに不満だよ」
突然、前庭からよく通る声が響いた。
「あ・・・?」
朔が驚いて振り向く。

声の主は、ゆっくりと廊下に上がり、詮議の部屋に入ってきた。
立ち上がりかけた朔を目で制し、にっこりと笑いかける。

「貴様、何者だ?!」
「怪しいやつ、取り押さえろ!!」
「ここまでどうして入った?!」
検非違使達は一斉に刀に手を掛けた。
・・・・と、その動きが止まる。

「な、何っ?!刀が・・・・」
「抜けないとは・・・」
「ど、どうしたというのだ?」

「兄上・・・」
「梶原平三景時、妹を迎えに参上した」
武士達の存在など目に入らぬかのように、
かすかな笑みを浮かべたまま、景時はゆっくり別当の前に歩を進める。

「梶原・・・殿だと?」
「いつ西国から帰られたのだ?」
「しかし、なぜここに」
「警備の者はいったい何をしている?!」

検非違使庁の敷地内へは、簡単に出入りできるものではない。ましてや詮議の場となれば、
警護の武士の目に触れずに来られるような場所ではない。
それが、なぜ?
景時が陰陽師であり、遁甲の術でここまで来たことなど、彼らは知るよしもない。

別当の眼前に立ち、景時の笑みがぬぐい去ったかのように消えた。
刀も抜かず、真っ直ぐに立ったまま微動だにしない。
別当は、自分にひたりと据えたままそらさぬ視線の冷たさに、 ぞくりと背中が総毛立った。

剽軽な男・・・との評判ではなかったか。
取りなし上手で、人の和を乱さぬよう、いつも気を配っていると聞いている。
だが一方で・・・・、別の噂も耳にしていたことを思い出した。
敵に回して、これほどに恐ろしい男はいない・・・と。

威圧されて動くこともできない別当に向かい、景時は、ゆっくりと口を開いた。
「詮議は全て聞かせてもらった。リズ先生は、源平の戦で一緒に戦った仲間だ。
武芸の誉れ高く、みなから慕われる立派な方でもある。京に仇なすことなど、なさりはしない。
これは先生の弟子として、源氏の軍奉行としての言葉だが、これだけでは、足りないと申されるか?」
別当は、精一杯の気力をかき集めて言う。
「し、しかし、鬼であることは紛れもない事実。現に、各所に怨霊が出没しておるのだ。
それを軽々しく見過ごすことはできまい」
「先生を邸に呼んだのは、オレだ。尋問は、オレにした方がいい。だけど・・・・」
景時の声が、低くなった。
「朔にしたように、最初から話を聞く耳を持たないなら・・・・」
心の底を見透かすような深い緑色の眼に、暗い光が閃く。
別当は恐怖にかられ、我知らず大声で叫んでいた。
「こ、この者達を、解放しろ!!は、早く、ここから立ち去ってくれ!!」

とたんに、驚くほどに楽しげな声。
「うわあ〜、うれしいなあ♪」
景時は振り向いて朔に笑いかけた。
「よかったね、朔」

その場の者達は、一様に狐につままれたような顔をして、ぽかんと口を開いている。
この、やたらに明るくて軽い男は、本当にさっきまでの男と同じなのか?
我ら、たぶらかされたのではないか?

「兄上、いったいどうして・・・?」
唐突な景時の出現と状況の急変に朔は戸惑っている。
が、景時はそんな朔の手を引き、せかすようにその場を立ち去る。
「話は後でね。こんな恐い所からは、早く逃げようよ」
「・・・・わかったわ、兄上」
後ろを振り返って、朔は答えた。

別当をはじめ、武士達も後から来る。
館を出るのを見届けるためか、あるいは・・・・・。
背後に穏やかならぬ気配を感じながら長く曲がりくねった廊下を伝い、
やっと館の外に出た時には、朔は思わず、ほっとため息をついた。

