果て遠き道

第4章 炎呪

6 馬上の男



柱にもたれてまどろんでいたヒノエの瞼がゆっくりと開いた。

「・・・手を打っておいた方がよさそうだね」
呟くようにそう言うと、すっと立ち上がる。

奥では譲が寝息を立てている。

出がけに将臣が弁慶に耳打ちをしていた。
「譲のやつ、放っておくと無茶しそうだから、眠らせといてくれねえか」
「医者として、僕もそれには賛成です。では、せっかくのご希望ですから、
とびっきり効く薬湯を作りますね」
「サンキュ!頼んだぜ」

アブねえ・・・。何が「さんきゅ」だ。
ヒノエは思う。
新しい処方を試されるのがオチだぜ。

自分だったら御免被りたいところだが、今の譲には眠ることが一番なのだろう。
譲がひどく思い悩んでいるのは、傍目にもはっきりわかるのだから。

姫君のために身体を張ってがんばったんだ。
ゆっくり休んでな。

軋む戸をそっと開けると、隣の診療所を覗く。
常ならぬことに、患者の姿はない。

「これじゃ商売にならないね」
「医者なんて、暇な方がいいんですよ」
診療道具の整理をしていた弁慶が、振り返りもせずに答える。
「普段なら・・・ですが」
「こんな日は、元気な人間でも出歩きたくないだろうね」

「でも、外に出たい人もいるようですね。気が変わりましたか、ヒノエ?」
「いろんなことを突き合わせて考えたら、ちょっと見えてきた気がするんでね」
「さっきも来ていましたね。本当に熊野の烏は働き者ですから」
「気づいてたのかよ」
「僕も、それほどなまってはいませんよ。で、どこへ?」
「七条あたりまで、ふら〜っとね」

弁慶が振り向いた。
「あの辺りは、たしか古狸が出るんですが・・・」
「まあ、せっかく京に来てるんだし、挨拶くらいはってね」
「突然の訪問ですが、忍び込むつもり・・・ですか」
「表から堂々と行くつもりだよ、熊野別当としてね。十中八九、ヤツはオレに会う」
「大した自信ですね。京がこんな状態ですから、警戒も厳しいと思いますが」

ヒノエは親指を立ててみせた。
「こんなだからこそ、だよ。殿上人ってやつは、陰で策略巡らすのが大好きな割に、
物の怪だの怨霊だのには震え上がる。出家してても、同じことさ。」
「ふふっ・・・盛んに祈祷が行われているでしょうね」
「気休めにね」

「ですが、危険ではありませんか?この状況、朝廷と無関係と決まったわけではないのですから」
「それも、きっちり確かめてくるよ。朝廷の線が消えるだけで、全体像がはっきり見えてくるからね」
「自らの権威の中心地を自分の手で危うくするとは考えられませんが、まだ、その可能性が
消えたわけではない・・・。そこで、君のやろうとしていることは・・・」
ヒノエの眼が光る。
弁慶はやれやれと言いたげに苦笑した。
「・・・なるほど、それで熊野別当・・・ですか」
「そういうこと」
「熊野と朝廷が結ぶ・・・なんて、鎌倉は嫌がりそうですね」
「元々、縁があるしね。熊野は聖なる土地なんだ。それを利用しないってのはないんじゃない?」
「ふふっ・・・神職の言葉とも思えませんが」
「それに、熊野が鎌倉を喜ばせる必要なんてないしね」

「たいそうな自信ですね。まだ事も始まっていないというのに」
「熟れた実は落ちるよ。そのためにいろいろ仕掛けてるヤツらがいるのは確かなんだしね」
「この五行の乱れと気の滞り・・・簡単に解決できるとは思えませんが」
ヒノエは片眼をつぶった。
「ちょっと賭けてみるのも悪くないんじゃない?さっきオレ、額が熱くなってね」
「偶然ですね。僕はさっき、右手が熱かったんです」

