深き緑に(まばゆ)き青に  〜2〜

零零七番の矜持




若い娘が、きょろきょろしながら街を歩いている。
年は別当殿の奥方と同じくらいだろうか。
すらりと背が高く、睫毛の長い潤んだ瞳をしている。

それだけならば美人、と形容できそうなのだが、
娘はそそっかしい質らしく、よそ見をしては通行人とぶつかりそうになり、
その度に細長い身体をかっくんと二つに折って頭を下げる。

髪が乱れて顔にかかるのを、うるさそうに払いながら、
娘は小さなため息をついた。


俺達は物陰からその様子を窺っている。

大柄な熊野水軍副頭領が、野太い声で俺に言った。
「あの娘か」

俺も、その声に負けないように力のこもった声で答える。
囚われの身だからといって、なめられては困る。

「いいえっ、違いますっ!」

「声がでかい」

俺の図太い神経が癇に障ったのか、副頭領は怒ったように言う。
ふっ、この勝負、俺の勝ちか。
だがここはとりあえず、相手に花を持たせてやることにする。
余裕を見せて、俺は 「ごめんなさい」と言った。

副頭領は、頭の悪いところを暴露した。
「着物の色も背格好も、お前が白状した通りじゃないのか」

それだけで判断するなんて、甘いぜ、坊や。

「すいません、でも頭に巻いていた布がありません。 背負っていた荷箱もありません」
「声が小さい」
「ごめんなさい」
「鉢巻きも荷箱も、捨ててしまえば同じことじゃないのか」

違う。あの時の娘とは、決定的に違う。
間者として培ってきた経験と鋭い勘が、俺に教えてくれている。

「で…でもっ…顔が…違います」
「基本的なことは最初に言え」

ふっ、奥の手は最後までとっておくものだ。

「私に簪を売りつけた娘は、もっといかつい顔をしてました」
「ではあの娘ではない、というのだな」

俺は間者としての誇りと矜持を持って、堂々と答えた。
「たぶんおそらくまあまあそんなところでしょうか」

「む、むうう…」

あ、言い忘れていたが、俺は今、ひどい扱いを受けている。

彼らは、別当殿の奥方が俺からパクった簪が、なぜか気になるらしい。

どこで手に入れた早く言えさっさと言え嘘を言ったらどんな目にあうか 分からないぞごるぁぁぁ痛い思いをしたくなかったら正直に白状するんだなごるぁぁぁ

と心臓が止まるほど恐い顔と恐い声で脅されるという拷問を受け、
俺はたまらず本当のことを言ってしまった。
諜報戦には民間人を巻き込まないのがお約束なのに、
熊野烏は、なんて酷いんだ。

あげくは、それらしい娘を見つけたから確認しろと、
猫のようにぶら下げられて、街まで連れてこられた。

首が苦しくならないように、上手に縛った縄でぶら下げられていて、
おまけに歩かなくて済むから楽なんだけど、
どうにもこの姿、俺にふさわしいものではない。


その間にも、娘は店に入っては何かを尋ねたり、
小さな脇道をのぞき込んだりしている。

「人違いとしても、あの子、何か困ってるみたい。放っておけないよね」

いきなり後ろから声がして、 俺達はぎくりとして振り向いた。
その拍子に、あろうことか、副頭領が俺を取り落とす。
俺は地面でしたたかに腰を打った。

悲鳴を上げると叱られるので、
中ぐらいの声で痛いのだということを訴える。
しかし、無視された。
ちっ


別当殿だけは落ち着いていたが、少し咎めるような口調で言う。
「確かにそうみたいだけどね、どうして姫君はここに来たんだい?」
奥方は、俺から簪をパクった時みたいに、あっけらかんとして答えた。
「だって、珍しくヒノエくんが怒ってるみたいだったから。
どうしたのかなあって、気になるよ」
「お前には、何でもお見通しなんだね。でも」
「大丈夫。ヒノエくんの足手まといになんかならないよ」

こういう時の奥方は、きっとおとなしく帰らないんだろうなあ。
別当殿も副頭領も、周囲に身を潜める烏の面々も、
みんなあきらめ顔だ。
最強奥方か。恐いよう……。


さすが!一番最初に行動を起こしたのは別当殿だった。
あの娘が無関係なのかどうか、それを確かめるのが先決と判断できたようだ。

「お前の言う通り、あの様子は確かにワケありみたいだね」
そう言うと、別当殿は通りの人混みの中に滑り出た。

軽い足取りで、よそ見をしながら歩いている娘に近づいていく。

「きゃっ!」
別当殿にぶつかりそうになった娘が、悲鳴をあげた。
避けようとした時に足がもつれたのか、大きくよろける。

別当殿は、つ、と手を伸ばし、娘の腕を支えた。
「大丈夫かい」
「へ?」
「前をしっかり見ていないと、危ないよ」
「は…は…ぁ…」

娘は呆けたように別当殿に見とれている。
と、はっと気づいたのか、細い身体をかっくんと折った。
「あ、ありがとうございます。それと、ごめんなさいっ!!」


「あああ、頭領は上手だなあ」

そのまま娘と話し始めた別当殿を盗み見ながら、副頭領がため息をついた。
「いかな手練れといえど、あれだけは真似できません」
物陰の烏が低い声で賛同した。

「……!…!!」
俺も無言で賛意を示した。
いいなあ、うらやましいなあ、奥方恐いけど。

って、奥方!!! 全員がそのことに気づいて凍り付いた。

……あの恐い奥方の目の前で、何てことを……。
暴れ出したら、きっと手がつけられないぞ!!!

俺は、こっそり逃げる態勢に入った。

しかし、
「ヒノエくん、あの子と話ができてよかったね」
奥方はにこにこしている。

………奥方様は……大物だ。

あ、思わずをつけてしまった。
できる!
男の仕事と本能に理解を示すとは、すごい!!


しばしの後、娘は別当殿と奥方様に向かって、話をしていた。

当然、烏は姿を隠したまま。
副頭領は、俺をぶら下げてその場を去る。

だから、俺の報告はここまでだ。

もう少し先を知りたいかもしれないが、今日の所は俺に免じて我慢してくれ。


熊野に夕暮れが訪れた。

鮮やかな朱色に染まった街を、
俺はぶらぶらとぶら下げられて歩いていった。






深き緑に(まばゆ)き青に

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