果て遠き道

第4章 炎呪

9 闇の中の対決



例えるならば、そこは茫漠とした空なる広がり。
確かなる存在はなく、影のみが行き交う。

そのただ中に、男はいた。
豪奢な装束、流れる金の髪、
朧な影の世界に在ってただ一つ、存在の強烈な証たる、強い気を纏って。


リズに向けた男の顔は仮面に隠され、表情は窺い知れない。
ただ口元に冷たい笑みが浮かぶのみ。
他者を寄せ付けぬ超然とした傲岸さと、微かな自嘲の笑み。

「生者の身で、よくここまで辿りついたものだが・・・。
お前は・・・つまらぬことをする・・・」
独り言か、リズに向けられたものか、定かならぬ言葉。
リズは答えぬままに男と対峙した。
「沈黙の意を解するか。愚か者と思ったが・・・」
リズは黙している。

「人間など捨て置けばよいものを」
「彼らを助けたことがつまらぬことと・・・?」
初めて発したリズの声に、僅かな怒りが混じる。

「気に入らぬな・・・。鬼の誇りを持たぬとは」
「己が血への誇りとは、異なる血の者を犠牲にすることではない」

男の笑みが歪んだ。
「私に向かってそのような口をきく者など、ついぞなかったぞ。
お前は、問わぬのか・・・。私が誰であるか」
「尋ねるまでもない」
「ほう、知っていて、私を恐れぬと・・・」
「恐れるのは他者の力ではない。大切な者を守りきれぬ己の弱さだ」
「喪うことの恐怖を知るか。お前は・・・棟梁の血の者なのだな」
「我が里は滅びた。守るべき者のいない長は、もはや棟梁の意を持たぬ」

「民は率い、治め、統べるべきもの。愚かな者達はそれなくしては道を過つ」
「ならば問おう。お前はなぜ滅びた」
「私が・・・滅びたと・・・?」
仮面の男は、ほっそりと白い指を顎先に当てた。
「その記憶は・・・まだもたらされていない・・・」

「お前もこの地の影・・・なのだな」
その言葉に、男はうっすらと笑みを掃いた。
「そうだ」
「ここは、黄泉国か」
「そうであれば・・・よかったろうにな」

「では、何だと言うのだ」

男はゆっくりと言った。
「京の地の記憶」

「地の記憶と・・・?」
「すでにこの身は亡い。
ここに在るのは、長い時を経た地に降り積もった記憶。
ただ影となって移ろい、漂うだけだ」

「お前は、ここにあって、ここに無い。
そのような存在というのか」

「私はこの場所で、浮かんでは消える幻のように
他の影との境界すら定かならずに彷徨っていた。
意識もなく、意志もなく・・・。
だが今、こうして私は輪郭を持ち、このように意志を持った。
在りし日のままかどうかなど、気にはせぬよ」

「滅した身でありながら意識を持ち、安らぎも得られぬままこの地を彷徨っているのか」
「同情ならば、無用だ。艮の気を持つ者よ。お前は鬼らしからぬ」
「私は、私として在るだけだ」
「お前は、私の右腕だった男に似ている・・・生意気な、化生の陰陽師も思わせる」

男はすっと腕を高く掲げた。
「無聊の慰みに、その腕、見せてもらおうか」
男が手を振ると、周囲に渦巻いていた邪気が、刃となってリズを襲い来た。

「く・・・」
瞬間移動がきかない。
かろうじてかわす。

「ほう、よい動きだな」
四方から来る。
わずかな間隙を突き、身をひねって下から避ける。

「少しは楽しませてくれる。では、これはどうか?」

今度は上方からも・・・。

「・・・避けきれぬ!」
リズの指先から術が放たれた。
邪気の刃が音も無く飛び散り、煙のように四散する。
「安堵したぞ。鬼の力、失くしてはいないのだな」

息つく間もなく、新たな刃が全方位に現れた。 元より上も下もない世界。
前後左右上下を取り囲まれる。

一箇所に穴を穿ち、抜け出るしかない。
術を撃とうとした瞬間、邪気が消え去った。

見れば、仮面の男の輪郭が、靄に包まれ、揺らいでいる。
薄く広がった靄は、男にまとわりついては吸い込まれるように消えていく。
その度に、男の輪郭がくっきりと縁取られ、纏う気に力が満ちる。
男は靄の中、身じろぎもしない。
かすかに歪み、喘ぐように開いた唇が示すのは、苦痛か、あるいは恍惚か。

薄靄の向こうで、男の眼がリズを捉える。

「私の記憶を地の底から呼び起こし、集めたのは、お前ではないのだな」
「お前の記憶を・・・集める?」

「私に興味を持つ者がいるようだ。私に何を望むというのか・・・」
男は蔑むような口調になる。
「愚かな・・・。誰も私に命令することなどできぬものを・・・」

リズは目を閉じると、周囲の気を探った。

何者かが今、この世界に働きかけている。
おそらくそれは、地に眠る記憶を呼び集め、この男に形を与えた者。
では今ならば、どこかで現世と接している場所があるはず。
それは、どこに・・・。

靄の漂い来る彼方に、微かな歪みを感じた。

男に背を向けると、リズはその彼方を目指す。
同胞の記憶の残滓との邂逅は、したたかに苦いものだった。
しかし仮面の男・・・かつて京を脅かした鬼の首領とは、
また会うことになろうと思いながら。

芥子粒ほどの白い点。
周囲がぼんやりと明るい。
あそこか!