一陣の突風が吹いた。
建物全体が、ぐらりと揺れる。

ヒノエは音もなく出て行った。

鴨川の流れが、いつになく激しい。
空は黒く垂れ込めて渦巻く雲に覆われ、まるで夕暮れ時のような暗さだ。
吹き付ける風は方向も定まらず、河原に生い茂る枯れた蘆を様々な向きに倒していく。
嵐が近い。



「神子、あの影に追いつかれぬうちに、下りるぞ」
「はい・・・・でも」
「得体の知れぬ影より、人間の方がよいだろう」
「検非違使の人達に見つかってしまったら、先生が・・・」
「見つからずに通ることはできぬ。しかし、影の存在を警告しなければならない」
リズはかすかに笑った。
「聞く耳持たないかもしれぬが」
「・・・そうかもしれません。でも、確かに放ってはおけませんね」
「景時のことがある。彼らと斬り合いはしたくない」
「私もです」
「手薄なところを突いて、飛ぶ。よいな」
「はいっ!」


「おいっ!鬼が来るぞ!!」
急峻な山道に足取りの重かった検非違使庁の武士達が、一斉に活気づいた。
「人間の娘もいるが・・・」
「嵐山にいた娘だろう。鬼の仲間だ。一緒に捕らえよう」
「剣の心得のある娘らしい。油断するな!」
武士達は抜刀し、待ちかまえる。


その様を、馬上から捉えている者がいた。
「急げ!」
馬に呼びかけ、全速で山道を駆る。


「うわっ!!鬼っ!」
「娘も?!」

やや距離があると見ていた武士達は、突然現れた二人の姿に驚き慌てた。

「坂の上を見よ!!」
リズが言い、望美もその隣で叫ぶ。
「黒い影がこっちに向かってくるのが見えるでしょう!危険です。逃げて!!」

「何っ?!」
「騙されるな!嘘に決まっておろう」
「いや・・・何か・・・見えるぞ」
「拙者には何も見えぬ」
「なぜ見えぬ?!」
武士達は混乱した。
しかし、
「我らの務めは、鬼の捕縛ぞ!!」
年長の武士の一喝に、はっとして気を取り直す。

「危うく惑わされるところであった」
「鬼め。姑息な真似など、我らには通じぬわ」
一斉に斬りかかってくる。

「もうっ!!なんて聞き分けがないの!」

その時、望美に向かって縄が放たれた。
先端に石をつけた縄は足に巻き付き、望美は縄を引かれて倒れた。
「神子っ!」
リズが剣を抜くより早く、望美はそのまま坂を転げ、武士達のただ中に落ちた。
「いいぞっ!!」
すかさず縄の使い手が望美を捕らえようとした時、
馬の嘶きと蹄の音が割り込んだ。

「何者っ?!」
縄使いの動きが止まった一瞬の隙に、瞬間移動。
望美の縄を断ち切った時、武士達のただ中に馬が走り込んできた。
武士達は思わず怯み、その蹄を避ける。
騎乗の男は駆け抜けざま、望美に手を延べた。
「神子を頼む!」
望美を抱え上げると、リズはその男に望美を託す。
男は望美を抱きかかえ、黙したまま眼顔で頷くと、そのまま駆け去っていった。

我に返った指揮官が慌てて命令を下す。
「な・・・何をしている!騎乗の者は後を追えっ!逃がすなっ!」
残った武士達はリズを取り囲み、一斉に斬りかかってきた。
剣を抜き、太刀を受け、身をかわす。
手強いと見た武士達が間合いを取る。

これだけ離れていれば、瞬間移動は容易。
しかし、リズが気を集める瞬きほどの間に、道に影が落ちた。

山が消え、道が消え、武士達共々、漆黒の闇に包まれる。




望美は男に抱えられて馬上にいる。
この馬には見覚えがある。
同じ馬具だから、間違いない。
野盗の元から逃げた馬だ。
ということは、この男が例の・・・?!

