鬱蒼とした木々の生い茂る峠道。
行き交う人々は、木漏れ日に照らされ、まだらの模様を映しながら歩く。
山道とはいえ、ここは熊野の主要路。
往還する人の流れが絶えることはない。
「無理しないでね」
望美が後ろを振り返りながら言った。
「だ、大丈夫ですっ」
アザミが勢いよく答える。
昨晩、宿で賊に襲われたものの、目が覚めて大声で騒いだために、
賊は逃げ去り、アザミ自身は幸い怪我も負わずにすんだ。
しかし、慌てて逃げようとして派手に転び、
さらには部屋の戸板まで壊してしまった。
その時にしたたかに腰を打って、アザミは速く歩けない。
「オレが手を引いてあげてもいいけど」
「けけけけ結構ですっ!!」
大きな岩を曲がりこんだ先から、かすかに水の音が聞こえた。
「あ、あそこです!」
アザミが前方を指さした。
道を少し下りたところに、小さな流れがある。
「あそこで水を汲んでいる時に、荷箱を盗られたんです」
「どうして大事な物を道端に置いていったの?」
望美はもっともな疑問を口にしたが、斜面を見下ろしてすぐに納得した。
「木の枝にひっかかったりすると身動き取れなくなるよね…」
「はい。それにあの小川までは道もないし、もし落ちたりしたら、
荷箱が壊れてしまいますから」
落ちたなら、荷箱どころか本人が危ない。
「うーん、まずは失くした所から始めてみたけど、手がかりはないね」
望美が少しがっかりした様子で言った。
が、
「そうでもないみたいだよ。あれは何だい」
ヒノエが、道の反対側の斜面を示した。
「あああっ!」
アザミが大声をあげた。
慌てながら、のろのろと駆け寄ろうとする。
「いいよ、私が取ってくる」
望美が道を下りようと、一歩踏み出した時、
ヒンッ…
何かが宙を飛んだ。
ヒノエは身を踊らせ、望美に覆い被さる。
「きゃあああっ」
悲鳴を上げたのは、望美ではなくアザミだった。
手で顔を覆っているが、指の間からしっかり見ている。
通りがかりの旅人が数人、何事かと集まってきた。
「ヒノエくん、何があったの?」
ヒノエの下から、望美が言った。
「怪我はない?」
「大丈夫」
「よかった」
ヒノエは起きあがると、黙って側の木を眼で示す。
「あ……」
望美は絶句した。
木の幹に深々と突き刺さっていたのは、黒く鋭い針だった。
「例の間者の雇い主がわかりました」
「雇い主?じゃ、あの間者、渡り者ってことか」
「はい。その割に素直なヤツで、目星をつけた豪族の名前を挙げて、
そいつが夜逃げした、と嘘を言いましたら、胸焼けしたような顔になりました」
「で、観念して全部白状したってわけ?」
「おとなしく反省しています」
副頭領とヒノエの間には、黒い針が置かれている。
尋問が滞りなくすんだというのに、副頭領の口調が苦々しげなのは、
その針のせいだった。
「ヤツが間者だと、最初からばれていた…ということは…」
副頭領の機嫌におかまいなく、ヒノエは続けた。
「では、雇い主を、少し揺さぶってみましょうか」
「できるのかい?」
副頭領は、小声でその名を言った。
ヒノエの口笛が響く。
「度胸ありすぎってね」
「例の娘は、まだ宿にいるそうですが」
「戸板を壊したから、その分、働いて返すそうだよ。
で、もう一人の手がかりはあったのかい?」
「申し訳ありません。まだ…」
「完全に雲隠れか。ということは…」
「ということは、何でしょう」
副頭領が、期待に満ちた声で言った。
しかし、ヒノエはさらりとかわす。
「いずれわかるよ。答は、もう出てるから。
肝心なのは、得体の知れないヤツが熊野で何か企んでるってこと」
「では」
部屋を出ようとした副頭領に、ヒノエは声をかけた。
「ついでに、もう一つ、頼まれてくれる?」
深き緑に
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