その時、門に馬が駆け入ってきた。
馬上の武士はもどかしげに地上に飛び降りると、別当を見つけて走り寄る。
「申し上げます!鬼の居場所がわかりました!!」

景時と朔の足が止まった。
武士の間にも緊張が走る。

「鬼は、鳥辺野に向かったとのこと」
朔は、兄の袖をぎゅっと掴んだ。
その眼は大きく見開かれ、傍目にもわかるほどに動揺している。

「ほう、よくぞ調べた」
「いえ、梶原の若武者が、深手を負った身でありながら、報せに参ったそうです」
「そうかそうか」
別当は機嫌の良い声を出した。
「ではすぐに、討ち手を鳥辺野に繰り出せ!!急ぐのじゃ!!
これ以上、京に穢れを増やしてはならんぞ!」

別当は景時に向き直ると、満足げな様子で薄ら笑いを浮かべた。
「よい家人をお持ちですな、梶原殿」
「・・・・・・・」
「兄上・・・・」
「顔色が悪いね、朔・・・」

景時は銃を取り出し、空に向けて撃った。
と、軽やかな蹄の音。
漆黒の駿馬が走り来た。
「失礼する!」
景時は朔と共に磨墨に乗ると、風のようにその場を去った。

ほんの瞬きをするほどの間のこと。
鮮やかな引き際に、せっかくふくれあがった別当の満足感は少ししぼんでしまった。



暗雲の下、冷たい風を切って駆ける磨墨の上で、朔が重い口を開いた。
景時の急な帰京の理由を質すより前に、そして京邸に着く前に、
どうしても言っておかなければならないことがある。
「兄上は、望美がさらわれたこと、知っているの?」
「うん。京邸に寄ったからね。帰ってみたらびっくりだったよ〜。
朔も検非違使に捕まったっていうしさ、オレ、もうどうしていいかわからなくなっちゃったよ」
「望美をさらった者達を手引きした者が、邸内にいるの」
「そう・・・・」
「兄上・・・驚かないの?」
「うん、まあね・・・」
「それと・・・・」
朔は言いよどむ。
「大丈夫、オレはちゃんと聞くから、話してごらん」
「望美が鳥辺野に連れ去られたことは、リズ先生と私しか、知らないはずなのに・・・。
それ以外で知っている人といったら・・・・」
「そうだね、邸で手引きした者、つまり、やつらの仲間以外に、考えられない」
「・・・・兄上・・・まさか・・・あの・・・あの人が・・・」
「泣かないで、朔」
「戦でも、一緒だったのに・・・ずっと梶原党の・・・」

景時は馬を止めた。

「ねえ朔、やつを、ひどい男だと思う?」
「もちろんだわ!信じていたのに・・・望美にあんなことをして、リズ先生を売るようなことまで」
「そうだね。でもなぜ検非違使に、リズ先生の行き先を教えたんだろうね?」
「先生が望美を助けるのを邪魔したいのよ、きっと」
「オレは・・・違うと思う。たぶん、朔を・・・助けたかったんだよ」
「え?」
一瞬の後、朔はその言葉の意味を悟った。
「そんな・・・そんなことって、ないわ!!あの人をかばうの?!兄上!
そんなことが、言い訳になるの?!あんな・・・あんなひどいことをして・・・望美は今頃・・・」
「ごめんね、朔・・・言い過ぎちゃったみたいだね。オレって本当にダメだな〜」

唇をかんでうつむいた朔に、精一杯の詫びの言葉を並べながら、景時は心の中で呟く。

     ひどい男は・・・何も、やつ一人じゃない。
     でも、今度は・・・、今度ばかりは、何としても・・・・・・。
     そうしなかったら、いったい今まで何のために、オレはこの手を・・・・。



第4章 炎呪 

(1)兄と弟 (3)現世と冥界の狭間で (4)怨嗟 (5)鬼の力 (6)馬上の男 (7)弟子 (8)孤独を知る者 (9)闇の中の対決 (10)解放

[果て遠き道・目次(前書き)]

[小説トップ]