しかし、それにしては先生のとった行動が解せない。
私を、この男に託したのだ。
男は顔も頭も、無造作に巻いた布で覆い隠している。
誰なんだろう。
この馬の乗り方・・・知っている人のような気もするけれど・・・。

しかし、すぐ後ろまで追っ手が迫っている。
のんびり話をきくような状況ではない。

弓が射かけられた。
ひゅん・・・と風を切る音。耳の先を矢が掠めていく。
胸がぎゅっと苦しくなる。
どうしたんだろう・・・。
これは矢で射られる恐怖ではない。
別の・・・もっと不吉な・・・何か・・・。
まさか、先生・・・?!

「このままでは・・・」
男が初めて言葉を発した。
「あ・・・あなたは・・・」
「谷底まで駆け下りるぞ!俺にしっかりつかまっていろ!」
「く?!・・・く!!・・・むぐぅ」
いきなり口を塞がれる。
「馬鹿かお前は。俺の名を口にするな!」
「そ、そうか。ごめんなさい」
「今の俺は謀反人なんだ。知らないわけでもないだろう」
「もうっ!それはそうだけど、馬鹿はないでしょ、馬鹿は」
「行くぞ!」

馬は方向を変え、一気に崖を駆け下る。
背後で追っ手達の驚愕する気配。

「何をする気だ?!」
「気でも狂ったか」
「自ら崖に飛び込むとは・・・」
「逃げられぬと観念したのではないか」

しかし、崖下をのぞき込んだ彼らが見たのは、道を駆け去っていく馬の姿。
これほどの騎乗の腕を持つ者がいるとは・・・。彼らは心中秘かに舌を巻いた。
自分達では、この谷を下りることなどできない。
かといって、道を辿っていったなら、とうてい追いつくものではない。

仕方なく、来た道を急ぎ、引き返す。
娘は取り逃がしたが、鬼の捕縛はうまくいったのだろうか。
手勢を二手に分けたことが、裏目に出ぬとよいのだが・・・。

しかし、戻った彼らの目にしたものは、惨憺たる情景だった。
倒れ伏したまま動かないもの。
だらりと口を開け、焦点の定まらぬ目をして、おぼつかぬ足取りでさまよい歩く者。
狂ったようにわめき続ける者。
わずか数人のみが、正気を保っているようだ。
それとても、呆然と地べたに座り込んでいるような有様だが。
馬の足音に気づいた一人の者が、よろよろと這いずってきた。

「どうしたっ!しっかりしろっ!」
「鬼はどうした?!」
「これは、やつの仕業か?!」
ゆるゆると頭を振る。
「影が・・・来た」
「影?鬼の言っていたもののことか?」
「そうだ・・・。嘘では・・・なかった」
「拙者にはそんなものは見えなかったぞ」
「そうだ。影ごときで、どうしたというのだ」
「・・・お、お前達には・・・わからん・・・恐ろしい・・・」
「武門の者がその体たらくかっ!」
「・・・・皆の様子を・・・見ろ」
「む・・・・むう・・・・」
「そうだ!鬼は、鬼はどうした」
「影と一緒に・・・消えた」
「やはり、やつが操っていたのだな」
「・・・違う」
「貴様・・・鬼をかばうか」
「鬼は・・・皆を影から出してくれた・・・」
「どういうことだ。影など、数歩動けば」
「出られないのだ・・・何も・・・見えず、恐ろしいものの気配だけが・・・うっ・・・」
「すまなかった。もうよい。怪我をしている者もいよう。手当をせねば」
「鬼は・・・我らが思っていたような非道の者ではない・・・」
「俄には信じられぬが・・・」
「助かった者達は、皆そう信じている・・・」

そう言うと、その男は山道に目をやった。
影は、ぬぐい去ったかのように跡形もなく消えている。
あの鬼は・・・無事だろうか。
そうであれと、その男は心から願った。



第4章 炎呪 

(1)兄と弟 (2)兄と妹 (3)現世と冥界の狭間で (4)怨嗟 (5)鬼の力 (7)弟子 (8)孤独を知る者 (9)闇の中の対決 (10)解放

[果て遠き道・目次(前書き)]

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