しかし、真っ直ぐに歩むことさえままならぬ世界。
走っているのに、気まぐれに漂うようにしか進めない。
ぐんと進んだかと思うと、ゆるゆると在らぬ方に流される。

得体の知れぬ物の影を振り払い、かいくぐりながら光を目指す。
しかし、リズの眼前で、その光はどんどん薄れていった。



景時は六条堀川へと、ただ一人歩を進めている。
建物の小暗い陰や、四つ辻から、次々と怨霊が立ち現れるが、
顔色一つ変えず、陰陽銃を撃つ。


「我らがお送りすることもお許し下さらないならば」
「せめて、馬を・・・磨墨をお使い下さい」
「ほれ、この通り、磨墨も心配そうです」
景時は、湿った鼻面をすり寄せてくる磨墨のたてがみを優しく撫で、
「じゃ、行ってくるよ」
そっと声をかけた。
磨墨は、なぜ乗らないのか、とでも言うように首を振り上げ、足踏みをする。

「兄上・・・お帰りを・・・お待ちしています」
「うん、じゃあね、朔」


別れの挨拶はすませた。
なのに誰も、さようならとは言ってくれなかったな。

梶原党を、巻き込まずにすむことはできないかもしれないのに・・・。


「景時殿・・・?!」
「どうされた?!西国へ行っていたのではなかったのか」
「九郎捕縛の報はまだ届いておりませんぞ。なのに何をおめおめと帰ってこられた」

「政子様に・・・とても大事なご相談がある。お目にかかれるだろうか」
「・・・梶原殿、どうかされたのか?」
「顔色がすぐれぬが・・・」
「そのような中、来られるほどの大事とあらば取り次がぬでもないが・・・」

その時、女の声がした。
「騒がしいこと・・・。どうしたのかしら」
「政子様・・・」
その場の者は、全員居住まいを正す。

「景時、お役目もないがしろにするほどに大事な用があるとでもいうの?」
「はっ。申し訳ありません。しかし・・・」
「お前の話、興味があるわ。聞いてみましょう」
「有り難く存じます。もう一つお願いできますならば」
「人払いかしら?」
「景時殿、政子様に対し、あつかましすぎますぞ」
「かまわなくてよ。では景時、こちらへ」
「はっ」



「ゆ・・・譲くん・・・やめ・・・て・・・苦・・・し・・い」
「先輩・・・先輩!!・・・う・・・くっ!!」

譲の手が、望美を壁に押しつけ、その喉頸を掴んでいる。
その手に浮き上がっているのは、禍々しい光を帯びた呪印。

あの時・・・あいつが俺の手を取ったのは・・・これを・・・
この呪詛を俺にかけるためだったんだ。
くそっ!これは俺の手なのに、勝手に・・・動く。

    「あのお嬢さんの命と・・・」

政子の言葉が脳裏をかすめた。

あいつの狙いは、最初から先輩だったのか。
止めなくては・・・先輩を・・・俺が・・・手にかけるなんて。

しかし、譲の思いとはうらはらに、望美の首にかけた力は増すばかりだ。

望美は身を捩って逃れようとしたが、そのまま床に倒れてしまった。
したたかに頭を打ち、一瞬意識が遠のく。
「先輩・・・大丈夫ですか・・・しっかりして下さい!!」

何言ってるんだよ、俺が・・・こんなことしてるのに・・・
このままじゃ・・・先輩・・・

倒れた望美に馬乗りの体勢になり、上から押さえつける力はさらに強まる。

だめだ・・・や・め・ろ・・・!!

あっさりと、譲の右手が望美の首から離れた。
よかった・・・!

しかし一瞬ほっとしたのも束の間、
その手は下へとすべり、望美の襟の合わせ目にかかる。
な・・・何を・・・?!

    「あなたの中の嫉妬の炎・・・」

ばかな・・・何で・・・こんなこと・・・

望美が、焦点の定まらぬ目をかすかに開いた。

「ゆ・・・ず・・・る・・・」
声は、出ない。
けれど、唇が、譲の名を形作る。

その時、望美の腰に差した短剣が譲の目に止まった。

望美の意識のある今なら!
今が、最後のチャンスだ!

「先輩・・・、手は、動きますか?」
望美はまばたきで、肯定の意を伝える。

「その短剣で、俺を刺して下さい」
驚いたように目が見開かれ、次いでぎゅっと閉じられる。
否定の意。

「それしか俺を止める方法はないんです!だから・・・」

その時、望美の襟元を押し広げようとしていた譲の右手が動き、
望美の短剣を引き抜いた。
その手がゆっくりと振り上げられる。

「うわっ!!・・・ぐっ!!・・・先輩っ!!」
譲の悲鳴にも似た叫び声が、響いた。





第4章 炎呪 

(1)兄と弟 (2)兄と妹 (3)現世と冥界の狭間で (4)怨嗟 (5)鬼の力 (6)馬上の男 (7)弟子 (8)孤独を知る者 (10)解放

[果て遠き道・目次(前書き)]

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